2020倫理学入門2回目FB

・コメント

よろしくお願いします。

死に対する新しい考え方に気づけた。

死に対するソクラテスの前向きな捉えに考えさせられた。

前回よりも少し難しい内容でしたが、「死」や「善」など、今まで自分があまり考えることがなかった内容であり勉強になりました。

ソクラテスという名前は聞いたことがあったが、実際にはどのような人か知らなかった。ソクラテスの言っていた「死を見たことも無いのに恐れている。もしかしたら死が善かもしれないのに」は、理屈では理解できるが、死の間際にソクラテスのように冷静でいることは至難の業だと思った。



【記述課題】あなたは『ソクラテスの弁明』におけるソクラテスの死についての考えに対して、どのような意見を持ちましたか。簡潔に書いてください

死後の生はあるという意見に共感します。 理由として「死んだ後は無になる」よりも「死後は○○になる|行く。」の方が本や映画などで扱われる事が多いから。

 死について知りもしないのに悪だといって恐れることは、死について知ったふりをしていることになるとソクラテスは考えているが、誰も知り得ない死というものそのものが恐ろしいのであって、無知を認めているのではないかだと考えた。

自分への裁判が間違っているにもかかわらず自分の考えを通して受け入れるのは凄いと思いました。

ソクラテスの自分の角度からの考えはアテネのポピュリズムに説得力が足りないみたい

私は死に対して恐怖心を持っているので、死ぬことが悪ではないという考え方に驚愕した。

死後に世界で故人と話せるかもしれないという考え方が印象に残った

死に至るまでの苦痛はソクラテスにとって、恐怖ではなかったのだろうか?ソクラテスは自殺や安楽死について、どう考えていたのだろうか?

ソクラテスの考えだと「死」とは生きている人にとっては経験したことのないことであり、「死」自体を悪いものだとすることではできなくて、怖いと思っていた「死」も私の知らない世界であり 、「怖い」と知っているように思う私自身もまた無知であるのだと思いました。

ソクラテスは死に対して恐れず、解放と捉えているのだろうと思った。またその考え方は私自身の死のイメージを変えた。

確かに死が善か悪かはわからないが、自分の今の状況が変わることを恐れることの方が多い人間に対してこの意見が伝わらなくて、このような結末になったのかなっと思った

非常に納得させたれた。私たちは死について無知であるのにも関わらず知っていると思うから死が恐怖なもの、悪なものと考えてしまっているが実際のところ考え方を変えてみれば善いものであるかもしれないと感じた。

無のような状態で、死んでいる者はなんについても何一つ感覚ももっていないか、あるいは、言い伝えにあるように、魂がこの場所から別の場所へ向かう移動や移住であるか、の二点に関する考察はとても納得した。特に死後、無の状態であればいいのにと思った。

文章上では、ソクラテスは死を恐れていないと書かれていましたが、個人的に少し恐れを感じています。理由は道路上で軽傷を負っただけでも、怖いと思ってしまうからです。

確かに私たちは、自分が体験した訳でもないのに、死を恐れている。しかし、私は「死んだらどうなるか分からない」から恐れているのではなく、今まで出会った大切な人に二度と会えなくなるかもしれないから、怖いと思っている。

知らないことを知っていると思って恐れるのではなく、知らないからこそ希望を持っているのは死に対しても前向きな考えが持てると思った。

ソクラテスの考えに少し共感した。たしかに死んだあとの世界のことは誰も知らないし死んだ人にしか知ることが出来ないから自分が勝手に死に対して決めつけているイメージがあるんだとおもいました。

常に死というものを考えて生きているわけでないので正直に言うと頭を悩ませた

人間は知らないこと、未知のものには恐れの念を抱く。しかし、一方でソクラテスの人間は本来無知なのであるから知らないことを恐れることはおかしなことという考えも理解できる。死を悪だと断定するのは、やや安直だと私も考える。

確かに自分たちは「死」というものを分かっていないのに分かったふりをしているだけなのかもしれないと思った。第一回授業の読書課題にもあったように、「人は死を追い越せない」から、その先の世界が悪いか善いかなど分かるはずもないという考えは私もその通りだと思う

