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TEXT-恒松正敏 1976〜1991 

発行:アートスペース美蕾樹 1995年1月9日発行

構成:相原由美
撮影:広瀬忠司
デザイン:菊池佐智子
制作:シンセイ・リテラス(株)
協力:丸の内画廊
限定997部

この作品集は1991年10月17日(木)〜10月30日(水)にわたって開催された、渋谷アートスペース美蕾樹における個展「TEXTー恒松正敏・1976〜1991」に基づいて制作された

Comment:
恒松正敏は1973年に東京芸術大学美術部絵画科油画専攻入学、1977年同大学卒業、同大学院入学。大学院在学中の1978年12月にフリクションに加入、ほぼ同時期にソロ・シングル「Do You Wanna Be My Dog.g.g!?」リリース、 フリクションとしてのライヴ活動が活発になり、1979年には大学院を中退、絵筆を置き音楽活動に専念、 フリクション〜ソロ〜E.D.P.Sと音楽表現の幅を広げていったが、1983年頃から再び絵画に取り組み始め、1984年末のE.D.P.S解散後、恒松は絵画制作を本格的に再開させる。

1986年には丸の内画廊にて初の個展を開催、 1991年には渋谷アートスペース美蕾樹(ミラージュ)において「TEXTー恒松正敏・1976〜1991」と題された個展を開催、 その個展を基に画家としての恒松正敏の作品を集めた最初の作品集だが、 所謂画集というよりモノクロの図版に恒松自身による解説(TEXT)がついた、個展のパンフレットといった趣き。 序文は滝本誠。

E.D.P.Sが1984年12月にリリースしたライヴ・アルバム『December 14th 1983 - May 27th 1984』 のジャケットに使用された1976年作のドローイング作品「舞踏1」のみカラー図版が3ページ目に貼り付けられている。その他の図版は全てモノクロでの掲載で、幾つか紹介すると、
舞踏シリーズ(スケッチブック3冊分くらいあるという)からの「舞踏2」(1976年)、E.D.P.Sの8インチ・シングル『Death Composition』のジャケットに使われた「オイディプス」(1977年)、
E.D.P.Sの1stアルバム『Blue Shpinx』のジャケットに使われた「変容ー牙」(1977年)、絵画制作から離れていた時期の1980年に例外的に描かれ、PASSからリリースした12インチの曲をイメージした「無題(風景)」、芸大大学院を中退したため1977年に中断され、絵画制作再開後、1984年に加筆完成した「水辺にて」、E.D.P.Sの2ndアルバム『Edges of Dream』のジャケットに使われ、絵を再開して最初の作品になる「夢の果て」(1984年)、耳が目になるというイメージの「誕生1」(1984年)と「誕生2」(1985年)、紙と鉛筆による「百物語ーデッサン3」と「百物語ーデッサン5」(いずれも1991年)、1988年から始まる「百物語」シリーズの原形となる「無題(百物語原形)」(1977年)、ギュスターヴ・モローからの影響が垣間見える「サロメ」2作品(いずれも1976年)、2005年にリリースされたE.D.P.Sのライヴ・アルバム『Last Live』の裏ジャケットに使われる「水辺-ガラス絵2」(1991年)などが掲載されている。

恒松への影響の手がかりとしては、このテキストの中でモローの他にデューラー、グリューネヴァルト、ヴォルスの他、大津絵について言及している。

画集・百物語 

発行:ワイズ出版 1995年11月20日発行

発行者:岡田博
作品撮影:広瀬忠司、内田芳孝(ノマディック工房)
ポートレート撮影:広瀬忠司
装幀・レイアウト:鵜沼義男
印刷・製本:(有)うぬまプリント

Comment:
恒松正敏が1988年の1作目〜1994年の100作目まで7年をかけて描き完結させた「百物語」と題したシリーズ全100作を掲載した画集で、 恒松としては初めて刊行された画集となる。

「百物語」…円形の画面に描かれた人物、牙を剝く不思議な動物や鳥、魚、 階段や岩で出来た建物、迷路、滝や湖、川、花などが組み合わされるというか溶解したようにひとつになっている奇妙で不思議なモチーフ。 虹が架かり、雲が流れ、蝶が舞い、透き通る玉が浮かんでいる。ユニークで幻想的、妖美で儚げ、そして畏怖を感じさせる、 直径22.7cmの板に描かれた百の物語。その始まりを「TALKING LOFT」で語っている。

“ 別になんか深い訳があって丸になったんじゃなくて、 まだ芸大の学生の頃に、道を歩いてて、ゴミ置き場みたいなところに丸い板切れが落ちてて、なんか一瞬それに惹かれて。 それまでキャンバスってだいたい四角なんで、丸い絵を描いたら面白いかなというのがきっかけですね。 それがわさび漬けの蓋だったという ”
作品集「TEXTー恒松正敏 1976〜1991」にはその時のわさび漬けの蓋に描いたものか分からないが、 直径16.5cmの板に油彩+テンペラの混合技法で1977年に描かれた「無題(百物語原形)」が掲載されていた。

1988年の第1作から1994年に完結までの間「百物語」シリーズだけではなく「水辺」シリーズなど他にも多くの絵画を制作しており、 恒松は自らの活動の重心を絵画制作へシフトしたといっていいだろう。とはいっても、この間1991年にはVisonsとの傑作アルバム『TSUNEMATSU MASATOSHI』をリリースしている。

