はじまらないシンポジウム(2011)
シンポジウムはたいてい、控室が面白い。
いざ本番が始まると、「私」の一貫性を維持する回路が働きだし、すっかりつまらなくなったりする。
そこで、控室の創発的談話空間をめざし、あえてシンポジウムが「はじまらないシンポジウム」。
「形」の始原をめぐって独特の創作をつづける二人をゲストに迎え、創造的雑談に徹します。
日時:
2011年1月12日 午後6時15分~ (終了しました)
場所:
東京大学福武ホール 福武ラーニングシアター
参加申込:
(なにしろ控室なので)公開講座ではありませんが、入り口は開いています。事前の申し込みは必要ありません。
まれびと:
木本圭子
アーティスト
数理的な手法による造形で、平成18年度(第10回)文化庁メディア芸術祭アート部門大賞受賞
http://www.kimoto-k.com/profile_jp.html
Imaginary・Numbers 工作舎
登崎榮一
アーティスト
モナシュ大学アート&デザイン所属、メルボルン大学哲学科フェロー(イメージ論)
Netaro's photostream
バイマニュアルドローイング
中村理恵子
安斎利洋
蝕 Eclipse2007 (登崎榮一・中村理恵子・安斎利洋)
拡張まれびと
後半は、情報学環の当講座受講生のほか、昨年のまれびと、まれびとの友人などが雑談に入り乱れます。
小林龍生さん、陣内利博さん、宮原美佳さんが参戦予定。
陣内利博さんのダクミー・ドーム(2009) 昆虫の複眼を体験する
Twitter上で終わらない「はじまらないシンポジウム」
@ToshihiroANZAI:
はじまらないシンポジウム、深まらず広がらず、にもかかわらずたくさんの小さい分岐の芽が見えて、そこはかとなくいい時間でした。まれびとのみなさんありがとう。といっても登崎さん木本さん陣内さん、みんな非twitter人なんだよな。
@tlk714:
木本圭子は選び取ると言った。安斎利洋は彫ると言った。アートの二つの在り方。
@casheept:
「はじまらないシンポジウム」、とても面白かった。多分半分も理解できていないが、その半分以下でもわあっと感動的だった。ゾクゾクとすることばもあった。あぁいう大人になりたい。ステキ!
@kiharatamio:
『はじまらないシンポジウム(2011)』今日の話題:足首、会社員、川端康成、東山魁夷、田辺聖子、前方後円墳、棚田、戦艦大和、しまなみ海道、難読地名、ニコン、、 #cambriangame
@kiharatamio:
もはや主体の変容や喪失は強調すべき主題とならない。影響は普通である。日常としてのカンブリアンゲーム。食事や睡眠のように反復継続し、小さく発散し、時には異様を受け入れる。安定したシステム。想い出づくり。 #cambriangame
@kiharatamio:
もともと似たもの同士が差異を強調していくのではなく、あえて似せて埋没していく仕組み。誰の行為かわからないイタズラみたいに。 #cambriangame
@kiharatamio:
カンブリアンゲームで涙が止まらないような感動は難しい。その代わり、知性と見守りと遊びの場がある。反復に耐えられる読解困難性がある。 #cambriangame
@ToshihiroANZAI:
木本圭子さんと「結合が切れている仲良し」にについて、いたく共感しあう。ポリフォニーがポリフォニーに聞こえるのは、声部同士が他人のふりをしている時間があるから。
@ToshihiroANZAI:
昨日の「はじまらないシンポジウム」 http://bit.ly/evOffr で、@hirougayaさんの http://bit.ly/gJxdhq が話題になりましたよ。
@hirougaya:
わあ!なんて光栄なんだろう!感激しました。
@nishinojunji:
スカイツリーの真上の満月はだれでも見れるものではないから写真的価値があるけど、だれもが見ている水にゆらめく色を切り取って再提示するのも価値がある。ナタの一振りか、彫るか、あるいは育てるか。大差ない気がする。
@miyabara:
はじまらないシンポジウム@東京大学福武ホール アーティスト登崎榮一さん 木本圭子さん 中村理恵子さん 安斎利洋さんたちのエロい話を聞く。あっ、間違えた。面白い話を聞くw 刺激的な話を聞きながら頭のなかは杖道に置き換えて捉えている自分を発見。
@miyabara:
