2023/12/23 更新
今回は市民体育館で卓球バレーとモルックのというスポーツです。我孫子市スポーツ推進委員の中谷さん、星野さん、森さん、荒井さん、岡島さん、長妻さんの6名です。
講師の皆さん よろしくお願いします
まずは、準備体操
卓球バレー
ついつい熱くなり、無意識で腰を浮かせファール、ブロッカー(ネット寄りの2人)がサーブを直接打ち返してファール
やっぱり競う競技はいくつになっても熱くなりますね。
モルック
2チーム以上で対戦する。投擲順を決め、順番にモルックを投げてスキットルを倒す。
モルックを投げて倒れたスキットルの内容によって得点を加算していき、先に50点ピッタリになるまで得点したほうが勝ち
倒れたスキットルの本数が得点。ただし、1本しか倒れなかった場合は「倒れたスキットルに書かれている数字=点数となる
スキットルは、倒された地点で再び建てられて次の投擲になる。
そのため、ゲームが進むにつれてスキットルが広がり、倒すのが難しくなっていく
終わりに
卓球バレーはついつい熱くなるゲームです。腰を浮かす人。何回も浮かしてファールするために”腰軽※※”の異名をもらった方が結構いました。また、何回も同じミスをくりかえり、お叱りを受ける人等。厳しくも笑いのある競技でした。一方モルックは単に倒すだけでなく、倒れた本数の得点、1本だけ倒れた場合はそのスキットルに書かれている数字が点数。また、スキットルの配置が試合が進むにつれ広がっていく点。さらに50点ピッタリでないとNGの点など、単に点数の多さを競うだけでない点で、作戦を必要とします。カーリングを想起させる頭を使う競技でした。
今年はなるべく練習回数を少なくする方針で、11月9日に授業の後に最初の練習、その後は11月21日のホール練習の2回で12月8の発表当日を迎えました。
舞台発表
総合司会の誘導で発表が始まります。
皆で4年間の授業の振返りを行っています
1年次授業の1番手の発表です 電磁波の怖いお話。
続いて2番手です。苦手な絵手紙。でも楽しく描けました。
今日のテーマ80-90にも通じる人生100年時代のライフデザイン
2年次の笑って長生き 持病を抱えながらの楽しく笑わせる授業
3年次 谷津ミュージアム 自然が残る我孫子
ジジババの昔遊び 小学生もびっくり
2年次 死生観と葬祭ビジネス 墓じまい切実な問題
4年間の総まとめ
八咫烏の神様降臨 at 将門神社
養生先生と見導きの神様
神様のお告げ 感謝 自信 覚悟 へと
最後は皆で ”人生の扉” 2番を歌いました
人生の扉 2番 竹内まりや
満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先一体 何度見ることに なるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人達のために 生きていきたいよ
I say it`s fine to be 60
You say it`s alright to be 70
And they say still good to be 80
But i`ll may be live over 90
君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
I say it`s sad to get week
You say it`s hard to get alder
And they say that like has no meaning
But I still believe it`s worth living
But I still believe it`s worth living
終わりに
最後の大学祭 少ない練習でどこまでできるのか、半信半疑で時が進みましたが、4年間の積み重ね、舞台練習の2回目あたりから、皆さん楽しく&まとまりだしました。学際委員も枝村CNもなんとなく安心したことでしょう。そして、発表当日、イメージ通りの舞台に仕上がり、終わった時の皆さんの高揚感と満足感あふれる顔を見ることができました。さすが47期。そして学際委員の皆さん&外部応援団の皆さんお疲れさまでした。
