おすすめの映画

インターステラー

カントは「時間は人間が世界を捉える際の一つの形式にすぎない」と考えました。人間でないまた別の存在であれば、時間というフィルターを通してこの世界を見ないかもしれない、ということです(実際、『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著は、「実際の宇宙」には人間的な時間は存在しないという仮説について論じています)。この映画に登場する「四次元存在」も、人間とは違った仕方で時間をとらえ、時間を人間にとっての空間のように行き来することができる存在のようです。様々な惑星の美麗な映像とともに、人間の「時間」について色々と考えることのできる映画です。

パルプ・フィクション

夢の中の出来事のような映画。殺人、ドラッグ、怪奇事件…この映画は非日常を扱っているようで、実は日常を扱った映画なのではないでしょうか。キャッチーなシーンの合間合間に挟まったたわいもない会話(特にストーリーもなく、感動的でもなく、それぞれの場面に繋がりもなく、人に訴えかけるような何かもない… )こそが、この映画の隠れた主人公なのではないかと思います。このたわいなさをたわいなさのまま「目立たせない」ために用意されたのが、ショッキングな事件の数々なのではないかと思うほどです(事件がなければ逆にそれらのたわいなさが目立ちすぎてしまい、もはやたわいなくなってしまうので…)。普段の私たちのたわいのない会話…も、人生の主人公になれるものなのかもしれません。

青い春

松本大洋の短編漫画「青い春」の映画化。(話は変わりますが)漫画「ナルト」では、「サスケが闇の力に染まる理由はサスケが若いから」と説明されますが、若いことは純粋なことで、パワーがありますが、「ブレない」という危うさもあります。歳をとるとよく言えば視野が広くなり、悪く言えば矛盾に抵抗がなくなるため、純粋な「善」にも「悪」にも(そんなものがあるとして…)人は傾き辛くなるところがあるのかもしれません(そのことを「歳をとって丸くなる」と言うのでしょうか?)。作中でひょいっと学校の柵を超えてヤクザになってしまう野球部の先輩のように、「若い」頃は純粋に「あちら側」へ行ってしまう人がいて、そのような越境には一種の憧れさえあるのかもしれません。主題歌の「マリオン」(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)が映画の情景によく合っていると思います。この映画は「不良」を扱っていますが不良映画ではなく、「若者」の「青春」が凝縮された映画だと思います。