2024年夏、科学部で白石島を訪問した際、里海づくり研究会議の田中丈裕 氏と出会うことができ交流がスタートしました。田中 氏には里海に関する貴重な資料を頂いたり、里海についてご教示いただいております。意外と難しい里海の捉え方についても、いろいろな視点からサジェスチョンを頂きました。
以下は、里海づくり研究会議の田中丈裕 氏にご寄稿いただいた里海の説明です。
『 里海の考え方は、1998年に九州大学の柳哲雄先生により、「人手を加えることで生物多様性と生産性が高くなった沿岸海域」として提唱されました。今では、世界各地に"Satoumi" として、新たな沿岸管理手法として注目され浸透し拡大しています。そもそも、欧米を始めとした諸外国では、生物多様性や生産性を高めるためには自然に手を加えないほうがよいとの考え方が主流でした。これには宗教観が多分に関係しており、キリスト教、イスラム教など多くの国々では一神教が中心であり、自然世界は神が創り賜うた世界であり、”サンクチュアリ”であるとの考え方に端を発していると思います。一方、我が国では八百万の神々を信ずる多神教であり、すべての事物には神が宿り、海に対しても畏敬の念を捧げつつ、大切にお世話をしながらそのおこぼれを頂戴する漁業の姿が定着し、お陰様の心で接してきたという側面があります。
古くから、海藻の胞子放出期に岩肌を掻把清掃して胞子が付きやすいようにしたり、流れが停滞して淀みやすい場所には耕耘、客土、作澪を施したり、沖縄の海垣・石干見、石組みなど漁獲のための工夫が生き物の住処となり、生物多様性と生産性の向上に繋がった例は枚挙に暇がありません。また、人工魚礁も漁獲を目的とした魚類蝟集の目的から生態系全体を大きくして資源を嵩上げしようとする増殖礁に発展し、 養殖も盛んになり、牡蠣や海苔の養殖場などの無給餌型養殖は生き物を育む場ともなり、生産性を高めながら生物多様性をも豊かにしています。また、漁業という産業そのものが、海から陸への回帰循環を産み出し、人々が海産物を利用することで海と陸との物質循環の一翼を担っています。塩と水がないと人間は生きて行けません。太古の昔から全国に無数にあった「塩の道」は人を介した森里川海の循環の軌跡であり、とんでもない山奥に海の神様である金毘羅さんが祀られているのはその名残でしょう。
もちろん、心無い人々や社会的趨勢に流され、人の手による海への無秩序かつ野放図な干渉が行き過ぎた反省も多く、過去の富栄養化、海水温の上昇、富栄養化の反動として生じた貧栄養化、海底の恒常的な悪化、これらに伴って海洋生態系が著しい劣化による物質循環機能の低下により瀕死の状態に陥っているのも事実です。これらの反省の上に立って沿岸環境と生態系を修復していくことも必要になってきました。近年では、アマモ場を再生する活動であったり、人工魚礁によるハビタット整備、海洋保護区や自然共生サイトの設定など、より積極的な取り組みがなされています。
我が国の里海では、先祖から受け継いだ海を大切にお世話し、その恵みを頂戴するという営みが続けられてきました。この、沿岸漁師の海を大切にする意識は、「磯は地付き、沖は入会」という江戸時代の法度(法律)の考えに由来します。「磯は地付き、沖は入会」というのは、漁場争いを回避するため、その漁村の海岸や磯(前浜)はその漁村に住む漁師が優先して利用できることを遵守し、 沖に出れば様々な魚が季節ごとに行き交うので、お互いに相談してルールを定めて相互に行ったり来たりして仲良く魚を獲ろうという民民のルールです。地先権をベースとした現行の漁業権につながる慣習であり、明治漁業法はこの慣習はそのまま法制度に取り入れ、戦後の漁業法に引き継がれました。漁業権は日本独自の漁業制度であり、他の国には存在しません。
現在、里海は漁業に利用されるだけでなく、マリンレジャーの場としてや環境教育の場としてなど、さまざまに利用されています。また、神輿を船に乗せて詣でる祭りがあるなど、全国各地に里海に育まれた文化も多く存在し引き継がれています。翻って、現状を見てみるとどうでしょう。1953年に約80万人いた漁師は2022年には約13万人と6分の一以下に減少し、漁師だけでは里海を守っていくことは難しくなってしまいました。身近な海は、地球規模の気候変動などに伴い食糧危機に陥る危険性が高まる中、食料供給の場として重要度が増すだけでなく、人の心の支えとして「人の暮らし」に欠くべからざるものです。里海とは、身近な海の重要性という意味では、「人の暮らしと自然の営みが密接な沿岸海域」(環境省,2009)と広く捉えたほうが理解しやすいかもしれません。
里海の捉え方は、狭義から広義までさまざまですが、里海が「人の叡智を結集し永続的に守り育むべき身近な海」(里海づくり研究会議,田中丈裕,2014)であることは間違いありません。 』