第二回 汐留・都市をデザインする

開催日時:2013年10月5日、14:00~18:40

協力者:三谷八寿子(汐留地区街づくり連合協議会・都市プランナー/アーバンデザインスタジオLLC)

開催場所:浜松町~汐留(都市見学)、ウィンズ汐留(研究会)

0.文テクの場

1.三つのキーワード

2.研究会概要

3.研究会を終えて

0.文テクの場

第二回文テクは、テーマである「都市デザイン」を軸に三つの場を持つことができた。

まずはデザインが現在進行形で行われている場として、汐留を歩くことから始まった。講演者である三谷氏の案内で都市見学ツアーを行い、浜松町駅から汐留までを一時間半ほどかけて見学した。通常は見落としてしまうデザインや設計の裏側などを直接見ることができた(街案内ツアーを含めた当日の様子はスライドショーにまとめてあります)。

続いて、旧汐留の物流倉庫地域から生まれ変わった「イタリア街」を象徴する建物である、ウィンズ汐留に場を移しての研究会が行われた。ウィンズ汐留はイタリアをイメージした広場に面する重厚な建物で、眺めの良い会議室での講演会となったが、途中のエレベーターでは競馬中継やファンファーレが鳴り響くなんとも不思議な空間であり、変化していく汐留を象徴するような場であった。

講演会会場となったウィンズ汐留
講演会の様子

最後はパナソニック東京汐留ビルに移動、厳重なセキュリティーに守られたラボの中に入り、都市デザインを設計段階で確認するために利用された3Dシアター「サイバードーム」を見学させていただいた。上面までを覆う半球型のスクリーンを持つこの3Dシアターで、建築物を下から見上げた状況までもが再現される最先端の技術を使った都市デザインを体験することができた。さらに、閉館後のパナソニック汐留ミュージアムに特別に入館させていただき、贅沢な時間を過ごして閉会となった。

1.三つのキーワード

この分野で最古の現役技術は?

=建築、土木、造園の伝統的な技術

=スケッチ、図面、模型による情報共有

この分野で最新の技術は?

=ヴァーチャル・リアリティー(VR)による情報共有

この分野で最も○○な技術は?=必要とされる技術

=統合する技術

=今後の都市空間を考えると、状況の変化に対応して使い続けられるための行為として再開発や再整備は進められるべきだと考える。そのなかでは「建築」、「土木」「造園」あるいは「公共」「民間」といった区切りを超えて、一体的な環境、空間として捉える必要がある。つまり、何がその空間に求められているかを客観的に分析し、一定の方向性を指し示せなければならない。まさに「統合する技術」が求められている。

今はそれを一部の都市デザイナーたちが行っているにすぎず、不十分な部分もあるが、普遍的な技術となっていくことが望まれる。

都市デザインの役割

2.研究会概要

A.「記憶を刻み風景をつくる街づくりを目指して」(三谷八寿子氏:汐留地区街づくり連合協議会・都市プランナー/アーバンデザインスタジオLLC)

三谷八寿子氏

街案内ツアーのスタート地点だった駅前広場の具体的な経緯、それを作って行くための官民の合意形成の仕組み、それに機能したツールについてお話したいと思います。

汐留は31ヘクタールの地区全体を北から1区、2区、3区、4区、5区という5つのエリアに分けて街づくりをしています。各区別にテーマカラーが決めて街路灯のカラーとして採用するなど、ゆりかもめが通っているメインストリートは、各街区の特徴と調和するようにしつらえています。また、JR新橋駅前から浜松町駅前まで整備されているデッキネットワークは、民間敷地上は民間デッキ、道路上は公共デッキと財産は分かれています。このように都市計画で決めて官民一体でやりましょうという形で街づくりが進められました。

汐留デザインマップ

(汐留都市デザインマップ)

