(,,゚Д゚)大体、友愛、冷戦地のようです(゚ー゚*)

1 : ◆xBGwFOoFSw [] :2024/04/28(日) 00:24:12 ID:s1JoDVnM0オレンジデー祭参加作品です。

2 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:27:40 ID:s1JoDVnM0
子どもの頃から、おとぎ話に憧れていた。
幼い頃、病院で友人から渡された、一冊の絵本。幼馴染の友人の前で読んだそれは、無垢な子どもを夢中にさせるには十分なほどに分かりやすく、明確で、それでいて魅力的なものだった。
どんな逆境も、どんな人も、どんな世界も。まるで近所を散歩するみたいな足取りで救っていくような主人公に、心の底から憧れた。本来なら成長すると共に冷める筈の、あまりに陳腐でありきたりな熱。けれど自分はどうやら例外だったようで、その望みは、大きくなっても変わることはなかった。

3 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:28:12 ID:s1JoDVnM0
あの絵本のヒーローみたいになりたかった。普通の人には出来ない力を持って、どんな困難も退けて、最後には泣いている女の子を助けられるような、そんな人間になりたかった。
だから懸命に努力した。その時目指せる最高点に常に手を伸ばし続け、他の人が休んでいる間も走り続けた。お陰でまぁ、我ながら、世間一般の平均からすれば中々な位置につけたのではないかと思う。
自分は大丈夫だ。目標としているゴールまで、このままいけば何の心配もない。順風満帆とはまさにこのこと。自分はこれからも必要な努力を怠らないし、邪魔をしてくる人間にも対処できるだけの力もある。そして何より、自分には頼りになる大切な友人がいる。だから大丈夫。自分はきっと、あの時夢見た理想に辿り着ける。
…そう、思っていた。そう信じて疑わなかった。その心意気で、この二十数年という歳月を過ごしてきた。

少なくとも、今、この瞬間までは。

4 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:30:25 ID:s1JoDVnM0
(;,゚Д゚)「……………へ?」
乾いた声が喉から漏れる。店に入ってすぐに頼んだコーヒーの湯気は、卓上で既にその姿を消していた。今は11月の終わり頃。既に冬の装いへと変わっていく外温と違い、店の中は暖房によって十二分に暖かい。それでも冷めてしまうほどの時間、自分は彼女と話しこんでいたということが分かる。決して重大な話ではない。大して取り留めのない、それでも自分にとっては何にも代えがたい貴重な時間だった。
その会話の相手の顔をじっと見返す。物心ついてからずっと隣に居てくれている、無二の親友。友人という贔屓目を差し引いても十分に美人といえる彼女の顔に、今はなんの色も乗っていない。四季の花々のようにコロコロと表情を変えるその顔が、どうしてか、何も描かれていないキャンバスみたいに見えた。
(* ― )「……じゃあ、そういうことだから」
(;,゚Д゚)「は…?ま、待てって!しぃ!!」
テーブルから離れようとする友人、”椎出しぃ”を慌てて声で制止する。周囲からの視線が一斉にこちらに注がれ、彼女を乗せている車椅子が小さな金属音をたてて止まった。

5 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:32:20 ID:s1JoDVnM0
(;,゚Д゚)「…今、なんて言った?冗談、だよな?」
自分でも声が震えているのが分かる。今、自分は面白いくらいに動揺している。それほどに、彼女が先ほど口にした言葉は、自分にとって信じ難いものだった。
(* ― )「……だから、何度も言わせないで」
小さな溜息が彼女の口からわざとらしく流れた。今までに見たことのない、氷のような冷たい表情。俺の目を真直ぐに見据えたしぃは、一切の淀みを声に現すことなくこう言った。
(*゚ー゚)「――私、来月にはもう、この町を出るから」
(*゚ー゚)「君と会うのは今日で最後って言ったのよ」
(*゚ー゚)「……じゃあね、ギコ君。支払いはもう、君がさっき電話してる時に済ませたから」
こちらが呆然としている間に、しぃは慣れた手付きで車椅子を動かしていく。いきなり浴びせられた言葉の冷水で、脳が凍ったように動かない。はっと自分が正常な意識を取り戻したのは、カランコロンという扉の開閉ベルが鳴った時であった。

6 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:33:19 ID:s1JoDVnM0
(;,゚Д゚)「はっ…!?し、しぃ!?ちょ…ちょっと待てって!」
慌てて荷物をまとめて彼女の後を追うように店を出る。扉を開けて左右に首を振ると、ちょうど数メートル先、車椅子を押しているタクシーの運転手らしき男性が見えた。
(;,゚Д゚)「しぃ!!待ってくれ!!しぃ!?おい!」
大声で彼女の名前を呼ぶも、音が届く前にタクシーの扉が閉じられる。どうやら、相当場慣れしている運転手さんだったらしい。自分が地面を勢いよく蹴ると同時にタクシーはしぃを乗せ、スムーズに加速して一気に見えなくなってしまった。
(;,゚Д゚)「………」
追いかける足を止め、急いでポケットから携帯を取り出してしぃに電話をかける。だが、何度コールを待っても、彼女が応答に出てくれることはなかった。

7 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:33:52 ID:s1JoDVnM0
(;,゚Д゚)「………意味分かんねぇよ、しぃ………」
苛立ちでもなく、焦りでもなく、ただただ”分からない”という感情が心を占める。ずっと傍にいた。誰よりも彼女と仲が良いと自負していたし、彼女もまた、自分を一番の友人だと思ってくれているに違いないと思っていた。
ヒーローになりたかった。その為の努力は惜しまなかった。嫌いだった数学も、覚える意味の分からない寄生虫の名前も、気が狂いそうな臨床実習を送る日々も耐えてきた。今の自分にとって難しい問題など、医学的なものを除いて存在しないと思っていた。

ただどうやら、それはとんだ欺瞞だったようだった。

8 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:36:19 ID:s1JoDVnM0

(,,;Д;)「――んなことってあるかよチクショーーーー!!!!!」
( ´∀`)「うるさっ」
( ・∀・)「うおー、珍しく荒れてますねー」
住んでいる下宿から徒歩十分のところに、慣れ親しんだ居酒屋があった。『銀杏』。まだ年若い、モララーさんという長身の青年が一人切り盛りしている店だ。
店自体はお世辞にも大きいとは言えないものの、炭火で丁寧に焼かれた焼き鳥の香ばしさと、日本酒の豊富さはこの長野でも随一である。気さくな青年店長の人がらも相まって居心地がよく、自分は大学三年の頃から懇意にしている。食事も酒もまさに一品。にもかかわらず、自分みたいな学生でも手が届く値段設定。こういう所を”隠れた名店”と呼ぶのだろう。
だが、今はそんな絶品に味蕾を緻密に働かせる余裕はない。同じ医学部6年の友人である”茂野モナー”を強引に誘い、酒を呑みながら愚痴を吐くこと二時間弱。それでも一向に現状を打破できるアイデアは出ていないどころか、現状の正しい把握すら出来ていないのであった。

9 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:38:11 ID:s1JoDVnM0
(,,;Д;)「この前あいつが出した絵本の感想、まだまだ言うつもりだったのに!!なんなら夜もちょっと高い夜ご飯の店予約してたのに!!」
(,,;Д;)「確かに会うの一ヶ月ぶりだったけど、別に俺なんも悪いことしてなかっただろう…俺が何したってんだよぉ……」
(,,;Д;)「分かんねぇよぉ助けてくれよモナえも~~ん!!!」
( ´∀`)「店長、せせりとぼんじり二本ずつ下さいモナ。塩とタレで」
( ・∀・)「あいよー」
(#,,;Д;)「聞けボケ!!!……ちくしょー!すいませーん!酒!お代わり!」
( ・∀・)「へいへーい」
新しく用意された冷えたグラスに、トクトクと透明な液体が注がれる。この長野を代表する酒の一つ。”信濃鶴”の初しぼりだ。
白ぶどうを思わせるほどに瑞々しく、フルーティーな爽やかさ。それでいて口先に残る細やかな米の旨味は、まさに自然豊かな長野を彷彿とさせる日本酒だ。「初しぼり」特有のその繊細な吟醸香はけっして重くなく、軽い口当たりでするっと喉の奥を潤していく。これほどまでに酒単体としての旨味を兼ね備えていながらも、メインたる食事を際立たせるおしとやかな面も有している。自分を日本酒好きに落とした原因、まさに至極の一品だ。
普段ならしみじみとゆっくり楽しむべき名品。だが、今の自分には酒を楽しむ余裕など微塵もなかった。

10 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:39:56 ID:s1JoDVnM0
ただ酔うためだけに注がれたせっかくの酒を一気に飲み干す。日本酒特有の爽やかな風味が喉の奥からせり上がってくるのが分かる。アルコールが胃に注がれる焼けるような感覚を篤と堪能し、ぷはぁと一息で飲み干した。
(,,;Д;)「くそぅ…俺の何が嫌になったんだ…?あれか?絵本の感想薄かったか…?くそっ、国試の勉強にかまけて今回は感想がたった5000文字程度になってしまった…サボればよかった…」
( ・∀・)「いい訳なくて草」
( ´∀`)「落ちればいいのにモナ」
(,,;Д;)「なんで今は聞いてんだよ…」
モララーさんが置いてくれた焼き鳥の一本を奪い取り、もしゃもしゃと咀嚼する。正常な思考能力を失った脳でも、一瞬正気に戻ってしまうほどに美味しいちょうど良い塩加減と弾力だ。

11 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:41:17 ID:s1JoDVnM0
( ´∀`)「そういえばしぃちゃん、また絵本出してたモナね。表紙が可愛かったモナ、なんかいつもより暗い感じがしたけど」
(*,,゚Д゚)「おっ!そうなんだよそうなんだよ!超良かっただろ!?特に今回は童話チックなんだけどさ、花をモデルにしたってのがまた良くてさ~!」
(*,,゚Д゚)「ただ今回はいつもと違ってダークな終わり方と作風だったんだけど、どう思った!?ああいうのも描けるんだって痺れたよな!いやもちろん、いつものハッピーエンドも好きなんだけど”椎出しぃ”という一人の作家の新たな側面が見えたっていうか、今後の期待が更に膨らんだっていうか…!!」
( ´∀`)「いや内容まだ読んでない」
(#,,゚Д゚)「ぶっ飛ばすぞ」
腹いせにまたモナーから串を奪い取り、口に放り込む。酒にはタレの焼き鳥など邪道だと宣う輩がいるが、自分はそうは思わない。食事というのは生命活動以前に、己のためにやるものだ。コーヒーにミルクを入れるように、自分が最大限楽しめるようにやるべきである。無論、最低限のマナーやTPOは守ることが大前提だが。

12 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:42:02 ID:s1JoDVnM0
( ・∀・)「俺は読んだよ。いやー、読む前と読んだ後で表紙のイラストを見る目がガラリと変わるのが良いよね。なんというか、ただの子供向けの絵本じゃないっていうか…」
(*,,゚Д゚)「そう!!!そうなんですよ!!!そこ!!!!!分かってる!!!!!」
( ´∀`)「うわうるさっ」
( ・∀・)「やべー言わなきゃよかった」
しぃの仕事の一つは絵本作家だ。自分と違い普通の大学の文学部に進学した彼女は、生来心臓に抱える病に負けることなく無事に四年で卒業。その後は在学中にずっと磨いていた創作能力と絵のスキルを活かし、とある会社で事務の仕事をしながらフリーの絵本作家という二足の草鞋を履いている。絵本作家としては中々順調のようで、つい先日もまた新しい作品を出せたばかりであった。
そして、俺は彼女の一番の親友であると共に、彼女の一番のファンでもあった。何を隠そう、彼女が最初に描いた絵本を読んだのは出版社のお偉いさんでも、彼女の肉親でもない。他ならぬ、この自分なのである。

