87 焼清水霊水神碑 星山字柏森    百沢神社境内


元赤沢村大字遠山皮回田八界(やかえ)清水(焼清水という)の流水は従来遠山北田地内の水田約10町歩に灌漑する外一方の流れは星山、犬吠森地内の水田に灌漑する習慣のあるところであるが、星山犬吠森の住民は甚だしく用水に窮する場合の外はこの八界清水の流水を要しなかった。

大正3年(1914)、田植時に旱天が続き田に亀裂を見るに至った。よって星山方面の住民はこの清水の流水を引こうとして水路を修理したところ、遠山北田方面の住民はその流水を妨げるに至った。

ここにおいて水利の争闘を引き起こすに至った。北田遠山方面の住民は検事局に訴え出た。盛岡地方裁判所の他高木検事正は実地を検分して、こんな少量の泉水のところで犯罪となるのものか、と一笑に付して帰られた。もとよりこの流水は星山の坪ケ沢堤に流入し灌漑に供する慣行があり、北田地方といえども、この慣行を無視して左右することはできないのである。

大正3年(1914)、星山の作山久治郎氏の発起によって、星山犬吠森の関係者相図り百沢神社境内に水神碑を建て焼清水の霊を祭ったのであった。

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