杖道から惑星軌道へ
このページは、東京大学情報学環文化・人間情報学特別講義 I(2010)「アートの作り方」のなかで3週にわたった講義とワークショップの記録です(△---編集中、近々全編公開準備中!)。
杖道の流祖夢想権之助が籠もった「普地の窟」と近代的な安藤忠雄設計の福武・ラーニングシアターが=に思える・・・ここから新たな神話がうまれるのか?!→普地の窟【資料】)
Jodo and Art 2010@Special Lectures in Cultural and Human Information Studies I of The University of Tokyo
Jodo is a school of Japanese martial art with Kata, formation of various movements. This is an experiment for
new artistic expressions based on Jodo, which has 400 long years of history.
2010年11月10日
■11月10日、17日、24日、3週連続、講義&ワークショップの初回,
こんな構図を示してはじめる↓ ★この講義ついついtweet → http://twitpic.com/35v59j
1)連画、観ることは描くこと
イメージをぶつけあう闘い、熾烈な対話の中から作品群が生まれる。
連画は、まさに仕合だ!
web 「春の巻」「未来の標本箱」 安斎利洋×中村理恵子 →連画スクラップブック【資料】
エッシャーの「描く手」から話を始める,
一方的に観る人、描く人ではない循環が起こるシステム,
一度連画にはまると、「あなた描く人、わたし観る人」という構図が非常に退屈、
それはまるでひとりバッドをもって素振りするようなものだから、→連画脳になる,
連画的な対話と、杖道的な対話について。
2)杖道とは、400年前に創始された形(型)武道
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(wikipediaより一部引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/杖道 )→English http://en.wikipedia.org/wiki/Shinto_Muso-ryu
杖道(じょうどう)は、杖(じょう)と呼ぶ木製の棒、および木刀を用いる武道(形武道)である。
宮 本武蔵と同時代の夢想権之助を開祖とする「神道夢想流杖術」を基に、清水隆次、乙藤市蔵が制定した杖道の流れを汲む「全日本剣道連盟杖道」が現在最も修行 人口が多く、一般に杖道といえばこれを指す。その内容は、両手を広げた両掌中の程よい長さの杖を用いて左右均等(左太刀的)に千変万化の「打つ・突く・払 う」等の技を繰り出すものである。使用する杖は神道夢想流杖術の流派杖である長さ4尺2寸1分(約128cm)、径8分(約24mm)の白樫の棒が標準で あるが、本来は、立って足下から胸の高さまでの長さが良いとされている。太刀は3尺3寸5分(101.5cm)、柄の長さ8寸(24.2cm)の白樫の木 刀を使用する。最大の団体は全日本剣道連盟杖道部である。通常稽古されているのは、本来「捕手術」に用いられていた実戦的で危険とも言える「杖術」を、広 く普及するために、神道夢想流杖術の形から日本剣道形と整合した杖道形として1968年(昭和43年)清水隆次、乙藤市蔵により原型が制定され、その後改 良が加えられているものである。
「全日本剣道連盟杖道」は、一人(単独)または二人(相対)で行う基本十二本と、二人で攻撃防御の形稽古 を行う杖道形(組形)十二本がある。特に形では、打太刀(うちだち)、仕杖(しじょう)に分かれ、攻撃防御を行う。気合は打ち込みで「エイッ!」突きで 「ホォッ!」と力強く発声する。
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古歌に、「突かば槍、払えば薙刀、持たば太刀、杖はかくも外れ(はずれ)ざりけり」とある。
槍 薙刀 太刀の長所を取り入れたて、左右等しく使う 。
この技を創始した夢想権之助は、「我思う、ゆえに我あり」のデカルト(1596年- 1650年)や宮本武蔵(1584年? - 1645年)と同時代の人です。
@動画 『マエストロ・デ・武道』(演武:神之田常盛×ドナルド・ドレーガー/1980年、フランスにて撮影)
杖(じょう)、128cm長さ、2.6cm直径×太刀 (△この動画は現在リンクされてません)
実演1 基本単独技→グリップも刃先もないシンプルな白樫の杖(じょう)、回して使う。
:日本杖道会 杖道六段:矢口真知子
→みんなもやってみる、体験してみる。
実演2 杖道形(型)→闘いの現場で活きる、もっとも効率的で洗練された体の動きを凝縮したもの、64ないしは72の組み手がある。
形(型)名:物見(ものみ)、太刀落(たちおとし)、雷打(らいうち): 【打】矢口真知子×【仕】中村理恵子
