2020コメントフィードバック5回目まで

【3回目】 道徳教育の歴史

・今回は道徳の授業評価や道徳教育がどのようなものであるのかについて理解することができました。道徳教育推進教師という人がいることを知らなかったのですが、各校に必ず一人はいるものなのでしょうか。それは、道徳について大学や大学院等で深く研究してきた方なのでしょうか。

→ 一人はいますが、最近できた制度なので身近ではないと思います。道徳について大学や大学院等で深く研究してきた方というわけでは必ずしもないです。


・今回の資料を読んで、問題点として挙げられた中で一番問題意識を持ったことは、『日本人としての自覚』という言葉が、あったことです。学習指導要領の中でも、多様性についての配慮や、日本語を母語としない児童についての配慮が言われているのに日本人の自覚と書いてあることに驚きました。これは、改訂の文章を決めるときに問題視されていないのかなと疑問に思いました。

→ 問題視されています。改訂において、多様性に配慮すべきという方針がある一方で、他方では「日本人」をより強調する変更がなされており、両者は矛盾するのではないか?という指摘があります。


→ 他に、課題の量が多すぎるのではないかというコメントがいくつかあったため、4回目からは少し問題数を抑えることにしました。


【4回目】 ピアジェ

他の、心理学の授業でも、ピアジェが出てきましたが、原文を読むのは今夏が初めてでした。とても興味深い内容でした。

 私は、旅行に例えると解説は「ガイドブック」、原文を読むことは「現地へ行くこと」だと思っています。ガイドブックは旅行先を俯瞰的に捉え、重要なポイント(言わば「観光地」的なポイント)をきちんとおさえてくれるのですが、やはり現地に行って初めてわかることも多いと思います。たとえば同じ「ドイツに行く」でも、現地での楽しみ方、着眼点は人それぞれだからです。

優れた観光地(原文)ほど、多様な楽しみ方(読み方、学び方)に対応でき、懐の深さ、豊かさを持っているのではないかと思います。また、「現地」に行ったことがある人だけが「ガイドブック」を書けるので、原文を読んだ経験は、それについての解説をする(解説できるほどの深い理解をする)ことのできるスタートラインに立つことでもあります。原文を読まずに解説することは、「現地」に行ったことがないのに「ガイドブック」だけで現地を説明するようなもので、本来はできないことのはずです。

原文はたしかに難しいですがその理由の一つは、筆者が想定しうるあらゆる批判に応えようとするために、説明が異様に詳しくなり、議論のスピードが遅くなるからではないかと思います。

今後も何か深く勉強したいと思ったときは、少しでも原文に当たるということは「急がば回れ」ですがとても効果的なことだと思います。ただ、ガイドブックも何も持たずにいきなり「現地」に行って歩き回っても、場所の特徴や見所わからないでウロウロすることになると思いますので、やはりうまく書かれたガイドブックと共に読むのが良いと思います


原文を頑張って読もうと思ったのですが、全然頭に入ってこず、全文を理解することに挫折しました。英訳したものだからなのか言葉の言い回しがすごく特殊に感じました。自分の読解力と集中力の無さが露呈され、ショックでした。本を読んで読解力をつけたいと思います。

→ 原著が外国語の場合、翻訳の問題があると思います。特に今回のように翻訳が古い場合は、多くの場合、原文の内容というよりかは翻訳の影響で読みにくくなります。どんな本もやはり原語で読むのが一番簡単であると言われます。翻訳のせいで読みにくくなっている可能性が高いので、あまり自分のせいだと思わないでもらえらればと思います。


ピアジェの原文「規則の実践Ⅰ 第一及び第二段階」のp.31-34より】テキストの内容に照らして不適切なものを下記の選択肢から選びなさい(ない場合は、「不適切なものはない」を選びなさい) この問題なのですが不適切なものが2つあるのではないかと思いました。上から3つ目と4つ目が不適切であると思ったのですが、どうでしょうか。4つ目はポームではなく、レフではありませんか…? 今回はピアジェの原文を読んでいきました。パソコンで文章を読むのに慣れていないので、毎回読むのに苦労しています。これを機会にパソコンで文章を読む力をつけることができたらと思います。

【ピアジェの原文「規則の実践Ⅰ 第一及び第二段階」のp.31-34より】の問題は、マールが勝敗について理解してると思えないし、ポームは問題文のような返答をしていない(レフがこの返答をした)と思いました。

→ Moodleの方でも書きましたが、私の間違えで、正しくはレフで。申し訳ありません。


ピアジェは今まで前操作期や具体的操作期などの認知の発達段階しか知りませんでした。道徳性発達の研究も知ることができました。認知の発達段階とどのようなつながりがあるのか調べたいです。

→ 両者は基本的には連動しています。


今回の内容は、少し難しかったのですが様々な資料を読むことで理解を深めることが出来ました。従来の、哲学的認識論では大人の認識と子どもの認識を区別していなかったと知り驚きました。かつては、研究すらされていなかったのか大人の認識が未完成であると捉えられていたのか、また別の考え方があったのか気になりました。また、人間の認識という可視化しづらく研究が難しそうな内容の実験が出来るということはすごいなと思いました。ある程度は条件がそろえられたとしても、個人差などがあると思うので研究を進めることはとても大変そうだなと思いました。資料を読むことで大体のポイントはつかめましたが、まだまだ理解できていないところもあると思うので、もう一度読み込んで理解をより深めたいです。

