48 大峯神社  大巻字大峯


大穴牟遅命、少名彦命を祀った無格社であったが、大正3年(1924)26日、村社堤嶋神社に合併した。大巻古来記に「大むねと申して山伏の居住仕る由、大みねの薬師日本三たいの木造の薬師如来御立ちなられ候」とあるのは、同神社の祭神であろう。明治維新前は薬師堂と称したものを、明治4年(1871)大峯神社と改めた。

なお、佐藤洋一氏編著「大峯薬師堂大峰神社と薬師如来」に、当神社に薬師如来を安置した年代は、室町時代と伝えられます。大峯薬師堂の本尊は、正式には薬師瑠璃光如来と申し、「おやくしさん」とよばれ朝観音、夕薬師といわれて庶民に信仰されております。

薬師如来の特徴は、手に薬壷を持っていることです。薬壷の中には、体の病、心の病、社会の病をすべて治してしまう霊薬が入っており、それを釈迦の説かれた教えを象徴的に表しているものとされております。釈尊の衆生救済の働きを表したのが薬師如来であるともいわれているのです。

当大峯薬師堂大峯神社の場合は本堂に薬師如来をお厨子の中に秘仏として安置されておりますので普段はお目にかかれませんが、48日の例祭の際に御尊像の戸張を開いて公衆に礼拝していただいております。

ほかに一尊、別に弘法大師が安置されており、弘法大師御霊地、陸中88か所の76番札所となっており、稗貫地方からの巡礼を多く迎えております。

本堂に向って、右にある石が日光菩薩、左が月光菩薩といい伝えられております。この菩薩は薬師如来の徳が、昼夜を通じてあることを現わしております。右側の小さい宮が薬師十二神将、夜叉大将の一将、金毘羅大将を安置しております。

江戸時代、盛岡藩から悲願であった原野開田の承諾を得るために弁財天を祀ることになり村の統一した神社、堤嶋神社に御本尊を分神しております。

維新後の明治政府の宗教政策、慶応4年(1868)3月、神仏判然令など神道国教化をめざして行われた一連の政策により神仏習合を否定し、神道を仏教から独立させた「神仏分離」の際に神道を選択し、無格社、大峯神社と称し現在に至っております。

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