ヤマ(禁戒)
1. アヒムサ-(非暴力)Ahimsa
あらゆるものを生かすこと、即ち愛することを考える。
(一)殺すな、(二)害するな、(三)犯すな、(四)傷つけるな、(五)苛めるな
2. サティア( 真実のみを語れ)―真実のみを求めよ、ということである。
3. アステーヤ(盗むな)
我々の物質文化の殆どは他国の人達の努力の結晶を頂いたものである。もしこの御恩に対して感謝を感じ、報恩の奉仕行を行なう生き方をしないと、他人の血と汗と努力を盗むことになる。
4. ブラフマチャリア(邪欲を持つな)
与えられるべきものを欲することは自然の欲である。ところが人間の場合、当然与えられるはずのないものまで無理にほしがることが多い。邪欲を持つと、今与えられていることへの感謝の念も起らなければ、今与えられているものを最大限に生かそうという生き方もできない。他人のものまで欲しい強欲心から、不平不満、憎しみ、怒り等が生まれてくる。しかも人間は、一切いかなる問題であれ、それが自分に都合のいいように処理され、解決されることを望み、自分の欲するものがそのまま与えられることを願いやすいものであるが、この邪欲は無理なものであるから苦しみが生まれるのである。一切の「お与え」の縁をたとえそれが苦しみを伴うものであったとしても、尊いお与えであり、教えであると感じて、それを自分の進化のための教材として活用する生き方をする。邪欲を捨てるには、問題は解決されるようにしか解決されはしない、なるようにしかならないという心になることである。与えられる時には与えられ、失うときには失うのである。会わなければならない人や物には、自分の好き嫌いに関係なく、とにかく会わなければならないし、別れなくてはならない人や物とは、好き嫌いを問わず別れなくてはならないのである。会うべき者や事には無条件に会い、別れるべき者や事には無心で別れる心にならなければ、「おまかせ」の境地にはならない。一切の「お与え」の縁をたとえそれが苦しみをともなうものであったとしても、尊いお与えであり教えであると感じて、それを自分の進化のための教材として活用する生き方が信仰者としての生き方である。
5. アパリグラハ(無所有)
無所有というのは、所有するなとか所有しないという意味ではない。当然所有してよいものだけを所有せよという意味である。自然に与えられるもの、それが所有してよいものである。たとえば、今筆を走らせている私のこの右手、これは自然から与えられているものであるから、所有していることに何らの負担も感じないし、重荷でもない。しかし自分のものでもないものをくっつけたとしたら、それがたとえ十グラムのものであってもひどく負担になることだろう。所有欲が邪欲と抗争を生むものであるから、この欲を放下しない限り、人間社会に平和はつくりだされない。所有するなとは、すべてのものを公的(全体的)なものとみなして共有することである。たとえば、「自分の土地」は自分だけのものとして扱うのではなく、社会全体生物全体の土地をお預りしていると思いなさい。この地球は、地球上に生きるすべてのものに活用する権利が与えられている。人間も草も木も犬も描も同等の権利をもっている。しかも、人間の場合、人間だけに与えられている知性と創迫力を地球の全生物のために活用し、地球のすべてを守る義務を負っているのである。我がもの、我が土地、我が家、我が子と思いやすい。この「我が」を放下するのである。自分だけ幸福になろう、自分だけ得すればよい、自分だけを大切にしようという欲望を捨てなさい、が無所有の教えである。人類の最も自然なあり方は、生かし合い、助けあい、教え合う共存共栄である。
共存共栄が真の意味のバランス、すなわちヨガであって、ここにのみ真の平和世界が実現するのであり、ヨガを教えている目的は、このことを説くためであり、このことが沖ヨガの生命である。
1. 心身を清らかに
正しく清く生きるためには、自分を偽らない生き方をすることである。自分にそぐわないことは一切求めず行なわない。たとえば、私の体に合ったものを食べた場合、私に合った血ができるが、合わないものを食べると合わない血ができる。合わない血、すなわち濁った血、汚れた血であり、これが病気のもとになるのである。自分にふさわしい生き方をし、自然の考え方と自然な生き方をすることを心掛ける。男は男らしい考え方をし、男としての責任を持ち、義務をつくし、男らしい生き方をする。そのものらしい生き方が自然な生き方である。
そして、わからないことはわからないのだから「わからない」と、わかることはわかるのだから「わかる」と言い、正しいことは「正しい」と言い、間違っていることは「間違っている」と言うのである。嘘の生き方が人間を汚すのである。自然は浄らかである。
2. 足ることを知れ。満足せよ
苦しみや不幸な目に会った時はこのように解釈する。自然は、一切の生物に対して必要なものだけを必ず与えて下さる。だから、病む時には病めばよく、与えられる時には貰えばよい。その人にその時その所にちょうど必要なことしか起こってこないのである。今自分に与えられているものが一番自分に必要な事と物であって、一番価値のあるものである。
3. 訓練せよ
訓練というと苦行のイメージがあるが、そうではない。人間生活とその環境に最高に適応して喜んで生きてゆくためには、訓練が必須であるということである。人間だけには、意識的に適応能力を高めうる能力が与えられている。文化生活の度が高くなる程不自然性が多くなるから訓練の必要度も高くなってくる。また、文化生活は過剰保護の生活だから、昔の人よりも訓練することが必要かつ自然なのであるが、我々はその逆の状態で生きているから難病が増え、心の異常が増えるのである。
4. すべての中に神を発見する
すべてのものを神として見、かつ扱いなさい。すなわち、あらゆるものの中に尊さと価値を見出しなさい、創り出しなさい。自己自身の中に神を発見できたものだけが他の中にも神を見ることができる。私のなかにもあなたの中にも神は常に存在する。
5. Tapas(タパス)けじめをつけよ。実践せよ。修行せよ。