彦部家は、飛鳥時代の第40
代天武天皇の長子「高市親王」が氏祖であり、第21
代光朝が彦部氏の初代。(『彦部家の歴史』)建武年中(1334
~1336
)に、斯波氏が紫波に来郡、高水寺城に居城。従ってきたその臣彦部氏は、彦部郷の機織館(彦部館)に定住。郷土史料に、彦部新左衛門尉秀光、彦部六郎、彦部喜内の名が見られる。『彦部家の歴史』によれば、彦部新左衛門尉秀光は中央において活躍している。
天正16
年(1588)8
月、南部信直の攻撃により、斯波氏は山王海から秋田方面に逃亡。その際彦部氏も従ったものと思われる。
群馬県桐生市に武家屋敷を構えている彦部氏は、本流であり、当地の彦部氏はいつの頃にか、この本流から分れてこの地を治めた一族なのであろう。
このお墓は、元は、彦部字後庵、屋号檀古の南側にあったが、昭和47年
(1972
)頃、区画整理の際にこの正養寺に移転した。以上は彦部氏顕彰会が平成22
年(2010
)8
月建立した碑面の記述である。
NO17彦部氏の墓.mp3