(坤宮)象意 ● 二黒
『キーポイント』
九星の土気には他に五黄と八白があるが、二黒土星は中でも陰の土を担当している。すなわち『大地』だが、『田畑』をイメージしたほうが分かりやすい。地母神と言うように、この大地のイメージからは『母親』を中心にした象意が多く出ている。また、時節は夏から秋への変わり目、昼から夕方へ向かう時期を示している。真夏、真昼の陽気最も盛んな時期を過ぎて陰の気配が出てきた頃である。そのためか奇門遁甲では『死門』の定位であり、九宮の中では最も凶意が強い。
東洋占術では大地は四角で現される。このことから『四角いもの・母・妻』という意味がもたらされる。大地=農地であるが、士農工商ではないけれど『大衆・労働者』という意味が付与されたのだろう。
『キーワード』
未・申・南西・夏土用・四角・大地・母・妻・農業・労働・5・0(易象は8)・従順・勤勉・7~8月・未申の刻(13:00~17:00)・古い
『象意』
脾臓・右手・肩・胃・皮膚
皇后・女官・母・妻・老婆・副社長・次席の者・農夫・土木作業員・
労働者・貧困者・未開人・迷子・古い物を扱う人
木綿・中古品・肌着・古いもの・四角いもの・角のあるもの・
黄色いもの・無地のもの・陶器・土に関するもの・農具
農地・田園地帯・田舎・古家・平屋・母屋・土蔵・物置・
工場・野原・公園・故郷
牝馬・羊・ヤギ・猿・カラス・ダチョウ・土蜘蛛・蟻
心配・気苦労・取り越し苦労・倹約・慎重・頑固・
謙譲・従順・努力・我慢・養う・用意・鈍重
芋類・安価な肉類・甘いもの・安価なもの・大衆食
高い山が、低い地の下にいる。
大を有する者はもって盈(み)つるべからず。故にこれを受くるに謙をもってす。
謙とは、謙遜。内に自ら止まり、外に従順。
謙遜な態度で、始めは運悪いが、最後は運が開ける。
高い山は、おのすと土砂に洗われ、谷には水が流れ込み、大河となる。 鬼神は驕り昂ぶる人に災いを、謙遜な人に幸いを与える。 驕慢を憎み、謙遜を好むのが人情というもの。 謙遜であれば、地位高くとも、その徳は輝き、 たとえ低い地位にあっても、その人格のゆえに、その上に出る人はいない。 すなわち、君子終わりありのゆえんである。
あくまでも高い知性と、あくまでも謙遜を守る礼を備えているからこそ、 君子であるが、その高い知性は天にならい、 謙遜を守る礼は、大地にならったものである。
君子はこの卦を見て、多きを削って少なきに加え、物事の均衡を保って公平を心がけるのである。
相場は、 山地剥より易位する卦にして下る卦なり。かつその安きところに止まって高下せざるの象なり。何分気配引立たず上がり難き。しかれども将来は易位して山地剥となり上がると見ることもあり。あるいは地雷復より往来せりと見ることもあり。
気配引き立たず鈍重。弱含み保合い。これ以上の下値はほとんど無く、急速に騰勢に転ずることもない。高値への動きがあると見る場合もあり、もう少し下押すと見る場合もある。
物価下落すべし。
高下年越して後下がる。急に動くものなり。
戊 午 : 高下足取定まらず立直りて高値なり。
三に震を配せば、復からの動きを考え高値への動きを察し、坎を配せば少し下押す。
主爻(内卦、外卦、大成卦):三爻、五爻、三爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
謙は、謙遜、謙退、卑下するなどの意。剥の来往法として見れば、剥は坤地の上に艮山が在ったが、この卦においては艮山が坤地の下に在るわけで、それを山の高きを以って地の低きに下る象とし謙と名づけたのである。九三の陽が剛健の徳ありながら、謙退して下に止まって上に進まぬ象。よく衆人に順う象。へりくだりすぎる義。業を破って零落する象。外は柔和であっても内は偏屈で人と和合しない象。苦労多い象。君や師としては不向きの義。日用事業などの占では福の少ない象。へりくだり過ぎの時なので、奮発努力する必要がある。勝負、我が方が少しく勝。
謙は、亨る。君子終わりあり。
彖に曰く、謙は、亨る。天道は下済して光明なり。地道は卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて謙に益し、地道は盈を変じて謙に流し、鬼神は盈を害して謙に福(さいわい)し、人道は盈を悪(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光り、卑くけれども踰(こ)ゆべからず。君子の終わりなり。
象に曰く、地中に山あるは、謙なり。君子もって多を減らし寡を益し、物を称り施しを平かにす。
15 地山謙 ちざんけん 謙譲のこころ
優れた才能、美しい容貌も謙虚であってこそ輝きをます。 私欲・慢心を捨てることが望まれるが、謙虚さも度をすごすと卑屈になるので注意。苦労があっても地道に励み、世間の信用を得て志をかなえる。謙遜。謙譲。信用。勢いがなく積極性に乏しい。結婚相手としては不釣り合いを感じるかもしれないが無難に成立する。
この卦は山、あるいは静止を表す艮と坤から成り立っている。艮の山は宇宙を象徴する乾の末の男の子であり、その頂上に垂れ込める雲や雨もまた天の恵みであり、やがては雲間から漏れ出てくる日の光もまたそうだ。これを見れば謙虚とは何でありまたそれがどのように偉大な英雄のうちに働くかがわかるだろう。一方艮の上にある坤は大地を表す卦だ。坤の性質は目立たぬ低さ。だからこそ地山謙においては上に置かれ敬されている。このことを見てもなぜ単純で謙虚な人々が逆に尊敬されるかがわかる。
謙は成功を約束する。
君子は物事を最後まで遣り遂げる。
満ちているものを空にし、空ろなものを満たそうとするのは天の法則である。中天にある太陽が日没に向かって沈み行き、真夜中のそれはまた再び日の出に向かって登り行く、それは天の法則の必然である。同じように月もまた満月の頂点から欠け始め、また新月の暗闇から再び輝きを取り戻していく、これもまた天の法則である。同じようにして地上の法則もまた満ちたるものを欠けさせ、謙虚なるものを助けようとする。高い山々は雨水に浸食されて低くなり、谷々は逆に埋められていく。勢力あるものが衰え謙虚なるものがまた栄える、それが運命というものだ。人の運命は普遍の法則に支配されている。その法則は必ず実現せずにはおかない。しかしながら、しかしながら人には自分の運を自ら形作る責任があるということも事実である。それはよい運命でも悪い運命でもそれを引き寄せてしまうのは己の態度だということである。もし人が高い地位にありしかも謙虚であるならば、その人は叡知に輝くだろう。もし人が低い地位にあってしかも謙虚であるならば、人が彼を放っては置かないだろう。かくして、君子は、己の任務を誇ることなく最後までやりとげる。
大地の中に、山がある
地山謙のイメージである。
かくして、君子は過剰なものを減じ
不足しているものを増やす
事物の重みを図り、それらを均一にする。
その中に山の高みをも呑み込んで、大地は静まり返る。その偉大さは人の眼には映らない。底知れぬ大地の深さもそびえる山の高みが打ち消してしまうからだ。高さと深さが互いを補いあって埋め合わせをする結果、平面が出現する。ここで謙譲の説明として使われているのは、このように長い時間を費やしてやっと成就したにも関わらず、今では容易で自明にしか見えない事柄なのだ。君子が社会秩序を固めようとするときも同じように行う。社会不安の原因である一部に偏った過剰を修正して平らかにし、公平で安定した社会の状態と作り出す。
15. 地山謙(ちざんけん)天卦:坤 地卦:艮謙遜 謙譲 地中に山あり
実るほど頭を垂れる稲穂かな 軽率 頑固
零落する 進展しない 柔順
言うことを聞かない時がある 苦労する 謹んでよく守り家業を失わない
腰痛 中風にて半身不随
・才能を隠して退守した方が良い。
・金銭の悩みがある。
・婦人の助力を得れば成功する。
・男は女性問題にて悩む象である
地山謙(ちさんけん) †
実るほど頭を
垂れる稲穂のごとく
■人を表舞台に立たせる裏方師 †
地山謙(ちさんけん)の人は非常に謙虚で虚栄心のまったくない人です。
虚栄心がないのは、見栄をはる必要がないほど優れた資質があるためで、まさに「実るほど頭を垂れる稲穂」なのです。
態度に現われるあなたの謙虚さは、男女を問わず、多くの人々から好かれます。
あなたを見習おうとする後輩も現われるでしょう。
また、地山謙(ちさんけん)の男性には、女性的な従順さが見られますが、物腰は柔らかくても意志は強く、ちゃんと自分を持っている人なのです。
あなたには、人を成長させる力があります。
たとえば、ある人が自分の持っている才能についてあなたに教えを乞うと、その人がますますその才能を伸ばそうと努力するようにしむけるのです。
それはまさに、母親が、国語の勉強を始めた子供に本を朗読させる姿と同じです。
あなたは、大勢の前に出ることがあまり得意ではありません。
地山謙(ちさんけん)は、晴れ舞台に主役として登場するより、裏方となって主役にスポットライトを浴びせるほうにやりがいを感じる卦といえるでしょう。
■堅実な仕事で地道に出世する †
勉強家で虚栄心のないあなたには、裁判官、教育関係の仕事が向いています。
正義を説き、人を育てることに能力を発揮できるでしょう。
あなたは自分がヒーローやヒロインになるより、だれかがそうなるのを手助けすることに喜びを感じます。
もぢろん、一般企業で働いても着実に出世の道を歩んでいけるはずです。
どっしりと構えて働くタイプなので、打ち合わせに飛びまわるような仕事や、流行を求める職種には向かないでしょう。
一緒に働く上で、特に苦手とするタイプもいません。
だれとでも男女の区別なく仕事をするので、人望も厚いのですが、意地の悪い人があなたの人気をやっかみ、陥れようとするかもしれません。
多少の注意はしておいたほうが安心です。
■第三者の嫉妬を受けやすい †
虚栄心がないあなたの自然な態度は、恋人に落ち着きをもたらします。
あなたと一緒にいるとそれだけで安心できるのです。
地山謙(ちさんけん)の人は誠意を持ってつきあいますから、それが相手にもよく伝わるのです。
仕事が忙しくてデートもままならないときでも、ふたりの気持ちはめったに揺るがないでしょう。
セックスに関しても、地山謙(ちさんけん)は相手の気持ちを第一に考えるので、愛情あふれたものになります。
地山謙(ちさんけん)の人が、気をつけたいのは第三者の嫉妬を受けやすいということです。
男女を問わず、人気のあるあなたは、いわれのない嫉妬を買うこともあります。
しかし、あなたは浮気をすることはまずないので、やましいところがなければ、大きな問題にはならないはずです。
■謙虚すぎる態度が誤蟹招くことも †
ときに謙虚すぎるほどのあなたの態度は、受け取る人によっては傲慢に見えてしまうこともあります。
「慇懃無礼」という言葉もあるように、謙虚すぎて逆に自慢しているようにとる人もいます。
大きな害はありませんが、そのような考え方をする人もいるということは、心にとめておいたほうがいいでしょう。
■財運 †
お金のことであまり苦労することはないでしょう。
恵まれた財運を元手に、目をかけた人物に投資する楽しさも知っています。
謙虚すぎる姿勢が、多少の損害を招く恐れもありますが、すぐに取り戻せます
15地山謙 (ちざんけん)
【キーワード】謙遜、柔和な人
〔大意〕謙(けん)は謙遜の意。つねにへりくだって人と付き合えば物事はうまくいく。しかし、ここでいう謙遜、へりくだりは卑屈ということではありません。卑屈は、表面的に謙遜しているごとく見えながら、実は謙遜などしていない。自己の欲や打算、コンプレックスの裏返しがとらせる態度です。
卑屈には心が正しくないところがある。真の謙遜は相手を認め、また自己も認めてもらおうという円滑な人間交流をするための基本的態度です。マーフィ博士は「謙遜は栄誉に先立つ」というバイブルの言葉を引き、「ほんとうの謙遜は、まず何よりも真理を尊重する。つねにそれを受け入れるのにやぶさかではない。その謙遜のむくいは富であり、栄誉であり、より豊かな生活である」といっています。
また、マーフィー博士はこの卦のキーワードとして柔和な人をあげているが、これは潜在意識がもっともよく発揮できる人のイメージです。「柔和な人はさいわいである。彼らは地を受けつぐだろう」地とは現世であり、受けつぐとはあらゆる意味での成功を示しています。
実際、柔和な人は幸福な人である。現代はストレスの時代であり、わたしたちはますます柔和な顔を失いつつある。謙遜する前に自己主張をする。それももい自己主張ならばいいが人をやりこめてでも、押しのけてでも目立ったほうが得だといった考え方が大勢を占めている。
こんな時代に謙虚だ、柔和だ、では時代に遅れると思う人もいるでしょう。しかし賢明な人は知っているのです。謙遜が栄誉に先立つことを、柔和がいかに人を動かし、自分にとってプラスをもたらすかを。
初6―あなた旨分が着きたいと思う人生の地点に向かってすぐに旅立ちなさい。
二6―あなたは精神的にも物質的にも成長しつつある。勝利を確信せよ。
三9―すべての良いものはあなたのものであると実感しなさい。
四6―人はそれぞれ自分自身の重荷を負うべきである。
五6―他人の欠点を考えることは、自分の中にそれ育てることである。
上6―虚栄心の強い人はたえず自尊心を傷つけられる。
地山謙
謙は、亨る。君子は終り有り。
○彖にいわく、謙は亨(とお)る。天道は下濟(かせい)して光明なり。地道は卑(ひく)くして上行す。天道は盈(えい)を虧(か)きて謙に益(ま)し、地道は盈を變じて謙に流(し)き、鬼神は盈を害して謙に福(さいわ)いし、人道は盈を惡(にく)みて謙を好む。謙は尊くして光(ひか)り、卑(ひく)けれども踰(こ)ゆべからず。君子の終りなり。
○象にいわく、地中に山あるは謙なり。君子もって多をへらし寡を益し、物を稱(はか)り施(ほどこ)しを平かにす。
古典を考えるに大己貴命(おおなむちのみこと)は国土経営の功徳最大というべきですが、天下は天神が天孫に授けられた所なので自らの功は天に代って為したものです。故に天勅が降るに至って速に帰順の誠を竭して八十隅に退かれました。これは謙徳の至りです。天神はその功労を慰して柱は高く太く、板は広き厚き天乃舎(あめのみあらか)を作らせて設をなして祭りをさせられました。是れ天道下降して光明に地道卑して上行するということです。かつ尊くして光るのは此の大神が大であって卑くしてこえることができないというのはその洪徳のことです。
○象の意は卑きをもって高きを包むのを謙とすることから多少を平均するべきことをいっています。
火に属します。 大有の時は謙に利ろし。父母と別居します。妻は熟縁がありますが初婚は离れます。住居の苦労があります。獣(けもの)に傷られる恐れがあります。男裸。諂(へつらう)・高位の人を敬い下に謟います。輔助を得ます。身上吉。人に侮れて凶。
天 晴。雨。
旅 吉。凶。明夷に之く時は怪我に注意。
売 利。不利。
願 叶います。 短慮は慎しむべきです。
待 得ます。遅く来ます。
失 東南の方を尋ねると良いです。西南の人が盗んだと見ます。
小さい物は牀下や物の下方を探すと良いです。
婚 成ります。
産 安 女子
疾 疝心。気労。小児は危険です。腹脹。腰痛。足が不自由。腹に牽痛があり疼きます。 寝冷。内熱。上気。腎経熱。咳。打身。中風。月水閉。手指屈。寝冷。脾胃虚瀉。
邪 次第に零落します。初め何事も薄命。他国に出ようとして死人又水死。甚だ恨みが有ります。二日二十二日二十日の霊。二爻は田畑山林の争いに付老女の生霊があります.五爻 水死の霊 上爻 鬼門の咎があります。
この卦を得た人は謙譲して自ら多いとしなければ吉。これに反すれば凶。
全体の中に大きな光がある。
大地が豊かに水を貯えている。
訟えには必ず衆の起こるあり。故にこれを受くるに師をもってす。師とは衆なり。
師とは師団の軍隊。戦争。
農(地)のなかに、兵隊(水)が隠れている。
戦(いくさ)は犠牲をともなうため、やむを得ず行うもの。
大義が必要で、しかも正しく事にあたれる人であれば吉。
君子はこの卦を見て、この大地のように、人民を包容し、養育する。
