問いと答え
2006/1/15(日) 午前 3:29
占いで問えば、答えが乗って返ってくる。
問いかたが様々であるように答えも多様になる。
もちろん答えがまるで乗らないこともある。
問いと答えの関係を占ってみた。答えが十分に反映して乗って返ってくる問いはどういうものかが知りたかった。
問いはぎりぎりの決断にいたるときの問いを必要にするとでた。、
そうすれば、問いと答えの時間差、空間差、状況の差を埋める、問いと答えがピタリと一致し両方とも震えるような驚きがあるという。問いの質に応じた答えがあるという。
問いと答えは両方の共同作業なので、問いが軽ければ軽く、問いがいい加減なら答えもそのようだし、どっちでもいいような心構えなら答えは適当だし、答えによってはじめて態度を決めるようなら問いを問いとして認めてもらえない。
2006/1/15(日) 午後 5:30
普通は、問えば答えるというが、占いの返答は違った。
通常は質問をしたあとに答えが乗って返ってくると思われている。実際にも時間的に差がある。
占いの返答を読み解くとそういうことではないらしい。
問いと答えは共同作業だと占いは答えている。そして問いを発したときには既に、答えは決まっているとでている。
つまり、問う人の状況に応じて、その人が卦を求め始めたときに答えは問う人の状況を反映しているという。
問う人が答えをあてにして、返答しだいで態度を決めようというとき、答えもそれ相当のことしかでてこない。十分に真剣か、まったくあてにしただけのものか、等々の返答をだすようだ。
以上は連続した易の回答、、沢天カイ、、水火既成、、沢地すい、、よりだしました。
つまり、当たっているいないというのは、問う人の心持ちの反映ということらしい。占いの多くの回答が全くの具体性を欠け、一般的であるのは、それだけの回答でよいという問う側に問題があるようだ。
心を込めれば、、震為雷、、な卦が得られるといっています。
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答えの真面目さ
2006/1/18(水) 午前 0:34
易神に問えば、媒体(易ならば卦)に答えが乗って返ってくる。
答の質は、質問者の態度により変化すると卦にでていた。
返答次第で方向を選択し、態度を決めようというのなら、それ相当な返事しかもらえない。
、迷ってはいてもこうするんだという、半決心状態であれば、問いに乗ってくる返答は決定的な解決状態を指示してくれるようだ。少なくとも前回の卦を読み解けばそうなるらしい。
普通にいわれている問いの内容を明確にするというのと、提示された卦とは一致しているととれる。
そこで一つのテクニックがでてくる。問う時に問いの内容をこちらで無理やり決定してしまうことだ。
そうすることによって返答は決定打として返ってくるしかなくなる。つまり半分易神を欺き、こちらの問いに乗せてしまうことだ。
不明なことがあれば間違った態度を決めて聞いてみる、迷いがあればある方向を既に決定したようにして聞いてみる。
普段ならばまるでこんなことは考えてもいないのに、出された卦を前にすると、易神を欺いてみようなどということまで考えが進展していく。
欺くという言い方はよくないので、おだてのせる、その気にさせる、出さざるをえなくさせる、というように言い換えた方がいいかもしれない。
そして後は実績をつくること。
64卦
2006/1/10(火) 午前 0:14
64卦は一続きの終わりのないストーリーをつくっている。
これは悪くいえば風が吹けば桶屋が儲かる式の組み立てだ。
別に展開しようと思えば、あっちに飛びこっちに飛んで、さまざまな展開を勝手につくることができる。
トンデモハップンの本がなぜ歴史に耐えるどころか、歴史さえつくることができているのか。
それなりの理由があるとしか言いようがない。
それなりの実績があるからだろう。
桶屋が儲かる式のつながりであっても、意味と卦の連続と構成は聖典にふさわしく、見事である。
いままで誰もこの構成を変えたものはいないようだ。
しかし、意味のとり方とか解釈はかなり変化がみられる。
卦のとり方さえも一定しないようになった。
易者の数だけ違った解釈を許し、占った行為の数だけ卦をだしているが、すべて桶屋が儲かる式の上にのっかかっている。誰も陰陽から出発することに文句をつけない。
裏と表があれば、中間があり、中身がある。裏も表も単なる最後の薄っぺらい一枚でしかないのに、中間体こそ実態じゃないのかと、文句の一つも出ない。
何をいっているのか。男と女があるじゃないか。どこに中間があるといわれそうだが、男は男で女ではないし、女は女で男ではない。陰とか陽とかではなく、男と女の身体と意識精神の関係こそが実体じゃないのか、と言いたいくらいだ。
易は不思議な生き物です。
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『 未来は決まっているか 』
2005年十二月六日に振った卦です。
一方では未来は決まっていると言い、もうい一方では自分の努力で未来は変わるという。
占いでも決まった未来を出すことが重点となっているのがあったり、努力の方向を示唆して未来を作り直そうというのがある。
私の持った問いは、一般的なもので個人的な今後を占ったものではない。
この占いは筮竹で占った、実は寿司用の巻きすをほぐしたものだが。
占いのいいところは、自分の 未来は決まっているか 』
2005年十二月六日に振った卦です。
一方では未来は決まっていると言い、もうい一方では自分の努力で未来は変わるという。