集団創発力はどうやら信頼と見返りが必要なようです。信頼の基盤のある集団で、自分の創発が何らかの波になることが予想できることが必要。あとは権威主義な頭の持ち主が全体の20%以下であること、などの条件かな。
@kanakana29:
昨日はじまらないシンポジウム(...)でなんで人形とかペット風のロボットばっか作るの?もっとへんなロボットがあってもいいのに、と木本先生が仰ってたのはなるほどそのとおり。
●以下西野さんの連続tweet
@nishinojunji:
木本先生「割り算ができる人類はすごい」。同感。
@nishinojunji:
割り算は、かけ算の逆関数。でも内省してみるに、心理的実際には「掛けたらその数になる数はいくつ」を「予測」している。予測するという行為が割り算の実体だと思う。
@nishinojunji:
人間のする予測は、複数の大規模の可能性をリストアップして、そこから制約に適合するものを選択するプロセスだと思う。ようするに、あれこれを瞬時に脳内で試すことが予測。割り算の答えを求めるのもじつはこれ。8÷2をみたとき、2x4を想像している。
@nishinojunji:
はじまらないシンポのめざす、はじまらなさ、の実現は難しい。帰りの電車で思ったのはやっぱり人数。互いにシンクロしながら会話できる同時人数の最大値というものがあるのではないだろうか。って、あると思ってるのだけれど。
@nishinojunji:
「参加者」全員が話しを引っぱりまげのばしして、創発的な懇談になるための最大人数。集団によっても変わりうるもので、集団のなんらかの特性のレベルの差だと思う。なにのレベルだろう。かりに集団創発力と名付けておこう。今日はおもしろかったけど、創発的ではなかったと思う。
@nishinojunji:
なんらかの機械で、集団創発力を発揮可能な最大人数をふやせるだろうか。2009年のはじまらないシンポではtwitterとustreamとアナログカンブリアンを使っていた。これもとても面白かったけれど、話しに加わる人数が増えたのではなかったと思う。
@nishinojunji:
道具が人間を、卑近な意味では人間の能力を、拡張する。集団を拡張する道具はあるのだろうか、という問い。映画、TVというメディアは垂直な組織構造の末端を横に拡張する効果があり社会が変わった。今のネットには垂直でない組織への効果を期待したい。でもまだそこまでのチカラはない。
@nishinojunji:
登崎先生の「二筆描き/BCD」Bimanual Coordination Drawing。おもしろい「道具」であると思った。両手を非同期かつ同時に使うという困難さが生み出すもの、は、すなわち両手描きという道具が人間のなにを拡張するか、という問いにひとしい。それを自らの身体で30年
@nishinojunji:
BCD/二筆描き : http://bimanualdrawing.wordpress.com/
@nishinojunji:
中村さんの杖道関連では円が話題だった。でも、杖道は円ではなくトーラス/ドーナッツ型の2次元多様体だと思う。球でもない。
@nishinojunji:
円は2次元多様体のある断面によくでてくる。また腕関節を中心にした回転運動は一見したところ円になる。その意味では杖道や武道の動きの多くは人間の腕関節に起因するので局所的には円の動き。
@nishinojunji:
杖道武道の円の動きはトーラスの上だと思う。球の上だといきづまる。
@nishinojunji:
トーラス上の螺旋は二つの意味で無限に進む。ひとつは穴を巡ってもどってこれること。もう一つは無理数的にほんとに無限に進める。
@nishinojunji:
トーラスを切り開くと、ドラクエのような世界で上が下につながり右が左につながる。横が 1、縦が1だとして、横に1進むたびに縦に√2ずつ上がるナナメで進むと、二度と自分のところにはもどってこないし、これまで歩いたところには重ならず無限に進める。一度実体験してみたい。
@ToshihiroANZAI:
確かに杖道の持ち替えの動きは、左右の問題というより、トーラス画面上で、端点が画面右に切れたのが左から出てくる感じだ。色彩環のように、いつのまにか紫をまたいでいる感じもある。RT @nishinojunji: トーラス上の螺旋は二つの意味で無限に進む。
はじまらないシンポジウムには、おわりもないのでしょうか?
つづきはチムニーにて、幹事>宮川さん、たいへんお疲れさまでした。感謝!
昨年の「はじまらないシンポジウム」の記録