第五回:ひらかれた伝承のかたち ― 深川にガムランを聴きに行く

開催日時:2014年6月8日、15:00~17:30

協力者:深川バロン倶楽部

開催場所:富岡八幡宮

0.文テクの場

1.三つのキーワード

2.研究会概要

3.研究会を終えて

0.文テクの場

2014年度第一回(通算五回目)の文テクは、深川バロン倶楽部がガムランを奉納する富岡八幡宮を会場に実施された。八幡宮の裏手には、楽器や演奏に合わせて踊るバリ島の獅子舞ともいえる「バロン」をしまっておく倉庫があり、八幡宮と地元コミュニティによる深川バロン倶楽部へのバックアップを実感することができた。講演会場は結婚式場を利用、その中で学会員が実際にガムランの楽器を触らせていただくという不思議な場が出来上がった。

午前中は小雨が降っていたが、講演会開始とともに晴れ間が見え始める。そのため、終了後は富岡八幡宮の本殿前で行われる深川バロン倶楽部の野外練習を見学し、日本に定着した新しい伝承の姿も目の当たりにすることができた。

本殿前、深川バロン倶楽部の野外練習

本殿前、深川バロン倶楽部の野外練習

深川バロン倶楽部野外練習の様子(動画)

1.三つのキーワード

この分野で最古の現役技術は?

=集団で楽器を鳴らしながら体で覚えて伝えていくガムランの演奏技術

この分野で最新の技術は?

=未来の目標である、日本での青銅の鍵盤づくり

この分野でもっとも○○な技術は?=「継承され変わりゆく技術」

=日本での活動を継続させるための地味ながらも大事なメンテナンス用材として、鍵盤を繋ぐビニール紐

鍵盤を繋ぐ紐

鍵盤をつなぐ紐はしばしば切れてしまう。バリではテグス糸を使うことが多いそうだが、平らなビニール紐も修理に適しており、手軽に手に入る重要なメンテナンス用材となっている。

2.研究会概要

A.「日本の伝統音楽とガムラン」(鳥居誠:深川バロン倶楽部)

鳥居誠氏

バロン倶楽部の前身は25年前くらいにできた芸大のガムラン倶楽部、自分はそこで時々手伝いをしていた。最初は別のガムラングループの手伝いをしていたので深川バロンクラブには滅多に来なかったが、結局はここバロン倶楽部に落ち着いた。四年前にバロン倶楽部に正式に加わって以降、華やかにしようと思ってきた。去年は特に新人が多く加わったからそこを育成しなくてはならないと思っている。

日本の伝統音楽は、大半が輸入されて始まった物である。雅楽にせよ琵琶法師にせよ元をたどれば輸入と言えるが、日本人は入ってきた物を自分たちの物にすることには非常に長けた民族であり、伝統音楽もその中から生まれてきた。しかし、明治時代以降にトップダウンで西洋音楽の制度を浸透させてきた結果、近代においてはこれといった伝統音楽が生まれない状況が続いている。津軽三味線など地方のクオリティが上がり芸能が育ったり、山田耕筰らの活躍があったりしたものの、伝統楽器を使った芸能は生まれなかった

そんな中、ガムランが初めて入ってきたのは戦前の宝塚劇場、実演はしなかったものの大道具として利用したという記録がある。初めて実演しようとした人物はアジア音楽の研究をしていた小泉文夫先生。彼は、日本の民俗音楽の草分け的な存在で、1960年代にアメリカの大学で行われていたガムランをみて、東京芸大の音楽学(楽理科)にそれを持ち込もうとした。この時のガムランはジャワのガムランであり、深川バロン倶楽部が演奏するバリのガムランは、その10年ほど後に国立音大の楽理科で実演が始まったのが初めてだと思われる。それとほぼ同時期に、名古屋音大でもバリのガムラン実演が開始されている。芸能全般としてみてみると、同時期に「芸能山城組」の大橋力(山城組では山城祥二を名乗る、小泉先生の弟子)がケチャを取り入れて活動を開始している。これまでガムランは音大が中心になって研究してきた。一口に研究としてしまってよいかという問題はあるが、そういう風に始まったということは事実である。

そもそも民俗音楽は植民地時代に欧州の大学で研究されたことで、楽器の輸入やその実演がスタートした。ガムランも第一回パリ万博の際に演奏された。指揮者のレオポルト・ストコフスキーなどクラシック音楽畑の人間が目の当たりにして、指揮者もいないのにちゃんと演奏していることに衝撃を受けている。現在、民俗音楽ではガムランとインド音楽がメジャーで、ネットで検索するとアメリカのグループが100以上ヒットする。いかにガムランのグループがあるかわかるし、そこで彼らはガムランを自分たちの音楽に変えていっている。一方、日本においてはバリの古典をそのまま実演することが多い。楽理科による研究ということにも関係しているのかもしれないが、日本人の気質の一つなのかもしれない。