個展も1989年から毎年開催されるようになり、恒松正敏の絵画は広く支持され高く評価されていった。1995年にはギャラリー椿で個展「『百物語』完結展」とアートスペース美蕾樹で個展「画集『百物語』出版記念展」が開催されている。

画集・水辺 

発行:ワイズ出版 1998年5月18日発行

発行者:岡田博
作品撮影:広瀬忠司、内田芳孝(ノマディック工房)、M.G.Mフォトサービス
ポートレート撮影:マリオ・アンブロスィウス
装丁:恒松正敏
印刷・製本:(株)飛来社

Comment:
「水辺」シリーズを含む1984年から1997年に制作された17の作品を掲載。
冒頭に掲載されている3作、
「水辺の歌」(1984年)
「幻の鳥」(1984年)
「王国」(1988年)
の他は、1989年から1997年にかけて発表された「水辺」と題された作品が掲載されている。

水辺…の題名の通り、湖、または川の描かれている作品が多い。 そして水辺に降りるのか、水辺から上がって来るのか、水際に階段が描かれた作品、 幽かに人の顔が塗り込められ、水辺に咲くという木槿が鮮やかに描かれた作品もある。

水面の上をいくのか、青い空をいくのか、蒼白い画面に羽ばたいて飛び去る白い鳥が描かれた3作品、
「水辺1」(1989年)
「水辺3」(1990年)
「水辺14」(1992年)
この中の「水辺1」は、恒松正敏がVisonsと1991年10月25日にリリースしたアルバム『TSUNEMATSU MASATOSHI』のリリース広告に使用されていた。 雑誌ミュージック・マガジンに掲載されたこの広告を見たとき、 “ まるで映画『ブレードランナー』のラストシーン、 ルドガー・ハウアー演じるロイ・バッティの死の瞬間に飛び立つ白い鳩のようだ ”と思って、雑誌から切り抜き額に入れて飾っていたものだ。

時は流れて2002年12月に鎌倉のギャラリー壹零參堂(いわさどう)で開催された「恒松正敏/吉岡正人・二人展」を訪れた時、 在廊されていた恒松画伯に私は「水辺1」に描かれた “ 白い鳥は映画ブレードランナーのラストに飛び立つ鳩をイメージされたのでしょうか ” などと不躾な質問をしてしまったのだが、 恒松画伯は快く、“ 影響は無意識に入っているね ”と答えてくださり、私が訪れた日、12月8日がジョン・レノンの命日だったことから、 “ビートルズの「Across The Universe」の鳥の羽ばたきもこの白い鳥なんだよ ” と教えてくださった。 私の最も好きな絵画のひとつでもあると同時に思い出深い作品である。この美しい絵画は後に2005年10月にリリースされたE.D.P.Sのライヴアルバム『Last Live』のジャケットに使用された。また『Last Live』の裏ジャケットには「水辺-ガラス絵2」(1991年)が使われている。

1998年にはギャラリー椿で「画集『水辺』出版記念新作展」が開かれている。

画集・メタモルフォシス 

発行:ワイズ出版 平成17年(2005年)5月1日第1刷発行

ブックデザイン:宇治晶
発行者:岡田博
印刷・製本:アベイズム株式会社
作品撮影:内田芳孝、広瀬久也、MGMフォトサービス
ポートレイト撮影:桜田健璽

Comment:
初期1976年から2004年に制作された54作品を掲載。 画集タイトルに「メタモルフォシス」とあるように「変容」と題された9作が掲載されているが「百物語」や「水辺」の作品、 「空から」シリーズも交え、さらに和紙に墨で描いた屏風絵、水彩、素描、 と多彩な作品で初期からこの時までの集大成的な画集となっており、 美しくオリエンタルでリリカル、ファンタスティックなSF的とも言える絵画世界を堪能できる。

1995年に刊行された「TEXTー恒松正敏 1976〜1991」には掲載されていたが、これまで画集としては未掲載だった、
「オイディプス」(1977年)
「変容ー牙」(1977年)
「夢の果て」(1984年)
「舞踏1」(1976年)
が掲載されている。いずれもE.D.P.Sがリリースしたレコードジャケットに使用された作品だ。

この他にも音楽関係で使用された絵画は、恒松がギタリストとして参加した町田康+THE GLORYがリリースしたアルバム『どうにかなる』(1995年)のCDジャケットに使われた「変容-瞑」(1992年)、 恒松正敏&VISIONSがリリースしたアルバム『1999-LUNATIC ANIMAL』(1999年)のジャケットに使われた「百物語(デッサン28)」(1995年)、 2005年にリリースされたE.D.P.Sのライヴ・アルバム『Last Live』の裏ジャケットに使われた「水辺-ガラス絵2」(1991年)、 恒松正敏グループがリリースしたアルバム『欲望のオブジェ』(2007年)の歌詞カードに使われる「習作(百物語)7」(1995年)のほか、 恒松は演奏に参加していないが、カルメン・マキ&サラマンドラの同名アルバム(2003年)のジャケットに使われた「空から-青蛉」(1987年) やUP-TIGHTのアルバム『Lucrezia』(2004年)のジャケットに使われた「ルクレツィア」(2003年)が掲載されている。

2005年にはギャラリー椿で「画集『メタモルフォシス』出版記念新作展」が開かれた。