まず、汐留の街の成り立ちをご説明します。

現在のイタリア公園のほぼ北側にあたる地区は、江戸時代から明治3年まで、北から竜野藩、伊達藩、会津藩(明治元年まで)と並ぶ大名屋敷でした。

明治5年に新橋駅の開業後、明治42年に現在の新橋駅が開業すると、最初の新橋駅は大正3年に汐留駅という名の貨物駅となり、昭和61年まで使われ続けました。国鉄の民営化で清算事業団用地として売却・開発されることになり、平成3年から10年かけて本格的な埋蔵文化財調査が14ヘクタールで行われました。 汐留の開発は当初JRが行う話もありましたが、バブル期で地価高騰という状況に直面しており、東京都が土地区画整理事業を行うことになりました。現在イタリア街があるJR西側の地区には運送業を営む人々が集まり、市街地を形成していました。区画整理を行うにあたって、JR東側の地区は都心へアクセスする道路付けが悪いという課題があったため、その状況を改善するために、区画整理の区域にイタリア街の地区が組み込まれることになりました。そこで、地元の地権者さんたちにより対策協議会が作られ、現在イタリア街で街づくりを進めるNPOコムーネ汐留という形に継承されています。

一方、ゆりかもめが有明まで開業した平成7年に、汐留地区で地権者を母体にする「汐留地区街づくり協議会(通称・街協)」が東京都により結成されました。現在は東京都から独立して地元地権者の街づくり組織として活動しています。

平成12年に都市をリセットする、Tidal Park & Art Walkというコンセプトの下に官民協働の街づくりを始めることになりました。平成14年に街の名称を「汐留シオサイト」と決めました。汐留駅、首都高速の汐留出口と汐留の名前はありますが、住居表示ではありません。東新橋一丁目、二丁目、海岸一丁目という住居表示ではなく、みんなが街づくりをして行く上で統一した名前が必要ということで決められたものです。また、官民協働の公共施設管理のための地元組織もつくりました。平成15年までに電通、日本テレビ、シティセンターといった建築と、地下歩道、地下車路、地下鉄が開通して、新橋周辺は現在の姿になりました。ここイタリア街では、ウインズ汐留を始め広場を囲むように従前地権者のビルが完成し、その後イタリア公園も完成しました。浜松町駅の駅前広場が平成19年に完成したことで、新橋から浜松町までの全体像が見えてきました。

その後、環状2号線(虎ノ門から新橋まで)の整備事業などで新たな地権者がイタリア街に加わることになり、平成20年からイタリア街は「東京のしゃれた街並みづくり推進条例」の下で街づくり活動を行うことにしました。平成21年に東と西を結ぶ港区画街路第4号線(区街4号線)のトンネルが開通したことで初めて地区内で東西交通が機能する状態を迎えました。現在は、東京都が自転車の走行空間を環状2号線全線で整備したいということで、そのための協議を行っています。地区全体としてみると、整備済みの道路より未整備の道路の方が多い印象を受けますが、最終的には平成28年には汐留の街づくりは完了されることになっています。

汐留の街づくりの特徴を簡単に説明すると、キーワードは、歴史的文脈を踏まえた風景づくりと、多様な主体が関わる街づくりということの2つに尽きます。

歴史的文脈を活かすという点はいくつか実現しています。現地でご案内した通り、JRが旧新橋停車場を復元し、その先の地下歩道の床面舗装で旧新橋駅のプラットフォームの位置を表示し、さらに日本テレビは床面にプラットフォームの先端表示をすることで、異なる主体が立体的で一体の場所づくりをしています。転車台の基礎はイタリア街の広場の舗装に移設・活用しました。火力発電所の煉瓦基礎は最後に埋蔵文化財発掘で発見された大きな遺構でしたが、イタリア公園で再利用しました。間知石という大名屋敷の石垣の石は、民間敷地が外構で活用しています。

その一方で、新しい街づくりとして、JR東側は200mクラスの超高層建築で市街地をつくる必要、一方で西側では地権者の生活再建を行う必要がありました。区画整理で市街地が再編され、幅員40mで新橋から浜松町へ続く1.2kmのメインストリートを初め、ヒューマンスケールを逸脱する公共施設整備が多層にわたって行われるという状況の中で、どのように愛着の持てる街づくりをしていくか、特にヒューマンスケールに引き寄せると、地元が関わっていくことのなかから、新しい街の文脈が作られるのではないかと考えました。それが、都市をリセットするというコンセプトにつながります。それには既成概念に囚われない公共空間、公園のような道路が必要でした。Tidal Park & Art Walkが意味するのは、メインストリートの交差点をWaterやWood、Fire、Earth、Metalといった自然の素材でデザインする、かつ、風で草がなびく様子や、汐留の名前にあるような潮溜まり、潮の満ち引きみたいなものを場所のデザインとして表現することでした。このコンセプトは、電通のカレッタ汐留のデザインをしていたジャーディ・パートナーシップとイドーというアメリカのデザイナーから提示され、そこに土田先生と私を初め街協のメンバーが加わって実現の方法を検討してきました。

