ルクソール神殿は、カルナック神殿よりもナイル川沿いに沿って南西の方角にあります。ルクソール神殿正面には、ファラオの顔のスフィンクス・スタンドがあり、このスフィンクス・スタンドの参道は、3km離れたカルナック神殿にまで繋がっていたそうです。
この神殿も建設王ラムセス2世が、大きく増築しており、正面には、ラムセス2世の座像が並び、その王妃及び娘の立像もあったようです。巨大塔門には、ヒッタイト軍(シリア)とラムセス2世の戦いの場面も彫刻されています。
正面にそびえるオベリスクは、23mあるそうで、本来は右側にも立っていたそうで、台座だけ残っています。右側のオベリスクは、パリに持ち出されているようです。
カルナック神殿へと続くファラオのスフィンクス・スタンド
テーベ(ルクソール)は、カルナック大神殿が古くからあり、そこを中心に栄えていたそうです。そこから少し外れたここにハトシェプスト女王が、アメン神、ムート神、コンス神の小祠堂を造ったそうです。その100年後アメン・ヘテプ3世によって、カルナック神殿とを繋ぐアメン・ラー神の離宮としてルクソール神殿の建設が始まったそうです。その後ラムセス2世が大増築をし、エジプト文明後期には、至聖所をアレキサンダー大王が増改築しています。
至聖所は、コプト教により、一部礼拝堂に改築され、エジプトの彫刻画の上にキリスト教絵画が描かれています。近代までに、ルクソール神殿は砂漠の砂に半分埋まってしまったため、その上にアブラハジャージのモスクが立てられ、砂が取り払われた現在も現役で使用されています。
アメンへテプ3世の中庭にあるパピルスの開花型柱は、高さ16mあり、梁が残っているので天井が付いていたと思われているそうです。
ラムセス2世の座像が出迎える、ルクソール神殿の城壁まえ
オベリスクを支えるヒヒたち。
ハトシェプスト女王が造ったとされる3神の小祠堂
テーベでは、年に1回、ナイル川の増水期になるとオペト祭と呼ばれる、祭りがあったそうです。
オペト祭とは、ナイル川の氾濫により農地が肥沃し、次期の豊作を祈る祭りであったようです。
カルナック神殿では、毎年、このイベントが行われていたそうですが、アメン・ヘテプ3世によって、ルクソール神殿という離宮を造り、カルナック神殿から聖船にアメン・ラー神を乗せて離宮(ルクソール神殿)までオペト神(豊穣の神)を訪れる巨大イベントに仕立てたようで、そのためだけに、このルクソール神殿が造られたとも言われています。
そのオペト祭が、ルクソール神殿及び、カルナック神殿の壁画彫刻で見ることができます。
カルナック神殿のオペト祭の彫刻画。聖船を担いで練り歩く。
ルクソール神殿の上に造られた、アブラハジャージのモスク
ツタンカーメン王と王妃の像。
ヒエログリフの文字の中まで細かな装飾が施してある。
これは、次期王が改ざんできないようにする為のラムセス2世の知恵でもある。
神殿内に造られた教会の礼拝堂。
古代エジプト文明後、グレコ・ローマン時代にヒエログリフの上に上書きされた、皇帝崇拝のための皇帝を敬う兵士の絵画。その後コプト教の教会として使われた?
オペト祭では、牛が捧げられたそうだ。
どこか、風の谷のナウシカで見たような