文章は、私の体験を中心に書きました。佐藤松義より
人間としてどう生きるか
序文
私は若くして胃腸に大病を患い、1978年当時静岡県三島市にあった沖ヨガ修道場に入門した。
道場生活はスケジュールに従って朝から夜中までヨガの行法を実践するものであった。
朝5時に起床し読経から始まり、清掃行法、ジョギングなど運動の後、水浴を行い、浄化法、柔軟法、ヨガアサナや生命力強化法を午前中に行った。午後は2時間の休憩の後、武道や茶道などを学び、沖導師との質疑応答を行った。夜は瞑想行法を中心に、グループ勉強会を行う他、鍼灸や温泉など様々な治療の体験をしたり、1日の反省文を書くなどの精神修養を行い夜11時に就寝する生活であった。
食事は、ヨガ自然食に基づいて玄米菜食を中心とした小食多種類を実践した。朝は味噌汁1杯だけ、昼は玄米菜食、夜は麺類1杯だけで、およそ1日1000カロリーしか摂取していなかった。
その生活を2週間続けたときに、何年も悩まされた胃腸の痛みが消え、3ヶ月続けた頃には、すっかり完治したことを実感した。道場に入門する前は、医者からすぐに手術しなければ治らないと言われていた病気が完治したのである。
道場には私の他にもあらゆる病気や悩みをかかえた方が来ていた。病気や悩みの種類も肉体的なものから精神的なものまで様々であったが、道場生活を積極的に実践することで、一様に個々の問題を改善し帰宅するところを目の当たりにした。
しかし、病気治しのためにヨガが有効であるといいたいわけではない。
私が得た最も大きなものは、
『病気は悪いものではなく、人間がどのように生きるべきかを教えてくれた感謝すべきものであるということに気がついた』ということである。
病気を通じて、自分のそれまでの生き方を悔い改めることができたのである。
ヨガを知る以前、私は病気の原因を食物に含まれる農薬であると考えたり、親の育て方が間違っていたと考えたり、社会システムのストレスによるものであると思い込んでいた。つまり病気の原因をすべて自分の外側にあると考えていた。その頃の私は、病気の苦しみの責任を他に転嫁し、自己中心的な生き方をしていた。
それが、ヨガ道場での生活体験を通して、すべての原因は自分の中にあることに気づかせていただき、運命の作り主は自分であることを自覚させていただいた。
正しい考え方をし、正しい行動をし、生活を正した結果、そういう気持ちが自然に湧いてきた。それと同時に、自分の内側から絶え間ない喜びが湧き出てくるのを感じた。道場生活によって、生き方が180度変わることとなったのである。
私をヨガという精神世界に導いて頂いた恩師である沖正弘導師は自分に厳しく他に優しく愛情を持って接し、無条件に自分の命を他に全身全霊で捧げる生き方を最後まで貫き通した人であった。まさしく、現代のヨガ聖者の一人であると確信している。
ヨガは、人類が蓄積してきた、生活の知恵である。過去の先駆者が命がけで実践し体験した真実のみが今日伝えられている。それは一過性のものの見方、考え方ではなく、永遠に変わらない真実を述べている。
この書は、現代社会の生活で起こる問題を解決する指針となるよう、分かりやすく解説された良書である。ヨガは、単に健康法を説く道具ではない。あくまでも現実生活に乗っ取ったあらゆる問題と人間生活の中で正しさを見失い、悩み苦しむ人たちに贈る書である。
今、世界のヨガ界の中でも、台湾は技術面、精神面でもトップクラスにある。もし経験を積んだ指導者から学びたい読者には、台湾沖道ヨガの各支部、教場を訪ねていただきたい。
口述筆記 Mr,yuuji