最も聖なる心身の状態で、他を理解し、ものごとを受け取り、対処する修練を、ブッディー(仏性開発行法)と言う。普通のヨガには信仰行法とか、仏性開発行法というものはないのである。ブッディー(仏性開発行法)は、すべてのものに価値を見、すべてに神を見る行である。
人間だけに与えられた進化できる特性、即ち仏性を開発することである。調和性を高めて心を進化させ、聖の状態に持っていくのである。同時に、体の面では適応性を高めなければならない。他の宗教では心身が弱くても聖人というが、ヨガではそれは認めない。心身が強くなくては、愛行も奉仕行も求道もできないではないか。そして、心の面の中心である仏性に対して、体の適応性を高める基本点が丹田である。
心を最も聖化させる行法とは、全てに神を見ることである。全てに神を見るとは、一つ一つのことに価値を感じることある。そしてその価値が最大に発揮されるように、相手を活さなければならない。この生き方を、ヨガでは宗教生活といい、感謝という。そういうふうに全てのものに価値を見ている状態を、キリストは「私は全てのものの僕である」と表現した。僕であるとは、いわゆる召仕いの意味ではなく、最も下座している状態、すなわち、相手を高く見ている状態である。相手を高く見れるほど、自分を低く下げているのであり、これが祈りの心である。
この行法は、具体的には、感謝、懺悔、下座、奉仕、愛行を意識的に行じることである。このように全てのものを感謝し、合掌できる状態に自分がなり、また相手からもそうしてもらえるような状態になる修養法、修行法をブッディー(仏性開発行法)というのである。即ち、すべてに神を見、神を感じる練習であり、同時に全てを神たらしめる練習のことである。自己を神たらしめ、相手を神たらしめる修行が合掌礼拝行である。この心身になるために、ブッディーを神性啓発行法とも言い、また全てのものを尊く解釈し、拝む練習をするので、合掌行法とも名づけている。人間の真の喜びは、この聖心行によってのみ得られる。このように仏性行法を行なわなければ、心は決して聖化できない。そして尊い、光り輝くような受け取り方ができる状態で、真実の喜びだけを求めるのを、法悦行と言うのである。