本日はNPO 千葉県中難協我孫子地区代表 田中 聿子さんを、講師に迎え「中途失聴」について、実体験を交えお話していただきました。
講師の 田中さん
中途失聴・難聴者
●中途失聴とろう者(聾者)の違い
・ろう者→音声言語を身に着ける前に聴力を失っていて、主に手話をコミュニケーションの手段とする人。
・中途失聴→字で表す通りで、人生の途中で何らかの原因で聴力を失った人。
●中途失聴者・難聴者
・突発性難聴や、老人性難聴、鼓膜や脳神経等の障害、事故、騒音などが原因で聞こえが不自由になった人。
・その障害の程度も千差万別、不便さ、社会での生きづらさも外見からではわかりづらい。
・実際、今日の講師の田中さんも、普通にしゃべり、何ら違和感もありまん
これは、音声言語を身に着けて以降の失聴のため、それまでの生活で身についた発声ができるから。
●中途失聴を受け入れるまで
●怖い、仕事を失うのではないか、人に言えない、聞こえない自分に引け目、相手に迷惑をかけるなど様々な葛藤があり、自分が聞こえないということを言えない。
●田中さんの場合は家族(子供さん)の言葉で、聞こえないことは恥ずかしいことではない。そして、自分で受け入れられたのはおよそ10年がかかった。周りにも自分が聞こえないことを話せるようになった。
●周りに話せるようになるまでに、多くの友人を失ったり、人に誤解されたりした。
●中途失聴の困りごと
●中途失聴者は話せる人が多いので、話せると聞こえると思われる
●聞こえないことが周囲に伝わらない(見た目ではわからない)
●手話ができると思われる
●緊急時・イレギュラー時の情報伝達手段
●中途失聴とのコミュニケーション
●手話 失聴者の方は手話ができると思いがちだが、中途失聴者の場合、使えない人がかなりの割合で存在する。
●口話 相手の口の形と話の内容とで言葉を読み取る
口元が見える明るい場所で、一文字一文字ゆっくり話す
●筆談 文字で意思疎通をする
必要な情報だけを簡潔に書く+口話やジェスチャーで補足
●翻訳アプリ スマホのアプリ利用。当日もアプリを使い、私たちの質問をした。
できるだけ、簡潔な言葉で。余計な丁寧語は避けたほうが良い。
●自分が聞こえないことを人に伝える→ヘルプマーク
●手話
●終わりに
「中途失聴」今まで、あまり耳にしなかった。聞こえないことで家の中に閉じこもっていたり、人との交流を避けたりするであろうことは容易に想像できる。そして、10年をかけて、聞こえないことを受容れ、前向きな生き方をされている田中さんに敬意を表します。大学祭の47期テーマにあった、「感謝する心をもって、自分を信じ、決めたら覚悟して臨む」、そのものかもしれません。
老いで、今までできたことができなくなる。47期全員を待ち受けている現実。このことに臨む心の持ち方を教わったのではないでしょうか。
「感謝」、「自信」、「覚悟」じゃ!
本日は福祉バスを利用した校外学習。4年間で初めてのバスの遠足。行先は筑波実験植物園と防災科学技術研究所。校外学習委員が、事前視察を含めて、何回も会合を重ね、本日に至りました。
委員長の力作 今日の旅程です
筑波実験植物園
ボランティアの説明を受ける
セコイアの木の表面。スポンジのように柔らかい。巨大な木になり、樹高115メートルに達するものが報告されている。柔らかく分厚い樹皮は山火事に強い。アメリカ西海岸の一部に自生・
2023年5月27日に3年ぶりに開花し、その後実をつけた状態。開花後の花の匂いは、強烈。虫を吸い寄せ、花の中に取り込み、暴れさせて授粉するとのこと。
きのこ展 食用、毒キノコ色々なキノコが集められていました
シリコンオイルにつけられたキノコ
桂の木
始めてみるヘビウリの実
ランチ
ランチは筑波大学学食。何十年ぶりでしょう、学食。ついつい食べ過ぎました
みんなで食べるのは、なんでも美味しいです
防災科学技術研究所
防災を科学する世界で唯一の研究所。地震、水害、土砂災害、風災害、雹、雷、火山、雪害等あらゆる災害を科学し、災害から人々を守る研究所。
地震座布団。東日本大震災、兵庫淡路大震災などの地震の動きを再現し、揺れを体感する装置
どの地震を体感しますか?