13 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:43:19 ID:s1JoDVnM0
幼少の頃、体が今よりも弱くて入院中だったしぃのもとへ見舞いにいった時。彼女は少し恥ずかしそうにしながら、一冊のスケッチブックを差し出してきた。あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
とあるヒーローが、一人の病弱な少女の命を救う話だった。話の内容も、絵も、その全てを完璧に思い出せる。どんな困難にも負けず、少女から拒絶されても決してめげない主人公の姿。薄桃色の桜が舞う中、報われた少女の幸福そうな笑顔。
彼女が初めて自分で描いた絵本。彼女が初めて自分で描いた話。あれを読んだ時から、俺はずっと”椎出しぃ”という作家のファンなのだ。
医学部の大学に進んだことをきっかけに、高校までずっと同じだった俺たちの進路は分かれてしまったが、しぃとの交流はずっと続いていた。どれだけ勉強が忙しくとも、彼女が絵本を出せばすぐ書店にすっ飛んでいったし、感想を欠かしたことはないし、彼女が決して筆を折ることのないよう出来るだけのサポートもした。彼女が描く話を、友人贔屓で応援したことは一度もない。自分は純粋に、彼女のセンスと繊細で暖かなイラストが紡ぐ絵本が好きだった。
椎出しぃの創作活動の邪魔になるのだけは嫌だった。だからこそ、俺は彼女との距離感を大切にしていたし、友人としての立場を利用して作品の内容に対して烏滸がましい要求をすることもしないよう気を付けてきた。理想的な友人関係を築いてきた、筈、なのに。

14 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:44:38 ID:s1JoDVnM0
(,,;Д;)「なのに…なんでだぁ…どうしてなんだしぃ……」
(,,;Д;)「あいつはさぁ、昔は寂しがりでさぁ、『ギコ君はずっと友達でいてね』って泣きながら言うからさぁ……」
(,,;Д;)「ずっと隣にいようと思ってたのに…何がダメだったのかなぁ、一回だけ我慢できなくてサイン書いてもらったけどそれがやっぱアウトだったのかなぁ……」
( ´∀`)「見て見て。この前やっと免許取ったんだモナ。ほら」
( ・∀・)「おっ!マニュアルじゃーん!辛かったっしょー?」
( ´∀`)「オートマにしとけば良かったと何度も後悔したモナ。マニュアルはクソ」
(#,,;Д;)「おい聞けよ友達が泣いてんだぞ!!!」
まるで話を聞いてくれない薄情者どもに業を煮やし再びグラスを呷るも、中からは液体が数滴零れるのみ。そうだった。さっき勢いで全部一気に飲み干してしまったのだった。

15 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:45:32 ID:s1JoDVnM0
(,,-Д-)「モララーさぁん、おかわり…」
( ・∀・)「いや流石に呑みすぎっすよ。ドクターストップならぬマスターストップっす」
(,,-Д-)「うるへぇ俺は未来の医者だぞ…」
( ・∀・)「未来のお医者様をアル中にする訳にはいかないんでね。ほら、お水飲みなさい」
新たに出されたグラスに注がれたのは、キンキンに冷えたミネラルウォーターだ。酒でないことに不満を抱きつつも、せっかくの気遣いを無碍にする訳にはいかずに飲む。外の空気みたいに冷えた液体が喉を通ると、酒と焦燥で茹った脳も幾分かはマシになった気がした。
( ´∀`)「…そういえば、しぃちゃんに”アレ”は言ったモナ?」
(,,゚Д゚)「………”アレ”?」
( ´∀`)「ファイナル大の研修コース、受かったのに蹴ったって話」
( ・∀・)「…へぇ?」

16 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:46:34 ID:s1JoDVnM0
モナーのいきなりの告発に、俺は水を飲む手をピタリと止めた。ファイナル大。この国最高峰の東京にある国立大学であり、そこに附属している記念病院は医者を志す人間なら一度は夢見る、まさに最難関の大学病院。
基本的に医学部生は国家試験をパスした後、そのほとんどが何処かの大学病院で研修を積む。その中でも一番だと言われる所の研修医採用試験を受けたのは、まだ蝉の声が耳にうるさい夏頃の話であった。
(,,゚Д゚)「……いや、言ってないし、言うつもりもない。つか、誰から聞いたんだよ。お前にも話してなかっただろ」
( ´∀`)「うわー薄情」
( ・∀・)「えっ、てかマジで蹴ったの?ファイナル大を?この国トップの大学を?嘘でしょ?」
( ´∀`)「そうだモナ。折角のプラチナチケットを…全国の医学部生に背中を刺されても文句は言えないモナ。明日にでも車に轢かれた方がいいモナ」
(,,゚Д゚)「言いすぎだろ。…つか、マジで誰から聞いた?」
( ´∀`)「プライバシーの侵害はやめて欲しいモナ」
(,,゚Д゚)「今まさに俺のプライバシーが侵害されていることが発覚したんだが」
何とか話を変えられないかと水を飲みつつ考えるも、アルコールにやられたばかりの脳が上手い答えを出力してくれる訳もない。モナーはモナーで、俺の追及に返事をする素振りを一切見せないまま呑気に酒を呑んでいた。

17 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:47:53 ID:s1JoDVnM0
( ・∀・)「…でもさー、本当になんで?俺、別に医学部とか全然詳しくないけど、ファイナル大ならめちゃくちゃいい勉強出来るんじゃないの?もったいなくない?」
( ・∀・)「それにさ、ギコ君が医者を目指してるのだって、しぃちゃんの……」
(,, Д )「俺の目標は」
グラスを握る手に力が籠り、無意識に声が大きくなったのが分かる。だが、誰に何と言われようとも、俺は自分の選択を変えるつもりはなかった。
(,,゚Д゚)「…俺が目指してるのは、心臓外科医です。偉いお医者さんでも、金持ちでもない」
(,,゚Д゚)「東京は人が多い。…それはそれだけ余計なしがらみがあるってことだ。俺は別に出世にも名声にも興味ない。俺はただ、自分の学びたい技術や知識だけに集中したい」
(,, Д )「…幸い、うちの大学病院は心臓移植が認められた数少ない施設の一つだ。なら、わざわざここを離れる必要はないでしょう。…引越しとか、めんどいし」
我ながら随分と流暢な異議申し立てだと思った。まるで、予め用意されていた台本をそのまま読んだかのような。
嘘は何一つ言っていない。どれもこれも、紛れもない自分の本心である。故郷であるこの地を離れず、自分の学びたいことが学べる。それなのに、どうしてわざわざ遠方に足を出さなくてはいけないのか。そんなことをしても増えるのは余計なリスクと出費と、プラスアルファな知識だけだ。後者に興味が無いといえば嘘になるが、両方を天秤にかけた時、自分の場合は明らかに前者が多すぎる。
そもそも、ファイナル大の研修医試験を受けたのだって記念受験の側面が大きい。自分のような意欲のない人間が行くより、一人でもそこに行きたい人間が行けるようになる方が大事だろう。

18 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:48:51 ID:s1JoDVnM0
( ´∀`)「……ま、本当にそれで良いと思ってるならいいけど」
(,,゚Д゚)「思ってるよ。はい、この話は終わりだ。今はしぃの話を…」
( ´∀`)「ギコじゃないモナ」
間髪入れずに差し込まれた友人の言葉に首を捻る。隣を見ると、モナーは相変わらずの柔和な顔のまま、それでいてどこか真剣味を感じる表情で口を動かした。

( ´∀`)「”しぃちゃんがそれを良いと思うか”って話だモナ」

(,,゚Д゚)「………?」
まるで意味が分からない言葉に、俺は「どういう意味か」と問いかける。だが、モナーは俺の質問には答えず「ねぎま二本」とマスターに話しかける。昔から雲のように掴みどころがない奴だが、今の言葉は本当にその意図が掴めない。
テーブルに視線を下げる。すっかり熱を失ったぼんじりに気付き、思いっきり口を開けて頬張る。

いつもは飛び上がりたくなるほどに上手い筈の肉汁が、何故だか今日は重たくて仕方がなかった。

19 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:50:46 ID:s1JoDVnM0
*
“椎出しぃ”は、幼い頃からずっと身体が弱かった。先天的な心臓の病を患っており、生まれつき、激しい運動は出来ない身体だった。
何の因果か不幸というのは重なるものであり、彼女が小学生の頃、横断歩道に突っ込んできた車と衝突。なんとか一命をとりとめたものの、共に歩いていた彼女の両親は他界し、彼女自身も両脚の足首を開放骨折するという重症を負い、まともに歩けない身体になってしまった。
しぃは齢10歳になる前に、常人が一生かけて背負うような不運を、その小さな体一つで背負うことになったのである。

20 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:51:22 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「………さむ」
十二月になると、信州という土地は一気に白へと変わり始める。自然に囲まれた土地であるからそもそも空気が美味しいのだが、冷え切った大気は更に澄み、遠くに見える山々はよりその白き輝きを増していく。街角に積もった雪や、凍り付いたアスファルトの路面が月光を受けて淡く輝いているその様は、まさに神々しいと称するに相応しい景色であった。
はぁっと息を吐いてみれば、面白いくらいに白く濁った煙が空中で霧散した。生まれも育ちもこの土地だ。既に骨の髄まで慣れ切った寒さではあるが、やはり寒いものは寒い。
退屈しのぎに携帯を取り出し、震える手でメールの受信箱を開く。先月の末、突然「もう会わない」などと言った友人からの連絡は未だ一通もない。
打てる手は全て打ったつもりだ。二月に行われる医師国家試験に向けての勉強の合間を縫って、出来うることは殆ど試した。だが、どうやってもしぃには会えず仕舞いだった。電話は出ない。メールも返信がない。マンションにいつ行っても居らず、彼女の唯一の肉親である祖父に聞いても分からず、更には定期的に通っている筈の病院にも顔を出していないらしい。
流石に彼女の職場に押しかける訳にもいかない。だからと言って、このままの状態で納得できる訳もない。そんな自分が、最後に採りえた手段がコレだった。

21 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:52:43 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「……よ、しぃ。久しぶり」
(;゚―゚)「………なんで…」
(,,゚Д゚)「流石に、朝も昼も夜もいないのは変だと思ったんだ。居留守って訳でもなさそうだったし」
立ち上がり、車椅子に乗ったままのしぃに近付く。しぃのマンションに行く時、何度か時間をわざとばらけさせてみたことがあった。だが、いつ行ってもしぃに会えることはなかった。そもそも、中の部屋に人がいる気配すらないのはあまりにも不自然だ。
だから、あえて深夜にマンションの前で待つことにした。日中は忙しい筈の自分が深夜には流石に動けない。そう考え、生活リズムを変え、深夜にだけマンションに戻る。そうすれば俺に会わずとも生活は出来る。
そもそも、彼女の本業はフリーの絵本作家だ。事務の仕事の方も会社に許可さえ取れば在宅で可能に出来る。しぃにとって生活リズムの時間を変えることは自分と違ってある程度容易だったのだろう。こうして夜遅くに帰ってきたしぃの姿を見るに、自分の推理はどうやら当たっていたらしい。

22 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 00:55:01 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「とりあえず、中入れてくれよ。二時間ぐらい待ってて凍えそうなんだ」
わざとらしく震える手を見せつける。だが、しぃは俺から自然に目を逸らした後、滑るように俺の横を通り過ぎようとした。
(* ― )「…疲れてるから」
そう言って車椅子を走らせる彼女の肩を慌てて掴む。痛くはならないように。それでいて、彼女がすぐには動けないように。
(* ― )「……離してよ」
(,,゚Д゚)「久々に会った友達と、世間話も出来ないくらい疲れてるのか?」
(* ― )「…えぇ、そう。君に構ってる時間ないの。さっさと帰って――」
(,,゚Д゚)「そう言うなよ。ほら、お前が好きなチーズタルトも買ってきたんだ。子どもの頃からよく食べてたろ?病院で、先生たちの目ぇ盗んでさ」
(# ― )「……っ、いい加減にしてよ!帰ってって言ってるじゃない!」
(#,, Д )「いい加減にして欲しいのは俺もだ!」
深夜のマンション前に、大声が二つ響き渡った。反響する声が鼓膜を震わせ、はっとなってしぃの肩から手を離す。
大声を出すつもりはなかった。けれど、思わず反射的に怒鳴ってしまった。しぃの丸い目が更に丸くなり、驚いたようにこちらを見ている。俺は取り繕ったように咳払いをして、言おうと考えてきた言葉を頭の中で整理した。

