いじめ問題が再び社会の関心を集めています。いじめは80年代から自殺などの事件を契機にたびたび大きくクローズアップされてきましたが、いまだに議論の多くが学校や教育委員会、加害者・保護者への批判にとどまっています。日本の学校への根本的な考察を欠いたまま、精神論や思い込みに基づいて対策が講じられることを、当研究会は深く憂慮します。
いじめが社会問題であり続けている直接かつ最大の原因は、日本の学校が集団性や子ども同士の関係性を重視するあまり、暴力や暴言、辱めなど一つひとつの事実行為を相対的に軽く見ていることにある、とルール研究会は考えています。
学校は子どもの学習の場であり、子ども一人一人が尊重され、学校で安心して過ごせることがまず必要であるはずです。学校には、すべての子どもの安全と安心を守り、学習のできる環境を整える法的、道義的、社会的な責任と義務があります。それにもかかわらず日本の学校には、お互いを尊重し、教育という場を成り立たせることを目的とした「生徒行動規則=ルール」が存在しません。生徒手帳には服装や放課後の過ごし方の決まりは書かれていますが、暴力や暴言などを禁じ学習環境の大切さを示す具体的な規則は明示されていないのです。
「ルール」がないということは、学校という場で何が大切かを明らかにし、規範意識や倫理観を子どもたちに育てる最低限の枠組が、そもそも存在しないということです。生徒指導を行う際に柱になるものがないため、教員は問題を個人的、恣意的に解釈、判断せざるを得ず、その結果、教員個人の力量によって指導に大きなブレが生じたり、保護者・関係者の声の大きさで対応が左右されたりする可能性が出てきます。
ルール研究会は、学級集団、仲間集団の中であってはならない行為の連鎖を未然に食い止めるために、諸外国ではごく一般的な「学校生徒規則=ルール」を、生徒指導の基本に据えることを求めます。
当研究会が提唱している「ルール」とは、
の3点を基本とし、してはならない行為と学校側の措置を明確に表示するものです。
「ルール」によって、学校という場で何がもっとも大切なのか、教員、子ども、保護者が認識を共有することこそが、子どもをいじめ被害から守り、加害者にさせないための、最短の、そして最低限必要な対策であると当研究会では考えます。
2012年11月
ルール研究会代表 杉多美保子