60FT DOLLS 7inch Single
「White Knuckle Ride c/w No. Pure Alcohol」
(Rough Trade 1995)
Back Cover
1993年秋、マイク・コールと出会ったリチャード・パーフィットは、大学生で高校の教師をしていたカール・ビヴァンを誘って、3ピースバンド「60ft Dolls」として活動を開始した。当初は4人めのメンバー(担当パートは不明)を探していたというが、彼等に合う人物に出会えなかったという。
彼等のプロフィールを簡単に紹介すると、3人ともサウスウェールズのニューポート出身、ヴォーカルとギターを担当するリチャード(Richard John Parfitt)はバンドを始める前はトラック運転手をしていた。ロックを聴き始めたのは10代の初め、お気に入りはデビッド・ボウイだった。兄の使っていたドラムを叩きだしたのは13歳の頃、その後ベースを弾き始めたが、16歳でザ・フーのピート・タウンゼントに影響を受けギターを手にするようになる。10代の中頃はモッズだったという。音楽もザ・フーやソウルミュージック、R&Bを聴き、服装もモッズしていたようだ。彼が好きな音楽、影響を受けた音楽を紹介すると、
マーヴィン・ゲイなどのモータウン
オーティス・レディング
アレサ・フランクリン
カーラ・トーマス
ボブ・ディラン
ブルース・スプリングスティーン
ザ・フー
スモール・フェイセス
ロッド・スチュアート
ザ・ビートルズ
ザ・ローリング・ストーンズ
ヴァン・モリソン
MC5
AC/DC
イギー・ポップ&ストゥージズ
セックス・ピストルズ
ザ・クラッシュなど。
ギタリストとしては、
ピート・タウンゼント
ジミ・ヘンドリックス
トム・ヴァーレイン
ニール・ヤング
ジョン・リー・フッカー
アンディ・サマーズ
アンガス・ヤングなどなど。
ベースと自作曲ではヴォーカルもとるマイク(Mike Leonard Cole)の前職は製鉄所勤めだった。 8歳の頃からリトル・リチャードやビーチ・ボーイズを聴き始め、その後セックス・ピストルズ、クラッシュなどのパンク・ロックやザ・スミス、コクトー・ツインズ、ピクシーズなどを聴くようになったという。60ft Dollsの前はエラスティカのドナとバンドを組んでいた。
ドラムスを担当するカール(Carl James Bevan)はなかなかユニークな家庭環境で育ったようだ。父親は説教師。ただの説教師ではない。教会のなかでバンドとともに説教をする「ロックする説教師」と呼ばれていた。(彼は97年にウェールズでのマリリン・マンソンのギグを「悪魔的」と言って反対、対決姿勢をみせていた)。カールも12歳の頃には教会の中でドラムを叩くようになっていた。プレイヤーとしての影響はミッチ・ミッチルやキース・ムーンから影響を受けたという。音楽はザ・ビートルズ、ソウルやジャズ、それからキッスやAC/DCも好んで聴いていた。60ft Dollsの前はダブ・ウォーのメンバーとバンドを組んでいた。
バンド結成後は地元ニューポートのクラブを中心に活動、次第にウェールズ内外でライブを重ねてゆく。オアシス、エラスティカ、ダイナソーJr等のサポートし、徐々にその名が知れ渡っていった。 1994年インディーズレーベルのタウンヒルからデビューシングル、「ハッピー・ショッパー」をリリース、 1995年初めラフトレードと契約、2ndシングル「No.1ピュア・アルコール」をリリースするが、ラフトレードが倒産、インドレント・レコードと契約、同年3rdシングル「ピッグ・バレンタイン」をリリースした。 1996年には、4thシングル「ステイ」をリリース後、待望の1stアルバム『ザ・ビッグ3』をリリース(日本盤は6月21日発売)、シングルカットは5th「トーク・トゥ・ミー」、9月には初来日を果たし、4回のライブを行う。このあと、「ハッピー・ショッパー」を6thシングルとしてリリース、7th「ヘアー」リリースと1996年は怒涛のリリースラッシュだった。
今思えばこの年は幸せだった。レコードは次々店頭に並び、僕は行かなかったけれど来日公演もあった。この年の終わりにはスモール・フェイシズのトリビュート盤にも参加した。徐々にキャリアを積み重ね、大きな存在にバンドがなっていくのを僕は楽しみにしていた。
60ft Dollsは日本公演のあと、アメリカ全土を回るツアーに明け暮れていた。
アメリカで彼等のレコードはゲフィン・レコードから発売されていたが、イギリスでの大きなヒットもなく、ストレートなロックを演奏する彼等が、アメリカでの成功/チャート上昇をするには、じっくり、くまなく、長い間腰をすえてライブを重ねてゆくしかないと考えていたのだろう。実に2年間のツアーだった。1997年から1998年の初めまで、日本に彼等の情報はほどんど入ってこなかった。多くのバンドが1年たてば新しいアルバムを発表していたのに、この間僕はインターネットのUKリリース情報のサイトやインディバンドのサイトのニュース欄を見るだけだった。それにしたってアメリカツアーをしているということ以外、たいした情報はなく、アルバムどころかシングルリリースの気配もなかった。1998年になってついに新しいシングル「アリソンズ・ルーム」のリリース情報を見つけた。
やっと新しい曲が聴ける!レコードはUKのリリース日の数日後に日本に入ってきていた。ある外資系CD店では「アリソンズ・ルーム」は大きなスペースを使ってディスプレイされ、”当店いち押しのUKロックバンド”といった内容の紹介文とともにCD1とCD2が何枚も並んでいた。もはやアルバム発売まではそう期間は開くまいと思っていた僕はリリース情報をチェックし続け、ついに6月3日に「ジョヤ・マジカ」というタイトルで2ndアルバムが日本発売される情報を得たのだった。しかしである。発売日が決まり、雑誌にインタビューやアルバムレビューまで載ったにもかかわらず、なんと発売が中止になってしまったのだ!