23 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:00:32 ID:s1JoDVnM0
(,, Д )「…なぁ、俺、なんかしたか?お前に嫌われるようなこと」
(,, Д )「したんなら謝る。正直、皆目見当つかねーけど…もし、お前の嫌がるようなことをしてたんなら、言って欲しい。二度としないよう気を付ける」
(,, Д )「けど、さ…本当に分かんないんだよ。いきなり、『二度と会わない』なんて言われて、何にも連絡取れなくされて」
(* ― )「………」
しぃは黙ったまま、俺の話を聞いていた。街灯の明かりだけではよくその表情は伺えないが、唇を噛みしめながら下を向いているように見える。
(,, Д )「…頼む、ちゃんと話してくれ。俺が何かしたんなら、謝る。嫌なトコあるなら、直すから」
(,, Д )「……俺、お前とはさ」

(,,゚Д゚)「ずっと、友達でいたいって、思って―――」

(* ― )「………なのよ」
(,,゚Д゚)「…え?」
しぃの唇が微かに動いたのが見えた。だが、その内容までは聞き取れなかった。一体何を言ったのか、次こそちゃんと聞き取ろうと聴覚に神経を集中させた。

それが、良くなかった。

24 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:03:22 ID:s1JoDVnM0

(# Д )「――そういうトコが、嫌なのよ!!」

さっきの俺の大声など、比較にもならない怒号が響いた。
耳に集中していたのが仇となり、ナイフを突っ込まれたような痛みが鼓膜を震わせる。顔を顰めながらしぃを見る。彼女は肩を震わせながら、今にも泣きそうな表情でこちらを睨みつけていた。
(# ― )「なにが…なにが、友達よ!いつまで子ども染みたこと…!馬鹿じゃないの!?もううんざり!!」
(# ― )「嫌なトコ…!?言ってやるわ!そこよ!君のそういう、恩着せがましいところが、ずっと、ずっと嫌だった!」
(# ― )「……立てない私のこと見下ろして、走れない私の前で堂々と走って、色んな人に囲まれて」
(# ― )「あなたのやること全部、全部、全部!当てつけに見えて仕方なかった!!」
(;,,゚Д゚)「……………」
何を言われているのか、全く分からなかった。脳が理解を拒んでいる。鼓膜が受け取った情報を処理しまいと懸命にこらえるも、慣れ親しんだ母国の言語は、嫌でもその内容を変換していく。
ずっと、隣にいてくれた幼馴染が。どんなに辛い時でも、応援してくれていた親友が。一度も見たことのない顔で、ずっと聞いていた声で。
俺を、否定する呪いを吐いている。

25 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:04:55 ID:s1JoDVnM0
(;,,゚Д゚)「なんっ…そんな、えっ……?」
(;,,゚Д゚)「だ、だって、なんで、お前…そ、そんなこと、今まで、一度も」
(# ― )「……言わなかっただけよ。言ったら、自分がもっと惨めになるだけだから」
ひどく冷え切った風が頬を撫でるも、籠った熱はまるで失せてはくれない。強風がしぃの車椅子を揺らし、ひどく無愛想な金属音がアスファルトを転がった。
(* ― )「君は、何でもできた。運動も、勉強も、どんな難しい試験も合格してた。…まるで、絵本の中のヒーローみたいに」
(* ― )「…私は違う。私は、何をするにも一人じゃできない」
(* ― )「好きな花を手に取るのにも、一人じゃ届かない。ただ階段を上がるのにも、ちょっと買い物するだけでも、誰かの力か、この車椅子がないと、なんにも」
(* ― )「……でも、君は違った。普通なことも、普通の人じゃ出来ないことも、なんだって出来た。それを見る度に、私は、自分が如何に役立たずなのかって思い知らされた」
俺はただ黙って、しぃの話を聞いていた。いや、ただ黙っていたのではない。これは、意識的な沈黙でも、彼女の話を聞こうとしたのでもない。ただ、全く、本当に、何を言っていいのか分からなかった。物心ついた時から傍にいた友人にかける言葉が、何一つ浮かんでこなかった。

26 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:06:41 ID:s1JoDVnM0
それは、だって、そうなりたかったから。難しいことだって出来るようになりたかったから。しぃが、君が憧れてくれるような人になりたかったから。だから、俺は、ずっと必死に、今日まで、ずっと。
あの時読んだ、絵本の主人公みたいに、ずっと――。
(;,,゚Д゚)「……お前が、言ったんじゃないか」
(* ― )「………」
(;,,゚Д゚)「昔、お前が俺に、『ずっと友達でいてくれ』って、お前が言ったんだろ!それを…!!」
(* ― )「覚えてない」
上空から垂らされた蜘蛛の糸が、プツンと目の前で切られたみたいな。例えるなら、そんな絶望感だろうか。
(* ― )「…仮に昔の私がそう言ったとして、だから、何?」
(* ― )「そんな子どもの頃の詰まらない口約束、今更持ち出さないでよ」
お前が、それを言うのか。喉が震える。胃の奥から何か、どす黒い何かが沸き上がってくる。なんで、よりによって、お前が、そんな、非道いことを、俺に対して口にするのか。
俺が何のために頑張っているのか、誰よりも分かっているくせに。どれだけ周囲に指を差されても、お前だけは、ずっと横に居てくれたのに。俺が何に憧れたのか、その火をつけた、張本人のくせに。

27 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:09:49 ID:s1JoDVnM0
(;,,゚Д゚)「………何だよ、それ」
(;,,゚Д゚)「今更…いまさら、何でそんな……」
(* ― )「――ファイナル大の研修、蹴ったんでしょ」
(;,,゚Д゚)「……っ!」
氷で出来たハンマーで頭を殴られたような、そんな衝撃が響いた。
(*゚―゚)「……同情のつもりだった?」
ずっと伏せられていた目とようやく視線が合う。なにもかもを諦めた、深い夜の黒を纏った、哀しい目。
(*゚―゚)「”私の傍にいてあげなきゃ”って?”子どもの頃の約束があるから”って?」
(*゚―゚)「……何それ、何様?神様にでもなったつもり?」
(* ― )「君は何処にでも行けるのに……普通の人じゃ行けないようなトコにだって行けるのに。近所のスーパーすら自分の力じゃまともに行けない私に、配慮でもしたの?」
(* ― )「私が喜ぶと思った?君の選択を見た私が、どんな気持ちになるかって考えもしなかった?」
(;,,゚Д゚)「…ち、違う、それは本当に…!」
否定の声を張り上げる。本当に違うんだと。それは誤解なのだと。言わないと。伝えないと。君を軽んじるつもりなどこれっぽっちもないのだと。
声を張り上げようと口を開く。乾いた喉が裂けそうなほどに力を込める。だが、それよりもずっと早く。

28 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:11:14 ID:s1JoDVnM0


(* ― )「――健常者には、分かりっこないよ」


あまりに重い言葉が、鉛のように転がった。

29 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:11:57 ID:s1JoDVnM0
ずっと動かずにいた車椅子が、「もう語ることはない」とでも言うように静かにその車輪を揺らした。無機質な鉄の音を響かせながら、しぃはマンションの中へと入ろうとしていく。彼女の背中がどんどんと小さくなっていく。どんどんと遠くなっていく。
まだ間に合う。視界からの情報を整理した脳が「引き留めろ」と大声で叫んでいる。届く訳もない手を伸ばす。これじゃあ足りない。分かっている。言わなきゃいけないのに。違うと。同情なんかではないと。もしかしたら、これが最後になるかもしれないのに。
(;,,゚Д゚)「あ………」
「しぃ」と形どる筈だった言葉はただの息となり、白く濁って宙へと消える。いつの間にか、しぃはもう俺の前からいなくなっていた。

30 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:12:28 ID:s1JoDVnM0
どうしてこうなったのだろう。俺は一体、どこで間違えたのだろう。
しぃのためになりたかった。あの絵本のように、彼女を救える医者になりたかった。彼女がずっと苦しんでいるのは、その病のせいに違いないと、決めつけて生きてきた。
だが、そうではなかった。しぃを苦しめていたのは、病でも、孤独でも、障がい者に厳しいこの世界でもなかった。
呆然としたまま視線を下げる。足元にあった雪が僅かに溶け、小さな水溜まりが出来ている。

水面には、立派な被害者面をした、立派な加害者が映っていた。

31 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:14:11 ID:s1JoDVnM0
*
子どもの頃から、おとぎ話に憧れていた。
幼い頃、病院で読んだ一冊の絵本。寂しさを紛らわすために担当の先生が持ってきてくれたそれは、無垢な子どもを夢中にさせるには十分なほどに分かりやすく、明確で、それでいて魅力的なものだった。
けれど、夢中になって同じ話を何度も読んでいたある日のこと、私はふと気付いてしまった。“このヒロインは、ただ待ってただけじゃないか“と。
別に、何もしていないとは言わない。物語の中の可哀そうな少女は、血の繋がりのない家族たちにいじめられ、ただ耐え忍ぶだけの生活を送っていた。そりゃあ、多少の幸福ぐらいは叶ったって当然だろう。
なのに、彼女はただ偶然魔女の魔法をかけてもらえたから。ただ偶然ガラスの靴を忘れていったから。ただ偶然、生まれながらに容姿が良くて、王子様に見初められたから。
たったそれだけで、ただ魔法を、王子様を待っていただけで、彼女は誰もが羨むくらいの最高のハッピーエンドを手に入れた。

32 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:16:35 ID:s1JoDVnM0
(* ー )(………ずるい)
そう幼いながらに思ったのは、病で心まで蝕まれていたからだろうか。はたまた、私の性格が生来から悪かったからなのだろうか。とにかく私は、ある日を境にずっと気に入っていた一冊の絵本が大嫌いになったのだ。
だから、私は自分で描いた。病院の先生に頼み込み、大きなスケッチブックと沢山の色鉛筆を貰い、私が納得できるおとぎ話を私の手で生み出そうと決めた。幸い、時間と暇と意欲は腐るほどあった。ただ只管に手を動かした。その結果出来上がったのは、今見返せばとても読めたものではない、ひどくありふれた話だった。
それでも、彼は笑ってくれた。
幼稚園児の頃からずっと、隣にいてくれた幼馴染で、一番の友人だった男の子。おずおずと見せた初めての絵本を、彼は一切笑わないどころか、目を大きく輝かせながら「面白かった」と言ってくれた。
本当に、大した話ではなかった。とあるヒーローが、病気の女の子を奇跡で治して、黄色い花の雨が降る中で笑い合うだけの陳腐な話。けれど彼はその一切合切を貶すことなく、話の内容も、拙いイラストも、その全てを肯定してくれた。
ヒーローのモデルは誰なのか、大人になっても私は結局、一度も言えずじまいだった。

33 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:18:15 ID:s1JoDVnM0
(* ー )「……初七日なんて、普通は知らないわよ」
(;,,゚Д゚)「………ごめん、アポも取らず」
黒の礼服を身に纏ったギコ君は、ひどく居心地の悪そうな、気まずそうな顔をしていた。
唯一の肉親である祖父が亡くなったのは、およそ一週間前のことだ。
元々親族は少なかった。通夜は亡くなった日の夜に粛々と行われ、わずかな弔問客を迎えて何事もなく終わらせた。訃報は必要最低限。無論、訃報を出した人の中にギコ君は含まれていない。