相場は、地が動かずして水は下る。ゆえに下り一方。ただし、その緩急は知らざる可らず。
安値からさらに一段と下落。急激性や暴落性はない。下落の持続性は弱く、保合い気味の傾向。
高きなれども高下次第に下がる。売買損失あるべし。
壬 戌 : 気迷いの市況。
暖急は、二・五に配する爻卦をみる。 二に震(雷)などを配せば一旦は小高あり。
主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、五爻、二爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
師は衆であり、また兵卒の多く集るの義で、軍旅とする。坎水が坤地の中にある象であるが、水の地中に集ること衆多にして窮まり尽くることがない。これを兵衆の義としたのである。険に応じて衆人の起り集るのは即ち軍旅のことゆえ、この卦を師と呼ぶのである。九二の一陽が五陰を統率する象。衆人の集る義。憂患の多い象。艱難苦労する義。外見柔和にして大なる謀みを秘める意。家業の本となるべきことを創立する意。才能ありながら時に不遇にして用いられぬ意。艱難するも正しく慎んで勉めたならば後日次第に安心に至る象。険に従うときなので千辛万苦して勉め励むべき時。勝負、我が方の負け。但、知謀計略を以ってすれば十に六七は勝つことがある。
師は、貞なり。丈人なれば吉にして咎なし。
彖に曰く、師は、衆なり。貞は、正なり。よく衆を以(ひき)いて正しければ、もって王たるべし。剛中にして応じ、険を行いて順なり。ここをもって天下を毒(くる)しめて、しかも民これに従う。吉にして又何の咎かあらん。
象に曰く、地中に水あるは、師なり。君子もって民を容(い)れ衆を畜(やしな)う。
7 地水師 ちすいし 熟慮して作戦を練る
策略。戦い。闘争と指揮。警察官や軍人の卦で戦いをあらわす。無謀に争えば負ける危険があるので知恵を働かすこと。闘争心と才能は心に秘め、外には出さないこと。駆け引きしても憂いは消え去らないので、慎重に作戦を練って常に正しいことを基本に行動すること。関係はいったん衰えるが、人に親しんでおけば後にかなう。
地水師は「坎」すなわち水と、「坤」すなわち地とからなり、大地の下に蓄えられた地下水を象徴し、そこから大衆の間に目立たず構築される軍隊を表す。平和なときには姿を現さないが、常に有事に備え力を蓄えている軍隊である。地水師が示すのは、危険を内側に秘めながらも外見はあくまで従順な様子である。個々の爻について言えば、地水師の中心は第二爻の強力な陽である。他の爻は、すべてが弱い陰で、皆この第二爻の陽に従属している。この爻は2つある小成卦のうち、下の小成卦の中心であるので、国全体に対して責任を持つ君主ではなく、その権威が軍隊の中だけに限られる、有能な将軍を意味する。
軍事には忍耐が必要である。
そして強い人間も必要だ。
咎はなく幸運が訪れる。
軍隊という人間集団は、それを戦う力とするためには組織化が必要で、厳しい規律無しで何事をもなしえないが、無理強いしたからといって規律が生まれるわけではない。兵士の心を掴みその勇気を引き出す中心となるしっかりした人間が必要だ。そしてその人が自己の能力を最大限に発揮するためには、君主がその人を絶対的に信頼し、戦争が続く限り全権を彼に委任することが必要だ。しかしながら、戦争はいつだって危険で破壊と荒廃をもたらすものだ。であるからむやみにこれを用いるべきではなく、ちょうど毒性もある薬のように、他に方法がないときのみ用いるべきである。
地中に水がある
地水師のイメージである
かくして君子はその集団を大きくする
それらの人々に優しく接することによって
地下水は地面の下に潜んで目に見えない。同じように軍隊も普段は民衆の中に隠れて目立たないが、一旦危機が訪れると、農民は兵士となる。そして平和が戻れば、また再び鋤を取る生活に戻るのだ。思いやりのある君主は民衆の信頼を得、またその寛大な支配下にある民衆は戦うとき強力な兵士となって力を発揮する。それからまた、強力な戦力となりうるのは豊かな民衆だけである。そのような戦力を得たければ民衆に寛大に接し、また民衆を豊かにする政治をしなければならない。ちょうど地下水が大地に覆われて守られるように、人々が国家に守られていると感じ、国家と深い絆を感じるときこそ、戦いを勝利に導くことができる。
7. 地水師(ちすいし)天卦:坤 地卦:坎 戦争 国防 軍隊
闘争 一人で衆人と争う 憂い事が多い
謀計、はかりごと多し 隠れる 物事を創立する、始める
才能があるが、用いられない 腹痛 腹に腫れ物あり
下痢
・物が入り組んで解決できない。
・商売、職業上の悩みがある。
・小売、小商いには利がある。
・住所の悩みがある。
・塚墓の象にて、大病人には凶である。
・淫欲と争論、盗難等に注意。
・色情の間違いに注意。
・権略的に情交を通ずる人である。
・家庭に波風がある。
・憂い悲しみのある時にでる。
地水師(ちすいし) †
兵士の心を秘めた
善良なる農夫
■秘めた閻志がある日、現われる †
地水師(ちすいし)のあなたは、表面的にはとても穏やかでやさしい人です。
しかし、実は心の中に兵士のごとく激しい闘争心を秘めています。
八卦では地水師(ちすいし)を「大地の表面は穏やかに見えるが、その下には冷たい地下水が激しく流れている」卦としています。
これは、あなたが笑顔の裏に、燃えるような情熱を隠していることを示しています。
あなたはこの情熱を、めったに表に出しません。
あなたの内面に激しい情熱が隠されていることを知っている人はあまりいないはずです。
出会った当初はとても親切で穏やかなあなたですが、深くつきあっていくと内に秘めた情熱が随所に現われてくるでしょう。
個人主義の強い地水師(ちすいし)のあなたは、一方で、大変なさびしがり屋でもあります。
ときおり無性に人恋しくなるのです。
しかし、やや屈折したところがあり、それを素直に表現できないのがつらいところです。
■表の顔と裏の顔 †
個人主義が強いあなたは、ひとりでする仕事が向いています。
それも、表立って華々しく活躍する職種よりは、裏で地道にする仕事が意外と向いているのです。
表向きはマンションの管理人だが、実は「探偵」という人に知られない素顔を持っていたりするのが、この卦の特徴です。
地水師(ちすいし)の人にはまた、平凡を嫌うところがあり、あなたのビジネスには危険がつきものとなります。
あえて危険を冒しているところさえあります。
会杜員でいることもできますが、その場合は、表面では模範的な社員を演じつつ、心の中では常に消化しきれない反発心や野望がくすぶっている状態が続くでしょう。
■つまらない異性に要注意 †
あなたの穏やかでやさしい印象は異性を惹きつけます。
何もかも包み込んでくれそうなあなたが、とても魅力的に映るでしょう。
あなたは本当は、男女が対等な恋愛関係を望んでいるのですが、出会うのはなぜか従順でおとなしそうな人ばかり。
それは、あなたの一見穏やかな雰囲気が影響しているのかもしれません。
異性とつきあうと、はじめは穏和な態度を見せているのですが、次第に強引になっていきます。
相手が「忙しい」といっているのに無理やりデートの約束をさせたり、議論をふっかけたりするのです。
そんなあなたについていけず、恋人は去っていってしまうかもしれません。
地水師(ちすいし)の人は、異性に去られると、さびしがり屋の面が強く出てきます。
だれでもいいからそばにいてほしくなるのです。
すると、愛がないとわかつていても、だれもいないよりはマシと考え、つまらない異性にひっかかってしまう恐れもあります。
地水師(ちすいし)のあなたは、恋愛に関しては少しでも心を広く持つことを心掛け、相手の話によく耳を傾けるようにしたほうがいいようです。
■バランスを保って吉 †
穏やかな外面と複雑な内面をあわせ持つ地水師(ちすいし)。
この両者のバランスを保つことであなたは幸せになれます。
自分でも対極の両面をあわせ持つことに苦痛を感じるようなら、まずは日頃から喜怒哀楽を表わすようにしてみましょう。
少しずつプレッシャーから解放されていきます。
■財運 †
何かと紆余曲折が多い卦です。
しばしば金銭トラブルに巻き込まれますが、私利私欲に走らず公正でいれば、予定外の利益を手に入れる可能性があります。
「裏」の顔で不動産管理などもできます。
07地水師 (ちすいし)
【キーワード】軍隊
〔大意〕師(し)は戦争、軍隊をあらわす。「易経」には「師は、貞なり。丈人なれば吉にして咎なし」とかかれています。これをもって人と争う、戦争をしてよいと解釈することはできません。マーフィ博士によれば、軍隊とは「あなたの心の中にあるいろいろな考え、アイデア、意見、信念、心象をあらわしているから」です。
つまり軍隊とは、自分の心の中で訓練され、制御された外へ向うエネルギーと解することが出来ます。あなたの心はあなた自身の指導者であり、また兵卒でもあります。兵が良く働くためには、指導者がしっかりしていなっくればならないわけです。
真の指導者であるためには、常に正しくなければなりません。大切なのは良いことと悪いことを選別する能力で、これが出来て最終的に選り分けられた事柄が潜在意識に送り込まれて、あなた自身の兵卒の資質になるのです。
一般的にこの卦は危険や困難を表しますが、それは消極的になれということではなく「正しければ吉」ということです。「易経」にある「丈人なれば吉」とある丈人とは長老のことで、よくできた人に率いられた軍隊なら、その戦いは正しく、勝利を得ることができるという意味です。
勇気をもって敢然と問題に立ち向かうことが大切だが、同時に熟慮し、困難や苦労にくじけてはならない。そのためには永遠の真理を育み、あなた自身の心の中の雑多な仲間をそこに導かなければなりません。問題の解決に失敗するのは、ほとんどの場合、自己に確信が持てないからで、ゆるぎない信念で事にあたれば、いかなる難問といえども勝利することができる。実際の行動の前にあなた自身の心の中で行われた事が勝敗の鍵を握っているのです。
初6 宇宙、自然の秩序に逆らってはいけない。
二9 偉大なる存在に相談しなさい。あなたは大いなる知恵が授けられる。
三6 心の共同墓地を作ってはいけない。死人は死人にして葬らせよ。
四6 悪くなるまで待ってはならない。直ちに最善の策をはじめよ。
五6 恐怖、怒り、恨み、復讐心に心を支配させてはならない。
上6 誠実と正直と信念があなたを勝利に導く。
地水師
師は貞なり。丈人なれば吉。
○彖にいわく師は衆なり。貞は正なり。能く衆を以(ひき)いて正しければもって 王たるべし。剛中にして應じ、險を行ないて順なり。
ここをもって天下を毒(くる)しめてしかも民これに從う。吉にしてまた何の咎 かあらん。
○象にいわく、地中に水あるは師なり。君子もって民を容(い)れ衆を畜(やしな )う。
この象伝はただ衆多の義を取っています。ゆえに「民衆を容れ畜う」といいます。彖は師を兵衆の義とします。険にして順を以て天下を毒せ民これに従う。兵は不征、民の疾苦を済うものです。このようであれば天下に王たるに足ります。これを古典に考えると軍陣征伐は天孫の降臨に当り、芦原中国(あしはらのなかつくに)に邪神が多く、依って経津主(ふつぬし)武甕槌(たけみかづち)等の二神をして駆除平定させられた。これが師の義に当ります。すなわち邪神を征して民を済う王者の師です。
水に属します。訟すれば必す師があります。壮年に苦しみが有ります。人に勝れて才力が有ります。長袖師範。人は吉です。意が移りやすく、妄進する人は食道居住が安じません。ややもすれば妨げが有ります。人に議られることがあります。産業が度々変ります。他国に縁があります。養子仕度囚に吉。家が没落します。旅があります。災病など思いがけない苦しみが有ります。家内不和。
天 曇。晴。地に大水があります。
旅 強気は吉。 弱気は凶。
売 放胆(やりはなし)の人は吉。 小心の人は凶。 始めは不利。後に利。
願 謀略をする人は凶。 質素の人は吉。
待 壮年の人は得難い。 中年後の人は吉。音信があります。
婚 高貴の人は成ります。
産 女子。 危険です。
疾 荏苒(ひとしらずして)危険です。末には命が尽きます。北西の医者は吉。気鬱短少。腎虚。手足麻がだるい。腹中が虫が咬んだように痛む。不食。瀉。漆瘡。危急であるが延れば治ります。月水の下病。耳が遠い。十四推灸吉。胎を問えば孕みません。臨月はやすくありません。脾胃の病。傷寒。陰毒症。六脈沉微して腹中が強く痛みます。上身浮腫。三日以内であれば治ります。四五日であれば死に到ります。
邪 女性の障。長袖の障。水難人の崇り。未申に敵が有ります。東に井戸が有るのは大凶です。十八日、十二日、三日の仏霊。五爻は水死の霊。上爻は泉水を掘る崇り。
この卦を得た人は包容畜養の道を失わなければ吉。これに反すれば凶。
07.地水師:指導者に大切なもの ●
地水師(ちすいし)は、前卦「天水訟」の争いを引き継いで、とうとう戦争になってしまった卦である。ここで言う「師(帥)」とは軍隊の師団の事で、訴訟では収まらず、実力行使の段階になってしまったという事になる。
戦争というと今の私たちには、あまり関係のない話のようにも思われるが、師は師団(人の集まり)という意味なので、企業もそうだし、小さなところでは家庭だって師と考える事もできるだろうと思う。
一つの家族なり、企業なりが、共通の目的を持って何かにあたろうとする時、それは戦争にも似ている。戦いの時は国家が一致団結して事に当たらなければならず、その団結を図るのが指導者・家長の役目という事になろう。
孫子は「兵は詭道(きどう)なり」と言った。兵は戦争の事。詭道というのは騙し合いという意味。だから争い闘うのは相手との騙しあいだと言い切る。
けれどもその同じ章で、自国と相手国の力量を計る七つのチェックポイントを提示し、(と言っても孫子は実際に戦う事を奨励している訳ではありません。兵(戦争)は已むに已まれぬ最後の手段だと釘を刺します。)
第一に君主の道徳性が出てきます。どちらの君主が道徳的かという訳です。
第二にどちらの将軍が優秀であるか。。。
第三に天の時、地の利はどちらが得ているか。
第四にどちらの法律がしっかりしているか。
第五に兵士はどちらが強いか。
第六に将校はどちらが優秀か。
第七に賞罰はどちらが厳正か。
と七つの項目を比べれば、どちらが勝つか戦う前に解るという訳だ。戦ってみなければ解らないというのは愚の骨頂だというのである。
その筆頭が君主(指導者)の道徳性というあたりは、兵法を初めて知ったという方には意外な感じがするかもしれませんね。。。
易でも戦い勝つためには君主の人徳が大事だと教えています。その表れが大義名分であり、大義名分を掲げるには、それを発する人の欲心に依ってはならないと説きます。
自分の損得を考えず、国民の事を第一に考えるがゆえに誰もが大義名分と認めます。「兵は詭道なり」とは言っても、その詭弁を内側に対して用いるべきではありません。
同じような事を諸葛孔明も「心書」という書の中で、このように書いています。
目先の事を察知し、人に慕われるのは十人の将である。
部下より早く起き、遅く寝て、言葉を慎重に選ぶのは百人の将である。
裏表がなく思慮深く、勇ましいのは千人の将である。
堂々として情熱を秘め、人の苦労が解る人は万人の将である。
優秀な人材を推挙し、慎み深く、誠実で寛大で乱れを治める事ができる人は十万人の将である。
仁愛は行き渡り、信義は隣国を心服させ、万民を家族のように思う人は天下の将である。
ところで師は戦争の卦ではありますが、ここまで稀代の軍師たちの考えを加味して読んで来ますと、この卦が人生という多難な戦いを生き抜いてゆく為の知恵のようにも思えてきます。
実際「地水師」という卦は、地の下に水があって地下水を示す卦でもあります。大地というのはその中に水を含んでいるので作物を養う事ができるものです。
大地は動きませんが、その中には滔々と流れる水脈があってこそ、大地としての役目を果たします。
私たちもこれに似ているとよく思います。あなたの深い所にある水脈は豊かに流れていますか?
見えない所で絶えず流れ行く水脈のように、あなたは自分の深いところを潤していますでしょうか?
