「社会科学で考える種子と私たちの関わり〜種子が消えれば、あなたも消える〜」: 西川芳昭先生の講義を終えて

by

岡田ゆり(大学院総合国際学研究科 世界言語社会専攻 国際社会コース )

河合摩南(国際社会学部 東南アジア第二地域 ベトナム語専攻 )

本多千祥(国際社会学部 西南ヨーロッパ第二地域専攻 )

◆ はじめに

2017年12月21日、わたしたち大石ゼミ有志は龍谷大学経済学部教授の西川芳昭先生をお招きし、特別講義を行いました。そもそも種子とは何か、種子のシステムはどのようなものか、などの基本的なお話から、「食料主権」や「農民の権利」といった国際的に普及しつつある概念、さらに国内外の農業生物多様性を守る取り組みについての紹介、開発における種子の役割や求められる姿勢に至るまで、非常に幅広い内容をぎゅっと凝縮したとても貴重な90分間でした。

◆ 特別講義を開催した動機

そもそもこの講演会を開こうと思ったのは、「生きること」「食べること」の根幹である「種子」についてもっとよく知りたいと思ったことでした。「種子」と聞くとあたかも理系にしか関係のないテーマに聞こえますが、文系からも様々なアプローチの仕方があるテーマであり、理系と文系双方の視点から種子について研究されている西川先生にぜひお話を伺いたいとお願いをしました(写真1)。都会で生まれ育ち、消費者として生きてきた有志のメンバーでしたが、講演を通して様々なことを感じました。

写真1: 趣旨説明をする報告者ら。

◆ 講義の概要

(1) 農業の産業化によって狭められた選択肢

まず、はじめに印象的だったのは、私たちが「自分で食べるものを自分で決めている」というのは間違いだ、ということです(写真2)。私たち消費者はあくまでスーパーなどが提供するものからしか食べ物を選んでおらず、一方で生産者も「自分で作りたいものを自分で作る」ことはできていないのです。生産者から消費者に至るまでの過程で、流通する食べ物は数少ない会社によって決められており、私たちの食の選択肢は見えないところで大いに狭められているということになります。そうなった原因として、各国の政府や国際機関が「産業」としての農業を優先するあまり、地域にあった作り手の多様な思いや、それによって生まれる多面的な価値を軽視してしまっている点にあるのです。

(2)「農民の権利」と「食料主権」

ここでキーになるのが「農民の権利」や「食料主権」といった概念です。「農民の権利」とは、(国際植物遺伝資源条約の定義による「農民の特権」である)農民が自ら所有する種子を採取・保存・利用・交換する権利も含めた、農民(が自ら守ってきた遺伝資源から得られた利益の分配を受ける権利や、そのような仕組みを決める過程に参加する)権利のこと、「食料主権」とは国家・(地域)・国民・農民が何を食べるか・作るかを決める権利(どれだけを自給して、どれだけを他から入手するかを決める権利)のことです。こうした概念に関して、日本ではあまり意識されていないのですが、政策立案者だけではなく、農業従事者や消費者といった私たち自身が自覚的になることが必要なのです。

写真2: 消費者が何を食べるかがどう決まっているのかについて解説をする講演中の西川先生。

(3)種子の価値と役割

さてここでようやく種子のお話です。種子は食料生産には不可欠なものですが、土地や水と比べてその価値が見落とされがちだと言われています[1]。種子には、産業としての農業における価値だけではなく、市場では取引されない、環境保全や伝統、文化と結びついた価値を持っています。市場に流通しやすい品種ばかりを育てることで、こうした作物種子の多様性が失われてしまいます。

(注)[1] 『土壌、水、そして遺伝資源は農業と世界の食料安全保障の基盤を構成している。これらのうち、最も理解されず、かつ最も低く評価されているのが植物遺伝資源である。それは、またわれわれの配慮と保護に依存している資源でもある。そして、おそらく最も危機にさらされている。』 (食料・農業のための世界植物遺伝資源白書(1996: FAO) 

(4)フォーマルとローカルな種子のシステム

種子のシステムには大きく分けて二種類のものがあります。政府機関の管理のもとに供給される(主として改良品種の)認証種子に関わるフォーマルなシステムと、農家自身による自家採種や農家どうしの交換による(主に在来品種の)種子供給というローカルなシステムです。現在の問題点は、この二つのシステムが繋がっていないこと、すなわち、ローカルなシステムの中で維持されてきた種子がフォーマルなシステムに組み込まれ、育種され品質管理されたとしても、それが再びローカルなシステムに還元されないことです。

(5)日本における地域での取り組み

そんな中、日本でもローカルな在来品種保全の取り組みやこれらの品種を活用した地域振興が行われています。京都の高等学校がシードバンクの役割を果たしている事例では、日本で一つだけのトウガラシの種を育てていた高齢者が、亡くなる前に行政ではなくその高校に種を預けたという話から、普段野菜を作ることがほぼない私たちでも、種への愛着といった作り手の思いを感じることができました。また、レストランとして収益を上げながらNPOとして活動し、集落の営農を支えているプロジェクト「粟」(URL: https://www.kiyosumi.jp)の試みからは、種子を保存し食の多様性を守っていく活動の可能性を感じました。

写真3: 当日の会場風景。学生・教員だけでなく一般からも多数の参加があった。

◆ 講演を終えての感想

・日本の農業政策が大規模化や競争力を重視する方向にあり、EUや発展途上国など国際的な動向とは逆向きへと進んでいるという状況には、危機感を覚えました。政策や企業の経営戦略を考えると、この方向を変えることができないのではないかという諦めのような気持ちにもなりましたが、自分を含めた食べる側の消費者がもっと、何を食べているのかということや、普段食べているものがどうできているかという現状に意識を持つことが必要だと感じます。現在私は都市農業が、作物生産以外にどのような役割を果たしているのかについて興味があるので、特に消費者がそれに携わることによる変化などについても注目したいです。(本多)

・私はこれまで、有機農業や持続可能なライフスタイルについて関心を持ってきましたが、「種」そのものについて、特段注目したことはありませんでした。しかし、この特別講義を聴いて、種はすべての食べ物、生き物、活動の(文字通り)タネであり、種なしに物事は何も始まらないのだと感じました。今回特に印象的だったのは、フォーマルとインフォーマルを繋げる活動についての話です。講演会後の懇談会では、有機農家さんや農業に関する市民活動をされている方など、いらっしゃった様々な方ともお話をすることができました。(河合)

・最も印象的だったのはグローバルな遺伝資源である種子は「旅する」ものだ、ということでした。土地と切り離すことはできないものですが、原産地から様々な経緯で運ばれてきた種子が、人や他の種子との相互な関わりの中でそれぞれの地域に根付いていく、そんな旅する種子をイメージすることができ、「ローカル」vs「フォーマル」などといった単純な二項対立で捉えることができないということがよくわかりました。(岡田)

写真4: 外大前のイタリア料理店「かかし」での懇親会の様子。