水晶の夜(1938.11.9~10)

水晶の夜(独語 kristallnacht クリスタル・ナハト、英語 Night of Broken Glass)

ユダヤ人の商店、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)が破壊され、ユダヤ人が迫害された事件です。ヒットラーが首相となってから、ニュルンベルグ法をはじめとしたユダヤ人を差別する政策が動き始める中、この事件は、ナチスドイツ全体でユダヤ人を排撃する動きに拍車をかける転換点となりました。

〔背景〕

  • 1938.11.7、フランスのドイツ大使館員ラートが、ポーランド系ユダヤ人グリュンシュパン に殺害されたことによる報復

  • ナチス政権下ユダヤ人が迫害される中で、1938.10.6ポーランドはユダヤ人の入国を制限することにしました。1938.10.28には、ユダヤ人をドイツからポーランドに強制的に移送しようとしますが、ポーランドは入国を拒否し、国境付近の町で行き場を失います。行き場を失くしたユダヤ難民の中にグリュンシュパンの親がいて、困窮した状況をパリにいた息子に伝え、グリュンシュパンは、パリのドイツ大使館に行き事件をおこした。

  • 1938.11.9、ヒトラー、ゲッペルスはミュンヘン一揆の記念式典に出席しており、ゲッペルスから出席者に対して事件の経過が伝えられた。ゲッペルスの主導で、突撃隊を通じ暴動が先導され、ハイドリヒは治安組織に、暴動をある程度黙認するよう指揮したといわれています。

〔内容〕

  • 1938年11月9日~10日にかけて発生(1933年ヒットラーが首相に就いて5年後、1935年ニュルンベルグ法ができた3年後の出来事)

  • ユダヤ人商店、シナゴーグが破壊され、破壊されたガラスの様をみて水晶の夜と呼ばれた

  • ユダヤ人は暴行を受け殺害されるものもいた

  • 被害者側のユダヤ人が3万人ほど逮捕され、強制収容所に送られた

〔余波など〕

  • 経済への影響、他国からの批判など、事件に対する批判があったこともあり、反ユダヤ政策の責任者はゲッペルスからゲーリングに移行した

  • この事件を契機に、ユダヤ人への人種差別は、ナチ党にとどまらず国全体を支配した