ウワー! 家具が倒れる!
海底地震計の見本。この観測網で、あの嫌な「クワー、クワー、地震です! クワー、クワー、地震です!」のアラーム。緊急地震速報の元です。
大型降雨実験棟 最大時間雨量300mmまで雨を再現
奥の水色の施設は、斜面の土砂崩れ等を再現する装置。実験が終わり、片づけ中でした。
雨を降らせる散水ノズル。これが天井に設置され、想定雨量に応じて複数本が使用される。
終わりに
最初で最後の、バス旅行。行きはクイズと賞品。帰りは皆で懐かしい歌の唱和。市の福祉バスなので酒、カラオケNG。アカペラでの唱和。取手の橋を渡るまで、歌声が響いていました。
校外学習委員の皆さんの熱意で、殆ど寝る間もない楽しい1日でした。委員の皆さんに感謝。
本日はねんりんピック。2度目のねんりんピックですが、残念なことに今回で最後です。昨年は惜しくも2位。卒業していく4年生に花向けの1位を譲りました。今年は1位を目指して、みんなで気合を入れて臨みました。
4年生実行委員長挨拶。我らが柴ちゃん!
おったまげ
今年もやってきました。お玉に載せたボール運び、次の人にお玉のリレー。今年は落としたら元の位置に戻って再スタート。緊張と老齢で手が震えます!!チョット落として、結果は言いません。
審判さん!そんなに見つめないで。震える手がもっと震えます!
女性はどんな時も礼儀正しいですね!丁寧に「ハイどうぞ」
安心してください入りますよ!
玉入れの籠が高いと、肩が痛くて上に投げられない。老人仕様の玉入れ。「甘く見られたもんだ、籠が高くても届くゾ!!」でも、低くても入らなかった。トホホ!
目指せ律子さん
床の上にボーリングのピン代わりにペットボトルを並べ、ゴムボールを転がし、転倒したピンの合計で勝敗を競う。ストライクの人、ガーターの人。人生模様を写しだしました。
ストライクか!ガーターか!どっちだ
ん!方向違わねー??
帰って来いよ~
ボール運びのリレー。頭の上から後ろへ、ハイどうぞ。帰りは足の間から前へ。昨年はブッチギリの一位。今年も再現なるか。
ここはどこ?
目隠しをして、365歩のマーチ。「イチ!、ニ! イチ!、ニ!」元の位置からどんだけ動いたか。歩く姿勢の良いお二方。代表選手。
〇✖ゲーム
10の質問に答えて、正解の人だけ生き残るげーむ。昨年の経験を踏まえ、我孫子市の色々なデータを調べて臨みましたが、予想外の質問。あえなく討ち死!
〇?✖?赤い境界線の近くで様子見?ズルはだめですよ~!
昨年に続き、中村清子さんはしぶとくも、生き残り。そして、さらに2人生き残り。いい線行ったのですが。
河童音頭と結果発表
総合15点。惜しくも2位。後輩に名誉を譲る奥ゆかしさ。さすが47期。
終わりに
今年。なんか去年よりカラフルで、若返っていませんか?
