2020倫理学入門1回目FB

【コメント】

1.日頃あまり本を読まないので文章に触れられてよかった。

2.今まで「死」や「自己」について深く考えたことがなかったが『哲学解説』を読み、考えさせられた。記述課題で書いたようにキャリアを積むなどといったことは、まさしく私が死を選んでいる状態ではないか考えた。

3.「死はどうしても追い越せないが、追い越せないことを知っている、という形で、実は死を追い越している」という表現が、難しく感じた。確かに、毎日生きている中で時々、もし明日死んでも悔いはないかと考えることがある。これは自分自身に語りかける形で、心構えすること、対処することを呼びかけているのだなと思った。

4.倫理、哲学について基本的なことが学べたと同時に、これから学ぶにあたって普段からニュースなどの内容を鵜呑みにせず、まず疑ってみたり本当に正しいのか自分なりに考えることを心がけようと思った。

5.追加履修で履修しました。半年間よろしくお願いします。

6.高校時代に一番好きで楽しかった倫理にまた触れられる機会が来てとても楽しかった。 読書課題も、「自己」や「死」について深く掘り下げたもので興味深かった。 あちら側には行けないから追い越せない。ただ、追い越せないことを知っているという点では実は死を追い越している。 「確かにそうかもしれない」と、はっとさせられた。 コロナが収まって図書館が開いたらぜひ樫山欽四郎さんの哲学概説を読んでみたい。

→ 樫山欽四郎さんの『哲学概説』は、少し古いですが名著だと思います。 哲学書を敢えて「哲学についての解説書」(いわゆる二次文献)と、その本自体が哲学している書(一次文献)に分けるとすると(前者には前者の良さがありますが)、この本は後者であり、解説書ではないので難しいところもありますが、思考の深い水準まで手加減せずに(とは言っても『哲学概説』はわざと難しく語ったりは決してしていませんが)連れて行ってくれるので、おすすめです。



7.死に関して考えさせられました。今の自分の生活を少し見つめ直したいと思います。

8.哲学解説の内容は自分には難しく、正しく内容を理解できたかわかりませんでした。しかしその内容はとても面白くまた授業を受けて今回テーマにした「死」のように物事の意味について考えてみたいと思いました。

9.倫理学とは今まであまり触れたことのない学問でしたが、読書課題の内容がわかりやすく、楽しみながら読むことができました。



10.色々なオンライン授業を受けている中でも、Dropboxを用いる授業はこれが初めてでした。今までで使ったことがなく慣れていないので、音声付きのpdf等をGoogle drive上で公開するような授業形態だと個人的にありがたいなと思いました。

→ ご意見ありがとうございます。できればそのような形態に移行したいとは考えているのですが、検討させてください。


11.授業を通して、自己肯定感をもてるようになりたい


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【記述課題】へのコメントの紹介

あなたは自分が死ぬまでに、このような人生を送ることができたら、満足して死ぬことができる(=「追い越せない死を、追い越すことができる」)と思える生き方がありますか、ありませんか。ある場合、それはどのようなものですか。ない場合、それはなぜですか。自分の考えを簡潔に書いてください。



・ある

自分に噓をつくことなく、自分に素直に生きれたら満足して死ねると思います。

あります。自分の死後、誰かが私のことを当人が死ぬまで覚えていてくれる、そんな人生を送ることができたら満足して死ぬことができるとおもいます。

ある。仕事などで自分が努力して打ち込んできたことが実を結んだり、またその努力によって生まれたものを誰かが必要としてくれたりと、誰かの役に立てる生き方ができたらって思います。

ある。自分の目指している目標、夢を達成する生き方

家族が1人で生きていけるようになったら

そう思える生き方があります。理由は死んでしまうと、人と会話をしなくなったり、様々な困っている人に伝えたいが、伝えることが不可能になってしまうからです。

自分の趣味にたくさんに時間を費やせるような人生

人との関わりを通して、自分の能力を最大限に発揮する

私は死ぬまでに自分らしく生きることができたら満足して死ぬことができると思う。この言い方は漠然としたものであるが、今までは親の言われたとおりに敷かれたレールの上を歩いてきたり、他人に嫌われたくなくてみんなから好かれるような良い人を演じていたことが多かった。この生き方は自分で考えることを放棄して自分の意思というものをないがしろにしているので、自分らしさというものを見失って辛くなっていた時期があった。だからこそ自分のことは全部自分で決めて、責任もって人生を歩めたのならそれは自分の人生で誇れることになるだろうと思う。

自分の子供を一人前に育て上げること。

自分の子供を立派に育て上げたとき。

事故など突発的なものではなく老衰や病気など死ぬ覚悟ができる状態で死亡することが出来れば悔いはないと思います。

私は追い越せない死を追い越すことが出来ると思える生き方がある。それは夢を叶えることである。私の夢は管理栄養士になって多くの人の健康を守り、たくさんの人に栄養のある食事を提供する事である。だからこれが出来たら満足して死ぬ事ができると考える。

大学卒業後、キャリアを積み、やれることをやりきる人生。

ある。私は自分のことがあまり好きではないため、自分の生きる意味や自分の価値を探しながら生きていく、人生を送るのが理想。例え死ぬまでに見つからなくても今までそれについて考えたという事実があれば満足すると思う。

自分が生きていた象徴となるものが一つでも残っていれば満足

私は日本のあるどこかにとどまるだけの生活ではなく自分の目で足で世界を見て正解が見つけられたなら死んでもかまわない

英語をペラペラしゃべれるようになり、海外に行って何か人のために役立つことが出来たら満足して死ぬことが出来る。



・ない

ない。まだこうなりたいといった理想などがないし、それは年齢とともに変わっていくものであると考えるから。

ありません。「まだ人生20年しか生きていないし人生まだまだ続いていく」と思ってしまっているので、このような人生を送ることができたら満足して死ぬことができるというような最終的なゴールがまだ見えていないからです。

→ 20世紀の哲学者ハイデガーが、講義のなかで、「若いうちは自分の本来の理想を見つけることは難しい」と言っていたのを思い出しました。経験を積むにつれて理想も変化し、より明確になることもあるかもしれませんね。


ありません、「満足」は命題としても成り立たない、満足の角度からどんな死に方が欲しいと考える時からもう不満足になるじゃない?

ありません。「まだ人生20年しか生きていないし人生まだまだ続いていく」と思ってしまっているので、このような人生を送ることができたら満足して死ぬことができるというような最終的なゴールがまだ見えていないからです。

ない。自分の人生がどのような結末になるかよくわからないし、明確にしたいとも思ったことがないから。

ない。まだこうなりたいといった理想などがないし、それは年齢とともに変わっていくものであると考えるから。

ないです。どんなことを成し遂げても死の恐怖にはかなわないと思うからです。

ない。 人生には満足=ゴールというものがないと私は考える。もちろん、今後成し遂げたいことや目標などはあるが仮にそれを達成して満足したから死ぬことができるなどとは思わず、また新たに満足すべき目標が死ぬまで続くと考える。裏返せば何か満足しなければ死ねないということもないということだ。つまり、生きる道も死ぬ道も肯定せず私はあるがままの道を生きているという状態しかないという考えであるからだ。

ない。こうなりたいといった理想がない、またそういうものは年齢とともに変わっていくものであると考えるから。

ないです。なぜなら大金持ちになったら次は宇宙へ宇宙に行ったら次は深海にというように次々に目標が湧いてくる、人間とはそういうものだと僕は思うからです。