34 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:20:23 ID:s1JoDVnM0
(* ー )「……線香、上げたら帰って。私、まだやることあるから」
(,,゚Д゚)「しぃは、これからどうするんだ」
下半身を引きずって部屋を出ようとする私に、背後から遠慮がちな声がかけられた。
(,,゚Д゚)「…この家、お前の爺ちゃん名義のだったんだろ。でもお前が今住んでるのはあのマンションで、それに、もう身寄りも……」
(* ー )「それ、ギコ君に関係ある?」
「家族でもない君に」と言い加えると、ギコ君は申し訳なさそうに口を閉じた。実際、彼には関係のない話だ。それにもう、諸々の問題は解決してある。
まず、この家は取り壊される。残していたって私のこの脚と体では満足に住めないし、ただ無駄に税金がかかるだけだ。まだ具体的な工事の日程は決まっていないが、それも来月中には決まるだろう。ただ、土地だけは残した。将来的には誰かに土地だけを貸したりして使えばいい。祖父が遺した遺言通り、弁護士の人と相談して運用するつもりだ。
家を取り壊したところで特段問題もない。もうこの家に私物もないし、希少価値がある物は大体祖父が金銭に変えてある。思い出も、記憶も、これからの私には必要ない。そんなもの、遺していたところで何の意味も価値もないのだから。

35 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:22:31 ID:s1JoDVnM0
(,, Д )「……友達のこと心配しちゃ、ダメかよ」
少しの震えが混じった言葉が聞こえた。視線をやると、仏壇に手を合わせたままのギコ君が正座をしているのが見える。
(*゚ー゚)「…しつこいな。まだ言ってるの」
(*゚ー゚)「心配してくれてありがとう。でも生憎、何も問題ないわ。お金も、面倒な行政の手続きも、もう殆ど何とかなったから」
わざと口調を強めて流れるように口を動かす。長い付き合いだ。ギコ君が何を言ってくるのかなど、ある程度は簡単に予測が立つ。それに対してどういう返答をすればいいのかも、既に考えてあった。
(;,,゚Д゚)「……この町を、出るのは」
(*゚ー゚)「来週。もう部屋も決まってるし、荷物も粗方送ってる」
暗に「引越しを取りやめる気はない」という意味を語気に込める。早く不動産屋に駆け込んだ甲斐あって、中々良い物件が見つかった。バリアフリーが行き届いたマンションで、私でも暮らしやすいようなリフォームがなされた物件。多少値は張ったが会社の福利厚生である程度は賄えるし、幸運なことに絵本作家の仕事の方で作った貯蓄もあるから、一人でもどうにかなるだろう。

36 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:24:34 ID:s1JoDVnM0
…もう私は一人で生きていける。お金も自分で稼げるし、生活だって一人で出来る。親切な幼馴染が隣にいなくたって、私はもう一人で息が出来る。
(*゚ー゚)「本当にもう帰って。私、こう見えて忙しいの」
(*゚ー゚)「将来のお医者サマの貴重な時間を奪うのも悪いから。早く出てって」
(,,゚Д゚)「絵本、覚えてるか?」
私の言葉を遮るギコ君の声。さっきとは打って変わって、静かな光を灯した瞳がこちらに向けられている。
(,,゚Д゚)「昔、お前が俺に見せた最初の絵本」
(,,゚Д゚)「あれ、最後どうなったのか、覚えてるか?」
責めている訳でも、怒りが含まれてもない声が私の海馬を刺激した。脳内にとあるイメージが溢れる。夕焼けを反射した黄金の花が舞う中、嬉しそうなヒーローと少女が、二人で幸せそうに笑っている一枚の絵。

37 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:26:51 ID:s1JoDVnM0
(* ー )「………早く、帰って」
真っ当な返事をすることなく、私は隣の部屋へと移動した。引き戸を閉める。子どもの頃、この家を出る前まで使っていた私の部屋。
懐かしい。そう思っていると、ドアの向こうから人が去る音がした。玄関の扉が開き、すぐに閉まる音がしてからゆっくりと引き戸を開ける。
もう、とっくにギコ君の姿はない。
(*゚ー゚)「……ん…?」
ふと、何かがキラリと光ったような気がした。仏壇の前、さっきまでギコ君が正座していた座布団の上に、何かが置いてある。
腕を懸命に使って近寄り、落ちていた物を手に取る。それは、栞だった。ただの栞ではなかった。綺麗なラミネート加工がされた中に、一輪の黄色い花が入っている。
私は、その花に見覚えがあった。

38 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:28:13 ID:s1JoDVnM0
(*゚ー゚)「……デンファレ」
デンドロビウム・ファレノプシス。胡蝶蘭によく似た、洋蘭の一種だ。
基本的に咲くのは梅雨から夏、秋の始まりにかけてであり、通年の花ではない。だが、知名度とは裏腹に花好きには一定の人気があり、花屋では冬でも割と見かけることが多い。そして、私が一番好きな花だ。
基本的には紫色が代表的な色だが、他にも赤やピンク、白などがある。その中でも特に私が好きなのが、この黄色のデンファレだった。
昔、無邪気な幼馴染の友人が持ってきてくれたのがこの花だった。「お見舞いには花が必要だ」と学んだらしい彼が、私たちの生活圏内からずっと離れたところで、泥だらけになりながら見つけてくれた黄色い花。後日、家族にしこたま怒られたという話をしながら渡してくれた黄色いデンファレに、私は心を奪われた。

39 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:29:57 ID:s1JoDVnM0
(* ー )「………」
(* ー )「馬鹿じゃ、ないの」
昔の話を、一体いつまで引きずっているのだろうか。いつまで昔のままなのか。私が君に向ける感情が、昔のままだと、君は本気で思っているのか。
栞を持つ手に力を込める。恨み、憎しみ、嫉妬。数多の負の感情が指に集約する。
破ってしまえ。引き裂いてしまえ。こんなモノ、今の私にはもう必要ない。空想に浸っていた頃の、子どもだった私はもういない。一気に引き裂いてしまおうと、私は、栞を持つ手を思いっきり交差させた。

つもりだった。

40 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:31:59 ID:s1JoDVnM0
(* ー )「………馬鹿じゃ、ないの。本当に」
(*;ー;)「………私」
(*;ー;)「…私、本当に、馬鹿みたい………」
力が抜けた指先から、ひらひらと栞が重力に従って床へと落ちた。
離れたくない。本当は、この町を出たくなんてない。でも、仕方ないのだ。そうすべきなのだ。そうするのが最善なのだ。
一か月前、歩けるようになるため定期的に受けているリハビリのため、昔から通っている大学病院を訪れた時のことだ。その話を聞いたのは、本当に偶然だった。

41 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:33:19 ID:s1JoDVnM0
『ファイナル大の研修を勝ち取る子がうちからねぇ…何年ぶりだ?』
『いや、でも彼、蹴るつもりらしいよ。そのままうちで研修医やるって』
『えっ何で!?勿体なさすぎるだろ…!』
『さぁ…でも、なんか事情があるんじゃない。それにホラ、彼、優秀だけど変わってるじゃない』

『――猫田ギコ君。授業の成績も臨床実習もトップなのになぁ…うちに入局してくれるのは嬉しいけど…』

私とも顔見知りの、若い先生たちの話が本当に偶然、耳に入ってしまったのだ。

42 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:36:16 ID:s1JoDVnM0
すぐに、友人のモナー君に連絡を取った。大学の広場のベンチに来てくれた彼は、「推測だけど」と言いながらこう答えてくれた。
 ( ´∀`)『ギコが目指してるのは、昔からずっと心臓外科医モナ。それはしぃちゃんも知ってるモナね』
 ( ´∀`)『あいつが学びたい分野に限れば、うちもまたトップクラスなんだモナ。それこそ、国内最高峰のファイナル大にも負けないくらい』
 (;゚―゚)『で、でも、総合的に見れば絶対ファイナル大の方が良いんでしょう!?他の先生たちも、勿体ないって……』
 ( ´∀`)『あぁ。そこはシンプルモナよ』
 (;゚―゚)『シンプル…?』
 ( ´∀`)『そう。ギコは別に、スーパードクターになりたい訳じゃないモナ。ましてや、お金持ちの医者とか、名声とか、出世とかお金とか、そんなんに縛られたくないんだモナ。東京はそういうしがらみ多そうだし』
「うちもまぁ、全くそういうの無い訳じゃないけど」と付け加えられた言葉に、私はまだ納得が出来なかった。ギコ君は、知識については凄く貪欲な人だ。医学に関係なさそうな工学系の知識や法律学をかじるくらいに。何がどう役に立つのか分からない。だから、自分が身に付けられそうな知識や技術は全部身に付けたい。うちでご飯を食べながらそう言っていたことを、私はよく覚えている。それを口にすると、モナー君の柔和な表情に少し陰りが見えた。

43 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:40:33 ID:s1JoDVnM0
何か隠している。モナー君は、何か私に言ってないことがある。そう思った私は、すぐに彼に追及した。すると、私のしつこい質問に根を上げた彼は、珍しく眉間に皺を寄せてこう言ったのだ。
 ( ´∀`)『…まぁ、これは推測どころか、ほぼ勘になるのだけれど』
 ( ´∀`)『ギコは、東京に行きたくないんじゃなくて、ここを離れたくないんだモナ』
 (;゚―゚)『な、なんで?こんな田舎より、東京の方がずっと色々あるし、行ける機会があるなら絶対に行くべきじゃ…』
 ( ´∀`)『…そうモナね。東京には色々ある。医療の世界は日進月歩。あそこならどんな分野の最新技術でも入ってくるだろうし』
 ( ´∀`)『優秀な医者や珍しい症例が日本中どころか世界中から集まってくる。ここよりずっと医者として良い経験が詰めるモナ』
 (*゚ワ゚)『そ、そうだよね!だったら、すぐギコ君を説得しなきゃ…!』
 ( ´∀`)『でも』

 ( ´∀`)『――東京には、しぃちゃんがいないモナ』

44 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:42:24 ID:s1JoDVnM0
“その指摘”に、私は最初、理解が追いつかなかった。
私がいないからなんだというのだ。というか、そんなのは当たり前のことだ。別に私の存在の有無など関係ない。そう告げると、モナー君はゆっくりと首を振った。
 ( ´∀`)『……昔、ギコに聞いたことがあるモナ。なんでそんなに勉強するのかって。なんでそんなに心臓外科医に執着するのかって』
 ( ´∀`)『そしたら、本を渡されたモナ。物凄くボロボロだけど、なんだか暖かい絵本』
続けて、モナー君はゆっくりと話をしてくれた。ギコ君が未だ、私が子どもの頃にあげた、初めて描いた私の絵本を持ってくれていること。彼は、あの絵本に登場したヒーローに未だ憧れているということ。
そして。
彼が医者を目指しているのは、私の病気を治すためだということ。

45 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:43:22 ID:s1JoDVnM0
(;゚―゚)『………え……?』
本当に知らなかった。気付いていないフリをしていた訳でもなかった。だって、彼は知っている筈だ。
私の心臓は、治す手立てが見つかってないことも。足だって、事故のせいで関節がもう変形して、手術以前の問題であることも。どうしようもないことを、医大生の彼は私以上に知っている筈だ。
それに、彼は一度たりとも「しぃのため」なんて言ったことがない。彼はいつも、いつだって、私を理由に行動したことなんてない。私を気遣っているからだ。彼は凄く言葉に気を付ける人だった。

46 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:44:27 ID:s1JoDVnM0
けれど、そうだ。そうだった。彼はいつも、医者を目指す理由を問うと途端に口数が減ったり、話を逸らしたりしていた。一度、お酒を二人に呑みに言った時、ポロリと彼が零した言葉が今更脳内で反響する。
 (,,゚Д゚)『……あれ、あっただろ。絵本。お前が昔描いたやつ』
 (,,゚Д゚)『その、まぁなんというか…』
 (,,゚Д゚)『あのヒーロー、カッコよかったよなって』
「それだけ」とだけ呟いて、注がれていた日本酒を一気に飲んだ彼。モナー君の話と、今更思い出したギコ君の姿と言動で、私はようやく理解した。
彼がずっと我武者羅に勉強して、医者を目指していた理由を。彼にとっては僥倖そのもののファイナル大への研修を、断った訳を。