去年
最後のねんりんピック。楽しく全競技を終えました。ねんりんピックの委員さんご苦労様でした。
本日は我孫子の地名と由来と題して地名とはどの様にして名付けられたのか、そして我孫子の地名の由来あれこれを勉強しました。講師は我孫子市史研究センターの荒井茂男先生です。
1年から何度もお世話になっている荒井先生
地名とは何か・地名の整備
●柳田国男:地名とは‥‥二人以上の間に共同せらるる符号である
●地名の整備
①好字二字令 和銅六年(713) ‥‥「風土記」編纂の勅令
・国名・郡名をなるべく良い字を用いて、しかも二字で表すこと。
・漢字で、当て字や音合わせで表現
牟邪志→武蔵 木国→紀伊 泉→和泉
・国郡郷里制 和銅八年(715)
下総、上総、安房、常陸、武蔵、相模、下野、上野 等
・下総国は11郡
今も使用されている郡名‥千葉、印旛、葛飾、相馬(倉麻)など
相馬郡は6郷‥相馬、布佐、大井、意部(意布)、古溝、餘部
※正倉院文書、養老五年(721)「下総国倉麻郡意布郷戸籍」
②太閤検地で「字(あざ)」が全国的につけられる
・検知で土地は一筆ごとに検地帳や名寄帳に記載された。
・その区画の単位が「字(あざ)」と呼ばれた
③字の集まりが「村」で、江戸幕府に引き継がれた
明治政府で「大字(おおあざ)」が誕生
●明治22年(1889)の市制・町制施行
・江戸時代の「村」→「大字(おおあざ)」 「字」→「小字」
・我孫子町:阿孫子村(我孫子宿)、高野山村、柴崎村、青山村、下ケ戸村
岡発戸村、都部村、我孫子村新田、岡発戸村新田などが
・湖北村:中峠村、中里村、古戸村、日秀村、新木村、新木村下、中里新田など
・布佐町:江蔵地村、布佐村、浅間前新田、相島新田、三河屋新田な
1300年以前の地名が今も使用されている地名
●「地形」「信仰」、田畑などの「耕作」「交通・集落」に関する地名
+東西南北、上下、大小などを絡めた地名
【自然・地形】市内: 台田(根戸、高地)、笹山、松山(下ケ戸)
【信仰】市内:宮前、本願寺(布施・高)、天王谷・天王裏(柴崎・高)
【耕作】市内:後田・菱田‘(我孫子・低)、荒田・細田(下ケ戸・低)
【交通・集落】宿、郷、舟、渡等 市内:宿(我孫子・高)中屋敷(下ケ戸・高)
我孫子の由来
あびこは
・3万年前(旧石器時代)より人が住、古墳群があるマチ
・将門伝承のある街、宿場・河岸があった町
・白樺派など文人が住んだまち
①古代の氏や姓に関係する説
・「衣網之阿毘古(よさのあびこ)」(古事記、日本書紀)
・阿毘古‥大王に魚や鳥などの食料を貢進する職業の氏族
・「日本書紀」「続日本記」に我孫(あびこ)という姓の人物の記録
②網曳(あびき)が転じた説
③地形、特に崩壊地形説
・「あば」はアバク(暴)、アばる(荒)が語源、崖崩れなどの荒廃地
④外国語由来説
⑤「足びっこ」製鉄業における足の病気に由来説
・我孫子古墳減の中に製鉄スラグ(かなくそ)が発見され、製鉄の遺跡と判明
・砂鉄から鉄を作るふいごで足を痛めた
・柴崎神社は、製鉄神・金山彦命を祀っている。柴崎に金久保という小字がある
孫子市内の地名あれこれ
終わりに
50年ほど前に引っ越してきた私。その時、なんて読むの?誰もが一度は口にした「がそん市?」、今では愛着がわく「あびこ市」の響き。普段何気なく使っている地名。歴史を重ね、現在の名になっている地名、最近の開発で名付けられた地名、市町村合併で名付けられた地名。地名の由来もそれぞれだが、時を重ねると何か由来のある地名らしくなるのかな。何百年後にはどんな地名になっているのか。
地名への興味は尽きない。
本日は伝統工芸「手描き友禅」を東京手書き友禅伝統工芸士 染谷 洋 氏の指導で、手描き友禅の工程の一部「友禅さし」を体験しました。
講師の 染谷先生と本日のアシスタントをしていただいた奥様
染谷先生の作品 帯の紹介 絵は牛若丸
牛若丸の拡大
染谷先生の作品
手書き友禅の工程
手描き友禅の製造工程とそれぞれの工程の内容の説明。本日は事前に染谷先生が地入れまで仕上げたものを準備していただきました。
我々は、糸目糊置きの内側に用意された染料で色さしを体験しました。色さししたものを先生が持ち帰り、引染の工程を行って作品に仕上げてくれます。