アメリカチームから提示された公園道路の最初のイメージは、車を遥かに凌ぐ街路樹や、車道まで砂利が敷かれているようなものでした。幅員40mの高規格道路では道路のルールに則した形も求められるので、舗装パターンや植栽地の縁石を使って潮の満ち引き(タイダルパターンと呼んでいますが)を表現し、その他細かなデザインをしていくことで、公園道路を実現していこうということになりました。

新しいスケールの街

多様な主体の関わりということから、東京都、港区、街協の官民協働の仕組みづくりが挙げられます。その背景としては、公共施設管理問題がありました。大規模な公共施設が計画されているにも関わらず、将来管理ができないという理由により完成されない可能性がありました。たとえば、地下歩道は幅員40mで計画されましたが、管理可能な最小幅員12mだけを供用し、残りは壁で塞いでしまうことが議論されていました。また、地上道路についても人が歩ける機能を確保するだけでよいとされ、アスファルト舗装に高さ3mのハナミズキといった整備内容でした。区画整理は地権者から提供された土地で道路を整備し、あるいは売却して事業費を賄う事業なので、事業費不足はないとされていました。しかし、都内の道路の管理費は年々増えていくため、東京都は汐留の大施設を賄う管理費は出せないということになりました。地元が公共施設管理に参加しなければ公共施設が整備されないという事情からも、地元が公共空間を中心に据えた街づくりを行うことになり、その結果通常の道路ではありえないような整備内容になったことで、愛着が持てる街へのきっかけにもなったと言えます。

ただ、それは単なるグレードアップの話かと言われるとそうではありません。都市計画で決定した公共施設を計画通り整備するために地元が負担していることは、行政サービスの一部を地元が担うという点で大きな意味があります。地区の面積の4割を占める道路などの公共施設が街のイメージを左右するというなかで、街の一体感を損うことがないよう、地元が関与できていることの意味は大きいと思います。

具体的に整備までのプロセスということで、浜松町駅前広場を例に説明いたします。

街協では基本構想Tidal Park & Art Walk(2000年)の下、基本計画、基本設計を行い、それを踏まえて都が実施設計、工事をして、街協がデザイン監修するというように、官民の役割分担で、五段階を経て初めて場所がつくられます。通常の公共事業では、構想から工事までの五段階は一年に一つずつ進みますので5年かかりますが、汐留ではそれを2年半でこなしてきました。

交通広場

浜松町駅前広場は、最初に交通広場として計画されていたため、タクシーやバスなど車のスペースが必要でした。街協ではサウスゲート(南の玄関口)と位置づけ、車と人の共存を課題としていました。都市計画の検討で浜松町駅北口は交通広場分散配置が方向づけられ、汐留に必要な機能としてタクシープール8台が求められていました。その後、港区から浜松町駅北口のタクシー渋滞解消のために48台のタクシープールが求められましたが、汐留の問題ではないためその代わりに緑を整備することとなり、2年の関係者協議を経て、タクシープールはなくなりました。

続いて、駅前広場には駐輪場の整備が港区から求められました。区の計画によると浜松町駅北口の放置駐輪対策として800台が必要とされました。しかし、街協の試算では地区外の人口特性や駅利用者特性を考慮しても最大で250台程度でした。将来への備え、心配などを理由にやはり800台のスペースを確保したいという区の意向から、広場は地下に平面の駐輪場を整備することになりましたが、実際に供用してみれば250台でした。こういう条件の変更が具体的なプランをかなり左右するのです。