47 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:45:18 ID:s1JoDVnM0
私だった。ずっと、ずっとずっと。私が、”椎出しぃ”が、原因だった。あんなに優秀な人の人生を。進路を。未来を。何もかもを、他でもない。この私が狭めていたのだ。
そう気づいた途端、急に息が出来なくなった。
今までにないほどに心臓が痛んで、上手く酸素が吸えない。有刺鉄線が心臓に巻き付いたように痛んで、手足がまるで自分のものじゃなくなったみたいに震えて。
ギコ君は、ずっと頑張っていた。傍にいた私はそれを止めることもなく、「無理はしないでね」なんて、何も知らずに呑気に声をかけた。不可能なのに。私の心臓が治る日なんて、地球が何度回ってもきっと一生来ないのに。そんな無為な未来に、私は、彼を追い込んでいた。それなのに、私がただ呑気に、自分が描いた絵本を見せ続けた。それが、一番最初に描いた本が、彼に呪いをかけたのに。

48 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:46:48 ID:s1JoDVnM0
(*;ー;)「………ごめんなさい」
(*;ー;)「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、な、さい……」
床に落ちた栞に、ポタポタと雨が降った。あぁ、なんと情けないことか。反省した振りをして。彼に心無い言葉を投げかけて、遠ざけようとして、「それが彼のためだ」なんて言い訳をしておいて。
結局、悲劇のヒロインぶって、みっともなく泣いてるじゃないか。

49 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:48:38 ID:s1JoDVnM0
ずっと君に憧れていた。昔読んだおとぎ話みたいに、君がいつか私を迎えてくれたら、どれだけ素敵だろうと願ってしまった。病気で、友達なんて全く出来なくて、両親も事故でいなくなって、遂には一人でまともに歩くことすら出来なくなって。
一人ぼっちだった。それでもいいと思ってた。けれど、君は全く離れてくれなかった。そして私は、一度知った太陽の暖かさを手放せるような、高尚な人間じゃなかった。
 (*;ー;)『…ずっと、友達で、いてくれる――?』
覚えている。幼い私が君にかけた、二つ目の呪い。ギコ君は優しい人だから。きっといつか、私以外も優しくして、沢山の人から必要とされるに違いない。そう思うと、途端に怖くなった。だから私は保険をかけた。ギコ君が私から離れないように、ずっと隣にいてくれるような、無邪気で残酷な、”友人“という呪いを。
けれど、”人を呪わば穴二つ”とはよく言ったもので。私が彼にかけた呪いは時が経つと共に、ゆっくりと私自身をも蝕んでいった。

50 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:49:38 ID:s1JoDVnM0
いつからだろう。”友人”という言葉が彼の口から出る度に、胸が痛くなったのは。
望み過ぎなのは分かっていた。分不相応なのは誰に言われるまでもなく理解していた。だから、私は何も言わなかった。隣にいてくれるならそれでいいと。彼と気軽に話が出来る日が続くのなら、”友達”という関係のままでも一向に構わない。自分に嘘を吐きながら、二十数年を生きてきた。
君が主役の話ばかりを描いた。何度も何度も筆を執った。何度も何度も書き上げた。ある日、出版社の人に「君が描く話は、よく見ると似たようなものばかりだね」と言われてようやく気が付いた。
全部、ただの願望だった。私が彼に抱く想いを、願いを、欲望を、ただ可愛らしいイラストとキャッチーな語彙で誤魔化しているだけだ。どの話にも登場するのはギコ君の代替品と、それに焦がれる少女の話。あぁ、なんて女々しいのだろうかと、私は途端に面白くなってしまった。

51 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:50:50 ID:s1JoDVnM0
『もう、次で最後にしよう』そう思ってこの前、全く今までとテイストが違う話を描いた。
ずっと自己犠牲をしながら人を助けていた青年が、上手く花を咲かすことのない草木に出会う。立派な花弁を咲かせようと奮闘するも、最後には草木自身に説得されて人を救うことを辞め、自分自身が花になるという話。
出来上がった時、私はどこか救われたような心地だった。『人生が芸術を模倣する』。アイルランドの詩人が言った名言の意味を、私はようやく理解できた気がした。
とある少年が、下らない絵本に影響されて人生を決めてしまったように。私は、私が描いた絵本を、自分の人生にしようと思ったのだ。
わざと酷い言葉を使って、ギコ君を遠ざけた。大事だった思い出に泥を塗って、彼が私に失望するようにした。後は、もう、単純。残っているのは消化試合のようなもの。
私が、ここから居なくなるだけ。

52 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:51:43 ID:s1JoDVnM0
顔を上げる。部屋の壁にかけられたカレンダーに視線を移す。
私がこの町を去る日。ギコ君が、私という呪縛から解き放たれて、自由になる日。
一週間後の日付の所に、何重もの赤い丸がつけられているのが見えた。

53 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:52:49 ID:s1JoDVnM0
*
『椎出さん、本当にずるいよね』
気が付くと、私は懐かしい学び舎の廊下にいた。目の前には、顔があやふやで判然としないかつてのクラスメイトが立っている。
私は、これが夢の中だということに気付いていた。

54 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:54:44 ID:s1JoDVnM0
 (;゚―゚)『え…ずるいって…?』
 『ずるいよ。いつも猫田くんに色々してもらって、ちょっと教室移動する時だって、見せつけるみたいに一々車椅子押してもらってさ』
名前も顔も覚えていない少女。いや、そもそも当時から碌に話したこともない筈だ。それでも、今でもこうして夢に見るくらいに、彼女から言われた言葉は衝撃的だった。
 『……なんで貴女なの。なんで、何にもしてない貴女が、ただ幼馴染ってだけで、猫田くんの横にいられるの』
 『…私が!私だって、私、だって……』
 『……私も』
 『猫田くんの、幼馴染になりたかった』

55 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:55:47 ID:s1JoDVnM0
ぐらりと体全体が揺れ、私は意識を現実へと引き戻される。
( ´∀`)「……よし、じゃ、出発するモナー」
目が覚めると、隣にはハンドルを握る友人の姿があった。
(*゚ー゚)「あ…うん、色々とありがとね」
( ´∀`)「気にしなくていいモナよ。まだ無事に着けると決まった訳じゃないし。なんならもうちょっと安心して寝ててもいいモナ」
(;゚―゚)「あの……安全運転でお願いね…?」
前にも後ろにも、過剰なほどに初心者マークがつけられた車の中。車椅子でも余裕で入るほどの車なのにこんなに初心者マークをつけていいのかと思ったが、モナー君曰く「寧ろここまでいくとお洒落だモナ」らしい。私には正直よく分からない感性だ。まぁ、彼が考えていることに納得できたことなど片手で数えられるほどに少ないが。

56 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 01:57:38 ID:s1JoDVnM0
今日、私は生まれ育ったこの町を出る。引越し先は遠く、タクシーや公共機関では少し行き辛いところにある。モナー君が免許を取ってくれたことは、私にとっては僥倖だった。
ご機嫌そうに鼻歌を奏でながら運転してくれるモナー君とは対照的に、私は何も言わず、ただ呆けたように窓からの景色を見つめていた。
(*゚ー゚)(あ…あそこ)
(*゚ー゚)(昔、ギコ君と行ったトコだ)
脳裏に浮かんできた映像を、すぐさま首振りと共にかき消す。ずっと過ごしていた景色が、嫌でも昔の記憶を掘り起こす。その全てにギコ君がいることがあまりに女々しくて、私は思わず笑ってしまった。
あまりにも、この地には思い出がありすぎている。病院を始めとして、通った学校に、近所の公園。よく利用した図書館に、大学生になってからよく待ち合わせで使ったカフェテラス。その全てに、同じ影がいる。この町はどこを歩いていても、至るところに彼の亡霊がいる。だから、私はここを離れないといけないのだ。

57 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:00:36 ID:s1JoDVnM0
( ´∀`)「…そういえば、ちゃんともう、やること全部やったモナ?」
車に揺られて30分ほど経った頃だろうか。ずっとご機嫌そうに運転していたモナー君が、ふと思い出したかのように尋ねてきた。
(*゚ー゚)「うん。実家の処分日は目途が立ったし、必要な荷物はもう全部送ってあるし…」
(*゚ー゚)「前の職場の人への挨拶も、マンションの引き払いも済んでるから…うん、大丈夫。何にも問題ないわ」
ニコリと笑顔を作ってモナー君の方を見る。彼もまた、いつもの柔和な表情のまま、前方を見続けていた。
( ´∀`)「そっか。それは良かったモナ」
(*゚―゚)「うん。本当にありがとうねモナー君。凄く助かっちゃった、お礼は絶対するからね!」
( ´∀`)「ううん、別に礼には及ばないモナよ。だって……」


( ´∀`)「その準備、多分今から全部無駄になるモナ」

58 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:03:02 ID:s1JoDVnM0
突然、車が停止した。
急ブレーキに合わせ、シートベルトが腰に食い込む。わずかな痛みといきなりの衝撃に、私の口からは「キャッ」という何とも情けない声が出た。
(;゚―゚)「えっ!?な、なに!?」
自分の身体が無事なことを確認した後、慌ててモナー君の方に目を向ける。突然車を急停止させた張本人であろう彼は、いつもと同じ人の良さそうな表情を全く変えずにこう言った。
( ´∀`)「エンストしたモナ」
(*゚ー゚)「………え?」
( ´∀`)「平たく言うと動かなくなっちゃったモナね。…あ、よく見ればエンジンも全然残ってないモナ。ヤバいこれは想定してない。はーあ、マニュアルほんとクソ」
(;゚―゚)「ちょ、ちょっと?モナー君?何?」
( ´∀`)「……と、ゆー訳で」
私の横のドアが自動で開く。隣で突然鳴り出した車の機械音に驚いてそちらに視線を向けていると、いつの間にか外に出ていたモナー君と目が合った。

59 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:04:16 ID:s1JoDVnM0
( ´∀`)「しぃちゃん。申し訳ないんだけど、ちょっと外で待ってて欲しいモナ」
(;゚―゚)「……え?」
( ´∀`)「大丈夫、すぐ戻るモナ。エンジンないのはちょっとホントにうっかり」
(;゚―゚)「え?え?ちょっと、モナー君?」
( ´∀`)「はいコート。寒いからね。じゃ、車椅子下ろすモナねー」
戸惑う私への気遣いは、随分と暖かそうなダッフルコート一枚のみ。流れるような手際の良さであれよあれよと車椅子ごと外に出され、気が付くと、私はよく知りもしない歩道の上に下ろされてしまっていた。
( ´∀`)「ま、ちょい時間かかるから、その辺ぶらぶらしといてオッケーモナ。ちょうどここ真直ぐ行ったら広めの公園があるみたいモナよ」
(;゚―゚)「う、嘘でしょ!?モナー君!?まさか、本当に置いてく気――」
( ´∀`)「じゃ、待っててモナ、すぐ戻るモナー」
私の声なんてこれっぽっちも聞こえていないのではないか。そう思えるほどに彼は私の言葉の一切を無視してドアを閉め、そのまま本当に車を発進させてしまった。
…というか、さっきまで「動かなくなった」だの何だのと言っていなかっただろうか。

60 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:06:26 ID:s1JoDVnM0
(;゚―゚)「……え、どうしよう」
一人ぽつんと残された私の頬を、12月の寒風が通り過ぎて行った。
キィキィと、お世辞にも耳障りが良いとはいえない音を立てながら道を進む。長野という土地は広大だ。車で三十分程度走っただけで、もう土地勘が働かなくなる。加えて今は十二月。夜の間に草木から垂れた水分が無情にも道を凍り付かせ、ほんの少し進むだけでも過大な神経を使わせる。
(*゚ー゚)「なんだってこんなことに…モナー君のバカ…いや、頼った人にこう言うのもあれだけど……」
ブツブツと文句を言いながら、ゆっくりと夕日に染まったオレンジの道を進んでいく。あまり整地はされていないが、きっと人通りがあるのだろう。やや凍って進み辛くはあるが道は思ったより平坦であった。
傍らに並んだ花に目を走らせた。立葵や菫などが冬の寒風にも負けず、ささやかながら立派に咲いている。本来、冬というのは中々自然に厳しい季節だが、そんな固定観念を吹き飛ばすほどに多種多様な花々が顔を覗かせていた。長野という土地が持つ力強さには真に頭を垂れるほかない。

