私たちの問題意識
先生がたおよび関係者の方々のご努力にもかかわらず、生徒間暴力、対教師暴力、器物破損などの深刻な問題行動がやみません。授業が成立せず学級機能が崩壊するという現象も、学校教育の根幹を揺るがし続けています。
こうした状況の背景には、子どもたちの生活の変化、親の教育力の低下、社会の価値観の多様化などが指摘されています。しかし、市民社会が到来すれば、ライフスタイルや価値観が多様化するのは当たり前のことです。時代が変わったのであれば、学校も時代に即した変化を遂げる必要があるはずです。それで初めて、適切な教育環境を維持し、子どもたちに然るべき規範意識を身につけさせることができるのではないでしょうか。
さて私たちは、従来の生活指導および懲戒の方法は、学校における学習環境を維持し、規範意識を身につけさせるには、もはや適切ではないと考えています。人が変わり、社会が変わったからです。
さらにそれは、校則の数を減らし、緩やかにすればよい、あるいは厳しくすればよいといったような表面的なものではなくて、もっと根本的なところから考え直していく必要があると思うのです。日本の学校の規則の在り方を見ていくと、それがわかります。
① 学校にはさまざまの次元の決まり事が整理されないまま慣習法的に存在し、生活全般を恣意的に規制している。
② 学校で統一された生徒規則が存在しないために、問題への対処には、個人的、経験主義的な手法が尊重される。
③ 決まり事はたくさんあるのにもかかわらず、決まりが生徒の安全・安心、学習権を守ることを目的としていない。
④ 子どもたちはそれぞれの権利をもつ個人としてよりも、共同体意識を前提とした仲間集団として認識されている。そのために、トラブルに際して教師は、被害、加害関係の論点を明確にせず、人と人との関係性において解決に持ち込んだり、情緒的な解決を好んだりする傾向が強くみられる。その結果、いじめなどの被害者を守ることが難しくなることがある。
⑤ 教師は基本的に話をして説得を試みるしか指導手段をもたない。そのために、子どもが指導を受け入れない場合には、有効な教育的手立てを講じることが難しい。
⑥ 現行の生活指導は、話をすればいつかは必ず子どもの内面に改善が得られるはずだ、改善を待って、見守って、という伝統的教育観の上に成り立っている。さらに保護者の協力的態度が前提となっているために、子どもに反省がみられず、親が学校に批判的、攻撃的な場合には、子どもへの指導が曖昧になる場合が少なくない。
⑦ 近年、学校の情報公開や保護者に対する説明責任の重要性は当然のものとなったように見える。しかし相変わらず懲戒処分においては、学校の裁量権は格段に大きく、懲戒処分の公正さを保障する適正手続きは十分に認知されていない。
⑧ さらに、懲戒に関する法制度とその運用との乖離、例えば退学と自主退学、停学と自宅謹慎の併存などが、懲戒の恣意的な拡大を生み、実質的に大きく子どもの権利を侵害する余地を作っていることも深刻な現状である。
ルール研究会では、まず最初に日本の生活指導および懲戒のシステムに内在する構造的な欠陥をあぶり出します。そして、児童生徒のもつ権利と義務、問題行動に対する指導措置という観点から、新しい生徒指導および懲戒システムのモデルを構築し、学校現場への導入を提唱します。
私たちは、日本にはびこるいじめとアメリカ各地の校則の研究からこの活動を始めました。学校は子どもたちが長い時間生活し、成長していく場です。その学校が定める規則の在り方が、子ども・若い人々の内面や行動の仕方を育てると考えます。
国際化が盛んに喧伝されて10数年、いまや、たくさんの外国の人々が日本に住み、その子どもたちが日本の学校で学ぶようになりました。国籍にかかわらずすべての人々に理解できる教育的合理性、指導の一貫性、透明性を備えてはじめて、日本の学校は信頼され、国際的に通用する次世代を育てる礎となるのではないでしょうか。そしてまた、規則に内在する公正さとの教育性こそが、若い人々の規範意識を育て、保護者や一般社会の人々からの学校への支持を勝ち得ることのできる最短距離であると信じています。
ルール研究会 代表 杉多美保子