車スペースが必要なくなり、ボリュームある緑として高木をまとめて植えた案を作成すると、広場周辺の事業者から「うちの建物が見えない」という意見をいただき、次に、床面にグリッドパターンを敷き、グリッドの交点に夜間はライトがつくスツールのようなオブジェを並べ、高木を点在させる案を検討すると、今度はスツールの陰に隠れた子どもが飛び出して歩行者とぶつかると危険という港区の指摘を受け、修正することになりました。

そのような経緯を経て、現在の姿に落ち着きました。グリッドパターンは残りました。その上に芝離宮の庭園デザインをそのまま移植するというものです。プランを作っても実際現場でその通りになるとは限りません。材の調達状況も影響します。そこで現場で石材や樹木を見ながら最終のデザイン調整をして、完成しました。

駅前広場は、2003年の検討から2007年の完成まで4年間かかっていますが、そのほとんどの時間を、タクシープールと駐輪場の問題に費やされたといえます。そうした条件整理には、官民でどう合意形成をしていくかが課題となります。一般的な官民協働では、地元住民の要望に基づいて行政が検討し、専門家は行政サイドにいて住民の意見を吸い上げて整理するという形です。意見は吸い上げるという形なので、全部が反映されるということはまずありません。それに対して汐留は、地元で基本設計をし、行政が実施設計、工事をし、更に地元がデザイン監修をするという枠組みにより、地元が専門的な領域に関与しています。

街協案の作成には、街協の事業者で話し合います。街として全体の方向性を考慮しながらも、沿道の事業者から「うちの前にこれはやめて」という意見が出されます。それらを調整して、地元の街の総意という形で案を東京都に提示します。次に、東京都と街協で話し合ってある程度合意された案をつくります。次に将来の財産管理者がその施設整備案を管理するという視点でチェックします。ここで注文がつくと、案が修正されて街協に戻され、再び街協の中で意見調整をしなければなりません。この流れを何周も繰り返して、ようやく最終案が決まります。

週にひとつずつ会議をやっても1ヶ月でやっと一周で、それを繰り返してあっという間に1年が経過します。2000年に構想を作って2002年に新橋周辺エリアを完成させるためには、ほぼ毎日会議を開く必要がありましたが、この流れでは決定までなかなかたどり着きません。協議プロセスは、伝言ゲームになり、地元意向が協議進むごとに削れてしまいます。地元意向の反映と合意形成までの時間短縮を改善するため、話し合いのテーブルを用意しようということになりました。関係者である街協と区画整理の施工者と道路管理者が全員集まるテーブルです。これは、東京都の中でもかなり画期的な枠組みだったと聞いています。関係者が一堂に会しているので、互いに持っている問題を全部テーブルの上に上げようということになり、図面とスケッチと模型とVRなどあらゆるツールを使って話をしていく展開になっていきました。

汐留のデザイン・協働

設計の実務者、図面が読める人には図面で会話ができます。最終的に材料を発注したりするときにも、現場を監理するためにも図面は必要なものです。しかし、街協も東京都も図面だけでは状況を100%理解できる訳ではありません。立体的な再現性は目にすることができないからです。そこで模型を作って、路線毎に全体のイメージを共有していきました。VRは、関係者の合意形成のため、全体の方向性を決定したり、全体のイメージや課題を共有化したりすることに使われました。模型で表現した人間と木のバランスを把握するには、模型も読み取る技術のようなものが必要だとすると、人間のアイレベルでの空間認識というところで、VRが使われた面もあります。このようにして、汐留の街づくりでは、図面と模型とVRというツールを使い分け、全体のいろいろなレベルでの合意形成に活用していきました。

B.「VRで描いた汐留のイメージ」(長濱龍一郎氏:パナソニック株式会社 エコソリューションズ社 ライティング事業グループ 環境計画VR推進チーム)

長濱龍一郎氏

3Dシアターはバーチャルリアリティとして体験するためにソフト化してしまっているのですが、その中で実際の街のデータを使っているのです。技術的に言うと、X軸とY軸とZ軸で指定された街の空間があって、それをコンピューターの中にデジタル化した立体として作ったものを、ソフトウェアとして提供している訳です。