61 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:07:13 ID:s1JoDVnM0
(*゚ー゚)「……あら」
ふと気が付けば、大きな広場に出ていた。
中心にある大きな欅の木には一切の葉がついていない。それなのに、言い知れぬ威圧感のようなものがあった。木の背後には、神々しさすら感じるほどの眩い夕暮れが、空一体を美しい茜色に染め上げている。
周囲に人はまばらで、制服姿の学生や、暇を持て余した老人がちらほらといる程度。モナー君のことだ。どうせそんなにすぐ迎えに来てくれやしない。せっかくだし、と私は欅の大木に近付いて、車椅子の下に入れていたスケッチブックを手に取った。
いつも持ち歩いている鉛筆を取り出し、まだ何も描かれていない真っ新なページをめくる。鉛筆を木の隣に見立てて距離を測り、ある程度自分の中でイメージを想像してから、私は慣れた手付きで眼前の木を描き始めた。

62 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:08:58 ID:s1JoDVnM0
(*゚ー゚)(……なんだか、懐かしいな)
ほんの数週間、描いてないだけなのになぁと心中で呟く。先月の頭に出した絵本。あれ以来、私は一度も筆を執っていなかった。別に、意識的に避けていた訳ではない。ただ、絵を描く気になれなかったのだ。
絵を描くというのは、私にとって一つの原点だ。病室でただただ何もせずに息をしていただけの日々。無限にも感じられた暇と苦痛を紛らわせるための、一種の自己防衛。
鉛筆を止め、作業途中ではあるが俯瞰して見る。このままでは出来上がるのはただの大きな枯れ木だ。そう思うと、何だかつまらなく思えた。
そうだ。いっそあの木が桜だったらどうだろう。
中々良いことを思いついた。そもそも絵とは自由であるべきだ。風景をキャンバスに落とし込んだその瞬間、現実はフィクションへと、創作へとその本質を変える。なら別に嘘を描いたっていいだろう。そう自分に言い訳をして、もう一度筆を進めようと鉛筆を持ち直す。
その次の瞬間、非常に勢いが強い風が吹いた。

63 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:10:32 ID:s1JoDVnM0
(;゚―゚)「キャッ…!」
飛ばされまいと反射的にスケッチブックを抑える。すると、狭めた視界の中で何かが勢いよく宙に飛び出したのが微かに見えた。
(;゚―゚)「あっ……!」
思わず目を見張る。空中には、夕日に光って反射した黄色い花が舞っている。結局、破くことはおろか、捨てることも出来ずに肌身離さず持っていた、スケッチブックに挟んでいた物。ギコ君が置いていった、デンファレで作られた栞だった。
慌てて手を伸ばすも、私の腕が届くはずもない。冬の冷たさを纏った風が、残酷にも遠くへと運んでいく。まずい、このままじゃ本当に失くしてしまう。ギコ君が最後にくれたものが、花が、消えてしまう。
スケッチブックも鉛筆も投げ捨て、空に向かって懸命に手を伸ばす。その途端、急に重力の向きが変わったような浮遊感に襲われた。

64 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:13:10 ID:s1JoDVnM0
(; Д )「あぁっ…!?」
しまった。前に出過ぎた。地面は完璧な平坦ではないと、気を付けなければならないと分かっていた筈なのに。体勢を崩し、車椅子ごと私の体は前方へと放りだされる。不味い。倒れる。いや、それだけじゃない。栞が消える。消えてしまう。せっかく、彼が私のために残していってくれたのに。
ごめんなさい。そう思いながら諦めと共に目を瞑る。自分の身に起こるだろう痛みに気を配ることはなく、ただただ、誰よりも大事だった友人からの贈り物が消えることへの恐怖と申し訳なさが胸を包む。
あぁ、結局私は、一人では何もできないのだ。人生何度目か分からない絶望を抱えながら、私は三秒後の衝撃を待った。

65 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:14:27 ID:s1JoDVnM0

(;,,゚Д゚)「――あっぶな……!何してんだ、お前!?」

目を開ける。すぐそばに地面があるのに、私の体は浮いたまま転がらずに一定の姿勢を保っている。何が起きたのか分からないまま、体がゆっくりと車椅子に戻される。
顔を上げる。眼前の景色に驚きながら、目を何度も瞬かせる。知った顔が、知り尽くしている顔があった。

66 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:15:51 ID:s1JoDVnM0
(;,,゚Д゚)「大丈夫か!?…つーか、モナーは!?あいつ何処行った!?」
(;゚―゚)「………ギコ、くん 」
もう二度と会わないと、覚悟していた顔だった。もう一度だけ会いたいと、願っていた顔だった。
(;゚―゚)「あっ…!し、栞!!栞は!?」
半狂乱になったまま、視線を宙に向かわせる。風が吹いた方向に目をやるも、空中の何処にも栞は見当たらない。続けてすぐに地面に目をやる。だが見えるのは枯れ木から離れた葉っぱや土に紛れた石、雑草ばかりで、何処にもあの黄色い花は見当たらない。
あぁ、失くした。失くしてしまった。消えてしまった。眼球に熱いものが込み上げてくる。あぁ、ダメだ。泣いてはダメだ。けど、でも、せっかく、栞が。花が。ギコ君がくれた、好きな人がくれた、贈り物が。

67 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:16:52 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「栞……?あぁ、これか?」
(;゚―゚)「………え」
(,,゚Д゚)「なんか飛んできたから、取った」
なんでもないことみたいに、彼は「はい」と言って私にその大きな手を差し出してきた。彼の端正な指先には、黄色のデンファレが丁寧に押された栞が、土汚れ一つなく挟まれている。私はそれを、まるで何かの賞状を授与された時みたいに両手で受け取った。
(* ー )「………っ!よかった……!!」
両の手に帰ってきた栞をぎゅっと握りしめる。さっきまでとはまるで違う安堵が、私の胸を満たしていた。
(,,゚Д゚)「……あ、それ、アレか。俺が置いてったやつか」
(,,゚Д゚)「ちゃんと持っててくれたんだな。…嬉しい、ありがとう」
頭上からかけられた甘い声に、私はハッと現状を理解した。そうだ。どうしてギコ君がここにいるのか。
いくら同じ県内といえど、ここは私たちが住んでいた町からは随分と離れている筈だ。それに、ここに立ち寄ったのはモナー君の車にいきなりトラブルが生じたからで――。

68 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:18:18 ID:s1JoDVnM0
(;゚―゚)「……まさか」
私の呟きに、ギコ君は申し訳なさそうに頬をぽりぽりと掻く。ということはやはり、私の今の現状は、最初から。
(,,゚Д゚)「……悪い。気持ち悪いよな、こんな回りくどいことして」
(,,゚Д゚)「けど、こんなのしか思いつかなかったんだ。ちゃんと、お前と話せる機会を作るためには」
あぁ、やはりそうだったのか。私の勘はどうやら当たったようだ。途中でモナー君に下ろされたのも、この広場に私が来たのも。どうやら全部、今目の前にいる”友人”によって仕組まれたものらしかった。
(;,,゚Д゚)「…ていうか、マジでモナーはどうした?なんでアイツ何処にも――」
(* ー )「……どうでもいいわよ、そんなの」
ギコ君の話は聞くまいと、急いで車椅子を動かそうとする。だが、所詮は車椅子。いくら慣れているとはいえ、成人男性が車椅子を止める力と、私が車椅子を動かす力。どちらが勝るかなど確かめるまでもない。

69 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:20:07 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「悪いけど、もうちょっとここに居てもらうぞ」
(;゚―゚)「…っ、大声出すわよ!それでもいいなら…!」
(,,゚Д゚)「なぁ」
(,,゚Д゚)「なんで、栞なんて持ってたんだ」
ギコ君が前に私の家で待っていた時とは逆に、今度は私の言葉が彼によって遮られた。
反論を考えようとするも、何もいい言葉が思いつかない。何か言わないといけないのに。何か強い言葉で、彼を遠ざけないといけないのに。

70 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:25:00 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「…改めて聞くけどさ」
(,,゚Д゚)「あの絵本の最後、どうなったか覚えてるか?」
(; ー )「……っ」
私はまた何も言えずに口ごもった。忘れる訳がない。けれど、今更「覚えている」なんて言えない。もう私は口に出してしまった。彼が傷付くようなことを、彼が傷付くと分かっていて発してしまった。今更一体どの面さげて、あの絵本を、夢物語を口にするのか。
(; ー )「…………しら、ない」
(; ー )「しらない、覚えて、ない。わかんない、知らない…!」
(,,゚Д゚)「…意地っ張りだな」
(# ー )「うるさい!うるさいうるさいっ…!知らないったら知らないの!覚えてない!」
(#゚―゚)「あんなっ…そもそもあんな絵本が、なに!?馬鹿らしい!」
(# Д )「あんなの、ただのおとぎ話でしょ!!都合の良い、ただの妄想!物語でも、なんでもない!ただの子どもの痛い夢!」
(# ー )「そんな、そんなしょーもないこと…一々口にしないでよ!」
ギコ君の顔を見ないまま、思ってもないことを叫び散らす。ギコ君が傷付くような言葉がぱっと出てこない。だから代わりに、私が言われたくない言葉を羅列する。

71 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:27:18 ID:s1JoDVnM0
どれも、言いたくないことだ。けれど、心のどこかで思っていたことだった。
おとぎ話と現実は違う。そんなこと、ずっと昔から分かっていた。言葉は弾丸に敵わない。病気は奇跡じゃ治らない。分かっていた。知っていた。そんなこと、誰よりも私が身をもって知っていた。
それでも、描きたかった。叶わなくても、妄想でも、嘘でも、それでも。夢見ることくらいなら、許されると思っていた。夢の中でくらいなら、彼を、普通の人の生活を、望んでいいと信じたかった。
けれど現実は残酷だった。出版社の人に貶された回数も、十や二十じゃ足りない。人づてに聞いた私の絵本への心無い言葉がいくつもあることなんて分かってる。
でも、どうしても、欲しかった。何も気にせず、歩けるようになりたかった。近所の公園やスーパーに行ったり、運動したり、階段を上がってみたりしたかった。
“友人”なんて関係じゃ、満足できなかった。彼の横に座ってるだけじゃ嫌だった。彼の手と繋いでみたかった。そんな資格がないなんて、分かっていた筈なのに。

72 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:27:56 ID:s1JoDVnM0


(*;ー;)
割り切っていた、筈、なのに。

73 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:28:56 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「……しぃ」
(*∩ー;)「うるさいっ…!見ないで…し、知らない、しらない…!」
腕で目を覆い、見られまいと必死に顔を逸らす。あぁ、最悪だ。もうダメだ。もう、バレた。ずっと隠してきたのに。底の底にずっと置いていたのに。
最後まで私はこれだ。友人を気遣った、なんて、そもそもが嘘だった。私は最初から最後まで、自分のことしか考えていなかった。

74 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:30:34 ID:s1JoDVnM0
ギコ君に自由になって欲しいんじゃない、私がただ、彼の迷惑になりたくないだけだ。ギコ君に東京に行って欲しいんじゃない。私がただ、彼から離れたくないだけだ。
なんて傲慢だろう。なんて自分勝手だろう。もう嫌だ。何もかもが、自分のことが、心臓が、存在自体が嫌になった。間違えた。いつから。決まっている。最初からだ。あの日。私は間違えた。最初から私みたいなのが夢なんて見てはいけなかった。
あぁ。間違えた。失敗した。彼が好きなことがバレた。絶対にバレちゃいけなかったのに。そもそもこんなもの、抱くことすら烏滸がましいのに。
こんな想いをするくらいなら。彼にこんなに迷惑をかけるくらいなら。

あんな絵本なんて、描かなければ――。

75 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:31:06 ID:s1JoDVnM0

(,,゚Д゚)「――じゃあ、思い出してもらうか」

パッと、何かが破裂するような音がした。

76 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:32:05 ID:s1JoDVnM0
一瞬、花火が上がったのかとも思った。心臓の奥まで震えるような轟音に、何が起こったのかと顔を上げる。周りにちらほらといた人たちが皆、同じ方向に釘付けになっているのが分かった。
何だ。何が起こったのか。事態を理解しようと、私も皆と同じ方向に視線を向ける。
そこには。

