最終的解決

ナチスは第二次世界大戦、独ソ戦を引き起こす中、それまでの攻勢が逆転した時期に、ユダヤ人政策についても転換点を迎える状況にありました。ナチスはニュルンベルグ法によるユダヤ人差別を行い、マダガスカル計画により帝国領土や占領地からユダヤ人を追放することを画策していましたが、戦況悪化により、最終的な解決を模索することになりました。

最終的解決は、ヴァンゼーで開かれた会議で討議され、ユダヤ人を一旦ゲットーに集め、そののちに強制収用所に送り込み、結果的に抹殺していくことになりました。

最終的解決

  • 「最終的解決」は、ユダヤ人を計画的に排除すること、すなわち抹殺することを意味していた。ナチスは、そのような直接的な表現を使わずにあいまいな言葉を用いた。

  • ヴァンゼー会議の議事録作成者であるアイヒマンは、戦後エルサレムで裁判にかけられた際に、会議出席者は異口同音、ユダヤ人の殺害を直接的に口にしていたことを証言した。

ヴァンゼー会議

  • 1942年1月20日、ナチス政権下で「ヨーロッパユダヤ人問題の最終解決」を議論したものナチスのユダヤ人問題の権限が、ゲーリング元帥からラインハルトハイドリヒ国家保安本部(RSHA)長官に与えられる

  • 独政府の主だった政府機関(東部占領地域省、内務省、4ヵ年計画庁、法務省、総督府、外務省、党官房、帝国宰相府、親衛隊、国家保安本部)の高官15名が参集し議論

  • 議題は一部で一致がみられず調整が生じた、ニュルンベルグ法でユダヤ人は定義されていたが、改めて輸送の対象となる「混血者」について議論がかわされた

  • 秘密警察ユダヤ人課のアドルフアイヒマンが議事録作成、アイヒマン自身は議事録作成のみの役割で、会議で発言することは無かった模様

  • 会議終了した後日、アイヒマンは直ちに関係機関に、最終解決の開始を明言し、ユダヤ人の移送を続けるよう支持した

議事録の概要(ヴァンゼー会議記念館 > ヴァンゼー会議 議事録)

  • ゲーリングの要望は、ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終解決を考慮した組織的、事務的および物資的要件についての構想を提出すること、ならびにこの問題 に直接関与する中央機関が、協調路線をとって共に事前準備を行うこと

  • ユダヤ人問題の最終解決の処理は、親衛隊帝国指導者およびドイツ警察長官 (治安警察・親衛隊保安部長官の管轄下に置く

  • これまでのユダヤ人闘争を総括

  • ヨーロッパ・ユダヤ人問題の解決において問題となるユダヤ人はおよそ1,100万人

  • 最終解決への過程では、相応の管理指揮のもとユダヤ人を適切な方法によって東方での労働配置につかせ、ここで大部分は間違いなく自然に淘汰されていくであろう

  • 移送されるユダヤ人は順次まずは一時ゲットーに収容し、そこからさらに東方へ輸送する。

  • 65歳以上のユダヤ人は移送せず、老人用ゲットーに収容する

  • 最終解決計画の遂行においてはニュールンベルク法がその基礎を成す

  • さらに問題となるユダヤ人250万人のうち大多数が労働不能であると指摘

  • 最後に様々な解決方法について検討が行われ、該当地域においてただちに最終 解決に向けた確実な準備作業に取り掛かるものとする


「謀議」

(2001、米)

ラインハルト作戦

  • 1942~1943年の間、ポーランドなどにあるゲットーから、三大絶滅収容所にユダヤ人を移送して殺害する絶滅計画

  • 作戦名は、ラインハルトハイドリヒ国家保安本部(RSHA)長官の名前に由来

  • 総督府(占領下ポーランドの内陸にある領土)領内に、ベウジェツ強制収用所、ソビボル強制収用所、トレブリンカ強制収用所を建設

  • ツィクロンBを用いてガス殺

  • 戦況悪化に伴い、1943年11月頃までには収容所は解体され消滅

ホロコースト内容

GER>ヴァンぜー会議

POL>ベウゼッツ博物館

POL>トレブリンカ博物館


参考