意思決定や合意形成の中でどうやって課題解決するかというところでつかっていただくために、バーチャルリアリティというツールが力を発揮しているのです。さらに20年後か30年後にはまた不具合が出てきて、またどこか触ろうかという話になってきた時に、作ったデータをきちんと置いておくと、そこに小さく手を加えるだけで、次の検討ができる訳です。データの価値というものをきちんと認識して、お施主さんであるなり、エリアマネジメントの組織の方々であるなりが、そのデータの権利を持って管理してくださいということを申し上げてきています。

官と民、民と言ってもいろいろな地権者もいる訳です。それぞれにとっては、自エリアの計画検討が一番興味のあるところで、三谷さんたちはそれをつなぐというところに一生懸命されてきたのですが、それらをつなぐという道具がなかなかなかったのです。先ほど申し上げた考え方というのは、それぞれの検討のときに外側、外構も含めてデータはできてくるので、全体の検討の際にはお互いデータを出しあってつないで、そのつながりをみなさんの検討の場で使うということです。つまり個々でデータを使い、みんなでも出しあって全体でも使う。そうするとエリアマネジメントの中華テーブルのような役割を果たして、コミュニティの強化とか継続というものを担保して行けるのではないでしょうか。

VRの精度は、各段階で必要だろうというレベルで作っています。納期や製作期間と、計画検討にどれだけ費用が充てられるかを考慮して、課題検討に必要最低限の作り方をする、オーバースペックにしないということが我々の考え方です。ベースができたら、もっと細かい検討をして行くときに必要部分だけ修正すれば良いという使い方をしてもらっています。ツールとして見てもらうと、非常に空間の理解がしやすいというものだと思うのですが、一方で私の頭の中でのこのツールに対する概念の整理というのは、実は三谷さんたちのような設計者が街協の人たちに説明するツールというよりは、もう一段ユーザーよりのツールです。街協の人たちが主体的に検討して、街協の人たちが関わって行く街の人たちに主体的に説明できるツールを目指したということです。

これはもう少し分かりやすく言うと、建築設計のプロの方々はコミュニケーションのツールというのを設計過程の中で生み出して行って、それを説明用に使っておられるのですが、一般的な普通の人びとはそれではわからないのです。その人たちが主体的にコミュニケーションできるツールというところに軸足をおいて作りました。汐留はこういう大都会の中でこういうツールを使っていただいた初めてのケースです。ただ現在は、池袋の駅周辺のデータを豊島区役所が7年にわたって使っていますし、先日は渋谷区の街区の計画をとりあえずは東急、日建設計あたりのところで作って、これから使って行こうということになっています。民間の事業者さんでは、スカイツリーの計画も6、7年ずっと使っていただきました。要するにこの中で最初構想があって、その部分部分の設計が上がってくる中で、その基本計画なり基本設計を部分部分置き換えて、周りとのつながりを検討したり、そういうことにも使っていただいているというような状況です。

先ほど言いましたように、僕たちのお客さん、民間の事業者さんがビルなどの設計内容を計画段階でよくわかっていたいということで発注してくださいます。それらをつなぐ隙間のスペースが自治体のゾーンとして存在するときに、データをみなさんにお願いして集めて、基盤整備について地区全体を話し合って行くスキームにしませんかということです。地区全体のビジョンをまず共有する作業を自治体として行い、それに基づいて民有地の開発もビジョンに向かって協力してもらって、そのビジョンに向かってマネジメントしていくというような枠組みを作りたいなということです。もちろん、全員がデータを全部そのまま出しはしないですよね。ビルの中の様に外には出せないところも入ってたりします。そこで出せる範囲でデータを出しあって、つないで、そのつながりの問題というものをビジョンに照らして、議論するということです。

これは理想なのですが、そのことに対して、ちょっとずつ近づいている気はします。先ほど少し東京のいくつかの街の話をしましたが、名古屋でリニアの計画と、JRの計画、名古屋ビルヂングという三菱地所のビル、名古屋市の地下道の計画があります。駅周辺街づくり協議会というエリアマネジメント組織が作ったデータがあって、つながりを検討しなければならないというときには、データを簡易にしてでも、お互いつなげて検討するということが起こり始めています。つまり流動的にデータが使われているんです。