倦まず弛まず心の底にある地下水脈を共に流し続けたいものですね。
地中に木が生じる。
聚(あつ)まりて上る者はこれを升(のぼ)ると謂う。故にこれを受くるに升をもってす。
優れた指導者に出会えば、上昇に心配はない。南征して吉。
君子はこの卦を見て、木の成長にならい、小を積み重ねて次第に高大となっていくのである。
相場は、 風が地の下より吹き出る象にして概ね高し。然れども、若し観より易位して来ると見れば下がると断ずる可し。
易位して三八より五十を越へて三八まで上るの意あり。
安値から持直して次第に高くなる。値幅は小さく速度も速くないが、段々と上伸。ただし、下値鍛錬の場合もあり。
物価騰がる。
高下下る。
丁 丑 : 安値なり。
主爻(内卦、外卦、大成卦):初爻、五爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
升は、上り進むことである。観の易位として観るときは、巽木が地上にあって人の観望するのが観であるが、それが升となれば、巽木が坤地の下にある象。地下に巽木があるというのは、即ち果実を地下に種蒔くわけで、その種子は時を得て発生し、地下より伸び進むべきをみて、升という。升ると名付けられた卦であるが、今ただちに升り進むのではなく、後日に至って次第に伸長して升進すべきものゆえ、時を以って升る。進行の義。始めの意。低きより高きに致す義。立身発達の義。繁昌する義。草木の種を地中に蒔くという時なので、すべて心ゆるやかに時の至るを待てば、次第に吉に向かうとする。勝負、我が方に利あり。
升は、元(おお)いに亨る。もって大人を見る。恤(うれ)うることなかれ。南征すれば吉なり。
彖に曰く、柔、時をもって升る。巽にして順、剛中にして応ず。是をもって大いに亨る。用て大人を見る、恤(うれ)うることなかれとは、慶びあるなり。南征すれば吉なりとは、志行わるるなり。
象に曰く、地中に木を生ずるは、升なり。君子もって徳に順(したが)い、小を積みてもって高大なり。
46 地風升 ちふうしょう 上昇する
時節を得た生命力。実力を養い自信を持って向上する若木の象。急にはならないが堅実に成長するので積極的に進んで志を遂げる。変心せずに心を一決して事にあたれば諸事かなう。対人関係は意見が異なる部分があるので注意。昇進。のぼせる。うわずった考え。夫婦不和。急には調わないので堅実に信用を培うこと。
地風升は上が木を表す[巽]、下が大地を表す[坤]からなる卦であり、地中にある木が上に向けて大きく育って行く様子とされている。前出の第35番目の卦火地晋とは対照的に、地風升では努力の必要性が強調される。それはちょうど、土を突き抜けて伸びていく樹木が多大なエネルギーを必要とするのと似ている。「成功に至る」との言葉はあるものの、意思的な努力の必要が求められている。火地晋においては、発展拡大が強調されていたのに対し、この地風升ではむしろ、無名の暗がりから権力の座への発達上昇が志向されている。
地風升は大いなる成功に至る道。
大人に会うといい
恐れることは無い
南に向けて出発すれば
幸運に恵まれる
善良なる力が上昇し、しかも行く手に障害がない。であるなら、大いなる成功が約束されるというものだ。この上昇は力づくではなく、謙虚で何事も受け入れる態度で行われる。またそれは時の恵みによって運ばれるので、大いに前進することができる。大人に会うべきである。恐れることは無い。そうすることで成功が間違いなくなるのだから。しかしながら仕事に手をつけるのに躊躇してはならない。何故なら行動(南と言っているのはその意味である)こそが幸運を生むのだから。
地中で木が育っていく。
地風升のイメージである。
かくして自己の徳を涵養する君子は小さい物事を一つ一つ積み上げていく。
そして崇高で偉大な事業を成す。
あるときは自分を障害にうまく合わせ、あるときはそれを回避して、地中の木はゆっくりとしかし着実に育っていく。君子もこれと同じだ。自己の徳を涵養しながら、休むことなく前進する。
46. 地風升(ちふうしょう)天卦:坤 地卦:巽立身する 登る 進展
上昇 昇る 進んで行く
来ない 始めとする 出発
やぶれる 立身発達 繁盛
小さい事の積み上げが大となり、低いところから高くなっていく 従って行っても親しまれない 妻、妾、使用人が逃げ去る
癇癪持ちで逆上する 発狂する
・火地晋と地風升は官途に進むによろしい。然れども小を積んで大となるので、急進はいけないのである。
・前途有望の卦である。
・南方に好き便り消息事情がある。
・根気を要するときである。
・玉の輿に乗るときである。
・養子となる。
・婦人の助力を得れば成功する。
・金がはいる。
・先祖の霊を祭るのによろしい。
・誠実にやって福を得る。
地風昇(ちふうしょう) †
強い生命力を持つ苗木のごとく
ひとり成長していくが…
■自分の成長に喜びを感じる †
地風昇(ちふうしょう)の人は、とても親しみやすく寛容な人です。
初めて会った人とでもすぐ旧知の仲のように打ち解けることができます。
このような性格は、周囲の人にとても愛されるでしょう。
あなたは、何かを成長させることに生きがいを感じる坤卦の人の中では、珍しく自分の人生に積極的で、活力がみなぎっています。
あなたはまるで苗が成長するかのように、ぐんぐんと成長していくでしょう。
ただし、自分自身を成長させることに一生懸命すぎると、まわりのことをおろそかにしがちなので、注意が必要です。
また、何かに失敗したときに立ち直りが早いのも地風昇(ちふうしょう)の特徴です。
しおれた草木に水を与えると生き返るように「もう人生の終わりだ」と深く悩むことがあっても、一晩寝ると翌朝には「まあなんとかなるさ」と開き直ることができるのです。
■出会った人が成長させてくれる †
地風昇(ちふうしょう)の人は、ビジネスにおいても自分を成長させながら活躍していきます。
仕事で出会った人たちから、彼らが持っている知識や技能を引き出し、見事に自分の肥やしとしてしまいます。
また、実力のある人に目をかけられるチャンスを持った人です。
あなたの「成長しよう」とする積極的な姿勢は、好感を持たれるでしょう。
地風昇(ちふうしょう)の人は、「企画」を立てる仕事に向いています。
雑誌編集、番組制作、広告関係などの職業につけば、いろいろな人と会うことによって、新しい企画が次々とひらめくことでしょう。
あなたは会社に所属してもうまくやっていけますが、フリーとして、より一層活躍できるでしょう。
ただし、成長力がみなぎっている若いうちは、多少ルールのある会社にいるほうが才能を伸ばしやすいかもしれません。
しかし、拘束されることが苦手ですから、一日中社内にいるような内勤の仕事には向いていません。
■どん欲だが達成すると一気に冷める †
あなたは恋愛に対しても、勇ましくぶつかっていきます。
愛する人をこちらに振り向かせようとあの手この手を駆使するでしょう。
立ち直りが早い地風昇(ちふうしょう)の傾向は、恋愛においても見られます。
たとえ今日失恋しても、明日には気分一新して、また新しい恋人を探そうとします。
また、あなたは新しいものに次々と惹かれる性格で、いろいろな人との恋をしたがり、不倫の恋愛に結びつくこともありえま究不倫を経験することで、真の愛情に気づくこともあるでしょう。
セックスにも好奇心旺盛で、いろんなことにチャレンジしてみようとします。
ときにはアブノーマルなことにトライしてみますが、ひと通り経験すると、落ち着くでしょう。
ただし、結婚すると急激に愛情が薄くなるタイプです。
あなたにとって結婚はある種の達成であり、実現すると他のことに目がいってしまうのです。
■成長をあせるべからず †
あなたは成長を急いではいけません。
早く成長させたいからといって苗木に水をやりすぎては、成長しないのと同じです。
小さな積み重ねを大事にすることによって、大きく成長するのだということを胆に銘じておくべきでしょう。
何事も腰をすえてかかる癖をつけたいものです。
■財運 †
一獲千金を狙って、怪しい先物取引などに手を出さないように注意しましょう。
坤卦らしく堅実にいくのが理想です。
大人物について教えを乞うのが一番の早道です。
財運とともに幸運もやってきます。
46地風升 (ちふうしょう)
【キーワード】昇りすすむ
〔大意〕「升(しょう)は、元いに亨る。もって大人を見る。恤(うれ)うるなかれ」升は昇で字のごとく「昇りすすむ」ことです。いまあなたは昇り調子である。地中に芽生えた木の芽がスクスクと伸びていくように、あなたは人生の盛運に向かっています。しかし植物が育っていく過程で、雨や風や嵐や虫の害などに悩まされるように、あなたの行く手にはいろいろ障害が生じてきます。
あせってはいけない。山を登るように一歩一歩大地を踏みしめて、少しずつでいいから前進をする。これが地上に生まれた人間の肉体的宿命であり、わたしたちは天馬空を駆けるというわけにはいきません。
木の根は水と栄養を地中で吸収して成長していくが、これはいわば自然の設計したデザインによるものである。人間の肉体的成長も同じです。さらに人生そのものの成長も同じ摂理に基づくものです。
「あらゆる木は天に向かって伸びていく。おなじようにあなたの昇りすすむ道も天へ向かっていくべきものだ」とマーフィー博士はいいます。天へ向かって伸びていくならば、あなたの計画は実現し、あなたの発展は保証されるというのです。
木が栄養物を必要とするように、あなたは伸びるために良い相談相手を必要とします。経験豊かな年長者、成功者、協力者らの忠告に耳を傾けることは、あたかも木が土中の栄養を吸収するごとくである。
決して自分の能力だけで伸びられると思ってはいけない。あわてずあせらず、いまは「小を積んで大をなすとき」と心得て、地道な努力をするべきときである。そうすればあなたはどんなことでもかなえられるはずです。
初6―おだやかにして信頼しているならば力を得る。
二9―より大きなものを得るために小さなものをささげよ。
三9―確信に満ちて前進せよ。
四6―自分のいまの境遇に感謝せよ。そうすればあなたは上昇する。
五6―待つことの尊さを知りなさい。
上6―潜在意識の中にある無限の知力を信頼しなさい。
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地風升
升(しょう)は元(おお)いに亨(とお)る。もって大人を見る。恤(うれ)うるなかれ。南征すれば吉なり。
○彖にいわく、柔時をもって升(のぼ)り、巽にして順、剛中にして應ず、是をも って大いに亨るなり。もって大人を見る、恤うるなかれとは、慶(よろこ)び有 るなり。南征すれば吉なりとは志行なわるるなり。
○象にいわく、地中に木を生ずるは升なり。君子もって徳に順(したが)い、小を 積みてもって高大なり。
「升は進みて上るなり」といいます。地中から木が升り進む象です。
古典を考えるに五十猛命木種を持て天降り、大八洲国の内に悉く之を播植されました。これより先に陰陽二神が青原を生じられましたが進雄尊の荒びによって枯山となりました。今五十猛神の功によって再び青山となることを得ました。その挿し植えられた木は漸に升り進んで繁栄に升る象です。
木に属します。 萃は升。百事意の如し。才智人は元吉。不義の人は才智と雖も其慢破られます。住居を离れます。行遠くして猶々迷います。併し芸才の人は心寧からず漂泊とも心大丈夫なる時は幸を受けます。人に養なわれます。耕は凶。大地に生じる 狭所に居します。疫。口舌。裂。燥驚。住居。心長くして吉。放埓。
天 雨。 晴。
旅 吉。北方は吉。心が定まらない人は凶。
売 利。 忽にしてはいけません。
願 早くすれば成ります。我に才震がありません。
待 東ならば得ます。
失 男が盗んだとみます。 辰巳西南に有ります。
産 女。 安産です。
疾 疝気。眼病。腹痛持病と成ります。 陰鬼の霊です。 小児虫。脾胃虚。腎経。湿熱。逆上。胸満。二便渋。四肢倦困。牽痛。出来不出来有り。難治。陰を陽と疑います。内七情破れます。風寒暑湿に感労症。腎虚。中風。痢。頭目昏。麻脾。不仁気鬱。腹中塊。凶。三月にして治ります。土気肝積漆瘡。傷寒。中暑増寒。壮熱。脇肋腰背疼癇病。脚気。衝心。脱肛。南の医者は吉。
邪 家ならば四割は一つの大石か大塊が有ります。 井に崩其井に穢物が入り水神の崇り 十九日八日の霊 五爻 井戸にて死んだ人の霊
この卦を得た人は、その功を責めないこと木が漸く長じるのをまつようであればその事が終 に升進して吉。これに反すれば凶。
雷鳴のエネルギーがまだ地中にひそんでいる。
物もって尽くるに終わるべからず。剥ぐこと上に窮まれば下に反(かえ)る。故にこれを受くるに復をもってす。
陽がいったん往ってまた帰ってくる。剥落しかけた君子道が再び通る。
一陽来復、冬至の卦。
願いは通る。 7日もすればもとの道に帰ってくる。
聖王はこの卦を見て、一陽来復する冬至の日には、関所を閉ざして、商人、旅客の足をとめ、自身も巡幸視察をやめて陽気盛大になる時を持ったのである。
相場は、次第に高き卦なり。現在底値にて是より上がる卦なり。
又、易位して予となれば、三八より上りて五十越て三八まで上ると見る又易位して下ると見れば三八より五十越て三八迄下ると見る事もあり。
底値から持直す第一歩の踏み出しを示す。先行き次第に高くなってゆく。初九のこう卦に注目。一段の下落の後に底を突いて反発に転じる場合もあれば、さらに新安値に落ちる場合もある。
乙 卯 : 一体下値 雨天なれば殊にちりちり下鞘。
主爻(内卦、外卦、大成卦):初爻、五爻、初爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
復は、カエルという意味で、始めにカエリ、本に復することであり、また往来するを言う。消長卦のひとつで、もと乾より来て、こう、遯、否、観、剥、坤となり、今、復となれば、乾の一陽が再び本にカエって、臨、泰、大壮、夬、乾となろうとするもの。剥の来往として見るときは、剥と復は常に往来する動きがある。復の一陰上がれば剥となり、剥の一陽下れば復となる。この一陽爻の再び始めに復るゆえ、復という。震雷の坤地の下にあるときは、雷は地下の物にあらざるゆえ必ず発出して天に上り復ろうとする象。上り進む意。一人の力を以って衆人を統率し事を建てようとする義。冬至の象。反復して後戻りするという意味をよくよく戒慎しなければならない。今、少しく運勢向上しようとする時なので、大事をとて静守しなければならない。勝負、我が方の勝。
復は、亨る。出入疾(やまい)なく、朋(とも)来りて咎なし。その道を反復す。七日にして来復す。往くところあるに利(よ)ろし。
彖に曰く、復は、亨るとは、剛反(かえ)ればなり。動きて順をもって行く。是をもって出入疾(やまい)なく、朋(とも)来りて咎なきなり。その道を反復す、七日にして来復すとは、天行なり。往くところあるに利(よ)ろしとは、剛長ずればなり。復は、それ天地の心を見るか。
象に曰く、雷の地中に在るは、復なり。先王もって至日に関を閉ざし、商旅行かず、后(きみ)は方を省みず。
24 地雷復 ちらいふく くりかえし
一陽来復。復とは冬至のこと。元に戻る。卦は地中深くに春の陽がひとつ芽生えた形。長かった冬もあと一息だが、焦って飛び出してはいけない。雷のエネルギーもまだ潜んでいる状態で、活躍するのに充分な力はない。吉兆。希望。復興。仲直り。再婚。捜していたものが見つかる。着実にコツコツと努力すれば順調に達成する。
この卦の゙転換点゙という意味は、陰がすべての陽を上に押し上げ卦の外側に追放してしまった後、こんどは別の陽が下から卦に浸入してくるというところから生まれた。暗黒の時は去り、冬至を境に陽の進攻が始まる。この卦は11番目の月、つまり冬至の月(12月~1月)と関連付けてみなされる。
「復」は亨る
誤りなく出入りする。
友達も来るが咎められはしない。
道をあちこち行く
7日目にまた帰ってくる。
行くところがあっても問題はない。
衰退と崩壊の季節が頂点を迎えた後、転換点がやってくる。追いやられていた力強い光が戻ってくる。その変化はしかし力で強制されたものではない。上卦坤の性質は献身;従って変化は自発的に起こされた自然なものだ。だから旧から新への転換が容易なのだ。古きの廃棄と新しきの導入。この二つの働きは時の要請に従って行われる。だから問題となることは何も起こらない。社会とは多くの人々がある見解を共有することによって作られる。それぞれの見解のもとに集まったグループが公然としかも時に従って一つになるので、利己的で反社会的な傾向の人々が排斥されることになり、問題は起こらない。復の卦は自然界の働きの写しである。それは循環し自己完結している。従って何事も人為的に急かせる必要などない。すべての事物は己の時間に従って動いている。これこそが天地の意図するところなのだ。
すべての働きは6つの段階を踏んで完成に至る。そしてその次はまた最初の段階に戻るのだ。だからこそ冬至は、そこからその年が下り坂に向かい始める夏至から7番目の月にあるのだ。同じように日の出も日没から2時間を1単位として7番目の時間帯におこる。だから、7とは曙の光を表す数字と考えられている。漆黒の夜を表わす数値6が一つ増えて、7になるからだ。このようにして夜の眠りが昼の活動にその席を譲るのだ。
大地の下に雷が眠る
復の描くイメージだ
かくして古代の王は冬至のおり
関所を閉ざして街道の通行を禁じた。
商人も旅人も歩き回ることができなくなったし
支配者自身も地方巡幸はしなかった。
冬至は中国では一年の中の休息のときとして常に祝われてきた。新年を祝う休みのときとしてずっと続いてきた。冬には生命力は、その象徴としての雷という立ち上がってくる力は、まだ地中にある。生命の働きはまだその端緒にあり、力を養うため休んでいる必要があるのだ。そうしないとまだ未熟なうちに使われて力を失ってしまうかもしれないのだ。このような、つまり、エネルギーを休ませて力をつけさせ、再び働きができるようにしてやるというのは他のいろいろな方面に適用できる考え方で、病気の後の健康の回復や、仲違いの後の人間関係の回復などもその例である。そのどの場合でも、最初は慎重に注意深く扱って回復させ、徐々に活動を盛んにしてやるべきなのだ。
24. 地雷復(ちらいふく)天卦:坤 地卦:震復活 更生 一陽来復
冬至 復帰 反復往来
