動体×動体ワークショップ

ダンスとしての絵画

もし人間が、長時間シャッターで撮った写真のような長い残像を蓄積できるとしたら、人間はたぶんその残像を利用して、砂に文字を描くような記憶の形式をもったことでしょう。

もし人間が、砂の痕跡のような記憶をもっていたら、絵と舞踏は同じ表現を意味したかもしれない。

写真家がダンサーを撮影するとき、絵を描いているのは写真家か、ダンサーか。

杖道の話から得られたいくつかのエッセンス、 対話性、対称性(身体の左右、杖の手元と先端)、型(形、パターン、定跡)。

これらを頭の片隅において、杖をカメラに持ち替え、撮ることと撮られることの斬りむすぶ運動を写真に写し込むワークショップ。

導入

動体WS初日

絵や写真は網膜に静止した像の延長であり、線は物体の輪郭であるけれど、一方で線は運動の痕跡であり、運動を喚起する状態の配置でもある。

写真に像を写し込むことは、像に時間をたたみこむことでもあります。

17日のワークショップ初日は、まず写真に時間を写し込むテクニックを、その1から3まで順を追って習得。

動体WS二日目

24日は、初日の経験をもとに「動体×動体」に挑みます。

準備

その1. ブレ写真を撮ってみよう

まず、動体を写すところからはじめます。

Ernst Haas

自分のカメラに合った、ブレ写真の撮り方をみつけます。

その2. ライトペインティングを楽しもう

次に、自分自身が動体としての被写体になってみます。

ピカソのライトペインティング

ライトペインティングは流行っているようで、ネットにたくさん作品や情報があります。

このテクニックだけで、すっかりはまってしまいそうな、ディープな世界です。

いくつか、技法的に気付いたこと。

光源をいくつか作ってみました。

ライトは100円ショップ製。

左から、スーパーボール、ピンポン玉、化粧品の蓋をそれぞれ散光に用いた。

以下、ネットから拾ってきた作品。

リンク:

友達の結婚式のために作っている。こいつらすごい。

TAKEAKI & MAYUMI PiKA PiKA The Movie

http://msbplus.jugem.jp/?day=20100511

Learning Light Painting 

http://abduzeedo.com/learning-light-painting

ライト・ペインティング2.0!光のアート集団「Lichtfaktor」とは?

http://white-screen.jp/2009/09/lichtfaktor.php

↑彼らの使っている道具

http://www.flickr.com/photos/lichtfaktor/2590165084/#/

これはいったいどうやってるんだ?

Light Painting - Light Graffiti - Ford Kuga (Table)

http://www.youtube.com/watch?v=WVaxuIKPKvU

その3. 円相

次に、撮影者としての自分が動体となり、世界のあらゆる光を絵画に変換します。

円相は、禅宗において悟りの形象をあらわす図像で、こんな本もあります。

幸村真佐男は、カメラ自身を回すことによって、円相の運動を写真に写し込みます。

カメラを自在に動かせば、写真は被写体を筆にして、どんな形も描くことができる。いわば静止した筆に紙をあて、紙を動かすことによって絵を描く。

「円相」シリーズは、幸村真佐男の奇想天外なパラドックスです。

幸村真佐男『zen ensoh』

http://www.flickr.com/photos/fomalhaut/sets/1667101/

幸村さんに倣って実際にやってみると、思ったより簡単じゃありません。カメラは、振らずに平行移動するといいようです。

幸村真佐男

円相(wikipedia):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%9B%B8

その4. 動体×動体へ

最後のステップは、向かい合った被写体と撮影者が、お互いに撮影者と被写体でもあり、お互いに動きながら光りあい撮りあいます。

それぞれが、動体としての円相撮影者であり、ライトペインターとしての被写体でもあります。これは非常に複雑で、難しい課題です。

惑星は天球上で、心を惑わすような動きをします。観測者も観測される対象も、動くから。

動体×動体では、まず描く人たちと撮る人たちが、それぞれ歩き始めるところから始めてみます。

描く人は、自分がここにいることを光の軌跡であらわします。撮る人は三脚を外して、描くひとひとたちの中に入っていきます。

楽譜のト音記号の位置から、終止線の方向を眺めることを想像してください。

描く人もまたカメラをもち、撮るひともまた撮られるところまでいたれば、たとえば以下のようなことになります。

AとBが向かい合い、たがいに相手を撮るために動く。その動きを相手が撮る。相手もまた撮るために動く。相手の撮るためのうごきを撮る…

Bを撮るためのAの動き

↑ ↓

Aを撮るためのBの動き

まさにエッシャーの絵の循環の中に閉じ込められます。

ムサビ基礎デ「オートポイエーシス論」において、つい先日行った「動体×動体」ワークショップの成果があります。(掲載予定)

これをミームとして、より先に行く方策を練りましょう。

(安斎)