そういう意味では、データはその地域の人の誰かがきちんと版権を持っている状態にしてくださいということを第一のお願いとしてやっているのですが、第二のお願いとして、版権を持った人はそのデータが自在に流通するようにしてくださいということがあります。みんなで使えるようにすれば、二度三度データを作ることがないので。例えば伊勢市の小さな外宮参道というところでも民間が作ったデータと伊勢市が作ったデータと伊勢神宮が作った鳥居のデータが一緒になって置かれていたりします。それぞれで作ったデータを共有して、もう少し広い全体のことを一緒に話し合うという、こういうような使われ方が起こってきました。汐留のVRも、協議会のメンバーの方々が空間構成を非常に理解するのにやくだって、いろいろ議論していただいたのだと思います。

ただし、もちろん図面よりはましなのですが、どれくらいのサイズかというのはスクリーン上のVRでは全くわからないのです。後で見ていただく会社の中にある施設「サイバードーム」は、この同じデータを全く等身大の街のスケールの中に自分がいるように感じられる装置です。このスキームは、その昔の通産省がバーチャルリアリティの基礎研究で、ヒューマンメディアというプロジェクトから始まっています。ヒューマンメディアプロジェクトは、コンピュータが何でもプログラミングしなければならないという、人間にとっては難しい道具であったので、できるだけデバイスとして人間に近づけるという研究でした。その中で、視覚的な環境というものをできるだけリアルに出せるようにということで、バーチャルリアリティの委託研究で、その基礎技術を作りました。幅が8.5mあって球面をズバッと切り落としたようなスクリーンです。視野角が180度、手を横に広げた端から端まで景色が移っています。上下も170度あります。ちょっと高めのデッキなので、たとえばデッキに沿って歩いて下を見下ろすみたいなことも可能です。デッキ下を通る時にどんな感じであるか、正確に表現できる訳です。高層ビルの足下でビルを見上げる、そういった見上げ角が正確に出ている訳です。この装置は日本で、いや世界で一台しかないですが、それこそスカイツリーでも何度か確認に来ていただきました。シオサイトで検討でも使ったのが最も早い活用事例ですし、都市再生のプロジェクトではミッドタウンなんかもそこを使っていただいています。まだできていない計画では、「あべのハルカス」でも何度か利用いただいています。

汐留VR

VRは特別な眼鏡をかけてみていただきますが、右目と左目は鼻を挟んでは離れている分だけ別々の映像が入って、人間は脳の中でその立体空間をきちんと認識しているためです。サイバードームも右目と左目から別々の映像が入って、立体感が出るような装置になっています。現実に今いろいろな所の街づくりで本当に使っていただいているということです。もう一つだけ事例を言っておくと、富良野市の市街地の真ん中に「フラノマルシェ」という小さな施設の例があります。地元製品の販売所と発信拠点を兼ねていて、建物が4つ建っていて、真ん中に広場があって子どもたちが遊べるというプランでした。しかしサイバードームでで確認してみると、思っていたよりも広場が狭いということに気づかれて、直ちに計画を3棟に変えられました。そこは街づくり会社が黒字経営で、いろいろなところから視察しに来るということを言われていましたが、そういう風に実際に役に立っています。

C.「都市デザインと技術」(土田寛氏:東京電機大学未来科学部建築学科教授/汐留地区街づくり連合協議会・都市プランナー/アーバンデザインスタジオLLC)

土田寛氏

特に技術というキーワードで少しまとめ的な話をと言われていますので、分かりづらい部分もあろうとは思いますが、説明させていただければと思います。

都市デザインという言葉自体は、今までお聞きになったことはございますか。明確な職能として確立しているものではなく、職能として確立していないということは、端的に言うと分かりやすいフィー(報酬)も発生しないと言うことです。社会的な必要性がどこまであるのかと思うこともあります。土木・建築・造園というものがあって、コーディネートという意味で言うと中の小さい丸の感じ、デザインということで言うと大きく破線で示した部分というようなところがあって、目指しているのは破線で示した部分なのですが、これを技術面とか職能論というところで落とし込むとこれまたちょっと難しくなるのではないかというところです。