蘇る 進む 事を始める
過ちを改める 立身発達 質素
地位を望み、人には使われたくない 求める 時期を待つ
故障が無い 回復に向かう
・商売職業上の悩みがある。
・沈滞して不振の時。
・破れた話が復活する。
・復縁には吉である。
・婦人の力を得れば、成功する。
・成功には半年かかる。
・養子となる人である。
・物の善悪を選り分ける。
地雷復(ちらいふく) †
静寂の中で雷鳴の
ごとく炸裂する「力」
■「静」の中に「動」が爆発する †
あなたはふだん、近くにいてもいるのかいないのかわからないくらい、静かでおとなしい人です。
ところが、何かきっかけがあると突然、爆発的に感情を表わします。
怒りや悲しみを、まるで火がついたように表現するのです。
地雷復(ちらいふく)は、基本的には「静」の卦なのですが、ときとして雷鳴のごとく「動」が激しく爆発することがあるのです。
「静」のときのあなたはとても節度のある人です。
良識があり、人に迷惑をかけるようなことはしません。
沈思黙考するタイプで、さまざまなアイデアが湧いてくるでしょう。
地雷復(ちらいふく)の人の欠点は、やや意志が弱く、「ノー」と強く主張することができないことです。
どんなに疲れていても人に誘われると、断ることができません。
それは相手を残念がらせまいというやさしさからなのですが、結果的にあなたの感情が爆発することにもつながり、防ぎえたトラブルを引き起こしてしまいます。
■反省することで着実にレベルアップ †
地雷復(ちらいふく)の人は、ひとりで静かな場所で自由に考えていると、さまざまなアイデアが浮かんでくる人です。
時間に縛られる職場より、ひらめきを生かせるようなクリエイティブな環境で仕事をすると、よい結果につながるでしょう。
ただ、非常にのんきな面も持ちあわせていますので、ときどき叱咤激励してくれる人がそばにいると理想的です。
あなたの仕事の実力は、飛躍的に上がることはありませんが、着実にレベルアップしていきます。
ひとつひとつ着実に仕事をこなし、その反省を次の仕事に生かしていくことができるのです。
■感情の爆発が破局を呼ぶ †
あなたは節度ある恋愛をします。
いくら好きでも、四六時中いっしょにいたり、仕事をさぼってまでデートをしようとは思わないでしょう。
また、たとえふたりの間にいさかいがおこっても、怒りが持続するタイプではないので、自分が悪いと思ったことは、素直に謝れる人です。
ただし、ときとして爆発的に怒りをぶちまけてしまうことがあり、それが破局の原因となるかもしれません。
恋人はあなたの突然の変貌に驚き、去っていってしまうのです。
ふだんから不満があれば口に出すようにして、感情の「爆発」を抑える工夫が必要でしょう。
セックスも基本的には穏やかできめ細やかなのですが、ストレスがたまっていると、乱暴になったり、投げやりな態度を見せることもあります。
結婚後も定期的にふたりでどこかへ出かけるようにするといいでしょう。
恋人のころのようにときどきデートをすることで、あなたたちの恋愛は末長く続いていきます。
■短期集中で物事に取り組むべし †
あなたは「静」の中からパワーを生み出す人です。
しかし、そのパワーを長時間維持することはできないので、短期集中して物事に取り組むべきなのです。
一仕事終えたあなたに必要なのは、休息です。
再び「静」へ戻ることが欠かせません。
また、自分にとって本当は必要ないと思われることに対しては、はっきりと拒否の態度を示しましょう。
ストレスがたまって、あなたの爆発的な感情が出てしまうと、取り返しのつかない事態につながりかねません。
■財運 †
目標をあまり高く掲げないこと。
積立貯金をする場合も、無理のない金額から始めましょう。
感情的になって、せっかくためた財産を投げ打ってしまわないように、管理は家族に任せたほうがいいかもしれません。
24地雷復 (ちらいふく)
【キーワード】帰る(転気)
〔大意〕潜在意識の存在をあなたが強く感じられるならば、その力はたいへん強いものとなって、あなたの人生に大きな転機をもたらすことになるでしょう。
『易経』には「復は、亨る。出入疾なく朋来りて咎なし」と書かれている。復は「帰る」「復活する」「回復する」「戻る」などの意味を持ち、この場合はだいたい悪いことが去って良いことが戻ってくるというふうに解してよいとされています。
いわば吉運へ向かう上昇期にあたり、精神的にも肉体的にも活気に満ちている。マーフィー博士は「あなたの決めることは何でも成功するだろう」といっています。しかし、まったく心配がないわけではない。
ついつい調子に乗ってズサンな計画を立てたり、暴走したり……好事魔多しのたとえのごとく、せっかくの上昇運を台無しにしてしまうこともあり得るからです。しかし基本的には上昇基調にあるのだから、積極的なのは良い。もっと悪いのはそれに気がつかないで、あるいは信用できずに、みすみすチャンスを逃してしまうことです。
波にうまく乗るには、波が来てから乗ろうとしては遅すぎる。来るちょっと前に動作をおこしていなければならない。これと同じで、この卦を得たら、否定的な思考をさっばりと捨て、自分の目標なり計画の実現に一点集中することです。
「真の才能は孔雀の尾のように自分で引き出さなければならない」という言葉がありますが、運もまったく同じで、自分で予感し自分でつかまなくてはなりません。
運は目の前を通るが、決して押しかけてはこない。いまは事をおこすのに何の障害もないというのですから、自信を持って積極的に向かっていくことが必要です。この時期に動揺したり、決意が固められない人は永久にそれができないでしょう。
初9―あなたの目標、計画をいますぐ実行しなさい。
二6―あなたの内心の声を受け入れれば、豊かさを獲得できる。
三6―いやしい考えと縁を切ることです。
四6―あなたの心を点検するもう一人の自分を意識しなさい。
五6―いまのあなたの思考や行動で罰せられることはない。
上6―かりにあなたが過ちをおかしてもそれは許される。
地雷復
復(ふく)は亨(とお)る。出入疾(やまい)なく、朋來(きた)りて咎なし。その道を反復し、七日にして來復す。往く攸(ところ)有るに利ろし。
○彖にいわく、復は亨るとは、剛反(かえ)るなり。動きて順をもって行く。是をもって出入疾なく、朋來りて咎なきなり。其の道を反復し、七日にして來復するは天行なり。往く攸(ところ)有るに利ろしとは、剛長ずればなり。復はそれ天地の心を見るか。
○象にいわく、雷の地中に在るは復なり。先王もって至日に關を閉じ、商旅行かず、后(きみ)は方を省(かえり)みず。
復は反です。陽が下に復(かえ)ります。古典に陽神(伊邪那岐神)が黄泉からこの国に帰り来られた事があります。それがこれに当ります。「反復七日」の七は少陽の数です。日はまた陽です。陽が反ることをもって七日といいます。古典に神代七世があります。又陰神の御言に「夜七夜日七日」の語が見え猿田彦神の鼻七尺省長七尋の類、古より七数を用いる例があります。天地の心は生々です。陽が来復して生気が是より始まります。これは天地の心です。陽神(伊邪那岐神)が陰神(伊邪那美神)に言勝って千五百産屋を立てるという勅を思うべきです。
○象伝は一陽がわずかに来復するのみでいまだ盛ではないので静にして養うべきをいいます。
土に属します。 剥(おつれ)ば復た起ります。気が応じない事七日(しばし)辛抱すれば慮わざる所得ることが有って損も復ります。進む所が有れば利ろしく復(おこり)退(しずまる)。復古。待つ。退屈。乾に之けば願を発します。泰に之けば夬忽に立身します。艮に之けば病気。 困に之けば妻に離れます。娘妾孕みます。盗難。口舌。散財。再(ふたたび)往て返ります。住居の労、或は替り或は離れます。一度は労し、二度めは吉。始めは凶にして終は吉。
天 雨。未日未時は晴れ。
旅 吉 他は凶
売 凶 艱難を凌ぐ人は利があります。
願 一度は破れて叶いません。再度は叶います。日を遂って成就します。
待 遠いのは吉。来ます。
失 尋ね難いです。往来人又は親人がとって東に去ったとみます。
婚 吉
産 安 男
疾 途中旅行にして起発します。伏熱往来。気労。腹脹。瀉。渋。胃熱。食滞。女気血虚経行不順 痰咳再発。虚病。前病再発。瘧。
邪 婦人事の障。火難水難の恨を受けています。地に付いて神社の跡形絶えた障。
十二日七日の霊。普請に付き地神の崇り。
この卦を得た人は一善の徴もよくこれを扶養すればその善が漸く長じて吉。これに反すれば凶。
太陽が地中に隠れる。
進めば必ず傷(やぶ)るる所あり。故にこれを受くるに明夷をもってす。夷とは傷るるなり。
太陽の明るさが傷つき、明やぶれる。
艱難を自覚して、苦しみつつ正道を守るときにのみ利あり。
内文明、外従順。まさに文王は、幽閉されるという大難を被りながらも、正しい志を全うした。
君子はこの卦を見て、世間に対しては、明徳をつつみ隠し、しかも心の明を失わない。
相場は、 日が地中に入るの象にして安し。然れども、易位すれば晋となりて上がるなり。
安値保合い。好材料でも容易に響かぬ場合が多く、少し上向いても直ぐに下押す傾向あり。しかし概ねさらに進んでの下値がなく、いずれかといえば、氷漬けにでもしておく気になれば、時を経て上伸の機を得る占。
高下下る。
辛 酉 : 不味の様にみえて結局高値なり。
主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、五爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
明夷は、明らかなるもののやぶられるという意味である。また他より傷破させられるとも見る。およそ、六十四卦に破敗の卦が2つある。 地火明夷と、山風蠱である。 明夷は外より破られ、蠱は内より敗るという相違がある。故にこの二卦は内外よりする意味をよく会得して活用しなければならない。晋の易位として見れば、晋の時には、離の日が坤地の上に在ったものが、明夷においては離の日が坤地の下に没する象。自己は文明の徳があっても、上位の暗坤のために晦(くらま)し傷らるる意。知あるとも包み隠せば災いを免れる義。火災の恐れあり。盗賊の災に遇う意。迷惑なる意。夜の象。自分では明らかであるといっても、先方が暗昧のために害をうける時なので万事恐れ慎むべきである。勝負、共に皆調わず、強いて望めば凶。
明夷は、艱(くる)しみて貞に利(よ)ろし。
彖に曰く、明の地中に入るは、明夷なり。内文明にして外柔順、もって大難を蒙(こうむ)る。文王これを以(もち)う。艱しみて貞に利(よ)ろしとは、その明を晦(くら)ますなり。内難にしてよくその志を正しくす。箕子これをもってせり。
象に曰く、明の地中に入るは、明夷なり。君子もって衆に莅(のぞ)み、晦(くら)きを用いてしかも明なり。
殷の暴君、紂王は、謀反を恐れ、周の文王を、ゆう里という場所に幽閉した。文王は大難に耐え、財宝・領地を紂王に献上して釈放された。文王の子、武王の代になって周はついに起ちあがり、殷を滅ぼし、周王朝を築いた。
箕子は、紂王の叔父にあたるが、紂王を諫めたため紂王の怨みを買った。身の危険を察した箕子は、ついに狂人を装い、奴隷となって身を保った。武王が周王朝を立てた後、朝鮮王に封ぜられる。
36 地火明夷 ちかめいい 日が沈む
破れる。暗い。心配。夜。内向。すぐに太陽が地面の下に隠れてしまう。明智なるも のが暗愚に支配される。暗くて道が見えないと不安になりやすく、ささいな事でも心配の種となる。才能を包み隠して艱難に耐えること。苦難の中で実力を磨くのだ。争いごとが生じて関係が悪化する気配。望み事かなわず和合しにくい。
この卦においては太陽は大地の下に沈み、かくしてその光を失っている。この卦の名の意味するところは、文字通り「傷ついた明るさ」である。かくして、各爻は繰り返し、負傷について言及する。この卦の示す状況はちょうどこの卦の前にあった晋卦と反対 である。晋卦においてはその中心となる人物が有能な助力者らの援助のもとに昇進を果たした。ところがこの明夷卦においては暗愚の主が権威の位にあり、知恵ある有能の人々を苦しめている。
明夷。苦しみの時において
忍耐努力することはあなたを成功に導く
逆境にあるからといって、抵抗もしないで押し流されて、自分を見失うようなことがあってはならない。[明夷の]逆境にあるときは、外面は従順で素直な様子に見せても内側の明智を失わないようにしなさい。このようなやり方をとれば、どんな困難な環境も越えていける。人は時には自分の内なる明知を目立たぬように隠すことが必要な場合がある。何事もままならない環境だが、密かに意思を貫くのだ。心の底でじっと耐え努力していても、それを外からは覗えないようにするのだ。このようにしてこそ、人は自分の意思を困難なときにも保つことができる。
光が大地の底に沈む
明夷の示す状況だ
かくして、君子は大衆とともに歩む。
その明知は内に隠されても、なお輝き続ける
暗闇にあるときは注意深く控え目でなければならない。思慮のない態度をとって、不必要に敵意を煽ってはならない。他人のことに口をさしはさむのはやめろ。他人の事情を光の元に晒すのは思慮の無いことだ。やめなさい。人間関係において、他人のことをいろいろ詮索するのはよくない。心では本当のことを知っていても、目をつぶってだまされてやることが大切な場合がある。
36. 地火明夷(ちかめいい)天卦:坤 地卦:離傷ついた太陽 傷つく 防空
ごまかされる 欺かれる 暗くなる
迷い惑わされる 控え目にしていれば災いを免れる 火災に注意
盗難に注意 圧迫されて閉じ込められる 牢獄
・太陽が地中に没する。夜の象。
・禍を起こすことがあるから注意を要する。
・表面に立たないのが良い。
・家出人は戻る。
・夜の商売、水商売。
・盗賊の災いに注意。
・婦人の助力を得れば成功する。
・昼に出歩かず人目を忍ぶ。
・病は発狂の意もある。
・誅戮の意
地火明夷(ちかめいい) †
傷ついた小鳥は暗闇の中で傷を癒し
夜が明けるのをじっと待つ
■芯の強い、大器晩成型 †
八卦では、地火明夷(ちかめいい)を「太陽は沈んでいても、その光の像が心に残っている」卦としています。
これは、あなたがどんなときでも心の明るさ(太陽)を失わない、芯の強い人であることを表わしています。
地火明夷(ちかめいい)の人には「苦労する時期」というのが必ずあります。
家庭に恵まれない、仕事がうまくいかないなど、その内容はさまざまですが、その間はあらゆる物事がうまくいかず、お先真っ暗という感じさえします。
しかしあなたは、そんな状況にもめげることなく、地道な努力を続けていきます。
あなたには、大災難に耐える強い運命があるのです。
夜がいつしか明けるように、あなたの暗闇も必ず晴れます。
そしてそこには、あなたの明るい未来が必ず開けているはずです。
■ひとりで働くほうが快適 †
地火明夷(ちかめいい)の人は、集団の中で働くと余計な気を使ってしまい、うまくいきません。
あなたは、ひとりで計画を立て、それに基づいて仕事をしていくほうがあっています。
つまり会社に勤めるより、自分で開業するほうが向いているのです。
また、あなたの内面には知性が秘められており、それを生かして文筆業を始めても成功します。
会社に勤めるのであれば、人の出入りの多い都会的な環境ではなく、静かで落ち着ける場所のほうが働きやすいでしょう。
地火明夷(ちかめいい)の人は、仕事をしていて自分の能力に限界を感じたり「この会社は自分には向かないのでは」と悩み始めることがあれば、それは、やがてくる明るい未来の前兆と考えましょう。
プレッシヤーに負けず努力を続ければ、必ず陽の目を見る日が来ることでしょう。
■幸せだと不安になる損な性分 †
芯の強い地火明夷(ちかめいい)のあなたは、揺るぎない愛情を持った人です。
内に秘めた明るさは、あなたの恋人にとって大きな支えになります。
たとえ遠距離恋愛をすることがあっても、うまくやっていけるほうでしょう。
逆に、愛情にあふれ、だれが見ても幸せな状況になるとあなたは不安になる損な性分を持っています。
周囲の祝福を受けると「これが幸せのピークで、あとは下るだけ……」などと考えたりするのです。
恋愛におけるこうしたマイナス思考は、せっかくの幸せを逃すことになりかねません。
あまり悪いほうに考えないことです。
地火明夷(ちかめいい)は、開放的な性格ではないので、セックスも最初のうちは自分でムードをもっていくことができず、内に秘めているでしょう。
■ときには人に甘えてみる †
地火明夷(ちかめいい)の人は、自分の信念を堅く持って努力をすれば、明るい未来が待っています。
ただし、苦難の時期に陥ったときに、あきらめてしまわないことです。
幸運を手放すことになります。
あなたは他人に面倒をかけることを嫌い、めったに弱音を吐かない人です。
しかし、このような態度は、人によっては一種の「よそよそしさ」に映る場合もあります。
恋人は「自分は頼りにされていないのか」とさびしく感じるかもしれません。
いつも自分の中だけで問題を解決するのではなく、ときには人に甘えてみてもいいでしょう。
■財運 †
一時的に迷ったり停滞して、身動きがとれなくなるほどの状況に陥りますが、それを乗り越えると財運と幸運がともにやってきます。
適切な時期がくるまではあせらずじっと待ちましょう
36地火明夷 (ちかめいい)
【キーワード】暗くなる
〔大意〕「暗くなる」とは光を失う状態です。光は真実であり、善であり、勝利ですから、それを失うことは敗北、失敗を意味する。従ってこの卦は衰運を暗示しています。
「明夷はくるしみて・・・」と『易経』にあるように、これは賢明なもの、正しいものが傷つき苦しむ運命である。悪いものが苦しむのならば話しは分かるが、そうでないのだからちょっとやりきれない状態である。しかし、現実にはこういう例は幾らでもあるわけです。
いわば正義が通用しない、当然のことが当然でなくなるとすれば、いったいどんな対処の仕方をすればいいのか。暗澹たる気持ちになるのも無理はありません。『易経』ではどういっているのか。それは「身を正しく保ち、じっと耐えよ」ということです。
これに対しマーフィ博士は「そのような状態になること事体にあなたの誤りがある。その誤りを正さなくてはならない」といいます。潜在意識の理論からいえばこれは当然のことで、私たちの境遇はどんなものであれ、その人間が日頃考え行動してきたことの帰結である。それが好ましくないものだとしたら、過去にそうなるような、或いは現在も含めてそうなるような心理的態度をとってきたからだ、ということになります。
