ユダヤ難民
ユダヤ難民
ユダヤ難民
エビアン会議
エビアン会議
1938.7.6~7.15の間、フランスのエビアンで開催
米国Fルーズベルト大統領により、ユダヤ難民の問題を討議した会議
米、英、仏、カナダ、中南米、オーストラリア、ニュージーランドなど32カ国が参加
難民の発生する現状に同情の意を表明
一方で、多くの国が難民増加による自国の不況の深刻化などを懸念し、移民の入国制限緩和に消極的
中南米の小国ドミニカ1国のみが受入れ増加表明
政府間難民委員会(ICR:Intergovernmental Committee on Refugees)を設置することが決定
セントルイス号事件
セントルイス号事件
1939.5.13、約9百人のユダヤ難民がドイツを逃れキューバに向け航海
キューバは入国拒否
その後、フロリダ沖に停泊するが、米国は入国拒否
その後、ヨーロッパに戻りベルギー、オランダ、フランスで一部難民受け入れられ下船
英国以外に下船した難民のほどんどは、その後ナチスに占領された国々の中で、最終的解決の犠牲となる
タイガーヒル号事件
タイガーヒル号事件
バミューダ会議
バミューダ会議
1943.4.19、バミューダで開催された会議
米国と英国が協議
参考
参考
1943年アメリカ・ユダヤ人会議をめぐる政治過程(池田有日子 九州大学)
ushmm > 難民、U.S. & World Response、セントルイス号の航海(米国ホロコースト記念館)
ヘブライの館2 > ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国
JEWISH VIRTUAL LIBRARY > Decisions Taken at the Evian Conference On Jewish Refugees
JEWISH VIRTUAL LIBRARY > U.S. Policy During WWⅡ: The Bermuda Conference
yad vashem > Evian Conference、Bermuda Conference