結局、60ft Dollsは所属レコード会社のインドレントと揉めた上、飛び出してしまったのが原因で「ジョヤ・マジカ」は発売ができなくなったということのようだ。ある日ふらりと入ったレコード店で”S”の欄を見ていると、なーんとあるではないか!「ジョヤ・マジカ」が。ん?Quattroレーベル?パルコか?というわけで日本のみ2ndアルバム「ジョヤ・マジカ」が10月21日に発売されたのだった。翌1999年の3月には2度目の来日公演を行った。しかしイギリスでは、2ndアルバムのレコード会社と契約がきまらず、発売はないままだった。あの2年のアメリカツアーの間、イギリスでの知名度は小さくなってしまったのではないだろうか? 1999年の夏が近付く頃、ニューポートの地元レーベルから2ndアルバムの発売が決まったというニュースが入り、結局8月にHuge&Jollyというレーベルからリリースされた。何の事はないバンドのマネージメント会社がレコード会社との契約がとれず自主レーベルを立ち上げリリースにこぎつけた、というものだろう。悲しい。
このあと現在にいたるまで60ft Dollsに関しての情報はまるでないといってよい。1997年の時と同じように。あの時はまだアメリカで頑張っていると思えたから少しは救われた。しかし、今はバンドがどういう状態にあるのかもわからない。リリースの情報も、レコーディングの情報もない。1日でも早く新しい曲を聴かせて欲しいと願うばかりだ。
しかし、1999年3月の来日公演後、しばらくして解散してしまった模様.....。
今後の各メンバーの活躍に期待したい。
参考文献
60FT・ドールズ『ザ・ビッグ・3』日本盤CD・田中宗一郎によるライナーノート、雑誌『SiFT 1996年9月号』(リットーミュージック刊)、雑誌『CROSSBEAT 1996年11月号』(シンコー・ミュージック刊)、雑誌『MUSIC LIFE 1996年11月号』(シンコー・ミュージック刊)、雑誌『DOLL 1996年12月号』(ドール刊)、雑誌『rockin'on 1999年4月号』(ロッキング・オン刊)、雑誌『SNOOZER 1998年6月号、同年12月号、1999年6月号』(リトル・モア刊)
2000年12月にアップロードした『Unofficial 60FT DOLLS Homepage』を作成した時点では、リチャード・パーフィットの前歴はほとんど情報がなかった。HPのバイオグラフィ作成にあたっては、CDライナーノートや音楽雑誌のインタビューを読んで作成したが、私が読んだ限りではインタビューの中にも、リチャードの具体的なバンド経歴について発言はなかった。しかし2022年2月の今、Web上のデータベース「Discogs」や「Wikipedia」、インタビュー記事などにより、リチャード・パーフィットの60FT DOLLS結成前の活動の一部が明らかになった。そして60FT DOLLS解散後の活動についても知ることが可能だ。ここではWeb上の情報を参考にリチャードのビフォア&アフターをまとめてみた。
BEFORE...