個人的な話になりますが、私は最初アーキテクトになる志を持っていました。大学院生になるにしたがって、建築士という資格はあるけれど取っても食えないらしいと、そんな現実も突きつけられました。建築の技術は確立されていますし、建築よりもさらに土木の方が深くて古くて、造園はまだある意味発展途上のところもあろうかと思うのですが、それぞれが確立したところにあったと。僕は建築に根っこを置いて、都市デザインの世界に入ることになりました。社会的に見ると土木を根っこに入ってきている人もいれば、造園を根っこに入ってきている人もいるというような、そんな分野になっています。この汐留を例にとって見ても、造園・土木の担い手は、基本的に官です。もちろん民間のコンサルタント事務所はいるのですが、主なクライアントが全て行政です。公共事業の中に組み込まれると良い意味で堅実な仕事をしますが、悪い意味でいうと面白みがないです。

建築に根っこがあることの最大の面白さというのは、良い意味でミーハーないろいろなことを思いついてやってみたくなってしまう、それが民間のクライアントでできてしまうので、総論建築として実はいろいろなことができている可能性があります。ただ自分はモダニズムの教育を受けながら、社会がポストモダンの流れになって行く中で、すごく建築が軽く見えてしまって、僕のやりたかったのはこんなことかなという疑問もありました。建築を諦めてインテリアに縮小したのですが、それがまたすごく難しい世界で、逆ぶれをして都市の方に行ってしまいました。

かといって、都市計画の専門教育を受けたことはないので、都市計画の業務をしながらかなり迷って、技術的にも足りない部分をかなり叱責されながら、プランニングではなくデザインがやりたいというようなかでもがいて二十数年というところです。建築に根っこがあるということは非常にプラスになったのですが、それに埋没することなく、土木の技術論や法制度についても習得をし、造園の考え方、特に今、環境時代といわれている中で配慮すべき技術論も広く浅くですがまとめていくところで、ぼちぼち都市デザインが形作られて行くかなというところにいます。

土木も造園ももちろん空間という言葉を多用しますが、そういう意味でいくと、空間というよりまだフィジカルなものになっている可能性がすごく強い。建築でも空間という言葉がよく使われるのですが、「この壁がきれいに収まっていて」とか「この柱とこの壁の関係がすばらしいね」ということを、どうも空間を称しているらしくて、それは物理的なモノのことをいっているのではないかと。これは空間なのか、それはもちろん空間を構成している主要な要素ではあるけれど、空間本体であるかはわからないというような議論をさせていただいています。いろいろな建築が種々雑多にある、道路もある、公園もあるところにシリコンを流し込んで剥がしたときにつくられるデスマスクのようなものをどうするのかということが、都市デザインのターゲットとなる空気というものだと考えています。このデスマスクは、詳細を見ていくと土木だったり建築だったり造園だったり、それぞれのプロパーが長い歴史の中で築き上げてきた理論と計画論とデザイン論、もっというと壊れないとか流されないとか、そんなことも含めて全部詰まっています。そんな空気をいかに捕まえるのかというのが都市デザインの一義的な技術ではないかと思います。

そのデスマスクが映し出すものは実は誰のものかというのが曖昧になっています。建築も土木も全てクライアントが明確なのですが、都市デザインとか、今は都市景観デザインという言い方もしますが、そのデスマスクが映し出すものが一体誰のものか、誰が責任を持っているのかが、実は都市デザインの職能の脆弱性にもつながっていると思います。別の言い方をするとパブリックデザイン、みんなのものなのだといわれるのですが、その成り立ちがあまりにも複雑な故にみんなのものだという認識があまりないと。たぶんキーワードとなってくるのが、さっきご説明いただいたイメージとかビジョンとかっていうものの共有化です。

コトを起こすときには、合意形成とかというようなプロセスにどうつなげて行くかというときに、実は私どもも図面を描いてみたりスケッチを描いてみたりします。しかし、それはコンサルタントという職能がちょろっと描いた図面ぐらいでは「あぁん?」と流されてしまいます。そこを「そうか、そんなおもしろおかしい絵ができたのか」と持っていかなくてはいけない。でも現実的に模型に置いてみると良く分からない、図面にしてみると良く分からない、困ったなというところで、長濱さんが巻き込まれてVRにいたったというところだったりします。