実演3杖道のメタ認知、解説 ・・・【打】中村理恵子×【仕】矢口真知子
→横からみて 、太刀の肩越し杖の肩越しからと、いろんな方向からみてほしい
太刀の動きを杖が防いで攻撃に転ずるという連続した流れがひとつの形(型)となって、まるで立体的なパズルが合わさるように決まる。
● 以下は、杖道のメタ認知 (△編集中)
1)太刀:八相に構え×杖:矢止めの構え(常に相手の目、顔面を攻める)
「いくぜ!」×「こい!」
2)太刀と杖があう 、太刀が斬る
「いよいよいくぜ! 」
3)杖、一動作で受けと攻撃;肘止め水月(鳩尾)を突く (画像は、↑その瞬間)
「そうはさせないわよ!、あら鳩尾にすきあり、でも太刀も止めないとをっ!!」
4)太刀、1歩退き、再度斬ってくる×杖、体を左にかわして太刀を止めると同時に脾腹をつく
「 うわっ止められた、ならばも一度斬ってやる!」×、「死にたくないもんかわしてやる、あら脇が甘いじゃない、」
5)杖、相手の顔面につけ残心を示しながら納め 、太刀、参ったと構えをとく
「どうだ、さがーれ」×「はい、まいりました、もう斬ったりしません。」
3)杖道は、形(型)という情報をもった芸術である
・真剣形;命がけの攻防パターンが非常に対話的、連画脳に響く。
・洗練された運動感覚が、連画脳ひいては新たな創造のセンスを拓くと直感する。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に杖道の奥義を直感する師匠たちがいる。
128cmの杖(じょう)を滑らせて左右から自在に繰り出すとき林映子杖道八段は言う、
「まさしく杖道だ。 この絵ね、これね、杖の運用なんです。杖道は、芸術だとおもうの。形は形であって形でない、きっちりやることで自由になれる」」
すぐれた師匠たちは自分たちを器として形(型)情報を受けとめて次の世代へ注ぐ 、
その様子は、まるで”カモがねぎしょってあっちからやってくる”そんな美味しい情報というか、理想的なシステムにみえませんか?
●杖道には、あのスターウォーズに登場するジェダイマスター・ヨーダのような師匠たちがいる
江戸から明治への架け橋となった白石範次郎は篤姫と4つ違い だし、ピカソやマティスと同年代の清水隆次師範や乙藤市蔵 師範たちが現代に杖道を伝えた。
4)アーティストは意外に武道好き?
●幻のフジタ作品「争闘」を鑑賞
藤田嗣治は1920年代のパリで柔道にいそしむ、あの繊細な描線、質感で女や猫を描く作家が!?意外じゃん。
わたしの中では「杖道の男」ともいう、制作中アトリエには、延べ50人の武道家たちがモデルとして出入りしたと云う。
@
(「月刊武道」2008年1月号、P.79)
●あの岡本太郎もそのころ一緒に稽古した仲で、40代半ばで直滑降専門のスキーヤーとなって曰く、
「瞬間、全身にどっと湧きおこるアツイ戦慄。」
この運動感覚がアーティストとしての脳みそに染んで『太陽の塔』に結実したのか。
19歳から29歳まで異国で過ごした太郎は、こんなことも言っている。
「画家でありながら、絵筆を捨てて数年間、ソルボンヌやミューゼ・ド・ロンムにこもり、およそ芸術表現とは正反対な民族学(文化人類学)、哲学、社会学を勉強した。私自身はそれによって、全体的に生きることの意味をつかんだように思う。 」(対話:岡本太郎 泉靖一「日本人は爆発しなければならない―日本列島文化論」 )
ゲスト アーティストと武道について、水谷長志さん(東京国立近代美術館主任研究員/アートドキュメンテーション学会)、学生時代は、能三昧、最近は弓道にぞっこんだそうだ)からコメント
弓道については、新しいことにチャンレジしたいということです。形のところで直接アーティストと絡むところもあるんですけれども、弓道をやっていると「生 気体」という言葉があって、常に次のステップに動けるように、静から攻撃なり防御なりへ動けるということが一番大事だと、教わります。それは能でも同じで、シテはずっとただ佇んでいるのではなくて、あたかも静かに回転している独楽のように佇んで、静止的でスティルな状態だけれども、いつでもアクティブに動けるというような点では、能でも弓道でも同じだと思います。
アーティストの場合も常に破綻を求めるんじゃなくて、あるひとつのスタンスがあってそのスタンスから動くという点ではつながっていくのかな、と。同時に岡 本太郎にしろ、藤田嗣治にしろ極めて正当なオーソドキシーをきちんと持った上で破局に動ける、という意味では、彼らはきちんと若いときに「生気体」を身に つけていたのかなと、少々こじつけですが、考えます。
5)形(型)がおぼえられない
なかなか杖道の形がおぼえられない ,杖道の形を正確にきっちり修めるのはムズカシイ。
体ってのは自由なようで、意外に決まりきった日常の中の動きしか知らない。
命をかけた闘いの中から掬い取られた杖道形には、人の能力を最大に拡張させたときの美がある。
ビデオや教本ではダメだ ,
自分の運動感覚、内側で起こってること、相手が押してくる空気やどくとくな描線、空気の形が一体となったものをいかにとらえるか?