教材を手に引染の方法を説明
色付け(引染)
今日はいつもの班構成ではなく、任意の4人づつの9グループで行いました。
全員の写真は揃えられませんでした。写っていない方は勘弁願います。
終わりに
皆さんそれぞれの感性で、色を使い分けて色さしを行いました。自分のイメージした色合いとは異なった色だったり、手が震えてはみ出した方もいたかも。47期いつもの騒がしさは無く、真剣に、集中した2時間余でした。子どもの頃の塗り絵、地理の白地図を思い出しました。
実際に色さしを体験してみて、先生の作品の凄さが実感できました。
糸目糊置までの工程を全員分用意していただいた染谷先生に感謝です。
本日は㈱日本技能教育機構で研修を受けている技能実習生16名を迎えて、47期との交流を行いました。同社で研修生への講師をしている日本語教師の 嶋津 健さんのお話と、研修生と班単位での交流。そして昔話「舌きり雀」の寸劇、研修生の合唱「未来へ:kiroro」を披露し交流を深めました。
講師の嶋津先生
交流後の全員集合。なんとなく気持ちが一つになっていたように感じられました。
在留外国人の現状
10年で倍近い比率に増加
技能実習制度
日本語教育
技能実習生との交流
交流は各班に2~3人の実習生が同席し、班員との会話を行った。どんなことを質問するか、折紙等の用意などを6/15の授業で準備した。
殆どの実習生が7/3に成田に着いて、3日目だったのにはチョットびっくり。講師の話に合ったように、英語はほとんど通じなかった。
実習生も日本語が解らないながらも、一生懸命に聞いて、何とか会話しようとする姿勢が強く感じられた。
一生懸命自己紹介をしてくれた。ベトナムからの実習生は30代後半の男性で、妻子を母国に残しての来日が多かった。
1班
2班
3班
4班
5班
6班
舌きり雀&合唱「未来」
事前練習の成果?
おばあさんの大きな箱にハプニング
来日3日、一生懸命練習したのでしょう、しっかり歌っていました
終わりに
日本の爺さん、ばあさんとの会話。何を言っているのか解らないことだらけだったと思われるが、生の日本語と早くに接するのは、彼らにとっても良い経験だったのではないでしょうか。日本で学んだ技術を母国で生かす、それは建前。それよりも家族のため、自分のためにお金をためることが本音の部分であるようだ。日本の農業などは技能実習生無しでは立ち行かなくなっている。行った先の企業や組織によって、待遇が随分異なることをニュースなどで耳にする。多少なりとも縁のできた彼らの行く先が、彼らにとって良い環境であることを望んでいます。
本日は「歴史から見た温暖化と寒冷化②」の予定でしたが、講師の小林先生の都合で急遽中止となりました。そこで、次回7/6の「技能実習生との交流」の準備と体力測定の一環で、握力測定を行いました。
技能実習生を迎える準備
技能実習生へのプレゼントとして手作りのカードを各班で作成しました。また、当日実習生との会話の話題作りも行いました。
体力測定(握力測定)
終わりに
今回の振り返りは、内容を順序だてて簡潔にまとめるのに、最大の難関と覚悟していたところ、急遽中止で次回の準備に変更となりました。助かった!
写真だけで校正できる「振り返り」なんと楽な事か。思わず、本音。
前回勉強した布佐の歴史。本日は実際に自分の足で歩いて体感しました。案内していただいたのは、我孫子市史研究センター 清水 千賀子さん、郷土史愛好家で長大OB(33期)の梅本 春一さんです。
布佐駅で出発前の挨拶と班分け
今日の経路
竹内神社
①愛宕神社境内祀られていた
②俗伝:小麦の芒の積置きが一夜で竹が生え、白蛇がこの竹を巻いていた
③享保21年(1736)正一位竹内大明神神意を受け、旧布佐村の鎮守となる
神社への急な階段。例大祭の時はこの急な階段で宮出しが行われる
鳥居の横の狛犬。子どもの狛犬が足元に。珍しいそうです。
①日露戦争英文記念碑(旅順陥落記念)明治38年建設
“In Memory of Conquest over The Russians”
建立者 榎本次郎右衛門 大澤岳太郎 井上二郎 松岡鼎 柳田国男
松岡静雄 一色正輔
岡田武松の名が無い??
