46 黒石権現  大巻字上山


黒石山は、赤沢との堺に聳立つ旧彦部村内最高の山(標高270m)である。この山は昔黒石権現と称し、地方民の信仰厚いお山であった。

旧記に黒石山の権現即ち頂上の大岩石の下に「いたこ岩」というのがあったが、享保21年(1736)65日、大風雨の際、御山21か所砕け落ちた、とある。この山砕け落ちてから繁昌しなくなったと伝えられている。山岳信仰の盛んな時代には、黒石山のふもとに48寺の寺があったと伝えるが、この寺というのは、黒石山の盛んな時の宿坊であったと思われる。即ち山の登り口に建てられた寺で、現在の高金寺や長徳寺、行岸寺も宿坊に端を発したもののようである。

この山は、修験宗(修験道とは役小角(えんのおづの・えんのしょうかく)の開かれたもので、山岳に起き臥して心を清浄に持ち仏性を験得する。よって山伏または山臥とも称した。明治30年(1897)頃までは318日は権現様の御祭りで、地方民は頂上に登って拝んだものであった。頂上部分は現在高金寺の所有となっている。この新山と称する地及びその付近の地形は正しく京都の修験宗の本山の所在地と同様の形態であるということを、北日詰大日堂岩動住職が実地を踏査の結果かく述べている。

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