観客目線;側面から形(型)する人たちをみても、実際に向ってくる相手のタイミングや動きはわからない。
ならば、真正面から対象をとらえるべきか?
@動画 「真っ向撮り」(連画チャンネル@youtubeへ)
●天才的な数学できる幼稚園児とし海のこと
彼は、どういう流れで解法してるのか謎だけど・・・ある日、「でもね、基本はね1+1= 2ね」とヒツコクおせーる大人がいた、、、しばらくしてとし海の謎の解法回路が失せた、たぶん彼は真っ向撮り的に数学をしていたのだ。
ゲスト 二の橋連画@ICC連衆、A社でオンラインゲームの開発に関わる伊藤澄夫さんからコメント
形の話を聞いてなるほどなとおもいました。モーション形式というのは、あらかじめデータベースでモーションをあらかじめ統一しておいて検索をかけるというのが基本ですが、あらゆる動きがくると思って検索をかけるととてもCPUに負荷がかかるんです。現状でリアルタイムに計算量を減らそうと思うと、ある流れに沿った動きをどうしたらすべてたどれるかを考えて計算負荷を減らしてやらないと、すごい時間かかっちゃう。
人間もちょっとでも間が空けば分散してしまうわけで、考える暇もなくすばやく動けるために形ができてきたんじゃないだろうか?
6)どっちの猫が勝ったのか?
@動画 自然界の熾烈な対話「猫の死闘」(連画チャンネル@youtubeへ)
●審判してもらう
格闘としてみればそれは黒ちゃんの勝ちでしょう。三毛が怖気て前足を少し引いたでしょう、あれが決定的、だから黒ちゃんはそれ以上襲うことはしなかった。立派。
7)真っ向撮りのブレは失敗にあらず、みえない描線がみえる
エレガントで精緻な杖道形を稽古する中で何かが兆すことがよくある。
みえないかたちが、みえたと感じるときがある。
空気のかたちや、迫ってくる時間の描線とでもいうのか。
視覚的に入ってくる情報をいちいち脳みそに渡さず、大きな筋肉や神経へいきなり落としていくようなイメージで。
自分に向ってくる相手、それに応じる自分をひりひりと実感したい。
実演4 真っ向撮りを再現、お互いにカメラを体につけて撮り撮られる
わたしも動く相手も動く、相互に撮りあう →動体×動体への大事なアプローチ
●製品もいろいろある
これらのルーツは、ヴァネーヴァー・ブッシュか?
●杖と太刀をデジカメとペンライトに持ち替えて→動体×動体
杖道の形と、惑星軌道に想を得て「描き描かれ」という新しいアートを実験してみる。 惑星は天球上で、心を惑わすような動きをします。観測者も観測される対象も、動くから。 惑星のひとつである地球上から他の惑星をみたら、自分を中心に定まった点からみた軌道とは違う軌道がみえてくるはず。 ペンライトもって空に描くヒトも動く、デジカメをもったヒトも動きます。
描画材料考察 試し描き
●動体×動体への試み初回→11月17日
かめはめ派
風神雷神派
2008 ●2009年「ダ・ヴィンチの絵をみたとき確信したの、杖道は、芸術以外のなにものでもない」(ダイジェスト@mixi日記より)
http://rieko.jp/mixi/diary/1353059520.html
(△---編集中、近々全編公開準備中!)
2009