→ 認識の問題は仰るとおり可視化し辛く、しかも認識対象と認識手段が同一なので、これはたとえば「生まれたときから同じ仕方で揺れている地面の揺れ方を、その揺れている地面の上にいながらにして計測しようとするようなもの」で、非常に難しいです。古くはプラトンが魂を三つの部分に分けたり、近代ではデカルト、カント、ヘーゲルあたりの認識論がそれぞれユニークな点があり有名です。基本的に「大人」が完成形で、「子ども」は未熟であるという考えがあり、ヘーゲル以前は完成形である大人の認識への研究がメインで、認識の発展ということは主題になり辛かったところがあると思います。認識の発展を扱うようになったことで、それぞれの段階がある意味それ自体で完成している=それぞれの段階の世界を尊重すべき、大人の見方を無理やり押し付けるべきではない、というふうに考えやすくなったのではないかと思います。たとえばこのyoutubeをみると、保育園児や幼稚園児に「なんでそんなことしたの?」と問いかけても発達的に効果的でなく「何が起きたの?」と聞いた方が解決に向かいやすいと言われていますが、このように考えると教える側も「なんで伝わらないんだ?」とイライラすることなく、効果的な指導がしやすくなるのではと思います。


回答欄に(7)(8)を記入する箇所がありませんでした。 ここに記載しておきます。 (7)結果(8)動機

→ こちらのミスです。申し訳ありませんでした。(この二つの問題については、最初から計算しないこととしました)


「マーブル」のマール(6歳)の遊びで質問です。マールは負けたのですか?結果がよく分からないので教えていただきたいです。 ピアジェの発生的認識論について学びました。子どもの、結果による判断から動機による判断に変化するのは面白いなと思いました。何が「悪い」という意識くは、様々な知識などが組み合わさって認識にも変化を与えたのかなと思いました。ピアジェの発達段階別に考えると小学校3年生と小学校4年生以降で規則や実践に差があるなと思いました。だから、学年を超えた活動は、お互いが成長するために必要だなと思いました。「規則を合意の下変える」という活動を「学級遊び」を決める時行っていたなと思い出しました。学級遊びのルールをみんなが楽しめるように、アイディアを出し合って話し合ったと思います。

→ 負けたのではなく、勝敗の付け方自体がわからなかったのではないでしょうか。


’物質による判断’’や’’動機による判断’’’についての話では、大人が無意識に物質的判断による行動をすることがあると、それが子どもの判断基準に影響を与えているかもしれないということに、確かにそうだと納得しました。また、道徳の評価規準は「道徳的価値の判断に基づく」というピアジェの意見がありましたが、モラルジレンマなどの例があるなかで、その道徳的価値の定義をどのように決めるのかということに疑問を持ちました。また、定義が決まり、それで道徳の評価を付けられたとしても、もし思考と考えが一致しない子どもがいれば、評価は良いのに素行は非道徳的だという矛盾が生じてしまいます。これでは、それがなんのための評価なのか分からなくなってしまうと思いました。(道徳的価値の判断を規準ー基準?ーとする評価方法は、問題を出して答えるというテスト形式のようなものと認識していますが、正しいでしょうか。)

→ 「道徳的にネガティブな行為は、道徳的にポジティブな行為に比べて、意図的に行ったと判断されやすい」。これは一般的に、ということだと思います。テストというより、ピアジェの場合はインタビューで判断しています。〔…〕?


【5回目】 コールバーグ

・記述1で私の考えは第一段階になるのでしょうか?捕まるからしてはいけないというよりは奥さんの気持ちを考えたからという理由で結論に至ったのですがこの場合も第一段階なのでしょうか?

その場合は第一段階ではないのではないでしょうか。なぜなら、


・社会的に見たらどんなに素晴らしい人でも中身は子どもでわがままのようなシチュエーションをよく見ますが、このような人たちは第6段階のような考え方をすることができるが、あえてしていないのでしょうか。コールバーグの発達段階の特色のところで、第2段階の子どもは、いろいろな問題に関して常に第2段階で判断理由付けを行うと書いてあったので、理論的には上記のような人はありえないのでしょうか。第6段階にいったら、常に第6段階の考え方をするというのはあまり人間的でないなと思いました。


・今回は、コールバーグの道徳性発達理論(認知発達論)について学びました。行為を取った「理由づけ」に着目することで、発達段階を判断するものでした。ピアジェの時も感じましたが、段階分けすることで、グルーピングができて判断しやすく良いと思いました。今回は、各段階に「慣習」とついていたことがポイントになると考えました。  認知的な葛藤を解消できるように、個人の認識の枠組みを質的に変容していくことが次の発達段階に進むきっかけになると知りました。そのためには、他者の視点に立つことで、自他の考えを調整していくことが必要になるのではないかと思います。子どもたちの発達を促すには、こうした環境の設定を行う「モラルジレンマ授業」を行うことが良いのではないかと思います。  コールバーグは「理由づけ(認知)」という狭い範囲で着目したけれど、他の様々な論による、見方や考え方を比べて、道徳性について考えていくことが重要だと思いました。 【質問】 この発達段階の第6段階に至るのは大体、何歳くらいなのでしょうか。今と昔で、第6段階に至る割合や年齢はやはり、異なるのでしょうか。  


・授業の内容とは関係がないですが、、、質問です。私は3回生になり卒業論文について考えるようになりました。研究や論文作成をすることは初めてですが、私も自分の研究活動を通して学問の発展に貢献したいと思っています。研究・論文作成を進めるうえでどのような姿勢で臨むことが大切だと先生は考えますか。また、大学生の論文と教授の論文はどのような点が違うのでしょうか。

→ 研究・論文作成は私はまずは自分の関心事は何か、ということを明らかにすることが大事だと思います。その次に、研究の歴史をおさえることです。大学生と教授の論文の一番の違いは、体系性です。〔…〕