リチャード・パーフィットは友人のジェフ・ローズ、兄弟のマイク・パーフィットとともにザ・メッセンジャーズを結成、自ら売り込んでザ・ジャムのフロント・アクトに起用してもらうこともあったようだ。おそらく1980年代初頭のことだろう。その後ジェフ・ローズとザ・パーフェクターズのドラマー、マーティン・フォードとともにザ・カラーズ(The Colours)を結成、1983年にLOCOレーベルから7インチ・シングル「The Dance c/w Sinking」(LOCO1007)リリースしている。このシングル盤がザ・カラーズ唯一の音源だ。その名の通りカラフルでダンサブルなナンバー。リチャードはおそらくベースをプレイしていると思われる。
続いてリチャードは元ナイン・ビロウ・ゼロのデニス・グリーヴス率いるザ・トゥルース(THE TRUTH)にベーシストとして参加、1984年に5曲入り12インチ・ライヴEP『FIVE LIVE』(ILP26179)をIRSよりリリース、ロンドン100クラブに於けるライヴを収録。ポップでパワフルな演奏を聴くことができる。また、1985年にはスタジオ・アルバム『PLAYGROUND』(MIRF1001)をIRSよりリリースしている。
THE TRUTHに参加後、ザ・カラーズのジェフ・ローズとマーティン・フォードと再会、その名もブラッド・ブラザース(BLOOD BROTHERS)を結成。1988年にJIVEよりアルバム『HONEY & BLOOD』をリリースしている。7インチ・シングル「Replica c/w True Force」もリリースされており、「Replica」はヒップホップを吸収したヘヴィなサウンドで、エクテステンデッド・ヴァージョンを収録した12インチ・シングルもリリースされている。
AFTER...
2002年にはソウル・シンガーのデイヴィッド・マッカルモントと元スウェードのバーナード・バトラーのデュオ、マッカルモント&バトラー (McAlmont & Butler)の再結成にセッション・ギタリストとして参加、音源としては、CDシングル2の「Bring It Back」(2002年 Chrysalis)のカップリングにファット・ラリーズ・バンドのカヴァー曲「Zoom」が収録されている。BBCのテレビ用に収録された音源のようだ。
リチャード・パーフィットは2002年3月にソロ・アルバム『ハイライツ・イン・スロウ・モーション』をリリースしているが、このアルバム以外は自身をリーダーとする活動はなく、スタジオ・ミュージシャンとしての活躍が目立つ。2003年にはロンドン出身のシンガーソングライター、ダイド(DIDO)のセカンド・アルバム『ライフ・フォー・レント』(2003年 Arista)に参加、「Don't Leave Me」、「See The Sun」の2曲でギターを担当した。
ノルウェーのシンガーソングライター、レネ・マーリン(LENE MARLIN)のセカンド・アルバム『アナザー・デイ』(2003年 Virgin)では、レネの弾き語り1曲を除く全曲でギターを担当、シングル「You Weren't There」(2003年 Virgin)のカップリング曲「Enough」、シングル「Another Day (radio edit)」(2004年 Virgin)のカップリング曲「It's All Good」でもギターを弾いている。やや内省的ではあるが透明感のあるサウンドで、ドラムを担当したのはマコト・サカモト(坂元真)。
ウェールズ出身のシンガーソングライター、ダフィ(DUFFY)の作品に参加している。デビュー・7インチ・シングル「Rockferry c/w Oh Boy」(2007年 A&M)のB面曲「Oh Boy」とシングル「Stepping Stone c/w Big Flame」(2008年 A&M)のB面曲「Big Flame」で作詞作曲とギターを担当。シングル「Warwick Avenue c/w Loving You」(2008年 A&M)のB面曲「Loving You」ではオーウェン・パウェルと作詞作曲しギターを担当、プロデュースにも名を連ねている。映画『HOW TO LOSE FRIENDS & ALIENATE PEOPLE (邦題:セレブ・ウォーズ ~ニューヨークの恋に勝つルール~)』(2008年・英作品)のサウンドトラック盤に「Enough Love」を提供、この曲でリチャードはオーウェン・パウェルと作詞作曲をしている。
2011年にはデイヴィッド・シンクレア・トリオ(David Sinclair Trio)のアルバム『テイク・ミー・ゼア』(2011年 Critical Discs)の「Perfect In Every Way」でギターを担当した。1990年代、60FT DOLLSと同時期に活動していたイギリスのバンド、ザ・ブー・ラドリーズのヴォーカリスト&ギタリスト、マーティン・カー(MARTIN CARR)の2ndソロ・アルバム『ザ・ブレイクス』(2014年 Tapete)に参加「St Peter In Chains」「SenselessApprentice」の2曲でギターを弾いている。
Duffy 7inch Single「Rockferry c/w Oh Boy」(2007)
'Oh Boy'
on Guitar : Richard J. Parfitt
Written by Richard J. Parfitt