バナナという作物

🍌 バナナの歴史

バナナの栽培化

バナナはそもそもマレー半島を中心とした東南アジアからニューギニア島にいたる湿潤地帯で栽培化されたと考えられています。今日でもこの一帯の森林部に野生種のMusa acuminata(ムサ・アクミナータ)が幾種類も分布しています。インドネシアだけで15の変種があると報告されています。一方、フィリピンやインド北東部には、別の野生種群、Musa balbisiana(ムサ・バルビシアーナ)が見られます。これらの分布が、インドから東南アジア、ニューギニアに至る地域をバナナの起源地と考える根拠となっています。


バナナの伝播

栽培化されたバナナは、紀元初期にポリネシア人によって太平洋の島嶼部へもたらされました。アフリカへのバナナの伝播経路については諸説ありますが、それは、紀元前1000年頃の東アフリカ地域へのプランテンの到来、アクミナータ系バナナの到来、それ以後のその他のバナナの到来、紀元1500年前後のポルトガル人による西アフリカ地域へのバナナの導入まで、何度も波のように起こったことであったと推定されます。

アメリカ大陸には、15世紀末のヨーロッパ人のアメリカ「発見」後、1516年に、西アフリカと同様にポルトガル人の手によって、中米カリブ海のカナリア諸島へ初めてバナナはもたらされたと報告されています。また、太平洋諸島で作られていたバナナも、アメリカにもたらされ、東回りのバナナと西回りのバナナが地球の反対側で出会うことになりました。

世界各地に拡がったバナナは、体細胞突然変異と農民による選択のために、見た目や味の異なるものが生まれ、名付けられていきました。そのように現地で名付けられたものを、このサイトでは「品種」と呼びます。移動中、あるいはその土地に根付いてからのバナナと人間の深い関係によって、世界各地には独自のバナナ栽培文化が生みだされていきました。本サイトでは、世界各地の、地域に根ざしたバナナ栽培文化をそれぞれ紹介していきます。


バナナの商品化とグローバリゼーション

今日のようなグローバルな商品作物としてバナナが扱われるようになったのは、19世紀後半になってからアメリカで始まったことです。漁船長をしていたアメリカ人ロレンツォ・ベーカーは、1870年にジャマイカの市場で見つけたバナナ160房(果房)を本国へ輸送し巨利を得ました。これを機に彼はバナナの取引に参画し、1885年に果実商プレストンらとともにボストン果実会社(Boston Fruit Company)を興し、その後1899年に中米の鉄道王オースが経営する熱帯貿易輸送会社を併合してユナイテッド・フルーツ社(the United Fruit Company)をつくりました。この会社は鉄道、蒸気船、バナナという3部門を複合的に扱うなかで、バナナ貿易や鉄道の会社を次々と買収していきました。そして1910年までに独占的なバナナ会社に成長し、中米に多大な影響力をもつ「バナナ帝国」となりました。

この当時に商品として取り扱われていたバナナは、ほぼすべてがグロ・ミシェル (AAA)で占められていました。しかしながら、この品種(群)はパナマ病という病害に感受性が高く、感染したプランテーションは次々と壊滅的な被害を受けました。60年代にかけてこの病害への抵抗性をもつことで広まったのが、現在も世界のバナナ市場で主流のキャベンディッシュ (AAA)群というわけです。キャベンディッシュはその代わりに、果皮がグロ・ミシェルよりも傷つきやすいため、それまで全房ごと船積みして運んでいたのが、箱詰めしてから出荷するという形へと、輸送時の変化をもたらしました。


バナナと日本の関わり

日本へのバナナの導入は比較的最近のようです。沖縄地方で1500年代に栽培がはじまっていたという報告がありますが、中村氏は「ひいしゃぐ」というマレー語の'pisang'(バナナ)に由来する語彙が初めて記述されている1770年頃が導入時期と推定しています。(琉球方言で今日バナナは「ばさない」と呼ばれますが、その語源は不明です。「バナナ」が転化したものでしょうか?)さらに中村氏は、「ひいしゃぐ」は現在沖縄や奄美で栽培される短尺の島バナナではなく、いわゆる島バナナは小笠原から1870年頃にもたらされた可能性を指摘しています(中村 1991)。小笠原にはハワイあたりから1830年以降に導入されたようです。