明治の時代に英文の碑です。布佐の賢人たちの教養と心意気が感じられます
布佐小学校
明治6年1月、我孫子市で一番早く「刀寧小学校」として延命寺内に開校
明治33年に現在の地に移転
当時の刀寧小学校の看板が今も飾られている
布佐の賢人たちの実家
①岡田武松邸跡地 :現在の 「近隣センターふさの風」
②斎藤邸(花妻酒造跡地):現ナリタヤおよび駐車場
③松岡邸(凌雲堂医院跡):柳田国男の帰省中、田山花袋や島崎藤村が訪れる
④榎本邸 :江戸時代は村役人、豪商、明治以降布佐町長・衆議院議員
ふさの風でチョット休憩
松岡邸
榎本邸 玄関でしょうか
榎本邸 庭の立派な百日紅
岡田武松と柳田国男
岡田 武松
ふさの繁栄 鮮魚街道
網代場観音堂
利根川の土手上で当時の河岸跡を望む
過去の水難の歴史を乗越えた布佐、再びの災害を乗越えて
東日本大震災で布佐は液状化の被害が発生。
当時の被害の状況を記録して、未来に伝える「ふさ復興会館」
被害の状況写真を展示。忘れない震災。
終わりに
我々47期は晴女、晴男が多く在籍しているのか、雨の天気予報、それも台風が近づくとの予報。しかし、当日は晴れて気分よく巡ることができました。布佐の歴史を足で歩いて体感しました。1年生から今まで、船上の手賀沼・我孫子地区白樺派史跡めぐり・湖北の歴史と巡り今回が最後の市の史跡巡りでした。長大に在籍しなければ、知ることもなかった気がします。先人の足跡を感じられ、より我孫子が身近になりました。ありがとうございました。
我孫子市を知る。今回は布佐地区です。次回6月1日に巡る、その予備知識として、利根水運と手賀沼の干拓で栄えた布佐の歴史を学習しました。講師は我孫子市史研究センターの 清水 千賀子 さんです。
清水 千賀子 先生
古くて新しい「布佐」の歴史
①北総台地の東端「布佐余間戸遺跡」:縄文草創期(1万年前)の遺物が出土する市域で最も古い遺跡
②「布佐」の地名:文献上(倭名抄)で「布佐郷」と記される我孫子市の最古の地名
③現在の布佐地区の原型:江戸時代の寛政~寛文期(17~18世紀)の利根川の東遷、享保期の新田開発によって形成
④近世の布佐村の反映;利根川水運の発達と「鮮魚(なま)道」の起点となったこと。
⑤「布佐陣屋」:幕末及び明治新政府の地域取締り機関として歴史上の役割りを担った。
⑥近代日本を代表する人材を輩出:明治期、岡田武松、松岡五兄弟、井上次郎
江戸時代寛文期(1662~72)利根川の東遷で誕生した近世の布佐村
千年前の利根川
寛永初年水脈図(黄色〇が布佐)
①寛永7年(1630):布佐と布川(利根町)間を開削し常陸川(後の利根川)流路を通した
地形が大きく変化した。(布佐村石高424石)
②寛文2~6年(1662~66):新利根川の開削と布佐・布川間締切り工事。この間旧河川跡の開発で新石高575石余が増加(布佐村石高1000石)
利根川の東遷 鬼怒川・小貝川利根川に付け替え、利根川締切り、布佐・布川間開削、新利根川の開削
③寛文9年(1669):布佐・布川間の締切り部を再度切り開く。新利根川が廃川。
④寛文10~11年(1670~71):利根川堤防完成(布佐から印西市六軒まで)