バリ島のガムランは村々に存在し祭のための儀礼の一つとして用いられ、その演奏は村人が行う民衆の芸能である。また、新作も毎年のように作られ、良い物だけが次の世代へと受け継がれていく。ジャワのガムランはむしろプロフェッショナルなものである。もともと王宮や影絵芝居の際に演奏されていた。バリ島に世界の多くのアーアーティスト(美術も含めて)が魅せられるのは、芸能或いは芸術としての本質的な部分が、生きた形で普通の人びとによって今も行われているからだと考える。

この様に世界で愛好されるようになっているガムラン芸能だが、私たちにとって「日本のガムラン」は如何なるものなのかを考えて行かないといけないと思っている。演目はともかく、富岡八幡宮で深川の祭りの中で奉納する意味は大きいと考える。

これからの日本の音楽のあり方について、メディアや音楽ビジネスとは一線を画して作り出して行く大切さを感じる。とりわけ戦後ら地をやテレビといったメディアに情報が集中した時代、あまりにもその一方的な価値観の力が大きくなりすぎてしまい、自分たちで創造するということを忘れてしまっているような気がする。こういうことに気づき始めたアーティスト達もいる。深川バロン倶楽部も参加するが、アサヒビールがやってアサヒアートプロジェクトなど、地元と繋がりつつ、儲かるより先に面白いことをやりたいという思いがある。

ガムランを体験する参加者

実際に楽器を触りながらの説明

ガムランは、大体25人くらいで演奏する。ここに持ってきたのは、青銅で出来た鍵盤。これを木製の道具で叩いて音を出す。余韻が長いから、その都度止めて演奏していく必要がある。楽器学的に言うと音程を持った鍵盤を持った打楽器のルーツはアフリカらしい。インドを経由しないでインドネシアとアフリカは海流的に繋がっており、海路で直接マダガスカルにつくことができる。板状の鍵盤を並べた楽器はアフリカ発祥といわれ、コブ付きのゴング類は東南アジアが発祥といわれている。また青銅製打楽器の北限は台湾で、山岳民族がゴング類を使うことが分かっている。このゴングという言葉はインドネシアに語源を持つ。コブ付きゴング類には吊して叩くものと音程順に並べて置いて演奏するものがある。直系の大きさと直径に対しての高低差で音程を調整することで音程を有している。(一方中国ゴング[銅鑼]はコブがない)。

バリのガムランは一人では出来ない、複数人で継いで音楽を作らないといけない。一つの旋律を何人もが繰り返して音楽が成立する。推測だが、バリ島でガムランが発展した理由には土地と農業に関係があると思われる。。バリ島は四国の三分の一の大きさだが3000メートル級の山があり、また雨量が多いため、少しでも怠るとすぐに土地が流されてしまう。そのため、米を育てるには灌漑施設が必須で、水利組合も必要となってくる。つまり村の結束が重要になる。バリ島のガムランが非常に組織的に構成されているのも、そのような事も関係しているのではないかと思われる。ガムランでは拍子を取る人が一番難しく、どの楽器もマスターをしたリーダー格がやることが多い。逆に、細かい動きでメロディーを奏でる人の方が格下ということになる。ゴングも踊りに必須の楽器で一番難しい。

B.「深川バロン倶楽部のこれまでとこれから」(荒野真司:深川バロン倶楽部)

荒野真司氏

(鳥居氏の実演説明を受けて補足)

青銅の鍵盤を日本で作ってみようという話もある。鍵盤は鋳造鍛造(鋳造したものを鍛造で調整する)ことで作られている。日本は鋳金と鍛金の技術が分かれているからカーブが付いている鍵盤を作るのは難しい。町工場なら技術を持っているかもしれないと考えている。一方、バリでは楽器を作るまで一括して職人がやってしまう。ヒンズー教なので各カーストにおいて技術を持っている。一方で、楽器表面の木彫は村の子供でもやる。ガムランに合わせて舞うバロンはご神体サイズになると80kgにもなる、二人で頭の上に乗せる。日本には頭上運搬の文化は少ないが、赤道付近は地球の遠心力が働くせいか。

(深川バロン倶楽部について)

深川では1日、15日、25日に縁日があり、深川不動と富岡八幡には、同じ日にお参りしてはいけないなどの風習が残っている。紀伊国屋文左衛門のような木場の名残の旦那衆のような人達がいたり、相撲取りや、元辰巳芸者のおばあちゃんも身近、良く分からない文化がたくさんあるところ。そんな中で子供時代から過ごしてきた。バリに行ったのは、知り合いのつてを辿ってのこと。行ってみると、ニョマンさんのおじさんが住むバトゥアン村に放置された。そこで、いつのまにか「体をこう動かせ」という指導が始まり、バリ舞踊を徹底的に叩き込まれていった。当時は日本がバブル景気の時代で、バリの村にあるバロン(獅子舞)を観光に来た日本人がみんな買って持っていた。バリの人からは「あれは我々の村の神様だが、日本人は買っていってどうしているのか」と尋ねられた。日本に帰ってみると、博物館の展示物やコレクターのコレクションとして扱われていた。