その誤りを正すこと無くして幸運を招くことはない。いくら自分で正しいと思っても、正しさがイコール幸運のパスポートではないということでもあります。潜在意識はメカニックな性質があって、当人の理性的な思惑とは逆の働きをすることがある。
だからといって、唯やたらと待つとかやり過ごすというのではなく、「自分には良い状態が訪れる。それはまもなくやってくるのだ」と確信することが必要です。そういう形でたえず潜在意識に肯定的な思考を送り込んでおかないと、いつまでたっても暗い世界をさまようことになりかねません。
初9 不調和、不一致、失望はまもなく消えていきます。
二6 解決するのはあなたではないことを念じなさい。
三9 旅に出ると思いがけない道を発見するだろう。
四6 他人におきた事柄にあなたの責任はありません。
五6 今は大いなる束縛を甘んじて受けるべきである。
上6 失望、意気消沈、悪意はあなたの周囲をより暗くしていることを知りなさい。
地火明夷
明夷(めいい)は艱(くる)しみて貞なるに利ろし。
○彖にいわく、明の地中に入るは明夷なり。内文明にして外柔順、もって大難を蒙 (こうむ)る。文王これをもってせり。艱しみて貞なるに利ろしとは、其の明を 晦(くら)ますなり。内難にして能く其の志を正しくす。箕子(きし)これをも ってせり。
○象にいわく、明の地中に入るは明夷なり。君子もって衆に莅(のぞ)み、晦(か い)を用いてしかも明なり。
此れは日が地中に入る象です。日が地に入ると世は闇くして燭がなければ事を辨じ難く、妖魅の類も出て災をなします。故に世間は難(なやみ)がある時に当り、聖賢亦由てその明を晦(くら)まし、内の徳を明らかにするべきを説いています。古典を考えるに日大神が天岩窟(あめのいわや)に入り坐して六合(くにのうち)が常闇となり、万の妖が発り、群神愁い迷うとあるのがこれです。
水に属します。 晋過れば必ず明夷(やぶる)苦多し。進んで成る事も明日へ延ばず意が可なり。苦に堪えず進もうとして闇夜に燈を失います。心の不安。衣食乏しく住居忍び色に迷い終に遂げることができません。病。事を案じます。家内にて一人発明。残りは不才。藝困苦していまだ宜しくありません。无妄より来るは知行家督に离れます。大畜より来るのは女に付いて苦があります。
天 雨。晴。
旅 凶。
売 利がありません。口伝。
願 夛(おおく)は成りません。
待 来ません。
失 出るが長くなります。恨みがある人がかくしたと見ます。
婚 凶。吉。
産 初産は安いです。女。
疾 小児老人は凶。 中年の人は治ります。 女は気病。難治。痛む所が有ります。湿毒が在りま す。腫物類。積。目翳。古湿在。腫出。腎虚。逆上。内熱病。内に在って見えません。女血虚 熱を冷して包。女難より発します。 疱瘡。 養生を誤ります。薬を誤り後治ります。往来有 無道人に仕え心気病。病腸胃に有ります。瘡痬類。鬱冒陰症。心気煩。身体何となく困。寒熱 往来。胸孕不虞。恐れ有り。出産は平です。
邪 剣難の恨み故出世が遅いです。又水難の恨み。長袖の障り 五爻 長者の恨を受けています。 上爻 人を殺して天罰。人に殺されます。 十九日仏の障 二十八日を祭るのが良いです。
この卦を得た人は誠に明の傷れやすきを知るに吉。これに反すれば大凶。
岸に立って泥沼に臨む。
事ありて後に大なるべし。故にこれを受くるに臨をもってす。臨とは大なり。
陽が下から進んで陰に迫る形が、次第に隆盛にむかうときを示す。しかし物盛んなれば必ず衰う。仲秋八月、陽気衰退に至れば凶に転ずる。
のぞむ。正道で利あり。
君子はこの卦を見て、どこまでも民を導き、限りなく包容することを願うのである。
相場は、 沢が底値となって次第に上がる。然れども、一旦は下がると見ることもあり。
安値保合。気配は良好。反発上伸に転ずると判じる。その強弱は初ニのこう卦の如何による。
損なし、利少なし。
癸 丑 : ジリジリ高値を現す。
上下、相互に観ることである。陰陽相求むの象、即ち、望むことの至って切なるものであるから臨という。至る、望む、大きい、進む、希求する。 我より兌口をもって説けば、彼も従順するの象。消長法においては、もと坤より来て復となり、今、臨となって、其の勢い将に、泰、大壮、夬となって、ついには、乾の純陽に至らんとする。陰は退いて、陽は進み長ずる勢い。人に愛せらるる。次第に繁昌する。相互に助け合う意。利達盛運のとき。勝負、我が方に少し利あり。
主爻(内卦、外卦、大成卦):三爻、五爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
臨は、元(おお)いに亨る。貞に利(よ)ろし。八月に至りて凶あり。
彖に曰く、臨は、剛浸(ようや)くにして長じ、説びて順(したが)い、剛中にして応ず。大いに亨りてもって正しきは、天の道なり。八月に至りて凶ありとは、消すること久しからざればなり。
象に曰く、沢上に地あるは、臨なり。君子もって教思に窮(きわま)りなく、民を容れ保んずること疆(かぎ)りなし。
19 地沢臨 ちたくりん 相方から臨みあう
親しみあう。双方から臨みあう。求める。与える。躍進。将来性があって運気が隆盛に向かっている。互いに和合して万事順調な卦。結婚は進んで求めてよい。志操を守っていれば遅れてもかなう。希望があるとはいえ短期決戦と心得たほうがよい。急速に盛んになったものはたちまち衰えるからだ。機敏に行動して吉。
中国語「臨」の意味は外国語に翻訳する場合一語で置き換えることができるほど単純ではなく、いくつかの意味がある。易経にある説明を見ると、この語の発生当時の意味が良くわかる。それは「大きくなる」という意味だ。ここで言う「大きくなる」存在とは下から上へ卦の中を上っていく2本の陽爻のことである。光に満ちた強力なエネルギーが上昇していくと考えたのだ。やがて意味はさらに拡大し「迫り行く」、取り分け下位にあるものが上方に伸び迫って行く意味になった。最後には、「高官の人民に対する謙譲さ」、更にはもっと一般的な「何かに取り組む[臨む]」というような意味にまでなった。この卦はまた、12番目の月(1・2月)を表す。それは冬至の後再び光に満ちた力が萌し始めるときである。
臨はすばらしい成功が待っている。
忍耐努力すればそうなる。
八ヶ月目に(or 8番目の月)
不幸が訪れる
この卦は全体で喜びと希望に満ちた前進を表す。春が近づいている。喜びと謙虚さが上下を一つにする。成功が約束されている。しかし時の利を生かすには、決断力と忍耐努力が必要である。更に付け加えれば、春は永遠には続かないということを忘れてはならない。8ヶ月目、[or 8番目の月]事態は逆転する。強い力を持った陽爻はもはや2本しか残っておらず、しかもそれらは伸び進展するのではなく、ただ退行していくしかない(次の「風地観」の状態)。この変化の潮時を見逃してはならない。悪はそれが現実になる前に、まだほんの兆しであるころに対処すれば、どうにかできるものである。
大地が湖の上にある。
臨のイメージである
かくして君子は教え導く意志において
倦むことがなく
また、民を受け入れ守る姿勢において
限りが無い。
大地が上から湖に接している。上位のものが下位のものに対するときの接し方と謙虚なあり方を示すのがこの卦である。湖と大地のイメージは上位の人の下位の人々に対する接し方がどのようであるかを象徴する。君子の倦[ア]むことなく民をやさしく教え導く態度はまさに深い水をたたえた湖のようだ。また君子の広く人々を受け入れ世話する態度は大地がその上の存在すべてを広く支え活かすのに似ている
19. 地沢臨(ちたくりん)天卦:坤 地卦:兌憲政 世に臨む 民に臨む
相望む 見る 求める
進む 徐々に繁栄 志願成就達成
親しく仲良くする 人に愛される 病は腹水
自分の事に人が従ってくれる
・住所に悩みがある。
・大淫門の象
・不平を抱く。
・九月に注意する必要がある。
・全て控えめにして吉を得る。
・仲人の取り持つ意がある。
・他人の知らぬ色事がある。
・色恋事はしばらく静かにしていれば向こうより進んでくる。
・少女が母に従うのである。
地澤臨(ちたくりん) †
肥沃な大地で
次世代を育成する
■心が豊かでお金にも困らない †
ドジャースの野茂英雄投手は、この地澤臨(ちたくりん)の人です。
地澤臨(ちたくりん)を評して、八卦では「広々とした大地の上で、澄みきった湖水は春風のように、のびやかに微笑む」卦としています。
これは地澤臨(ちたくりん)の人が、非常に心が広く寛大で、やさしさや同情心にあ
ふれていることを示しています。
あなたは、貧しい人や困っている人を見ると、何かしてあげずにはい
られないでしょう。
また地澤臨(ちたくりん)は、物事を楽観的にとらえ、毎日を楽しく過ごす術を知っています。
友人同士でキャンプやバーベキューパーティなどをして、楽しく騒ぐのが大好きな人です。
あなたは肥沃な大地のごとく、とても心が豊かであると同時に、お金に困ることなく暮らしていくことができます。
将来的には、しかるべき社会的地位を得ることも十分可能です。
■後輩や部下に恵まれる †
地澤臨(ちたくりん)の人は、年上の人との相性があまりよくないので、新入社員のころは、上司に恵まれないなど不遇の時を過ごすかもしれません。
しかし、経験を重ね、自分に実力がついてくると、運勢は次第に好転していきます。
人を使うのがうまく、部下の意見もよく聞くので、人の上に立ってする仕事のほうがうまくいくでしょう。
アフターファイブも、部下と飲みにいくことが多くなります。
地澤臨(ちたくりん)は「大地」の卦の人の中でも「肥沃な地」の卦ですから、農業の仕事についても成功します。
すばらしい農産物に恵まれ、富を築き上げるでしょう。
組合などでも、その人望から要職につきます。
■結婚で家族に反対される †
年下と相性のよい地澤臨(ちたくりん)は、恋愛の相手も年下のほうが望ましいようです。
特にあなたが男性なら、姉御肌的な女性とは、友人として長くつき合うことはできても、恋愛関係には至らないでしょう。
あなたは、年下でかわいらしい女性を守ってあげているときにこそ、あなたらしくいられるし、幸運もついてくるのです。
また、結婚しようとすると、ちょっとした邪魔が入ります。
地澤臨(ちたくりん)の人は、結婚に際して親に反対されがちなのです。
あなたの両親は恋人に対し「家柄が違う」などといいだす可能性があります。
ただし、時間をかけて説得すれば、あなたの家族は必ず理解してくれるはずなので、あせらないことが大切です。
セックスはリードしたがるほうですが、強引ではなく、愛情に満ちたものになるでしょう。
地澤臨(ちたくりん)は倫理感が非常に強いほうなので、浮気はまず考えられません。
■次世代を育成する使命 †
あなたは「裕福」な人ですから、将来的には高い地位を得る可能性が大きいでしょう。
しかし気をつけたいのは、決して人を見下してはいけないということです。
あなたは、後輩を育てる能力に長けてはいますが、一歩間違うと、彼らに対してまるで自分の召使いであるかのような態度をとってしまう恐れがあります。
あなたには「次世代の人を育成する」という使命があるのであって、彼らはあなたを豊かにするために存在しているのではないのです。
それを忘れないでください。
■財運 †
もともと高望みはしないので、万事思いどおりに進みます。
社会的地位も収入も文句はないでしょう。
しかし、思い上がると失敗します。
周囲の人、とりわけ年下の人のアドバイスは大切にしましょう。
19地沢臨 (ちたくりん)
【キーワード】近づく
〔大意〕幸運は近くまできている。もしあなたが人の道を誤らずに歩くなら、それはあなたのものになるだろう。『易経』には「臨は、元いに亨りて貞しきに利ろし」とあります。これから良くなるという卦ですから悪くはありません。
ただそれは近くまで来ているが、まだ到着はしていない。だから油断は禁物であり、注意はいままで以上にしなければならない。春がもうそこまで来ているからと、冬物の衣類をしまい込み、暖房を取りはずしてしまったら、急に冷え込んで風邪を引いてしまったということにならないように気をつけなければなりません。
同時に消極的ではいけない。調子に乗ることは戒めなければならないが、積極的に運をつかむことはしなくてはなりません。そのために必要なのは肯定的に考えることです。幸運が目前といってもそれはまだつかんだものではない。期待可能性の段階です。こういうときの心理状態はきわめて重要である。
心構え一つで、つかむか逃がすかまったく正反対の結果が出る。もしこの段階で「だめかも知れない」と思ったら、確実にだめになるでしょう。実際、とかく周囲の否定的意見というものには説得力がある。大勢の人から「無理だ」「危険だ」「あぶない」などといわれると、その気になってしまう。しかしマーフィー博士はいいます。
「大海の水がぜんぶ集まってもその水が船の中に入らないかぎりは船は沈まない。否定的な考えもあなたの心が抱かない限りは、あなたを傷つけることはない」せっかくのチャンスを逃しやすい人は、このマーフィー博士の言葉を忘れてはなりません。調子に乗ってはいけないが、この卦が出たら幸運をつかむ絶好のチャンスが訪れたことを信じて、積極的な行動を取るべきです。
初9―あらゆる良いことがあなたの前に開かれている。
二9―必要な知恵、力、アイデアはあなたに与えられる。
三6―物事の変化に不注意、無関心な態度をとってはならない。
四6―全力を傾注して事に当たれ。
五6―自分は力を持ちチャンスにも恵まれていることを実感せよ。
上6―人のためにあなたの活力を使いなさい。
地沢臨
臨は元いに亨りて貞しきに利ろし。八月に至れば凶有らん。
○彖にいわく、臨は、剛浸(ようや)くにして長じ、説(よろこ)びて順(したが)い、剛中にして應ず。大いに亨りてもって正しきは、天の道なり。八月に至れば凶あらんとは、消すること久しからざればなり。
○象にいわく、澤上に地あるは臨なり。 君子もって教思すること窮(きわ)まりなく、民を容(い)れ保(やす)んずること疆(かぎ)りなし。
古典に天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)が天降(あまくだ)ろうとして天浮橋(あめのうきはし)に立って臨睨て「彼地は平ならず」といわれ、復還り昇られたとあります。この臨の字の義です。この卦の象は高い地上から卑しい沢を臨み見た状なので天から地を臨睨のとその理が似ています。そもそも当時中国(なかつくに)は荒びていたとはいえ大国主神がこれを統馭されて大変威勢がありました。一応これに問われずに直に降ろうとされたのは進で物に通じるの意があります。若し還り昇られたならば恐くは必ず過があります。陽が長じるのは尊ぶべきであるが消長は理の道です。是をもって剛が浸(ようやく)にして長じる時において消じることも亦久しいものではないことを慮るのは聖人が戒を垂れることの深定です。
○ 象伝は君上が下民に臨む義をもっていっています。此卦は剛が柔に通る象がありますが、その徳は下説(よろこ)んで上順う。内剛中を得て外に応あり。陽長じて盛であり、陰は説び順います。君臨の徳が天下に及ぶものです。
土に属します。 蠱(こと)有は臨。 望有り、事を始めて八月目に至りて破れます。親族の縁も宜しいです。愛敬が有れば程能く進んで吉です。盛衰を見て憂えず奢らず心泰ならば吉です。養子。刀剣大業物。凶。田畑に付いて物故を謀る。朋友と不和。家作などの心掛が有りと雖も成り難いです。病難。盗難。散財。住居に悩みあり・人柄よくして悪所に住み、一度裏(零落)します。二度目は六七分調います。
天 晴。 麓雲。雨
旅 吉凶
願 信有り。成り難くして成る。
待 色欲に付得難いです。遅く来ます。
失 東南。多人に紛れて出難いです。 衣腹は出ます。
婚 吉
産 安。男。
売 吉凶
疾 節を逐って発病。気重。動気。小児食傷。丸薬吉。 胸苦内虚。小腹牽痛。気血虚 寒熱往来。腰足不自由有。下血。瘧。次第に重くなり凶。八月に至って危いです。 狂言。少陰症。口病。
邪 初縁に欺れて再縁の恨。西北高神。籠りて果さず。十三日六日七日の霊。
四爻は縁組に付女の生霊
この卦を得る人は教思容保の旨を失なわなければ吉。これに反すれば凶。
天地が和合する。
履(ふ)みて泰、然る後に安し。故にこれを受くるに泰をもってす。泰とは通ずるなり。
太平の時。
小往き大来る。すなわち、君子の道が長じ、小人の道が衰える。
内心、君子(健)にして、外面、小人(おとなしい)。
陽剛の徳があれば、吉にして通る。
王者はこの卦を見て、天地の相交わって万物化育するのを助け、民を程よく安泰に導くのである。
相場は、 高下保合。地は下らんとし、天は上らんとす。故に高下保合にして不動の義となす。不動の中にも気配は善き方なり。
天地交わり取引活況。然し値段は思ったより弾まず。高下往来。往来しつつも、下から上がる勢いを察するべき。
売買共に大利あり。
高下初め下り後次第に上る。売買売りは利少。買いは利多。
庚 申 : 押目に買うべし。下る如く見えて下さるべし。
主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、五爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
乾の気は降り、坤の気は上る。陰陽交わり君臣交和すれば、家整い、国治まり天下安泰。怠慢にして傲り易き象があり慎戒の要がある。安泰なる者は、この上更に望みを企てれば破敗の義がある。泰通繁昌の時。勝負、我方に小利あり。
泰は、小往き大来る。吉にして亨る。
彖に曰く、泰は、小往き大来る、吉にして亨るとは、すなわち是れ天地交わりて、万物通ずるなり。上下交わりて、その志同じきなり。内陽にして外陰なり。内健にして外順なり。内君子にして外小人なり。君子は道長じ、小人は道消するなり。
象に曰く、天地交わるは、泰なり。后(きみ)もって天地の道を財成し、天地の宜を輔相(ほしょう)し、もって民を左右す。
11 地天泰 ちてんたい 上下が和合して吉