布佐堤防(布佐高台下から手賀沼入口)、築留堤防築堤(手賀沼入口、手賀沼は閉鎖沼となる)、六軒堤防築堤(手賀沼入口から印西市六軒)
⑤寛文12年(1672):手賀沼新田開発が海野作兵衛らの江戸町人により始められる。
布佐・布川間再度開削、利根川堤防完成(手賀沼閉鎖沼)
鮮魚街道
元禄期(1688~1703)頃、布佐村は利根川の鮭漁が支える村だった
①松尾芭蕉鹿島紀行で、「……、利根川の畔、布佐という処に着く、この川にて網代という物を巧みて、武江(江戸)の市にひさぐ者あり、‥‥、夜の宿なまぐさし:」貞享4年(1687)
②年貢101余両の鮭鯉運上金を納入:元禄5年(1692)。
③鮮魚街道が確立:布佐村荷揚げの鮮魚荷物、駄送直送が公認:正徳6年(1716)裁許状
銚子・鹿島方面の鮮魚→利根水運→布佐河岸から駄送→松戸河岸→日本橋魚市場
網代
布川鮭
享保の新田開発(1727~30)による新田村の誕生
①享保15年(1730):新田村誕生(三河屋・布佐村・相島・浅間前・大作の各新田)
②元文3年(1738):千間堤決壊、甚大な被害。相島新田名主(井上)佐次兵衛星、5500両余を投じ排水路等の自普請事業(自費)。
③天明5年(1785):幕府(田沼意次)による手賀沼排水事業、完成後2カ月で洪水で破壊
④昭和26年(200年後):井上二郎による相島耕地整理組合事業で完成
手賀沼の鳥猟(鴨猟)稼ぎ
①寛政期以降に水戸家鷹揚げ解除により手賀沼鳥猟始まる
名主佐次兵衛商才:葭・真菰植付→夏鳥猟の通路刈取り→秋~冬の鳥猟場として貸出。鳥猟場1株金五両
②手賀沼の鴨:江戸市中で高値で売買、水鳥売上高例(571羽、金145両で百姓23人から買取、一人当たり6両1分余、米15俵相当)
③お歳暮シーズン、江戸で鴨2羽→銭2000~2600文(現在の米価換算2万~2.6万円相当)
ちなみに現在の天然鴨1羽の値段:5000~10000円
繁栄する布佐河岸
①幕末:堤防上に170余軒の家並み
②明治7年:戸数444戸、人口2119人 同時期:我孫子188戸
③明治22年:7ケ村合併、新布佐町 戸数653戸 3243人 我孫子町626戸 34447人
④明治29年:現在の常磐線開通
⑤明治34年:成田鉄道開通→水運の町布佐の衰退の始まり
⑥昭和5年:栄橋開通
明治期、日本を代表する英才を輩出した布佐
①布佐の三傑:岡田武松、松岡(柳田)国男、井上二郎
岡田武松:気象学者、第4代中央気象台長、日本海海戦時に予報課長「天気晴朗なるも波高かるべし」の予報
松岡五兄弟:3男国男、柳田家の養子(柳田国男)民族学の父
井上二郎:相島新田井上家12代当主、手賀沼干拓事業を完成に導く
②房の御三家:榎本家、井上家、斎藤家
終わりに
かつて栄えた布佐。利根川の水運、手賀沼の恵み。いずれも、物・人が集まることでの繁栄。そして豊かな手賀沼の恵み、「鴨がネギ」ではなく「鴨が金を背負ってきた」。しかし、新田開発は、常に水との闘い。希望と挫折の繰り返し、長い苦難の中で見事な新田が完成し、豊かな恵みを我々に与えてくれいている。先人の苦労に感謝。
広大な農地、苦難の果実