その後、芸大漆科の助手をしていた鍋島さんが、一年掛けてバリでの木を切り、彫り、塗り、バロンに魂を込めるという儀式を学んできた。当時、現地ではチェ・ブンダコ(漆)の技術が廃れていたということもある。バロン完成させるには魂を込める儀式が必要だが、「そのためにはお前の村のプマンク(僧侶/神官)に儀式を教えなくてはならない」ということになった。そこで、富岡八幡の宮司に相談し、バリで御霊入れの儀式を学んでもらった。庶民が入れない聖域も、深川のプマンクということできちんと入ることができた。帰国後、近所の子ども達を集めて御霊入れをし、深川バロン倶楽部のバロンとして富岡八幡宮に奉納している。富岡八幡宮での活動の他に、国立劇場で「舞い、踊る獅子たち」と題して、高句麗や百済の子孫が村中来なかで深川バロンも出演した。

これからも、「やりながらつくっていく」という方向で行きたい。最初に言った日本製のガムラン造りも、例えば欄間屋に松竹梅の欄間を貰ってガムランの板に使う、檜を使った物などに挑戦している。鍵盤造りは難しいかもしれないが色々とやってみたい。

C.「バリのガムランについて」(I Nyoman Sudarsana イ・ニョマン・スダルサナ:深川バロン倶楽部)

同時通訳を交えて講演するニョマン氏

同時通訳を交えて講演するニョマン氏(画面中央)

ガムランという言葉の意味が特にあるわけではなく、ガムランの楽器のセットを纏めて「ガムラン」というのだと思う。バリでは、色々な種類(素材、楽器、機能)のガムランがあるが、全てをガムランという言葉で表している。鳥居さんの話で、日本の音楽は輸入された要素が混じっていると言っていたが、それはバリも同じ。素材や元となった楽器も色々な地域から来ている。バリのガムランの形はジャワから来ているが、小さなシンバルは中国からの影響、弦楽器は中東から。

ガムランを演奏することはバリヒンドゥーの儀式に関係していることが多い。ガムランの踊りも同様。バリでは祭りには音が必要とされている。その音とは五種類からなり、「パンチャ(5)ギタ(音)」という。その一つがガムランで、他には僧侶が唱えるマントラ、ベル、キドゥン(「ロンタール」に書かれたサンスクリット語を一人が歌いながら読み、もう一人がバリ語に訳す掛け合い)、クルクル(木で出来たスリットドラムのようなもの)がある。それが上手くいくことで神様と村の人を繋ぐことができる。ロンタールとは椰子の葉に書かれている重要な言葉のことで、僧侶が持っていて儀式の際に読み上げるもの。

音楽にはニン・ノン・ネン・ヌン・ナンという西洋のドレミにあたるような五音階があり、その音が神を示すと言われている。芸能であるとともに何かを表すことあり、何かを表すような構造を持っている。バリの踊りやガムランにはいくつかの種類がワリ、ブバリ、バリバリハン)がある。楽器も踊りも「これはワリで使われる」という風に決まっている。

・ワリ:本当に宗教儀式の中で行われるような、神に向けた神聖な歌や踊り。男性の行列舞踊が中心になっている。

・ブバリ:宗教儀式の中で行われるがワリよりは広義。人に向けた儀式にも使われる。仮面をつけて踊るものや影絵、古典劇などが含まれる。

・バリバリハン:祭りの中で一般的に行われる芸能。そのほか楽しむためのもの。

3.研究会を終えて

2013年度の最後に行った第四回「祭の記録を考える 映像で見る神田祭」に引き続き神社において開催されたが、テーマは「神田祭」から「ガムラン」へと不思議な展開をした。神社と言う場の持つ多様性と可能性を示すとともに、新たな文化資源が生まれて育っていく場を共有する研究会となったと言えるだろう。研究会修了後に行われた深川バロン倶楽部の公開練習には、学会員のみならず、参拝者や観光客、たまたま通りかかった人々も足を止めて聞き入っていた。富岡八幡宮でガムランが演奏されることが、伝統としてごく当たり前の行為になっていく姿と言うことができるだろう。学会員も公開練習のセッティングに協力したので、大げさに言えば文化資源学会もこのひらかれた伝承の一端に加わることができたかと思う。

セッティングに協力する

楽器のセッティングに協力する企画者中村

深川バロン倶楽部は、今後も富岡八幡宮への奉納を始めとして活発に活動していく。2014年7月19日には「すみだ川アートプロジェクト」の一環として牛嶋神社で開催の「ガムランと江戸を味わう、夜の神社の夏祭り」に締めくくりとして出演し、文テク事務局メンバーや文化資源学会員も応援に詰めかけた。そして8月15日には富岡八幡宮への奉納が行われる。今後も活躍に注目したい。

研究会記録:笠原真理子

文責:中村雄祐・鈴木親彦

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This 作品 by YusukeNakamura&ChikahikoSuzuki is licensed under a Creative Commons 表示 - 非営利 - 改変禁止 3.0 非移植 License.