上にある地は下がり、下にある天が昇って上下が和合する理想の卦。交わって吉。心を通じあい安定した関係を保つには誠意と用心が大切である。よい関係であっても乱を忘れずに、質素にして奢りを慎むこと。内面が充実して外面も穏やかだが安泰すぎるので堅く身を守ること。平穏。和合して悦び多し。結婚、恋愛に大吉。
坤が卦の上にあって下方に動き、乾が卦の下にあって上昇するのが地天泰である。このようにしてそれぞれの特性が調和のうちに出会い、結果すべての生命が花開き繁栄するのだ。地天泰は、大自然の力が春に備えて動く第一の月(2-3月)を表す卦である。
小さい存在が去り、
偉大な存在がやってくる。
幸運であり、成功がもたらされる。
現実に我々が住むこの世界では、一見大地が下に天が空にあるように見える。しかし地天泰が表す時は、天が地の下に身を置き、そのため天地二つの力が深い調和のうちに会い交わり巡るのである。そのようにして宇宙の平和と恵みが生きとし生けるものの上に行き渡る。地天泰は、人間社会においては社会の平安となって現れる。上位の者は下位のものを気遣い、下位の卑しい者もその敵意を棄てる。
卦の中心たる内側に明るい陽の原則が、外側に暗い陰の原則があり、かくして陽が力を振るい、陰がそれに従う。このようにして陰陽それぞれがそれぞれの本領を発揮する。善良なる力が社会の中心的な役割を担い、それを動かすようになると、卑しい力もそれに従わざるを得なくなり、自然良くなっていくことになる。天の霊なる力が人を支配するようになれば、人の中の卑しい部分もその影響を受け、自分のあるべき位置にまで退くことになる。この卦では一つ一つの爻が下から上に昇っていく。小さい弱い、そして卑しい力である陰は今や上に抜けて減っていき、入れ替わりに、偉大で強力で善良な力である陽が下から上昇し増えつつある。これが成功と幸福をもたらすわけだ。
天と地が調和し融合する。泰の表すイメージである。
かくして君子は
天と地の働きを区分けして補い
人々を助ける。
天と地[という2つの宇宙の力]は互いに交わりあいその力を併せて、宇宙のさまざまの事物を開花させ繁栄させる。この[大自然の]力の働きを、区分するという作業を通して人が使えるようにするのが君主の役目である。人は自然の事象の移り変わりに照らして四季の区別を知り、磁針の針の指す方向の違いを利用して土地を区画する。このようにして自然界に無限に存在する事象を一定の枠に区分けすることにより、それを管理することが出来るようになり、人に利用できる存在になる。一方、[区分による管理ばかりでなく]自然の持つ生産性を促進することもまた必要である。そのためには、物事の種植えや収穫を正しい場所で、正しい時期に行うようにして生産性を高めることだ。そのようにすることによって自然もまた繁栄する。人がこのように自然を区分理解しまたその生産性を高める努力をすれば、自然もそれに答えるだろう。
11. 地天泰(ちてんたい)天卦:坤 地卦:乾安泰 泰平 賀正
豊か 安らか 通ずる
親睦 和合 利益
事が成就する 豊饒 懐妊
黙っている 怠慢 病は無病である
・男女情けを通ずる。
・夫を尻にしき、かつ、不貞の暗示がある。
・調和があったものがやがて崩れていく。
・油断して怠けると大概失敗する事が多い。
・商売職業上の悩みがあるとき。
・情が深く見えて実は移り気である。
・年齢が釣り合わない男女が相慕う。
・目下の者の中に金銭の悩みがある者がいる
地天泰(ちてんたい) †
平穏の中に突如、
小悪魔的な冒険心が芽生える
■穏やかだが内面に頑固さも †
善良で心が広く、他人と楽しく過ごすことができる地天泰(ちてんたい)の人は、いつも多くの人に囲まれているはずです。
地天泰(ちてんたい)の人は「内剛外柔」、つまり表面的には穏やかでやさしいのですが、意外なところで内面の頑固さが現われます。
「剛健さ」と「柔和さ」をあわせ持っているなのです。
こうした両極端の性質を内に秘めている地大泰ちたいてんの人は、大きな失敗をすると、悩み苦しみます。
ひどいときには、自殺さえ考えかねません。
また、地天泰(ちてんたい)の人は「柔和さ」の中に、実はささやかな冒険心を秘めており、ときおりその冒険心が顔をのぞかせます。
あなたは日頃は、平穏を望んでいるのに、実際にそれが長期問続くと、飽きてしまうのです。
■出世は早いが、安定期に要注意 †
地天泰(ちてんたい)の人は、仕事の能力が高く、人づきあいも上手なので、順調に出世していくでしょう。
また、仕事が上り調子のときでも、それに驕ることはありません。
というのも、あなた自身が大きな過ちを犯したとしても、同僚や友人が注意をしてくれるからです。
そんなときは、あなたも友人たちの忠告を素直に聞き入れるはずです。
あなたが気をつけなくてはいけないのは、絶好調で上りつめて、安定期に人ったときです。
他の坤卦の人には見られない「飽き」があなたの中に芽生えるのです。
そうなるともう、身軽な小鳥のようにあちこち飛ぴまわりたい心境にかられ、転職を考えるかもしれません。
その結果、翌日には辞表を提出してしまう、なんてこともありえそうです。
しかし本来の坤卦の性分からすれば、これは正しい行動ではありません。
心がはやつたときこそ、冷静に考えるよう心掛けてください.、
職種としては、地天泰(ちてんたい)の人は金融事情に敏感ですから、経理の仕事、金融や投資会社などがいいでしょう。
また、失敗の少ない堅実な仕事、公務員などにも向いているでしょう。
■失恋から立ち直るのに時間がかかる †
坤卦の人には、愛する人を守り抜こうとする勇気があります。
愛する相手が苦難や障害にぶちあたったとき、あなたは自分の身を犠牲にしてまでも守ろうとするでしょう。
同性の友人も多い地天泰(ちてんたい)の誠実な人柄に、惹かれる異性も数多くいます。
恋愛運は比較的順調で、一度交際を始めると長くつきあっていけるタイプです。
年齢的に近い人がよく、お互い友人や家族にも紹介しあうオープンな交際になります。
セックスも「愛情があつてこそ成立する」と考えるタイプで、安易に浮気には走りません。
地天泰(ちてんたい)の人は、恋愛に関しては何もかも順調のように思えますが、実は失恋したときが要注意なのです。
ひとたび失恋すると、それまでまじめに接してきたあなただけにショックが大きく、立ち直るのに人一倍、時間がかかります。
■「安定期」に入ったきが要注意 †
本来「安定」「平穏」は坤卦のキーワードですが、地天泰(ちてんたい)の場合はちょっとニュアンスが違います。
ある程度上昇が続いたあとに訪れる「安定期」は、要注意ポイントなのです。
あなたは、このときに気をゆるめてしまうと、失敗する可能性が非常に高くなります。
■財運 †
若いうちに家を建てる、スポンサーがついて会社をおこすなど、非常に恵まれた財運の卦です。
あまりの順調さに驕ってしまうと、落ちるのも早いでしょう。
常に最悪のケースも想定しながらことを進めましょう。
11地天泰 (ちてんたい)
【キーワード】平和
〔大意〕これは易では良い卦の一つです。「易経」には「泰は小往き大来る」とあり、運勢学的には非常な盛運に当たる。自信をもって事に対処していい時です。全ての点であなたは恵まれています。
では、この運の昇り調子は何に支えられているかといえば、それは泰です。泰には安泰、やすらかといった意味のほかに「通じる」という意味もある。ここでいう「通」は意志の疎通の通であり、いわば他人との関係がうまくいくことで、あなたの心は安泰となり、それがすべての幸運の基になっているということです。
「あなたの心が平和であり、上と調和しているときには、あなたは家庭、事業など、あなたの人生のあらゆる面において平和を見出すだろう。しかもそれだけでなく、あなたはあなたが尤も望んでいる願望を獲得するだろう」
これはマーフィ博士のこの卦に対するメッセージですが、博士が言う平和は、すべてが順調に運んでいることによって得られるものと考えられます。
人間はどんなときに平和になれるか、心の平安が得られるかといえば、それは問題や困難が無いことではなくて、それに勇気をもって対処できる時です。いわば全ての事柄についてやる気を失わないで、忍耐強く取り組んでいけるとき、人間は自己に自信を持ちます。そしてその自信が物事を成就させるのです。
よく「何々がどうなれば自分もどうこうする」と注文を付ける人がいますが、そういう人は永久に注文を付け続けている。条件付きで何かをしようとする人は条件無しでは何もできないのではなく、本音はしたくないのです。潜在意識の力を発揮させるためには、何よりも先の自分の心を安定させることなのです。
初9 そのなすところは皆栄える。
二9 外部環境を変えるのは、自己が変わることによってのみである。
三9 あなたの心の動きに注意せよ。すべてはそれが決定しているからだ。
四6 安易に援助の手を差し伸べるな。それは相手の自尊心や自発性を奪うことだ。
五6 人との約束はすべて調和と善意に基づいたものであるべきである。
上6 心の中で難問に手向かうことを控えよ。そうすれば解決は向こうから来る。
地天泰
泰は、小往き大來(きた)る。吉にして亨(とお)る。
○彖にいわく、泰は小往き大來る。吉にして亨るとは、すなわち是天地交わりて萬物通ずるなり。上下交わりて其志同じきなり。内陽にして外陰なり、内健にして外順なり、内君子にして外小人なり。君子は道長じ、小人は道消(しょう)するなり○象にいわく天地交わるは泰なり。后(きみ)以て天地の道を財成(さいせい)し、天地の宜を輔相(ほしょう)し、以て民を左右す。
「泰は通也」と記す。天地が相交って通じます。否の反対です。古典に天孫既に葦原中国(あしはらのなかつくに)の君たる天勅をうけて降臨し、地祇(大国主神(おおくにぬしのかみ)事代主神(ことしろぬしのかみ)八百万神(やおよろずのかみ)を師い)天に昇りまことの至(いたり)を陳(もう)しました。これは天地が交わり通じるということです。
○象伝の義は天皇が天下を治め玉うこと直であって是れ天意を下に通じ民情を上に通じ、上下相交って治平にして安らかであるということです。
土に属します。履に次ぐのは泰です。吉事が有りますが急には得ることができません。和に過ぎて礼を失します。始めは凶であって後は吉です。師に之くのは凶です。无妄に之けば苦が在ります。移って辛苦があります。婦人で蠱に之けば夫に离れて再嫁します。刀尊くして焼がありません。娘妾孕む。大録を生じますが今は困窮しています。
天 雨・晴 夏秋は四方に雲がありますが雨はふりません。
旅 吉 伴連(つれ)があれば吉です。
売 利
願 貴人大家へ進むのは吉です。余は長引きます。
待 得ます。音信があります。
失 有ります。東の水辺を尋ねると良いです。未申卯の方を尋ねると良いです。
婚 成ります。
産 安い。男子です。
疾 虚湿病は重いです。剛気の医は吉です。小児は軽いです。気血が虚します。鬱滞して廻りません。頭面が重い。逆上。腰足がだるく腹が脹ります。寒熱往来。病は長びきます。親より受けた病があります。産は凶卦です。外見より内を損して病は重いです。女難から発します。頭瘡。疱瘡癩病。住所苦から発します。
邪 戌亥高神の障。二日三日二十九日の仏障が有ります。
およそ此の卦を得た人は。民を左右してはならないが、裁成輔相の意を失わなければすなわち吉。
これに反すれば凶。
11.地天泰:和合の道 ●
地天泰(ちてんたい)
この卦は地の卦が上にあり、下へ下がろう下がろうとし、天の卦が下にあって、上へ上がろう上がろうとするので、天と地がピッタリとくっついて離れず和合している。それ故に万事安泰であると書かれています。
天の卦は力、権威、権力のある人を示し、地の卦は労働階級とか一般的な人を示します。卦形を見ると、その権力のある人が下になって、力のない一般市民を押し上げようと支えている形をしていますから、このようであってこそ社会は安泰であると解いているわけです。
地の卦は下へ下ろうとするのですから、自分の分をわきまえて謙譲の心を忘れず、力ある人は弱い人を支えようとして持ち上げている。。。まさに、理想的な国家像ではないでしょうか。
また天卦は主人、地卦は妻女を示しますので、最も小さな単位の国家である家庭もかくの如しというわけです。
私はこの卦を見ると、いつもカカア殿下の家庭ほどうまく行くのではないかと思います。と言っても、ただただ妻女が一家の主人を見下しているようでは、謙譲の心に欠いていますので論外ですが。。。
天卦は剛強で動いて止まずの卦なのですが、そうであってこそ妻女を支える事ができます。実のない男性は、その支える力が弱いのも現実でしょう。
卦形を見ると陰と陽の数が同じですから、男女ともにバランスが取れていること、、、それが最も大切なことかもしれません。
ところで、地は物質、天は諸法を表しています。物理世界が安定していられるのは、絶えず諸法が働いているからで、この働きなくして世界はその形を留める事は出来ません。
私たちには、上にある地(物質)のみが見えて、その影で働いている天(諸法)は中々見る事が出来ません。それ故に、往々にして形あるものにのみ捉われ、諸法を忘れてしまいます。
易経では「体」と「用」という概念がありますが、これは見た目と用き(はたらき)という意味です。言葉を変えれば、行動と考えともいえますし、心と身体とも言えるでしょう。よく言われる霊主体従という概念と一致するように思います。
形あるものは、その後ろに隠れた働きによって支えられている事を知るのはとても重要な事だと思います。
地は安定、天は変化という意味もあります。。。もし、そのままに読めば、安定は変化が支えているという事になります。これは物理などの世界ではとても常識的なことではないでしょうか。。。石のように堅固な形も、原子レベルでは忙しく動き回っているという、そんな世界を表しているのかもしれません。
人の心も同じで、昨日のAさんと、今日のAさんが同じように見えても、気が付かないところで絶えず変わっています。それ故に変わっていないように見えるのかもしれませんね。。。
ところで地卦は妻女、母を表す卦ですが、心理学では母性の事をアニマというのはご存知でしょう。このアニマはラテン語の「魂」から来ている言葉ですが、文字通り女性性は魂を象徴しています。魂の事を「心魂」というように、私達の人格的個性や働きの象徴です。
これに対して「霊」は男性性を象徴していて、それが天卦に喩えられます。
地天泰は、魂と霊性の和合を表していると読み解く事ができます。地は従順を意味し、天は能動性を意味します。つまり、私たちが自己の霊性に耳を傾けることが安定した人格を築く道筋だと教えているようにも思います。
従って女性性と男性性の結婚は、一人の人間の内部でも起こりえます。というより、私達はそれこそが目的で存在していると言えるかもしれません。
最後に六爻の意味を簡単に紹介致します。
初爻:同志とともに活動せよ。。。。霊と魂の考えを一致させよ。
聖書には「二人(霊と魂)または三人(霊・魂・体)が、わたしの名によって集まる所には、私もその中にいるのである」・・・マタイ福音書
ここで聖句を引用したが、同志とは理念を同じくする者という意味であるから、厳しい話だが理念のない人は同志に値しない。理念のない人は、その時々の気分、好き嫌いや自分の都合で物事を判断するからである。。。
二爻:汚濁を包容する度量、大河を徒渉する果断さ、疎遠な者と親しむ配慮、私縁を断ち切る公平さ、これらの大いなる徳を備えるならば、泰平の道をゆくことになる。
易経では、たびたび自分の好き嫌いで判断するなという訓戒が出てくる。この爻は中正の位置なので、偏りを持つのは宜しくないと教える事が多い。
三爻:諸行無常、盛者必衰の理を知って、惑わされずひたすら誠を尽くしなさい。もし相手にそれが通じなくても気にする事はない。
形のあるものは変わり行くもので、それは人の心も例外ではない。今通じなくともいずれ通じる事もあり、今通じていても、いずれ通じなくなる事もある。その度に、右だ左だと騒いでも詮無い事で、ここで気にするなとは、相手の対応に惑わされないようにという意味だろう。自分が真と思った事を淡々とすれば良いだけである。
四爻:自己満足に陥らず、ひたすら教えを乞う。心から乞い願えば自ずと誠心は培われる。
自分が何かに通じ始めると人は必ず増長する。通じるとは、誰かと比べて、力量が上だとか下だとか、そのような事ではないと思う。何かに通じようとして一心不乱に努力をしているなら、自分がどの程度通じたかは自ずと解るもので、この時、自分の中に得心という琴線に触れる一本の筋が通る。。。
この筋は誰かと比べて得られるものではなく、その筋が通ったと思わぬ限り、ひたすら乞い願うしかする事がないものだと思う。
心の琴線に触れた音色は様々で、弛んだ琴線の音色で満足する人も、はたまた、それでは満足できぬ人もあるが、もとより何か(誰か)と比べて聞こえる音色ではないので、これまた、ひたすら自己の心の音色を効き続けるしか道はなさそうだ。。。
五爻:常に謙虚であるように。
世の道理が見えてくれば人は謙虚にならざる得ない。人は最初、人と自分を比べるが、そのうち、人ではないものと自分を比べ始める。それにも飽きれば、結局自分で自分を比べるしかなくなるように思う。その時の自分は中々に厳しい。。。
上爻:いたずらに力で解決しようとしてはいけない。
力で解決しようとするのは一番簡単で楽な方法だと思う。時にそれは腕力であったり、言葉の力であったりするが、知力を使う人は少なく、まして、想いの力を使う人は更に少ない。。。
どの様な場合でも、安きに流れるのは人の情であるが、それでは何の発展もない。将来の発展が望めないのであるから、正しくとも後悔することになる。。。
大地の働き、地勢。
天地ありて然る後に万物生ず。天の乾に対して、坤は大地の気ののびるさま。
大いに通る。しかし、牝馬のようにおとなしく健やかな生き方を正道として持続すること。
人の先に立てば迷い、人の後に従えばうまくゆく。
君子はこの卦を見て、徳を厚くして、万民を包容してゆく。
相場は、大いに安い。
現在の保合いを底値として遠からず、変転の兆しが生じると察する。
変卦にみた場合は、波乱が沈静に帰してゆくことを予期。
高下始め下り後は次第に上がるべし。売買人の意見に従うべし。静かに時を待つべし。
癸 亥 : 小競合にて或るいは投出し物も多かるべし。
主爻二・五が離(火)なれば安いといっても一応は上がり、巽(風)、兌(沢)は安い。
