ブリコラージュを手懐ける

2010/12/1 ハンドアウト(安斎)

象徴は、それが象徴化するものよりも現実的なものである。シニフィアンはシニフィエに先立ち、それを規定する。

(『マルセル・モース論文への序文』レヴィ=ストロース)

ブリコラージュ(器用仕事)はこんな風景

レヴィ=ストロース『野生の思考』によれば、野生のひとびとの中に、ブリコルール(ブリコラージュする人)がいる。

彼らは日常「何の役にたつかわからないが、きっと何かの役にたつもの」をコレクションしている。

なにか問題に直面すると、計画されたものではなく、拾ってきた素材、使い回された破片など「ありあわせのモノ」でやりくりし、解決する。

神話も同様に、使い回された物語、出来事の残滓などからブリコラージュで作られる。

夢もブリコラージュ

深い記憶、昨日あったこと、これらありあわせの断片が組み合わされる。

秋月電子通商における「野生の思考

秋月電子通商には、ブリコラージュ思考のモデルが詰まっている。

秋月は、量産ラインの余りなど「ありあわせ」の部品を大量に安価に仕入れる。

「ありあわせ」によって網羅的なレパートリーをめざすが、完全ではない。

レパートリーの組み合わせでできることを、実験的に探索し続けている。

手持ちの部品の組み合わせでできることを、「キット」というパターンとして記憶する。

キットには、中間モジュールや、測定機などの「道具」もある。

ブリコルールにとって、ツールづくりは目的でもあり、道具は素材でもあり、対象と手段の分業はない。

ブリコラージュは、シニフィアンの一元論的な空間において起こる。

秋月電子通商(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%9C%88%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%80%9A%E5%95%86

「マチスましーん」におけるブリコラージュ・システム

http://cambrian.jp/matissemachine/

マチスプールには、完成してスキャンしたあとの作品や、切りくず、残滓が蓄積している。

古今東西の「戯れるシニフィアン」コレクション

ネタバレのため掲載しませんw

(一部、mixiのコミュへ)

ブリコラージュを手懐ける