大井第五ふ頭公園と大井第六ふ頭公園はどの場所に計画されたか。十三号地第一ふ頭公園は存在したか。
大井ふ頭には12のふ頭公園が計画され、大井第二ふ頭公園、大井第三ふ頭公園、大井第四ふ頭公園、大井第七ふ頭公園は実際に開園し、以降の番号の公園も名称を改めて開園した。
しかし、計画中の資料でも第五と第六の番号がつけられた公園がどこにも見当たらない。東京都立図書館のレファレンスサービスを利用しても不明。
広報しながわに「大井ふ頭中央公園(大井ふ頭5、6公園)」の記載があるが、所在地まで記載されていない。[1][2]
過去の港湾局資料に大井第5公園と記載されたものがあるが、海上公園とは別の欄に記載されており不明確。[3]
港湾局の資料に大井ふ頭中央海浜公園の計画番号が東側「P-大-5」、西側「P-大-6」と記載されたものがある。計画番号からして、大井ふ頭中央海浜公園が第五ふ頭公園、第六ふ頭公園であることは間違いない。[4]
他の資料において、大井第四ふ頭公園として開園したみなとが丘ふ頭公園の計画番号が「P-大-4」、大井第七ふ頭公園として開園した野鳥公園の計画番号が「P-大-7」とあり、大井ふ頭地区の海上公園については計画番号と公園名称が一致している。[5]
なお、十三号地第二ふ頭公園として開園した青海中央ふ頭公園については計画番号が「P-13-1」、十三号地第三ふ頭公園として開園した暁ふ頭公園については計画番号が「P-13-2」と、公園名称と計画番号の数字が1つずれている。十三号地第一ふ頭公園が欠番となった理由は不明。[4]
※参考資料
[1]品川区(1976.04.15)広報しながわ(452号)
[2]品川区(1979.01.01)広報しながわ(528号)
[3]東京都港湾局(1976)東京都海上公園
[4]東京都港湾局開発部(1983.04)東京都海上公園概要
[5]株式会社日建設計(1975.03)大井地区親水計画基本調査報告書
大森ふるさとの浜辺公園は「区立初の海浜公園」ではない。
大田区は大森ふるさとの浜辺公園を「区立初の海浜公園」と謳っていた。[1]
大森ふるさとの浜辺公園は2007年に開園しているが、1年前の2006年に都立若洲海浜公園の一部が江東区へ移管され、江東区立若洲公園として開園している。[2]
江東区立若洲公園は都立の海浜公園の一部を分離したものであり、海浜公園である。それならば、大森ふるさとの浜辺公園は「区立初の海浜公園」ではないはずだ。
大田区の公園を管理している地域基盤整備第一課へ問い合わせをしたところ、「区立初の海浜公園」という語は「区立で初の海浜を伴う公園」の意味と回答を頂いた。
2021年02月16日に大田区のサイトから「区立初の海浜公園」の文言が修正され削除された。[3]
※参考資料
[1]大田区(2007.3.21)大田区報No1130
[2]江東区(2006.4.17)江東区公報第698号
[3]https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/park/oomorifurusatonohamabe.html
都立の海上公園の開園日は条例の施行日ではなく区域・面積の告示日?
このサイトを編集していて気がついたが、東京港埠頭株式会社の海上公園ナビに記載されている開園日と、東京都公報の海上公園条例の施行日が異なっている。[1]
調べてみると、海上公園ナビでは海上公園の開園日を東京都公報で公園の区域・面積が告示された日となっている。
公園によってはさらに開園セレモニーが別の日に行われている(以降、追記予定)。
※参考資料
ディズニーは問題なくてもクリスマスツリーはNG!?
冬になるとお台場に立つ大きなイルミネーションのクリスマスツリー、これの正式名称はメモリアルツリー。これは都が関係するイベントに特定の宗教を絡めるのは良くないという判断のためだ。[1]
一方で、臨海副都心オープニングセレモニーでは当時の青島都知事がミッキーマウスと一緒にシンボルプロムナード公園をパレードで通行している。[1]
都が絡む以上、宗教はNGで商売はOKなのかもしれないが、今となってはクリスマスの方がよほど商売っ気あるし、ディズニーの方が宗教っぽいと感じる。
なお、このツリーのためにお台場には存在しなかった電柱を新たに建てた。これがお台場初の電柱だろうか(以降、追記予定)。
※参考資料
[1]武藤吉夫(2003.06.01)お台場物語-まちが生まれるまで 日本評論社
東京都で最も短命だった橋梁
第二航路トンネルが完成するまで、現在の暁ふ頭公園のあたりから中央防波堤内側埋立地に架けられた橋である。
全長721.5m、全巾9m。資料には写真が多数掲載されている。[1]
第二航路トンネル完成後、すぐに撤去された。
現在では中央防波堤内側埋立地と中央防波堤外側埋立地を繋ぐ橋が同じ名称となっているため、検索しても得られる情報が皆無である。(以降、追記予定)
※参考資料
[1]東京都清掃局(1977.06.30)清掃事業のあゆみ
品川区で一番最初の埋立地
利田神社周辺の、旧目黒川河口の砂州が品川区で初めて埋め立てられた土地である。
その後、第四台場(現在の台場小学校)が建てられた。
周辺を現在の土地のように埋め立てた工事は、大正14年着工、昭和14年竣工。[1]
※参考資料
[1]東京都(1940.03)目黒川及同支流蛇崩川改修竝埋立工事概要
海底トンネルの安全性
トンネル等級区分はAだが、海底トンネルという重要性から設備はAA相当となっている。[1]
第二航路海底トンネル、臨海トンネル、青海トンネル、東京湾岸アンダーとともに、臨海トンネル中央防波堤側で集中管理制御されてる。[1]
歩道が設置されているが、非常口としての扱いであるため照明が歩道としての規格を満たしていない。
※参考資料
[1]港湾局建設事務所(2002.07)東京港臨海道路(第一工区)工事誌
名称の元は月の岬か築島か
月島という名称には、江戸時代に月の岬と呼ばれていたという説と、築地と同じように人工的な土地だから築島という説がある。[1]
さらに、築島を月島と唯ロマンチックな発音に変えて埋立地の感じを和らげたともある。[1]
※参考資料
[1]月島地区100周年実行委員会(1993.02.26)月島百年史
江戸川区と杉並区の戦争
「東京ゴミ戦争」という名称で都の資料にも記載されているが、江東区と争っていた杉並区史にだけは「杉並・江東ゴミ戦争」と記載されている。
※参考資料
(確認中)
第三台場の整備
1954年に都から第三台場に休憩所を設置する許可をもらった港区の小金勝雄さんが、当時の金額で2000万ほどかけて整備した。真偽は不明。[1]
※参考資料
読売新聞(1969.02.22)朝刊
八潮地域の鉄道
八号地第一ふ頭公園
品川埠頭とコンテナ
台場麦酒
東京港ブルー
埋立地の領土問題
中央防波堤内側埋立地
東京臨海高速鉄道りんかい線
白バイ練習場
水上バス
立坑
ポートストア
青海橋
浚渫船海竜
京浜大橋
ミナトリエ
東京港トンネル
第二航路海底トンネル
海の森トンネル
城南島ドライドック
羽田可動橋
夢の島のゴミ
京浜大橋
東京ゲートブリッジ
ホーム > 小ネタ