主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、五爻、二爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
順(したが)う、柔和、温厚、安静、謙譲、倹約、物静か、丁寧、卑しい、下卑、陰邪、虚耗衰微、怠惰。一旦破れたことが再び芽を出す兆しがあるが成就は遅い。形あるもの、有形。広く遥かな前方を望むとき、将来に希望を持ち慎み深く努めよ。従順に努めれば終わりに叶う。小人が物資欲を計り、特義を怠る。万事進むべからず。我を立てれば凶。旧を守れ。持合。
坤は、元(おお)いに亨る。牝馬の貞に利(よ)ろし。君子往くところあるに、先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得。西南には朋を得、東北には朋を喪(うしな)う。貞に安んずれば吉なり。
彖に曰く、至れるかな坤元、万物資りて生ず。すなわち順(したが)いて天を承(う)く。坤は厚くして物を載せ、徳は无疆(むきょう)に合す。含弘光大にして、品物咸(ことごと)く亨る。牝馬は地の類、地を行くこと疆(かぎ)りなし。柔順利貞は、君子行うところなり。先んずれば迷いて道を失い、後るれば順(したが)いて常を得。西南には朋を得とは、すなわち類と行えばなり。東北には朋を喪(うしな)うとは、すなわち終に慶びあるなり。貞に安んずれば吉とは、地の无疆(むきょう)に応ずるなり。
象に曰く、地勢は、坤なり。君子もって徳を厚くし物を載す。
この坤為地は真ん中に切れ目のある陰の線のみによって出来ている。切れ目のある線が象徴するのは、陰のもつ、暗く豊穣で、受動的な、原初の力である。この卦の持つ基本的な意味は己を棄て働くこと。そのイメージは大地である。この卦は創造を代表する「乾」に対しそれを完璧に補完する関係にある。つまり「坤」は「乾」と対立する卦ではなく補完する卦なのだ。「坤」は精神に対する自然を、天に対する地を、時間に対する空間を、父なる男性に対する母なる女性を表す。しかしこの補完的関係を人間世界に適用する場合は必ずしも男性と女性の関係を表すのみならず、王と大臣、父と息子のような関係にも当てはめられる。さらにある個人の内部の霊的世界と感覚的世界の共存にさえ適用されうる。しかしながら厳密に言って、これが二元論的な考え方だというのは当らない。
よく見てみればこの陽と陰の2つの原則には厳密な上下関係が存在しているからだ。本質論から言えば確かに陰は陽と同格である。しかしながら献身というその性質から言ってこの原初の力の占める位置が陽の創造との関係において初めて意味をもつということも明らかだ。受容性は創造性によって啓発され導かれるからだ。そうされてはじめて受容性は善となりうる。陰が悪になりうるのは自らのそのような立場を棄て陽と対等の立場に立とうとするときのみである。そのとき陰は陽に対立し、戦いを挑む存在となる。結果は陰と陽の両者にとって悪いものとなる。
坤は大いに亨る。牝馬のような貞節さを通して成功を得る
もし君子が自ら何かを企図し、人々を指導しようとした場合
彼は堕落してしまうだろ
しかしもし彼に従う意思があるならば、良い指導が受けられるだろう
西南に友を得るのはよいことだ。しかし東北に友を得るのはあきらめるのが
良策だ。なにかやり遂げるべきことがあるからには、人には苦闘の時代を助けてくれる友人や知り合いが必要である。そうすれば実現すべき理想も足場が固まるというものだ。苦闘のときとは西と南という方向によって示されている。西と南とは、ちょうど自然が夏と秋に物を育て実らせるように、坤が乾を受け入れ実らせる場所を意味する。このような状況で、その人の持つすべてを動員しないのでは[つまり、"可能性のあることはすべてやってみないでは"の意味か?訳者]、実現すべき課題も当然実現できない。つまり西南に友を得る、とは導きを得るという意味である。一方、苦闘の時代があるのなら、準備の時代というのも当然あって然るべきだ。そこで我々に必要になるのは孤独な環境である。東とは人が指導者から命令を受ける場所を意味する。北はその人がしたことを報告する場所だ。
そんなとき人は孤独を保ち冷静な心を保つ必要がある。このような聖なる時間には、人は周囲から切り離されている必要がある。そうしてこそ派閥的な関係やその闘争から逃れ純粋なときを保つことができるからだ。
訳者:難解だが、宣教師だったウィルヘルムの考えには、神と語り合うための祈りと、啓示を受けるための祈りという考えがあったのではないか?「東北というのは静謐を保ち意識的に神に話しかける場、西南というのは受動性を保ち心をオープンにして啓示が閃くのを待つ場」というように考えたとするのも一つの解釈ではある。あるいは、「西と南は神から優しく導かれるにふさわしい場所で、東と北は神に罪を告白して裁かれるにふさわしい場所」のように解釈しているのかもしれない。
静かに貞節を守っていることはよい運をもたらす。
乾」の基本的な4つの要素である元亨利貞がこの「坤」においてもその属性として取り上げられている。ただじ貞゙に関しては、牝馬の貞として限定を加えた説明がされている。「乾」が潜在する可能性(霊)を意味するのとは対照的に「坤」は空間に実際に存在するものとしての現実性を暗示する。
潜在する可能性、つまり霊は、具体的な定義という制限を加えて初めて我々の目にも分かるものになる。かくしてここで「貞」という属性に「牝馬の」という制限が加えられ具体化される。ちょうど竜が天に属するように、馬は地上に属する動物である。平原をどこまでも疾駆する姿は無限に広がる大地を表すシンボルだ。牝馬は馬の持つ強さと速さに加え牝牛の従順さと優しさも併せ連想させる存在としてここに例示されている。
乾が持つ無数の創造の衝動、自然はその一つ一つを受け止めて形を与える。そのようにしてこそ自然はそれらの衝動を現実の存在としてこの世に表すことができる。自然は生きとし生けるものを生み出し育む豊穣な存在だ。それはまた生きとし生けるものの美と栄光の偉大な根源でもある。かくしてすべての生命がそれによって生かされている。このように「乾」の創造がすべての存在の根源であるのは確かだが、それらを実際の存在に入れしめるのは「坤」の受胎の働きである。具体的にこの坤の働きを人間社会の問題に適用すれば、この卦の言わんとするのは状況に合わせた行動である。人で言えば自己の判断で物事を左右できる地位にいる人ではなく、補佐的な地位の人である。何かをしなければならないのだが、人を指導するのが彼の本分ではない。そんなことをしても迷いが生じるだけだ。そうではなく人に従うのがよい。このような自己の運命を受容することを心得れば、この人は正しい導きを得ることができよう。君子は自己が正しく導かれるようにする。めくらめっぽうに進むようなことはせず、状況から学ぶべきことを学び、運命の示唆するところに従うのだ。
なにかやり遂げるべきことがあるからには、人には苦闘の時代を助けてくれる友人や知り合いが必要である。そうすれば実現すべき理想も足場が固まるというものだ。苦闘のときとは西と南という方向によって示されている。西と南とは、ちょうど自然が夏と秋に物を育て実らせるように、坤が乾を受け入れ実らせる場所を意味する。このような状況で、その人の持つすべてを動員しないのでは[つまり、"可能性のあることはすべてやってみないでは"の意味か?訳者]、実現すべき課題も当然実現できない。つまり西南に友を得る、とは導きを得るという意味である。
一方、苦闘の時代があるのなら、準備の時代というのも当然あって然るべきだ。そこで我々に必要になるのは孤独な環境である。東とは人が指導者から命令を受ける場所を意味する。北はその人がしたことを報告する場所だ。そんなとき人は孤独を保ち冷静な心を保つ必要がある。このような聖なる時間には、人は周囲から切り離されている必要がある。そうしてこそ派閥的な関係やその闘争から逃れ純粋なときを保つことができるからだ。
訳者:難解だが、宣教師だったウィルヘルムの考えには、神と語り合うための祈りと、啓示を受けるための祈りという考えがあったのではないか?「東北というのは静謐を保ち意識的に神に話しかける場、西南というのは受動性を保ち心をオープンにして啓示が閃くのを待つ場」というように考えたとするのも一つの解釈ではある。あるいは、「西と南は神から優しく導かれるにふさわしい場所で、東と北は神に罪を告白して裁かれるにふさわしい場所」のように解釈しているのかもしれない。
大地の特性は献身的な受身である
かくして心広い君子は世界を受け入れ支える
天が一つしかないのとちょうど同じように大地も唯一の存在だ。乾の重なりである乾為天は宇宙の時間の無限の継続を表すが、坤の重なりである坤為地は宇宙の空間のどこまでも続く広がりと物質としての確固さを示す。空間がこのようであればこそ、そこにあらゆる物や生命が存在し、生き、活動することができるのである。このように大地の特性は善悪に関わりなくあらゆる存在を献身的に受け入れることにある。同じように、君子も広く、自分の人格を純粋にしてあらゆるものを支えるものに育て上げ、あらゆる物事と人々を支え受け入れられるようにする。
2 坤為地 こんいち 大地の静かな動き
豊かな力を蓄えた大地。母。柔弱と消極。迷い。保守。衰微。女性的だが決して劣っているわけではない。消極を保つことで剛の攻撃をしのげる。勇気決断に乏しくて初めは疑いや迷いがあるが、なにごとも従順にして剛強を避ければ遂にかなう。お互いに様子を窺っていて定まりにくいが、みだりに変えずにいれば調和して吉となる。
2. 坤為地(こんいち)天卦:坤 地卦:坤 大地の包容性 臣下の道 萬母
柔順 温厚 安静
順直 謙譲 恭敬
貞節 丁寧 倹約
衆多 卑賤 狭少
虚耗 哀微 怯弱
怠惰 暗昧 疑惑
遅鈍 偏執 悋嗇
邪曲 体の元気が虚耗して、精力が哀微する 耄碌
健忘 重病
・物事に焦りを感じるとき。
・家相上、西南の裏鬼門に凶相がある。
・女性の助力があると、何事も成功する。
・当方、先方共に誠意がない。
・短気で疑い深く、将来を考え過ぎて苦しむ。
坤為地(こんいち) †
類いまれな包容力で
人を包み込む
■包容力があり人を支える †
あなたは典型的な坤卦、八卦では「すべてを包み込む大地」とされる卦です。
心が広く、どんな人でも受け入れ、包み込む暖かさを持っています。
坤為地(こんいち)は、一見おとなしく、自己主張のない人のように思われがちですが、実際には確固とした自分を持っています。
ただ、それをおおっぴらにひけらかそうとしないのです。
自分が前面に出ることをあまり好まない卦といえるでしょう。
あなたは坤卦特有の暖かさから、いろいろ相談をもちかけられることも多いでしょう。
あなたは、とても聞き上手でかつ口が固いので、皆の信頼を得ることができるのです。
あなたは物事を進めるとき、先手をとってはいけません。
坤為地(こんいち)の人は皆をひっぱっていこうとすると、迷いに入ってしまいます。
二番手にまわって、誰かを後押しするほうがうまくいきます。
■ナンバー2を狙え †
あなたはナンバー2になるべき人です。
会社でいうと奔放な社長を支える堅実な専務というところでしょうか。
いろいろと苦労は尽きませんが、ひと仕事やりとげたときの喜びはひとしおです。
またナンバー1の人の成功を心から喜べる人です。
坤為地(こんいち)には、揺るぎのない知識と愛情があります。
あせって仕事をすることはないのです。
というより、ひとりよがりになることは絶対避けるべきです。
華やかな舞台で自分が活躍しようとすると、痛い目に遭うでしょう。
仕事としては、農産物に関する会社や人事を扱う職種がいいようです。
実際に農業に携わる仕事にも向いているでしょう。
また、堅実でお金の計算に強いところを生かせば、経理畑でも活躍できるでしょう。
恋人や友人から精神的な支えを得ることができれば、仕事ははかどります。
■やさしさが誤解されることも †
あなたはとてもやさしく、まじめな人です。
たとえ振り向いてもらえないことがわかっても、そっと陰から愛する人を見守り続けます。
異性とつきあうときは、イニシアチブを相手に預けるほうが関係はうまくいきます。
恋人には、なるべく明るく元気溌剌とした人を選ぶとよいでしょう。
坤為地(こんいち)の男性は、特にもの静かでやさしいのですが、異性の前に出ると無口になりがちで「冷たい」印象を与えてしまうことすらありそうです。
また、たとえ気持ちを告白しているつもりでも表現力に欠けるところがあり、相手に思いが伝わっていない場合もあります。
セックスも消極的でうまく表現できないので、相手に気持ちが伝わりにくいようです。
坤為地(こんいち)の結婚は遅そうです。
ただし、結婚してしまえば、女性なら完壁なまでに内助の功に励みますし、男性なら家事や子供のしつけなどにも積極的に手伝う、理想の夫となるでしょう。
■人を援助することで自分も成長する †
あなたは今どき珍しいほど親切な人で、恋人や友人のために一生懸命になれる人です。
人の面倒を見ることが大好きですから、自分の財を投げ打ってまで彼らに投資しようとします。
それらは「恩」となって、いつの日か必ず、あなたに返ってくるはずです。
■財運 †
お金にはとてもシビアな人です。
毎日の積み重ねで地道に貯金をしていく卦でしょう。
現状維持を心掛け、目先の安易な誘惑にとらわれないようにしてください。
農産物に投資するのも適しています。
02坤為地 (こんいち) 【キーワード】受け入れるもの(女性原理、潜在意識)
〔大意〕すべて陰からなる卦です。その意味するところは乾為天(けんいてん)と同じ「大いに望みがかなう」ですが、乾為天が男性的原理に支配され能動的なのに対し、こちらは女性的原理に支配されています。
潜在意識の属性は陰にあり、それは受け入れることによって、偉大なものを創造すると
ひんいう点で母性的創造に関わります。『易経』には、「坤は、元いに亨る。牝馬の貞に利ろおし。…先んずれば迷い、後るれば主を得」とあり、従順であることが、成功や目的達成に重要であることを示しています。
ただ坤(こん)は潜在意識による創造ですから「この卦はきわめて無意識的な側面を持っています。願望や計画を持つことは大切だが、その実践に当たっては、信念と信頼をもって潜在意識に委ねることが肝心です。
「無限の知恵と無限の知力を持つ潜在意識に願望を引き渡しなさい。そしてあなたの意識する心が静かに確信を持って、正しい考えを行なえばあらゆることはあなたの望む通りに実現する」のです。
善を考えれば善がそれにともない、悪を考えれば悪がそれにともなう―これが潜在意識の法則です。どんな事柄についても、誠実で正しい方向で思考し行動することです。目先の利益や憎悪の感情で事を行なうことは、あなたの目標達成を妨げるばかりか、かえってマイナスの結果を招きます。
健康、安定、平和の中で行なわれた成果こそが、真にあなたの幸福をもたらしてくれるのです。女性が妊娠し出産するプロセスで必要な状態と同じものが、人生の成功のためにも大切であるということです。
初6―つとめて良いわざにはげむことを心がけよ。
二6―そのなすところはみな栄える。
三6―偉大な者の導きに従え。
四6―何事も思い煩うな。すべてはよくなっていく。
五6―道は楽しく、みな平安である。
上6―否定的な考えとあらそうな。建設的な考えにとって代えよ。
坤為地
坤(こん)は元(おお)いに亨(とお)る。 牝(ひん)馬の貞に利ろし。 君子往くところあるに、先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得。西南に朋(とも)を得、東北には朋を喪(うしな)うに利ろし。貞に安んずればんずれば吉ば吉なり。 ○彖(たん)にいわく、至れるかな坤元、萬物資(と)りて生ず。すなわち順(したが)いて天を承(う)く。 坤は厚くして物を載せ、徳は无疆(むきょう)に合し、含弘光大にして、品物ことごとく亨る。 牝馬は地の類、地を行くこと疆(かぎ)りなし。 柔順利貞は、君子の行なうところなり。先んずれば迷いて道を失い、後(おく)るれば順(したが)いて常を得。西南には朋を得とは、すなわち類と行けばなり。 東北には朋を喪うとは、すなわち終に慶(よろこ)びあるなり。貞に安んずるの吉は、地の疆りなきに応ずるなり。○象に云わく 地勢は坤なり。君子もって厚徳もて物を載す。
これは地の事であって陰陽二霊の功です。地は陰であって天に順います。
ゆえに順をもって地の能とします。牝馬は陰物なのでこの卦の象とします。(陰陽二霊の神ですが地は陰なので陰神の儀に合います)
ここは神話では伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)二神による国土(くに)生みの段にあたります。「先に迷う」というのは「先言」ということであり、伊邪那美命が先に言葉をかけて天之御柱(あめのみはしら)をめぐられたことであり、「後に得る」というのは方法を改めて御柱をめぐられたところ霊のよい御子を得られたという義です。
西に處する周易の方住は坤离兌巽みな陰であり、東地の乾艮震坎はみな陽です。
ゆえに西處の陰は朋を得て東地の陽は朋を失います。そして朋を喪っても終に慶(處)があるというのは陰神(伊邪那美命)は一旦陽神(伊邪那岐命)に離れて黄泉国に入られても遂に黄泉大神となられ、陽神(伊邪那岐命)が御禊し、日月の神を得られたのも幽顕陰陽相対する妙理であり、陰神が幽から助けられた事によります。(須佐之男命(すさのをのみこと)が陰(伊邪那岐命)を指して「母」トといわれた深理はこのことです)
土に属します。この卦を坤為地というのは極陰配地の義であり、天の一気を得て万物を発生させる。これはすなわち母のことです。親族が睦むといえども衣食乏しく定居移転の労が在ります。正しければ終に福を得ます。慈悲心水のごとく絶えず物を案じる意があります。
養 柔和にして吉
娘か妾が妊娠する。・衣類は無地・継父母・争い
天 晴れ。地気が升り四方に雲が有ります 又は雨
旅 初めは凶。後に吉。
他出 凶
売 利
願 長人に従って吉
待 遅れるが吉
失 西北の方角 反覆して出難い 金物は出ます
婚 吉。ただし厄介人が有ります。
産 若い人は吉。 長引く