占いでも決まった未来を出すことが重点となっているのがあったり、努力の方向を示唆して未来を作り直そうというのがある。
私の持った問いは、一般的なもので個人的な今後を占ったものではない。
この占いは筮竹で占った、実は寿司用の巻きすをほぐしたものだが。
占いのいいところは、自分の考えを超えた向こうからの考えが返っているところだと思う。思いもしない考えや、行為の規範を知らせてもらえることにある。
決まっているか 』
2005年十二月六日に振った卦です。
一方では未来は決まっていると言い、もうい一方では自分の努力で未来は変わるという。
2005年十二月六日に振った卦です。
一方では未来は決まっていると言い、もうい一方では自分の努力で未来は変わるという。
占いでも決まった未来を出すことが重点となっているのがあったり、努力の方向を示唆して未来を作り直そうというのがある。
私の持った問いは、一般的なもので個人的な今後を占ったものではない。
この占いは筮竹で占った、実は寿司用の巻きすをほぐしたものだが。
占いのいいところは、自分の 未来は決まっているか 』
2005年十二月六日に振った卦です。
一方では未来は決まっていると言い、もうい一方では自分の努力で未来は変わるという。
占いでも決まった未来を出すことが重点となっているのがあったり、努力の方向を示唆して未来を作り直そうというのがある。
私の持った問いは、一般的なもので個人的な今後を占ったものではない。
この占いは筮竹で占った、実は寿司用の巻きすをほぐしたものだが。
占いのいいところは、自分の考えを超えた向こうからの考えが返っているところだと思う。思いもしない考えや、行為の規範を知らせてもらえることにある。
決まっているか 』
2005年十二月六日に振った
占いでも決まった未来を出すことが重点となっているのがあったり、努力の方向を示唆して未来を作り直そうというのがある。
私の持った問いは、一般的なもので個人的な今後を占ったものではない。
この占いは筮竹で占った、実は寿司用の巻きすをほぐしたものだが。
占いのいいところは、自分の考えを超えた向こうからの考えが返っているところだと思う。思いもしない考えや、行為の規範を知らせてもらえることにある。
さて、私は易の勉強をしていますが、易はその英訳が示すように変化の書です。卦の解説は最初から終わりまで変化と動きを示そうとしているものです。
同じ中国産の占いでも、固定した未来を出そうとする他のほとんどの占いと違って、一線を画したものといえるでしょう。
この易に向かって、未来は決まっているかと問いました。今から思うと矛盾したことのようです。
2005年12月6日 亥月・甲子日 空亡・戌亥。
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水火既成 が 地天泰 に変わる
私はこの卦を得たとき判断を保留したというより、驚愕のため一週間放置したままにしておきした。
このブログを始めるのもその余韻が変形したものといえるでしょう。
今でもこれに判断を持ち込むのは怖いところがあり、臆病風をふかせるところがあります。
ひとまずは周易の本から引用だけにしておきましょう。
水火既成・・・既成はすでになる。事の完成を意味する。この卦の形を見ると、陽こうはすべて奇数位に、陰こうはすべて偶数位にある。全こう「正」で最も完成した形をしている。それで既になる・済る・と名づける。
地天泰・・・天地が交わり陰陽の気が通ずる。
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少し冷静になると反対のことも考えられるようになる。
はじめは出た卦にびっくりした。
今はこういうこともいえる。
もし正反対の卦がでたらどうなっていたのだろうかと。
たとえば、『火水未済 が 天地否 になる』 ・
未来は決まっているかと問うてこんどはこんな卦がでたらどうなるのか。
そしてもっと冷静になると、卦などは勝手にでるもので、現実と事象とは関係なく、
ただ卦がでましたよ、というだけのことではないのかと、こうも思える。
実際にでた卦の水火既成をどのように証明するのか。
出た卦はどのような実績をこれから残していくのか。
卦を読むだけでは不十分でしょう。
出た卦の実績を示さなくては。
問いは、未来は決まっているか、だった。
それに対してでた卦の実績をどうやって示したらいいのでしょうか。
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『 正確さ 』
占いの正確さは使用されている占いの種類による。
その占いが持っている意匠の数による。
ビット数が1-0ならば、裏か表か、上か下か、こっちかあっちか、等々○か×かで答えられる質問には全て返答が可能である。
意匠の数が増えて、ビット数が多くなれば、さらに、いつ、どこで、どのように、どうして、誰が、誰と、何を、どうした、こうした、そして、今後どうして、どうするだろう、というように詳しさ正確さがます。
ほとんどは○か×で答えられるから、それを積み重ねるか、連続させていけばいい。全部正解の連続ならばコンピューター以上のものができるはず。
易には64の卦がある。僕は始め、一つのことに対して64通りの答えが可能なのかと思った。明日正午の天気は晴れか問うと64の答えがあるのかと思った。
実際には簡略に卦を出してしまうので、64分の一しか現れない。変こうが六つあっても全部をみることはない。
でた卦が当たっているとして、残りの63の卦はひとつひとつ否定的に解釈していけばいいのかもしれないが、一対63では割りが合わない。