平井橋とは、旧紫波橋の前身ともいうべき橋である。日詰町から彦部村に通ずる遠野街道(大迫街道)は開設されたけれども、県財政は、ここに橋を架設する方途を講じられず、放置されており甚だ不便を感じていた。後に渡し舟は行われたものの、小舟では人が渡るに過ぎず、車馬などは通行できなかった。
ここにおいて日詰町の豪商平井六右衛門氏(後貴族院議員)が、地方民の交通の便に資すべく、明治36
年(1903
)に、木橋を架設した。この橋は相当長いので、その架設の巨額を平井氏は私財を投じて架設したのであった。
この橋の渡り初めの式は頗る賑やかなもので神式によって行われた。3
代の夫婦の渡り初めは、大巻の花立の屋号作十郎家(橘家)であった。
この橋は、通橋料金大人1
人1
銭、小人5
厘、荷馬車4
銭、人力車3
銭を取ったが、渡り初め後三日間は無料で通行させたという。
明治39
年(1906
)に県庁に買い取りの請願をしたようである。この橋の架設によって地方民は甚大なる至便を感じたのであった。
明治43
年(1910
)3
月、5
月、9
月の大洪水によってこの橋は流失した。
平井橋流失後、県によって木造の紫波橋が架橋されたが、大正12
年(1923
)7
月の大洪水で、これも流失して渡し舟による通行となったという。
NO96.平井橋跡.mp3