本詩集を手に取ってまず目に入るのが帯の「視覚詩」という表現。これは詩で一般的に言われるところの視覚詩を指すわけではない。例えば音楽にはリズムという背骨がある。それと同様に目で受容する場合の詩に秩序を与えるものである。言わば目で追うリズム、詩を受容する際の安定感につながる。第一部「天籟」の二つ目の詩を見てみよう。
「人形」
光、きらめく。
風、ゆらめく。
私、またたく間に、
幕、合わさる。
どこから来てどこへ行く?
光、またたく。
風、ゆらめく。
私、きらめく間に、
今、踊る、全力で。
「人形」は漢字と平仮名、そして句読点により視覚的なリズムが構成されている。
第一部「天籟」は中国の諸子百家の道家的哲学とそれを踏まえたオカルティズムが基調となっている。一例が「時空旅行」である。
「時空旅行」
月の震動が、
私を疼かせるから、
貴方を探したの。
星の瞬きの間を縫い、
二人、
好奇の舵は原初に向けて。
月の震動が、
私を導いてゆくから、
貴方を見つけたの。
漆黒の風に帆を張り、
二人、
宇宙の中央を貫いてゆく。
第二部「夏の影」では光と影が主題となる。光と影の対話にあたるものが一つ目の詩「影」である。
「影」
彼は夏の真ん中に一人で座り込んでいる。皆が到来した太陽の季節にはしゃいでいるのに、いったい何を考えているのだろう。
「ねえ」
私は彼に近づいて話しかけた。
「どうしてそんなに落ち込んでいるの?」
「昼には夜のことを考えるように」
俺は彼女に答えた。
「夏になると冬のことを考えてしまうんだ」
すると、彼女は不思議そうな顔をした。が、その明るい顔が見る見るうちに笑顔に変わった。
「私たち、いい友達になれそうじゃない?」
私は言った。
「何故?」
彼は初めて私の方を見て問うた。
「おなじ匂いがするもの」
私は答えた。
「出かけましょうよ」
彼女は俺の手を取って、立ち上がらせた。
「一度きりのこの夏を旅しましょう」
そうして彼女は俺を光さす方へと導いて行った。どこかでかいだような匂いがした。
光と影の相剋は時に鋭い危険をはらむ。それをうたったのが「野望」である。
「野望」
あたしは残像になりたい。
時代の鮮やかな残像に。
あたしは残像になりたい。
時代の強烈な残像に。
白黒でいいから、
綺麗でかっこ良く。
悪役でいいから、
はっきり見栄を張って。
あたしは浮上する。
人々の無意識から浮上する。
あたしは救済する。
人々の無意識を救済する。
第三部「地底の舞台」ではこのくにの足跡が溯行される。中程にある「山桜」を見てみよう。
「山桜」
桜の精霊がいるとすれば、どのような姿であろうか。
そう、老いている。
桜は昔から在るが、昔から老いている。声も老女のごとく、しわがれている。
しかし、その姿は若い。
いつまでも妙齢のまま、どこか寂しげに人々に微笑みかける。
僧は目をつむってみた。桜の精霊は木の傍らに立ち、黒い衣を纏い、差し伸べた手に舞い降りる花片を見つめている。
僧は目を開いた。修行のさなかに山間の岩場に囲まれた原で見つけた山桜は、変わらずに無数の花片を上から下にゆっくりと降らせている。
僧はしばし、無言でそれを見、やがて歩み始め、その横を通り過ぎた。
桜の精霊が、木の傍らで、一礼したような気がした。
「山桜」は百人一首にも採られている大僧正行尊の和歌を下敷にしている。
溯行は続き、神話に近いところまで辿り着く。終わりから二つ目の作品が「月」である。
「月」
このくにの土は、月の音で鳴く。
女王は思った。
だから、
このくにの人々も、月の音で鳴くようになるだろう。
月は鏡のようなもの。
日毎夜毎に姿を変えるけれど、
裏側は決して変わることはない。
そして、鳴く。
女王は空を見やった。
第一詩集『風おどる』ではおもに東洋的な素材が扱われたが、第二詩集『氷点より深く』ではどちらかと言えば西洋的なテイストに重きが置かれている。
内容は詩集『氷点より深く』特設ページにて!(詩集『氷点より深く」特設ページは工事中、後日更新予定です)