――数えきれないほどの黄色の花が、冬の茜空を埋めるみたいに咲いていた。

77 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:33:43 ID:s1JoDVnM0
(*;ー;)「………え」
空高くに輝く夕日が、花弁の一枚一枚を眩く丁寧に照らしている。無数の花が中心の大木を覆うかのように重なって、まるで一瞬のうちに枯れ木に花が咲いたようだった。
――おとぎ話みたいだ。純粋に、そう思った。空自体が美しい黄金になったような、まるで夢の中にいるのではないかと見紛うような幻想的な風景。ひらひらと、黄金の空に舞っていた花束から、一輪の花がゆっくりと私の眼前に降りてきた。私はそれを両手で受け取り、高価な宝石を扱うように丁寧に手の中で位置を整え、じっと見る。
それは、胡蝶蘭によく似ている形をしていた。胸が自然に高鳴る。私はこの花を知っている。昔から、ずっと好きだった花。これまでも、これからも、ずっとずっと、一番好きな花。

それは、黄色のデンファレであった。

78 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:34:46 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「集めるの、苦労したんだ。一週間もかかっちまった」
私の前にしゃがみこんだギコ君は、とても優しい笑みを浮かべていた。
(,,゚Д゚)「凄いだろ?なんとかツテ辿って、大学の工学部の人たちにも協力してもらってさ…」
(,,゚Д゚)「作ったんだ。空に、花束を咲かせる機械」
「仕組みは単純なんだけど」とはにかみながら話す彼は、いたずらっ子みたいに木の根元を指差した。広場の中心に屹立している木の根元。土と夕暮れの光で一見よく分からないが、注意深く見ると、なにか大きな機械のようなものが後ろに並んでいるのが分かる。
(,,゚Д゚)「…どうだ、思い出したか?お前が昔作った、絵本のラスト」
(,,゚Д゚)「まぁ多分、完全再現って訳じゃないんだけどさ…ごめんな」
顔を両手で押さえながら、私は必死に首を横に振った。

79 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:37:24 ID:s1JoDVnM0
言葉が出なかった。今目の前にある美しい景色は、それほどまでに、私が描いた理想通りだった。
綺麗だ。心の底から、そう思った。今までの人生で見た何よりも、美しい風景だった。
涙で滲んだ世界の中でも、夕暮れを反射して煌めく花弁の一枚一枚が網膜を焼く。ずっと夢見ていた。一人寂しい病室の中、窓から見える花はおろか、部屋に置かれた瓶の花にすら手が届かない世界をずっと恨んでいた。いつか、空だって覆ってしまうくらいの花束を見たい。そう願っていた。無理だと分かっていながら、せめて絵本の中でくらい存在してもいいだろうと思って、必死にペンを握りしめて描いた。
諦めていた。見られる訳がないと思っていた。それが、今、目の前にあった。
(*;―;)「……なん、で」
(*;―;)「ねぇ、なんで、なんでこん、な」
ポロポロと零れる涙を必死に抑えようとするも、指の隙間から流れ落ちていく。ああ、本当に最悪だ。せめてギコ君の前でだけは、絶対に泣くまいと決めていたのに。

80 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:40:30 ID:s1JoDVnM0
(*;ー;)「なんで……なんで、そんなに、優しいの」
出したくもない涙と共に、出したくもなかった本音が漏れる。けれど、一度流してしまったものはもう止められそうになかった。
(*;ー;)「わたし、あんなに酷いこと、言ったのに。いっぱい、いっぱい嘘ついたのに」
足元に落ちたデンファレにボロボロと涙が落ちる。花弁に触れた雫が散って、金色の火花みたいに爆ぜた。
(,,゚Д゚)「……いや、違うんだ」
(,,゚Д゚)「…ごめん、俺もだった。俺も、しぃにずっと嘘ついてた」
雲みたいにフワフワとした優しい声が、みっともなく涙を流す私を包む。あの頃よりもずっと低くなった筈なのに、胸が締め付けられるような郷愁感があった。
(,,゚Д゚)「……ずっと”友達”でいたいって、あれ、めちゃくちゃ嘘なんだ」
(*;ー;)「………え」
顔を上げたその先には、背後で輝く夕日にも負けないくらいに頬を赤くしたギコ君の顔があった。

81 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:43:26 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「ずっと嘘ついてた…というか、カッコつけてた。俺、そんな綺麗な目で、お前のこと見てなかった」
(,, Д )「………俺、さ」
視界の奥で揺れる黄色の花びらたちが、急にスローになったような気がした。
ギコ君はどこが居心地が悪そうに、口をもごもごと動かしながら髪をわしゃわしゃと掻いている。何なのだろう。この次に、どんな言葉が続くのだろう。いや、私は分かっていた。というよりか、期待していた。
次に彼の口から舞う言の葉が、私と同じ想いを抱くものではないかと期待していた。もう期待しないと誓ったのではないのか。もう諦めたのではないのか。だから、残像が色濃く残るあの町からこうして逃げ出したのではないのか。
弱々しいはずの心臓が、バクバクと激しい鼓動を始めた。そんな筈ない。そんな訳がない。彼が、”そういう風”に私を見ていた筈がない。だって、彼みたいな凄い人が、素敵な人が、ヒーローみたいにカッコいい人が。
私なんかを選んでくれる訳が。

82 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:44:07 ID:s1JoDVnM0

(,, Д )「――好きだ」
(,,゚Д゚)「一人の女の子として、しぃが、好きだ」

もう、激情を抑えられそうになかった。

83 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:46:07 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「しぃに…好きな女の子に長生きして欲しいから、医者になろうと思った」
(,,゚Д゚)「東京に行かないのも、そんな、御大層な理由なんてないんだ」
(,,゚Д゚)「ただ、ただ俺が、しぃの近くにいたいだけだったんだ」
(,, Д )「…嘘、ついてごめん。回りくどいことして、ごめんな」
恐る恐る、彼の腕がゆっくりと私の肩を抱きしめる。私はそれに抗うことなく、まだボロボロと泣きながらその抱擁を受け入れた。
(*;ー;)「―――わたし、も…」
(*;ー;)「うそ、だったの。全部、君の邪魔、したくない、から」
吃逆が邪魔をして、上手く言葉を紡げない。それでもギコ君はゆっくりと私の背中を撫でながら、昔と変わらない優しさと共に私の言葉を待ってくれた。あぁ、そういうところが、そういうところのせいで。私は。

84 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:51:00 ID:s1JoDVnM0
(*;ー;)「ごめん、な、さい。ホントは、私も嫌だったの。友達なんかじゃ、嫌だったの」
(*;ー;)「でも…でも、君の邪魔も、したくなかった。わたし、こんなの、だから。いつか、君の邪魔に、なる、から」
(*∩ー;)「だからっ…だから、わたし、わたし……」
もう、自分でも何を言っているのか分からなかった。それでも、ギコ君はただ、黙って聞いてくれていた。何を否定する訳でもなく。何を補足する訳でもなく。ただ時々頷きながら、話の体すら成していない私の言葉を受け止めてくれていた。
ゆっくりと、抱擁が解れた。涙でぼやけた視界の中心で、ギコ君は困ったように笑っているのだけが見える。
(,,゚Д゚)「……ごめんな。あの絵本じゃ、確かもうこのシーンだと、病気は治ってたんだけど」
彼の言葉に、私はゆっくりと、それでいてしっかりと首を横に振った。
(,,-Д-)「…やっぱり、優しいなぁ。しぃは、ずっと」
彼の口角がふわりと上がる。こんなに迷惑をかけたのに。こんなに君を振り回したのに。それでも、まだ私を「優しい」と言ってくれる、その優しさこそが私の心臓を痛ませた。

85 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:52:56 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「…俺、きっとこれからも、しぃのこと、困らせると思う」
ずっと合わなかった視線がピタリと合う。私がずっと焦がれていた、切れ長の眦がそこにあった。
(,,゚Д゚)「正直、女心とかよく分からんし、病気だって、絶対治せるようになるとは、言えない…けど」
(,,゚Д゚)「…けど、俺。頑張るからさ。あの絵本のラスト、次こそ完全再現できるように、頑張るから」
(,,゚Д゚)「もっと…もっと頑張って勉強するから。俺、絶対に良い医者になるから」
(,,゚Д゚)「……これからも」


(,,゚Д゚)「俺と、一緒に居てくれますか」


両の手が、ギコ君の更に大きな両手に覆われていた。まだ眼から流れる涙が、膝上にポロポロと落ちていく。きっと今の私は、シンデレラを助けた魔女だって見捨てるくらい、酷い顔をしているのだろう。

86 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 02:56:36 ID:s1JoDVnM0
(* ー )「……私、多分、長生き、できないよ」
(,,゚Д゚)「その分、めちゃくちゃ楽しませる」
(* ー )「……隣だって、歩け、ないし、色々、重いし」
(,,゚Д゚)「力には自信あるんだ。医者の卵舐めるなよ」
(* ー )「…それに、性格、良くないし。スタイルだって、悪いし、それに、それに、それに……」
(,,゚Д゚)「しぃ」
短く、名前を呼ばれた。

87 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:00:10 ID:s1JoDVnM0

(,,゚Д゚)「――貴女が好きです。世界中の、誰よりも」
(,,゚Д゚)「…友達じゃ、嫌だ。俺は、もっと堂々と、しぃの横に立っていい人間になりたい」
(,,゚Д゚)「めちゃくちゃ遠回りしたけど…もしかしたら、めちゃくちゃ、待たせたかもしれないけど」
(,,゚Д゚)「………今更、だけど」
一旦、言葉が切られる。一瞬だけ風が止み、空を舞う花びらがふわりと静止する。その後すぐに、深い呼吸の音が聞こえた。


(,,゚Д゚)「――俺の、恋人になってくれませんか」


手をぎゅっと握られたまま、夢みたいな言葉で鼓膜が揺らいだ。

88 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:03:09 ID:s1JoDVnM0
なんと言うべきなのだろうか。どう返事をすればいいのだろうか。夢にまで見た光景だった。いや、夢にすら見ないようにしていた光景だった。
受け入れちゃダメだ。いつか、絶対に私は彼に迷惑をかける。分かっている。最善策はきっと、この手を振り払うこと。

なんて。簡単に割り切れる人間ならば。私は今頃、こんなに泣いていないだろう。

(*;ー;)「はい……!」

気が付けば私は、彼に向かって倒れ込んでいた。

89 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:05:21 ID:s1JoDVnM0
花のクッションの上、一瞬、驚いた顔をしたギコ君と目があった。ちょっと、あまりに勢いよく抱き着いてしまった。
かすかな痛みを覚えながら、なんだかおかしくなった私達は、顔を見合わせて声を上げて笑った。
ギコ君の力を借りて上体を起き上がらせる。彼の髪に手を伸ばして、ついていたデンファレを取る。
彼もまた、泣いていた。それでも、今までに見たことのないような酷い顔で、笑っていた。きっと私も同様だ。一日でも早く友達を辞められるように覚えたメイクも、いつ彼に会ってもいいように整えていた髪も、今はぐしゃぐしゃになっているに違いない。


冬に似つかわしくない、ひらひらと舞う黄色の花束を包む夕暮れの中。世界で一番大好きな人が、子どもみたいにくしゃりと笑ったのが見えた。

90 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:06:41 ID:s1JoDVnM0
*
白いページの上に、一枚の花びらが下りてきた。
ささやかで可愛らしいそれを手に取ってまじまじと見る。薄桃色のそれがどこから来たのか確かめるために顔を上げると、眼前には、言葉を失ってしまうほどに絢爛な桜が並んでいた。今の時刻は夕暮れ時。いつの間にか、長野にも春がやってきていた。
膝の上のスケッチブックを閉じ、鉛筆を置く。目の前で立派に咲き誇る桜を見ながら、私は、今は遠い所にいる恋人に思いを馳せた。