死そのものに対してそれが夢を見ない睡眠であるととらえられても死に向かう直前の過程によっては決して死そのものが得なものという希望を見出すことは難しいのではないかと思う。

ソクラテスが言うように「死」は悪ではなく善であるかもしれないが死は前回の授業から経験して語ることはできないので善悪の検証は永遠にできず、良いことか悪いことかの答えは出ないと思った。

死後の生は置いておいて自分の存在が無くなるという恐怖があるのでソクラテスのように恐れが無いと言う考えには至れないと思いました。




【記述課題】あなたは死後の生はあると思いますか。それともないと思いますか。あるいはそのような「ある・ない」では答えられないという立場でしょうか。そのように考える理由もあわせて簡潔に答えてください。


・ない

ないと思う。死を迎えると、永遠の眠りについたような状態になると考えるからだ。

ない 肉体が死んでいるので死後の世界を感じることも出来ないと思うから

ないと思う。あるとされているのは宗教上の考え方が大きく影響していと思うが死後の生などは誰も見たことがないし、科学的にも証明されないものだから。

輪廻転生の考えは非科学的であると考えているので、死後の生は無いと思う。

私はないと思います。何故なら、死んでしまうということは今までの記憶も時間が経つと消滅してしまい、空っぽになると考えるからです。死後の世界は存在すると証言する人もいますが、私自身はあまり信じていません。

ない。人間は死んだら火葬されて灰になる。今まで私たちを構成していた原子が、空気中に放たれ、心臓も脳も無くなる。考えることも出来ないし感情を生み出す器官もないので死後の世界など無いと思う。

私は死んだことがないのだから究極的にはわからないので答えられない。しかし、私の一方的な考えでいうと死後の生はないと考える。今生きている人間が勝手に神を信じ、生死や日々の行い、己の生き方の拠り所が欲しい故に死後の生の存在を肯定していると考える。それでいうと、私はソクラテスの死は深い眠りのようなものかもしれないという考えに近い。魂のようなものはどこか異なる次元の世界に集まるかもしれないが、意識もないだろう。輪廻転生を繰り返すという考えもできる。

死後の世界というもの自体はないと自分は考えており、どちらかといえば輪廻転生の概念のように魂が再びこの世の生物に受肉して生死を繰り返しているのではないかと考える方が自分の中ではまだ納得がいくと感じられる

悪いことをしたら地獄に行きや良き魂は天国に行くという考えは生きている人間の行動を抑制や促進の為の考えだと思っているので死後の生は無いと考えます。


・ある

あると思う、ある人は死んでも生きている、死んでも考えも止められない

あると思う。幽霊を見たことがあると言っている人がいるということは死後の世界があるのではないかと考える。

死後に別の生物に生まれ変わり生きていくと思う。

死後の生はあると思う。他者の生に生まれ変わり、今の自分の意識はなくなる。

どちらかというとあると思います。死はその人にとって描かれたその人の世界(寝ているときに見る夢のような)みたいに思います。

私はあるのではないかと思う。「死」は肉体は焼かれてなくなるが魂、心は存在するような気がするから。

あるともないとも定義できないと思います。なぜなら体から魂がなくなり、しかし現世にとどまるとしたら体の扱い方が変わっただけになると思ったからです。しかし、生きているという定義は人によって変わるので、一概に言えないと思います。

ある。自分は死に対して怖いという印象を抱いているので、少しでも死に対して前向きに考えたいので、死後は天国のようなものがあると思っている。

死後も生きてる人がその人のことを思い続ける限りその人の中で生きているから死後の生はあると思う。

あるのではないかとは思うでも今までにアニメや、幽霊とかでそう思わされているのかもしれないしよくわからない



・答えられない

ある・ないでは答えられない立場です。理由は結局は誰も死を追い越すことはできず、「死にかけた」という状況にあってもあくまで死は追い越しておらず、本当に死んでみないと分からないが、本当に死んでから現世に帰ってくる人はいないから、死後の生が「ある」という立場でも、「ない」という立場でも根拠の出しようがないと考えているからです。

ある・ないでは答えられないです。確かめようがないからです。