みんなのものだけれども、みんなのものだとよく気がついていない空気みたいなものを考えて、つかまえて、どうするかというところで、それをデザインにするということの意識をどう作って行くかというところが、都市デザインの技術というのをわかりづらくしていると同時に、実は面白くしているところかもしれません。グラフィックデザイン、色のデザイン、位置、設置場所のプレイスデザインの関係でどういうプロダクトが良いのか、ということまで、全部やっているところがあります。

そういう意味では土木・建築・造園と単純化してものを申し上げましたが、なんでもやっています。トンネルでも開通式典をやろうということで、真ん中に赤絨毯をひいて、近所の方たちや来賓を呼んで、マークからいろいろなポップから全部用意して、パーティ会場に生演奏まで入れて、僕が司会進行をして、そんな賑々しいパーティをやるみたいなこと、そういうハードとソフトをつなぐみたいなところもやっていたりします。

「文化資源学」という中で都市が文化を作って行くところは、可能性と期待をすごく持っています。我々はいろいろなことを考え悩みするのですが、とどのつまり、ものを作るとことをしています。先ほどは建築の方を悪くいいましたが、環境決定的、予定調和的な空気感というのが存在しているのが、誰かが何かを考えてそこに風を吹き込んだのか、どんな作用が加わったのかみたいなことを、やはり想像しながら、でも逃げ道がないように、ちゃんとものを作る。物理的にものをつくって、それに対して批判も受け、反論もする、考えて行くという。建築評論みたいな世界があるのですが、それ とはちょっと別な世界、リアルな技術として都市デザインが存在しているのかなという風に思っています。今あるものが過去の何を引きずっていて、今こうあって、何が獲得できて、何を諦めたのかということをきちんと各段階で説明をする。それが次の時間につながる。過去を参照しながら今を作っているのですが、この「今」は5年後、10年後もう一度検証される可能性がある。要するに、計画をして設計をして実現化したものがまたフィードバックしてくるというところの折り込みみたいなものができる状況が、都市デザインの技術の中では たぶん一番理想的なのだろうと思います。

最後にですが、建築計画出身なので敢えて言うと、建築計画という分野があって、それが実は今行き詰まっていると思います。それは、ビルディングタイプで考えてきたものです。例えば病院はどうしよう、学校はどうしよう、住宅はどうしよう、オフィスはどうしよう、商業はどうしよう、みたいなことで考えてきたのです。人口が減る中で、小学校はいらなくなってきていますよね。病院だって昔は小児科・産科が重要だったけれど、今は加齢研究所の方が重要ですとか、そういう意味でいくと、ビルディングタイプっていう計画学が崩れてきているのです。空間とかコミュニケーションの種類みたいなものによって、場所がしつらえて行くような時代になっていくときには、もしかすると今までの建築とか土木とか造園とかという概念ではなくて、都市デザインみたいな統合する技術がそこに歩み寄って行く、文化資源学みたいなもっとソフトの部分と結びついて行く可能性があるのではないかなという風に考えています。

3.研究会を終えて

土田氏の指摘にあった通り、都市デザインが従来の建築・土木・造園を横断し、公共と民間を結びつける「統合する技術」であるとすれば、我々が研究対象とすべき「文化資源」もまた、その中に統合できる一要素だと考えることができる。今回の研究会は、都市デザインについて学ぶ場であるとともに、都市の中に存在する文化資源についても新たな見方を提供する場であった。また、パナソニックの協力で見学したバーチャルシアター「サイバードーム」では、データのアーカイブについて保存や継承を越えた、新たな活用についても考える機会を得た。

研究会と前後して、今回の学会側からの参加者の一人が関わっていた戦前期の洋館保存運動が目標を達せられなかったニュースが流れた。都市デザインの「舞台裏」を学ぶにつけて、文化資源を見つめる研究者が「予定調和的な空気感」にどう関わるべきなのか、また関わるべきではないのかも考える機会になったのではないだろうか。新しくデザインされる街と、継承される文化資源の関わりについても、今後議論を深めていきたい。

研究会記録:高田あゆみ

文責:中村雄祐・鈴木親彦

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This 作品 by YusukeNakamura&ChikahikoSuzuki is licensed under a Creative Commons 表示 - 非営利 - 改変禁止 3.0 非移植 License.