一方で、日本へのバナナの輸入は1903年(明治36年)に台湾(当時は日本領)からの輸入が始まりです。その後戦時中に台湾のバナナ生産はコメの生産を優先するために減少し、日本の八百屋からも姿を消しますが(輸入はわずかながら続いていた)、1950年(昭和25年)に日本・台湾間で通商協定が結ばれ、バナナはふたたび輸入されるようになります。ただし、平均月収が約1万円の当時、バナナは卸値で1キロ約1000円という超高級品になっていました。[それでもその翌年には戦争前のレベル(約2.5万トン)まで輸入量は回復しています。]その後、1961~62年(昭和36~37年)に輸入船の船員からコレラ菌が検出され、台湾バナナは一時的に輸入禁止となることもありました。しかし、日本の高度経済成長の流れのなか、翌1963年(昭和38年)に日本政府がバナナの輸入を自由化したことでバナナはブームとなります。このときに新興勢力としてバナナ市場に現れたのが、南米のエクアドルでした。ただ不運にも、エクアドルでは当時グロ・ミシェル (AAA)が輸出向けに生産されており、台湾バナナの甘みに慣れた日本人には、あまり受け入れられませんでした。結果、60年代後半までは台湾からの輸入量が急激に増加し、1967年(昭和42年)のピーク時には40万トン近くに達していました。

しかしながら、70年代前半には首位の座がふたたびエクアドルに渡りました。これは、エクアドルが60年代後半からキャベンディッシュ (AAA)を輸出するようになったこと、台湾と異なり冬でも安定的に出荷できること、そして逆に台湾は台風被害に遭ったことが主な理由です。ただし不幸にも、このようなエクアドルの飛躍はまたもや長く続きませんでした。これこそが鶴見氏が詳述した、多国籍企業の登場によるものです(鶴見 1982)。彼らの存在が、これ以降の日本のバナナ市場に決定的な流れをつくり出しました。

1963年に輸入が自由化されたのと前後して、日本のバナナ市場に目を付けていたユナイテッド・フルーツ社(上述、註1)、キャッスル&クック社(Castle&Cooke、註2)、デルモンテ社(Del Monte)の3社は、相次いでフィリピン、ミンダナオ島に進出しました。それらはそれぞれチキータ(Chiquita)、ドール(Dole)、デルモンテというブランドで知られます。台湾と違って台風の通り道でなく、エクアドルより地理的条件の有利なこの島で、彼らは大規模な土地を確保してバナナ・プランテーションを開設していきました。生産の主な担い手となった現地労働者は、不安定な身分と厳しい条件のもとで働かざるを得ませんでした。そののち住友商事(旧Banambo、現Gracioブランド)もフィリピンに進出し、60年代末にはこれらアメリカ系3企業と日系1企業の4社がそれぞれ独自の栽培体制を確立するに至りました。1968年(昭和43年)に初めて記録されたフィリピン産バナナの輸入量は、その後劇的に増大し、7年後の1975年(昭和50年)には80万トンにも迫る勢いでした。


*註1:ユナイテッド・フルーツ社(現チキータ・ブランズ・インターナショナル社)1970年にユナイテッド・ブランズ社(United Brands)、さらに1990年には現在のチキータ・ブランズ・インターナショナル社(Chiquita Brands International, Inc.)へと名称を変更。2002年に破産宣告後、再建。
*註2:キャッスル&クック社(現ドール・フード社)1851年にSamuel CastleとAmos Cookeにより、ハワイで創業。Hawaiian Pineapple社(James Doleが1901年に創始し、30年代から商品に'Dole'というブランド名を用いていた企業)を1961年に合併。1964年には、耐病性のキャベンディッシュを'Cabana'というブランドで展開していたStandard Fruit & Steamship社の筆頭株主となり、バナナ事業に参入。1965年に日本支社を設立、67年にミンダナオ島に日本輸出向けのバナナ・プランテーションを造成。1968年にStandard Fruit社を完全買収。1972年に'Cabana'から、知名度の高い'Dole'へとバナナのブランド名を変更。1991年にドール・フード社(Dole Food Company, INC.)に改称。

日本のバナナ輸入先は60年代まで台湾(1963年のみエクアドル)、70年代前半にはエクアドルがトップでしたが、それ以降は4大多国籍企業によりフィリピンが高いシェアを維持しています。近年の輸出向けの品種群の傾向に関して見ると、フィリピンやエクアドルではキャベンディッシュ系統がほとんどです。台湾では‘北蕉’(キャベンディッシュ群に近い?地方品種)やその変種‘仙人蕉’が主たるバナナですが、最近はやはりキャベンディッシュの系統が人気を集めているようです。近頃では各企業が品種改良や高地栽培等で付加価値を加えたプレミアム・バナナを積極的に商品化し、展開しています。

このような日本のバナナ市場の流れに対して、80年代後半から、多国籍企業を介さずにバナナを輸入する民衆交易が現れるようになりました。フィリピンやタイなどの生産者団体と日本のNGOや生協が提携し、おもに有機栽培により生産されたバナナを日本に輸入しています。