91 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:07:21 ID:s1JoDVnM0
(*゚ー゚)(……東京は、もっと暖かいのかなぁ)
一年前、あまりにも長すぎる期間を経て、ようやく恋人になれた元友人のことを想起する。結局、ギコ君は東京の大学で研修医になることを選んだ。
私がそう頼んだのだ。「君は、君が本当にやりたいことをやるべきだ」と。
どう考えたって、こんな田舎よりも都会の、それも国内最高峰の大学で学んだ方が彼にとっていい経験になる。それに、私もいい加減、極力誰にも頼らず一人で生活することに挑戦したいと思っていたことも、また判然たる事実だった。

92 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:08:53 ID:s1JoDVnM0
新生活は、私が思っていた以上に大変だった。
実家の取り壊しを中止にしたことで、土地の賃貸借から発生する筈だった収入が消えたこともあり、そこまで金銭的な余裕もない。車椅子のまま慣れない町を動くのに慣れるまで、三か月はかかった。絵本作家としての仕事も、編集の人にあれこれとダメ出しされる毎日だし、去年と比べて然程売り上げが伸びた訳でもない。
けれど、充実した生活だった。休日には近所の公園で、花をスケッチする余裕があるくらいには。
こうしていると、あの時、一人であんなに取り乱したのは何だったのかと思える。好きな人に酷いことを言って、散々不必要な遠回りをして。
…まぁ、雨降って地固まると言えば、中々悪くなかったかなと思う自分もいるのだが。

93 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:09:55 ID:s1JoDVnM0
ふと、とある二人組が目に留まった。
桜の雨が降る道を、仲睦まじげに一組の男女がゆっくりと歩いていた。ぎゅっと手を繋ぎながら笑って歩を進めるその様は、まさに”幸せ”という言葉が似合う。昔の私だったら睨みつけていたかもな。そう思いながら、私は再び東京で頑張っている恋人の姿を思い浮かべる。
今、彼はどうしているだろうか。彼は絵本の感想はめちゃくちゃ長文ですぐにくれるのだが、肝心な電話やメールはあまりくれないのだ。まさか、自分の絵本に嫉妬する日が来るとは思わなかった。
気分を変えよう。絵を描こうとして、再び膝上のスケッチブックを開く。それと同時に、一際強い春風が吹いた。無数の桜の花びらが夕日を反射して、思わず目を瞑ってしまう。
その時だった。

94 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:11:18 ID:s1JoDVnM0

「――おっと、危ない」

手から零れ落ちた鉛筆が、地面に衝突することなく誰かにひょいと拾われる。夕日に焼かれた目をゆっくりと開けたその先には、ここにいない筈の人物が立っていた。
(;゚ー゚)「……え、幽霊…?」
(,,゚Д゚)「久々に会った恋人になんつー言い草だよ」
そう言って、彼は笑いながら「はい」とこちらに鉛筆を手渡す。「ありがとう」と戸惑いながらに言った私は、まだ正確な現状を把握出来ていなかった。

95 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:12:56 ID:s1JoDVnM0
(;゚―゚)「えっでも、だ、だって、研修は…!?」
(,,゚Д゚)「研修医にもちょっとした休暇くらいあるよ。…まぁ、指導医の先生に『一年目のくせして働き過ぎだ』って言われただけだったりするんだけどな」
子どもの頃と同じ、照れた時に頬を右手の指で掻く癖。にこやかに笑う彼の姿があまりに自然だったものだから、いきなり帰ってきた恋人に私は喜ぶべきなのか、それとも驚くべきなのか分からなかった。
(* ー )「…連絡くらいしてよ。馬鹿」
(,,゚Д゚)「はは、ごめんって。サプライズの方が喜んでくれると思ってさ」
(*゚ー゚)「ビックリしすぎて心臓もっと悪くなっちゃったらどうしてくれるのよ」
(,,゚Д゚)「そうなってもならなくても、責任取るつもりだよ」
“責任”という言葉に顔を上げると、ギコ君はにんまりと悪戯な笑みを浮かべていた。揶揄われた。そう自覚すると同時にわーっと熱が顔に集まってくるのが分かる。春の陽気のせいだと心中で言い訳しながら、私はぷいっとそっぽを向いた。

96 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:14:30 ID:s1JoDVnM0
(,,゚Д゚)「昔は俺の方が言い負かされてたからな。いつまでもガキじゃないってことだ」
勝ち誇ったように笑うギコ君を、私は車椅子の上から睨みつける。そんなこちらの表情を見ても「ただ可愛いだけだぞ」と言い、その大きな手で私の髪を撫でた。
(*゚ー゚)「…東京に毒されちゃったのね。はーあ、昔はあんなに可愛げがあったのに」
(,,゚Д゚)「ま、色々学ぶことも多いからな。もう多少のことじゃビビらないし取り乱したりもしない。本当に良い環境だよ」
自慢げなその表情に、私は少しムッとする。子どもの頃は私の方が口が上手くて、いつもいつもムッとさせる側だったのに。
(*゚ー゚)(……そうだ)
ふと、とあることを思いついた。いつかギコ君が帰ってきたときに驚かせようと、準備していたこと。まさか今帰ってくるとは思わなかったが、ちょうどいい。

97 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:15:36 ID:s1JoDVnM0
(*゚ー゚)「…ねぇギコ君。ちょっと目、閉じてて」
車椅子の向きを変えて、ギコ君の方に向き直る。
(,,゚Д゚)「…なんだ?なんかイタズラしようってのか?」
彼はニマニマとしながら、遥か高みから私のことを見下ろしている。ギコ君はそもそも平均よりもずっと背が高い。それに加え、私の身長は平均よりも低い上に、車椅子に座った状態では文字通り彼とは天と地ほどの差がある。
私に言われた通り、彼は目を瞑って堂々と立っている。「この状態なら、しぃが俺に出来ることはない」どうせそんなことを思っているのだろう。
実際そうだ。いつもの私ならどうやったって彼の顔どころか、必死に手を伸ばしても肩にだって届かない。この状態の私が出来ることなんて精々、腹に一発重いのを食らわせるか、持っている鉛筆をロケットよろしく顔面向けて発射させるくらいだろう。車椅子に座ったままの私が、彼に出来るイタズラなんてたかが知れている。それこそ、出来ても子ども染みたものばかりだ。私ではどうやったって、昔みたいにギコ君に一泡吹かせることは出来ない。


――車椅子に座ったまま、なら。

98 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:16:52 ID:s1JoDVnM0

ガタリと、車椅子が倒れる音がした。膝に置いていたスケッチブックと鉛筆が転がり落ちる。音に反応したギコ君が、慌てて目を開けようとする。

それよりも前に、私の唇が、彼の唇に触れた。

(* o )「…ぷはっ」

わざと音をたてて唇を離す。幽霊でも見たかのような顔をしたギコ君と目が合う。随分と長い付き合いだが、これは初めて見た表情だ。

99 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:34:52 ID:s1JoDVnM0
(;,,゚Д゚)「………えっ」
(*゚ー゚)「――ふふっ、ビックリした?」
彼の目が、私の顔よりもずっと下に向けられていた。その瞳に、すぐ傍で主を失っている車椅子は映っていない。ましてや、桜のカーペットの上に落ちたスケッチブックや鉛筆も彼の眼中にないだろう。ギコ君の目はじっと、私の両足に向けられていた。
(;,,゚Д゚)「…しぃ、お前、足……」
(*゚ー゚)「……君がいない間に頑張ったんだから。リハビリ」
わざとらしく舌を出し、呆けたままの彼をケラケラと笑う。
施設こそ変わったが、今でも歩くためのリハビリを続けていた。少しサボってしまった時期もあったが最近は熱心に取り組んでいるのもあって、今ではほんの数歩くらいなら歩けるようにまで回復した。
車椅子から立てるようになった時、思いついたのがこのイタズラだった。そもそも恋人になったのに、電話もメールも碌に寄越してこない向こうが悪い。ちょっと不意を打ってキスするくらい、許されてしかるべきだろう。可愛い彼女の特権だ。

100 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:35:38 ID:s1JoDVnM0
(*^―^)「ぷっ…ふふっ…!顔真っ赤…!」
(,,゚Д゚)「~~っ!い、今のはズルだろ!」
(*゚ー゚)「ズルも反則もありませーん」
クスクスと笑いを隠すこともなく、それでいてギコ君から顔を逸らしながら再び車椅子に腰を落ち着ける。…心の準備をしていたとはいえ、やっぱりコレは、私も少し、慣れない。
(*゚ー゚)「…さて、久々に帰ってきたんだからさ。しようよ、デート」
“デート“という言葉に、ギコ君がぴくりと反応したのが分かる。相変わらず、本当に分かりやすい。これで本当に医者が務まるのだろうかとも不安になるが、それ以上に「可愛いな」と思ってしまう。痘痕も靨とはこういう気持ちを指すのだろうか。
離れている筈なのに。会える時間も話す時間も、昔よりずっと少なくなっている筈なのに。どうしてだろう。これ以上膨らむことはないと思っていた彼への気持ちや感情は、昔よりもずっと大きくなってしまっていた。

101 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:52:55 ID:s1JoDVnM0
(*゚ー゚)「じゃあギコ君、ちゃんとエスコートお願いね!」
(,,゚Д゚)「……はいはい。気が済むまで付き合いますよ」
昔は当たり前だった、今では当たり前じゃなくなった感触がまた私の背中を押している。車椅子が揺れる振動が心地いい。何の心配もない。なんなら私が自分で移動するよりもずっと安心できる温度が後ろから伝わってきた。
薄紅に染まる道の上をゆっくりと歩く。お互いに取り留めのない話をしながら、ゆっくりと、どこに向かう訳でもなくただ公園をぐるぐると歩く。そんな何の生産性もない行為が、笑ってしまいそうになるくらいに楽しく思えた。

102 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:54:45 ID:s1JoDVnM0
昔から、おとぎ話に憧れていた。皆が笑って迎えるハッピーエンドを、何よりも望んでいた。
私の人生は絵本じゃない。おとぎ話みたいに、これでめでたしめでたしとはならない。この後もずっと私の物語は続いていく。その終わりが、ハッピーエンドかどうかはまだ分からない。
今でも忘れていない。私は、一人じゃ何もできなかった人間だ。本人がどう思っていようと、私は想い人の人生を狂わせてしまった咎人だ。
それでも、私は彼といたいから。いつか何にも頼らずとも、私を救おうとしてくれたヒーローの横を、堂々と歩けるようになりたいから。この想いだけは、間違いなんかじゃないと証明したいから。
途中で、ギコ君は立ち止まって、遠くの木を指差した。数えきれないほどの桜が並ぶ木々の隙間。わずかな空間から漏れる夕焼けが、散らばった桜の一枚一枚を照らして、宝石箱をばら撒いたような美しさを生み出している。

103 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 03:59:03 ID:s1JoDVnM0

隣に並んだ想い人と目が合う。漫然とした動きでしゃがみこんだ彼と目線の高さが合わさる。覚悟を決めたような彼の表情に、私は何も言わず、ゆっくりと目を閉じる。髪が春風で舞い上がる。同時に、唇にそっと柔らかなものが重ねられる。



夕焼けで橙色に染まった桜が、とある絵本のラストシーンのように、私達を照らしていた。

104 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 04:02:19 ID:s1JoDVnM0

(,,゚Д゚)橙、You&I、0センチのようです(゚ー゚*)

  ~おしまい~

105 : ◆21584KTLe6 [] :2024/04/28(日) 04:03:06 ID:s1JoDVnM0終わりです。お読みいただき、ありがとうございました。

106 :名無しさん [↓] :2024/04/28(日) 21:19:11 ID:H43W2fn60乙乙良いお話だったしぃも端から見たら目茶苦茶努力家だし、お似合いだよ長野に旅行してみたくなった

107 :名無しさん [↓] :2024/04/29(月) 03:43:23 ID:rj1rq0A.0乙乙乙

108 :名無しさん [↓] :2024/04/29(月) 23:07:12 ID:DebGqY8k0ギコしぃは正統派で綺麗なの似合うね良い配役

109 :名無しさん [↓] :2024/05/01(水) 20:15:18 ID:GOK6RQvw0綺麗な話だった…乙