疾 脾と胃が和せず熱有り 食滞腹脹裏二便渋湿滞大虚・眼病女気血裏色青・病長・難治・再発・腹痛・手足痛・昼は軽く夜は重い・病は急剛剤を与えるのは凶 西南の医者は吉・人の為に労して煩います。・薬功はは見れません。爻が上にゆく程重い。
邪 先祖の婦人が無理な金を取り、建てた家であり、末々零落する象 坤方に大敵が有ります。十一日か二日三日の仏の障りが有ります。初爻は田畑の争につき老女の霊。地を掘って土公神の咎あり。 二爻は普請につき鬼門の祟り
この卦を得た人は徳を厚くして物を載せること大地の形勢のごとくであれば吉。
これに反すれば凶。
02.坤為地:従順化育、柔よく剛を制する ●
第一の卦、乾為天(けんいてん)の次にこの坤為地(こんいち)が記されている。乾為天が全陽の卦であるのに対して坤為地は全陰の卦となっている。易では陽と陰が互いに対立し合い、結びつき合いながら森羅万象を生み出してゆくと考えられている。
乾為天が父の卦であるとすれば坤為地は母の卦という事ができるだろう。
天の働きは剛強で止むことがない。しかし、そのような天の働きも地に巡り会わなければ形として表れる事は出来ないのである。
坤は全陰の卦であるので静の極地で従順の徳を示している。けれどもいざ動く時は乾(天)にも抗う力があると書かれている。それでも坤は乾には決して勝てない事を知っている。その分をわきまえた知恵も坤の徳だと言えるだろう。
坤は全陰で全てにおいて従であるから私心がない。私心がないゆえに天にも拮抗できるほどの強さがある。
そして坤は全陰であるがゆえに相手に合わせて受け止めることが出来る受容の徳がある。相手を抱きかかえ受け止めて化育する事が坤の本分であり母の姿と言えるだろう。
思えば従順化育は私たち日本人の姿であったように思う。それが西洋文化の流入によって、人より抜きん出る事だけが美徳のようになってしまった感がある。
人より優れている者だけが良いという価値観は弱者を排除する。現代教育はそれを学業の点数で行ってきた。しかし考えてみれば、その様な基準では大半の人間は弱者に回ることになる。それだから個性と叫び、比べる価値観を増やそうという事になった。そうすれば様々な分野で優れたものが表れて強者を増やせるという発想だろう。
だがそれも、元にあるものは競争の原理だから、これも駄目あれも駄目と敗者になり続ける人間も作り出してしまう。
問題は明らかだ。優れた人を認めるという徳がある事を教えようとしていないからである。誰もが勝者になるためには人の数ほどの価値が必要になる。そうでなければ誰もが勝者になること不可能だ。そして、それだけの価値観の多様性を生み出すことも不可能だろう。つまり、その方向は最初から破綻しているのである。
けれど従受、順受という美徳があり、誰もがその美徳を認めるようになれば、誰も敗者はいなくなる。。。
古来の日本人は従順の美徳も知っていたように思う。主従の関係は一対だと。。。
昔の武士は殿様と主従の関係を結び君主に従った。家臣は何でも君主の言いなりだったかというと、そうでもなかったと聞いた事がある。
主従の関係は結ぶものであり服従や隷属とは違うということをお互いに理解していたという。だから家臣も意にそぐわない君主を見限る事も少なくなかったし、それだけに君主も自ら襟を正す必要があったという。
大地、母を表す坤は、受け入れ、従う事で、人と化すように育ててゆく。母の化育力は今も昔も甚大なのであると思う。が、その母も競争の原理に毒されては化育の力は働かないだろう。。。
易経の文言伝には「直・方・大、習わずして利ろしからざるなし」と書かれている。
直とは正しい事であり、方とは義にかなうことである。
君子は敬によって心を直しくし、義によって行動を方正とする。敬と義が確立すれば、徳は大きく広がり行くという意味だ。敬うとは決して勝者の論理ではないだろう。
ところで坤の従順は乾に対してである。坤は地に生きる私たちであり、乾は天、神、深い心の事だ。
従順の徳は外に対してだけではなく、私たち自身の内部にも必要だという事ができるだろう。平たい言葉で言えば良心に従うことだし、スピリチュアル的に言えば心の深いところから来る言葉に従いなさいという事だ。
私たちが、自身の心の声を感受するとき、そこに森羅万象を生み出し得るのだと教えているように思う。
私心を虚にして、あなたの深いところの思いに従順でありますように。。。
(艮宮)象意 ● 八白
『キーポイント』
八白土星は土気。卦象は『山』である。山が連綿と連なっていることから『つなぎ目、積み重ね』などの象意が基本にある。繋ぎ目は終わりと始まりであることから『変化』の象意となり『終始、改革』となり、人事では『相続』となる。また、山は動かないので『止まる』という意味がある。
時節は初春で1(丑)~2(寅)月であり、時候は1:00~5:00(丑・寅の刻)となる。中国占術の暦は立春をもって一年の初めとするが、これは寅月の始まりでもある。つまり、時節の変化の境界が八白土星にあたるわけだ。
『キーワード』
丑・寅・初春(1・2月)、丑寅の刻(1:00~5:00)、北東、山、5・0(易象は7)、連なり、変化、初めと終わり、止まる
『象意』
鼻、腰、瘤、体中の関節、脊髄、左脚
少男、相続人、兄弟、親子、山中の人、土木請負人、仲介者、旅館・駐車場関係、リサイクル業者
連続した物、継ぎ合せた物、積重ねた物、台の上の物、椅子、机、テーブル
家屋、倉庫、物置、、旅館など宿泊所、休憩所、駐車場、山、高台、
提防、階段、トンネル、行き止りの家、交又点、物と物の間
牛、虎、山中に生息する動物、山鳥、足の長い鳥類
山菜類、たけのこ、きのこ類、馬鈴藷、山芋、百合の根
牛肉料理、魚卵(連なる象)、団子、最中、甘味
親類身内、相続、開店・閉店、終始、交代、組み立てる、つなぐ、
引き継ぎ、止まる、変化、改革、取り換え
黄色、土の色、坤と同じ
山が崩れて平地となる。
飾りを致して然る後に亨ればすなわち尽(つ)く。故にこれを受くるに剥をもってす。剥とは剥ぐなり。
残る一陽が今にも尽きようとしている。
君子は、積極的に行動してはいけない。消長、満ち欠けの理があることを胸におさめて行動する。
上に立つ者はこの卦を見て、まず下々を富ませることに配慮し、自己の地位を堅固にするのである。
相場は、 下がるの義あるもその義をとらず、地上に山ある故に大いに高い。
究理によっては、将来、地山謙へ易位して下ると見る。
漸落の相場では崩落寸前と見るべきだが、崩落の危険が予想されながら、案外高値を持続するのは、山がそう簡単に崩れるわけが無いからである。上九のこう卦に注目。また優秀な銘柄は高く、雑株級が暴落するという場面も少なくない。
物価下落す。
高下損あり。
己 未 : 寄附より下離れ。よく高値を現す。
庚 午 : 強弱對陣互角の姿なり。
一陽五陰の卦のため、主爻に配する爻卦をみること。
主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、上爻、上爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
剥は削り、傷れ、爛れるという意味である。消長法では、乾よりきてこうとなり、遯、否、観、剥となって今其の勢いが一陽を削り落として坤としようとするときにあたり、即ち陰が長じて陽を削り落とす故に剥と言う。艮は峻険であっても風雨の作用で次第に崩れ削られて坤地に帰してゆく。落とされる、尽きる、終わる、零落。進んで事をなせば凶、退き守れば利あり。位高く、実収なしの義。仰ぎ観られる義。執着の深い意。隠遁の意。削り落とされるという時、其の凶を察して防ぎ守ることを専一にすべきである。勝負、持合とする。
剥(はく)は、往くところあるに利(よ)ろしからず。
彖に曰く、剥は、剥ぐなり。柔剛を変ずるなり。往くところあるに利(よ)ろしからずとは、小人長ずればなり。順にしてこれに止まるは、象を観ればなり。君子の消息盈虚をたっとぶは、天行なればなり。
象に曰く、山の地に附くは、剥なり。上もって下を厚くして宅を安んず。
23 山地剥 さんちはく 身を削る心配
艮の山が削り取られて荒野になるさま。剥奪。心配。内向。衰退。苦労。散財。陰の勢いが強くなって陽が最後のひとつだけになった。危機が近い。身を切るような心配ごとがある。対人関係は骨折り、支障が多くて調うことがない。今までのことは諦めて次のチャンスを待てば返り咲きもありえる。
暗い陰爻が上昇し最後に残った明るい陽爻にその破壊的なエネルギーを及ぼし葬り去ろうとしている。暗い陰の力は強く正しい陽に決して直接的には攻撃を加えない。少しずつ目に見えないやり方を及ぼし、最後には崩壊させてしまうのだ。この卦の6つの線は家の形を示す。頂上に残った陽の一線は屋根を表す。その屋根が今や正に崩れ落ちんとし、家は崩壊を目前にしている。この卦は月で言えば第9番目の月、すなわち10-11月である。下から突き上げてくる陰の力はかってなく強力で、今や完全に陽に取って代わろうとしていることろだ。
剥:どこに行ってもよろしくない。
剥卦の示すのは、小人どもの力がいや増して、僅かに残った堅実な君子にとって代わろうとしている時だ。このような環境は、結局、時の働きによるもので、君子はこんな場合何を試みることもよろしくない。このような逆境にいかに対したらよいかは、この剥卦の上下の卦の形とその表す象意を見ればよい。内卦「坤」は大地を現し、その特性は従順である。外卦「艮」は山を表し、静止がその象意だ。つまりこれらが強く勧めるのは困難に逆らわず心を静かに保てということだ。何故なら、ものごとが満ち、また欠けるのも、あるいは盛んになるかと思えば衰えるのも、すべて人の力ではなく、時の働き、すなわち宇宙の意志によるものだからだ。このような、時の働きに逆らうのは不可能事だ。このような場合、困難を受け入れ暴挙を慎むのは卑怯でもなんでもなく、知恵ある行為というべきだ。
山が大地の上に横たわっている。
剥卦が表すイメージだ。
かくして、人の上に立つものは下の者らに対し寛容であるべきで、
そのようにすることによってのみ、自己の立場をまっとうできる。
山は大地の上に屹立しそこに拠っている。もし山が単に高さばかり高くて、それを支える山裾が狭かったら、それは倒れてしまうだけだ。山が安定して立っているのも、偉大な大地の広大さに支えられてこそであり、単に居丈高に急峻であるからではない。多くの人々の上に立つ者も同じようでなければならない。すべてを支える大地のように、慈悲と寛容で下の人々に接するべきである。そうであってこそ、静かに佇む山のような安定した地位を保つことができる
23. 山地剥(さんちはく)天卦:艮 地卦:坤斜陽 欠乏 忍び寄る危機
剥がれ落ちる 浸食 零落
資材が失われていく 控え目にしている方が良い 怠けて弱く止まって、ぐずぐずして身が保てない
温順・篤実であれば家の財産を失わない 物に執着する 隠遁
仰ぎ見られる 病に至る
・散財と失業の憂いがある。
・浪人、失業者が多く出る事が多い。
・墜落や遺失に注意する必要がある。
・免官、破産、落第などの事がある。
・人に欺かれる事がある。
・初婚は後で破談となり、再婚には吉である。
・婦人の助力を得れば成功する。
山地剥(さんちはく) †
謙虚さを知って
初めて大成する
■高慢さがネックになる †
山地剥(さんちはく)を評して、八卦では「山の高みが崩れ、大地に還ろうとしている」卦であるとしています。
これは、あなたの精神が至上の高みを通り越して高慢さを生み、それが元で築き上げてきたものすべてが崩壊の危機に瀕している状態を表わしているのです。
山地剥(さんちはく)の人は、自分の行動が周囲にどのような影響を及ぼしているかを常に謙虚に考えたほうがよい運勢なのです。
そのためには「異性の力」が必要となってきます。
自分の能力を過信しがちなあなたをコントロールしてくれるのが異性なのです。
■仕事の姿勢を知る †
あなたは、艮卦特有の堅実な仕事能力を有しています。
学習能力はきわめて高く、経験が深まるにつれて、高度な仕事をなしとげられます。
仕事ができるようになることで、山地剥(さんちはく)の人は大きな自信を身につけていくのですが、同時に謙虚な姿勢を忘れてしまう悪い癖があります。
山地剥(さんちはく)の人は能力が高いので、会社経営者も数多く見られます。
その会社は山地剥(さんちはく)ならではの高尚な理想を掲げたすばらしい会社なのですが、どこか社長であるあなた自身の驕りが現われているようにも見えてしまうことがあります。
こうした驕りの雰囲気は、会社が危機的状況に陥ったときに一気に噴出します。
艮卦は変化に弱く、このような対応には向かないのですが、だれもあなたに意見をいえる人材がいない状況では、あなた自身がすべてを判断しなくてはならず、結果どして失敗するのです。
山地剥(さんちはく)の人は、常に謙虚さを考えなければいけません。
謙虚な気持ちを忘れなければ、苦境で助けてくれる人材にも困らないでしょう。
あなたは、高級ホテルや老人ホームなど、人に尽くす気持ちを忘れないでいられる職場に向いているでしょう。
■恋愛は謙虚さを取り戻すチャンス †
あなたの周囲には、あなたの富や名声、美貌を求めてすり寄ってくる異性が数多くいるはずです。
そんなときでも、あなたは彼らには目もくれず、自分の高潔さに見合った異性を求めます。
しかし、意中の相手は、あなたが思い上がっていることを知って、誘いを断わります。
山地剥(さんちはく)の人はこのとき初めて、自分が謙虚さを失い、傲慢な人間になっていたことを知りえるのです。
こうして、山地剥(さんちはく)の人は、たとえその恋愛がうまくいかなくても、恋をするたびに自分の失っていた謙虚さを取り戻すことができるのです。
もちろん、あなたの傲慢さを指摘してくれるすばらしい恋人に巡り会えれば、生涯、幸福になれるでしょう。
あなたの危険をいちはやく察知して、助言してもらえるからです。
山地剥(さんちはく)の人のセックスは、自分ではやさしくしているつもりでも、自分勝手なことが多そうです。
相手のことを常に考えてあげられるようになれば、セックスの相性もよくなるでしょう。
■異性の力が幸福を導く †
何度もいうように、才能にあふれたあなたにとって一番こわいのは、自分に自信がつきはじめてからです。
あなたの自信は驕りに通じ、艮卦の長所である「もの静かな謙虚さ」を消してしまいます。
山地剥(さんちはく)の人は、信頼できる異性のパートナーを得ることで、この危機を回避することができ、真の幸福をつかめるのです。
■財運 †
異性とのトラブルさえなければ、財運は順調です。
異性とのトラブルは大きな損失を招く恐れがあります。
そんなときは、ほとぼりがさめるまで、じっとおとなしくしていることです。
23山地剥 (さんちはく)
【キーワード】裂ける
〔大意〕剥は「はぎとる」「裂く」などの意味で『易経』では「小人の勢いが盛んとなり君子を剥害する時に当たる」という喜ばしくない状態を暗示しています。
いわゆる衰運の象で、困難、苦労がつきまといがちです。まさに「剥は、往くところあるに利ろしからず」です。物事を強引にすすめるとうまくいかない。ここは一番じっくり構えてあせらず、待つ度量が必要になります。
潜在意識の理論では「待つ」ことをあまりすすめてはいません。消極よりは積極、否定よりは肯定が成功を勝ち得るためには大切であると説いています。では、この卦はどう解釈すべきでしょうか。
マーフィー博士はこういいます。「家が分かれあらそえば倒れてしまう」と。ここでいう家とはあなたの心のことです。つまり心の中の争い、葛藤があるときに事をおこせばどうなるか。これはうまくいかないに決まっています。
まさに葛藤に引き裂かれた形になり、事はうまく運ぶどころかより悲惨な結果になりかねない。こういうときは「じっとしてあなたの心、体、外界の情況が静まるのを待つことである」というのは当然です。いくら約束があったにしても、台風が吹き荒れているときに外出する人はいません。
ましてこの卦の剥離(はくり)というのは、無理矢理はがされるという強い調子があります。障害が消えさるのを待つことは、消極的でなければ否定的でもない。いまは台風が来てあなたの家の戸を吹き飛ばそうとしている。こんなときじっとしていることは、むしろ当然のことである。それができれば障害は去り、運は上昇へと向かいます。いまは自己の内部にエネルギーを貯えるときです。
初6―すべては過ぎさっていくものであることを実感しなさい。
二6―否定的なものと同居してはいけない。
三6―自分の心にある不安や心配、否定的観念は消えさることを念じなさい。
四6―恨み、怒り、後侮はあなたの人生にとって毒である。
五6―答はあなたの心の中にある。
上9―悪は終局的には滅び去ることを忘れてはいけない。
山地剥
剥(はく)は、往く攸(ところ)有るに利ろしからず。
○彖にいわく、剥は剥(は)ぐなり。柔、剛を變ずるなり。往く攸(ところ)有るに利ろしからずとは、小人長ずればなり。順にしてこれに止まるは象を觀るなり。君子の消息盈虚(えいきょ)を尚(たっと)ぶは天の行なればなり。
○象にいわく、山の地に附くは剥なり。上はもって下を厚くし宅を安んず。
剥は剥落するという義で衆陰をもって一陽を変じて剥落する意味です。小人は陰とします。故に「小人長ず」といいます。然し盈虚消息は天の行であって必ず然るべきものなのでこの時に当り、君子は宜しく順道を以て小人の事を止(やめ)させる策を思い弘祐の心堅忍の力を強くするべきです。古典を考えるに陽神(伊邪那岐命)が陰神(伊邪那美命)を慕って黄泉に入りたまい、黄泉津醜女(よもつしこめ)に逐われて逃げたまう。是所に当り陰の陽を剥落すること甚しいとします。しかし御鬘(みかづら)湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を投じて蒲子(えびかづらのみ)や桃を投げて八雷神(やくさのいかづちがみ)を退けられた順止の象があります。
金に属します。 飾者は必ず剥(おつる)。遠く親族分離し、家財散終し市に餓死します。父母兄弟が四方に離れ心身住居が定り難いです。甚だ財貨に労し、軽忽に事を傷います。不意に親族朋友踈を得、東行西行します。奸夫(みっぷするか)他の處の女に通うか色情に依って往来し艱苦します。買物。貧。家柄よく人に倒れて今貧します。福生。妻縁初は離れます。高所から落ちます。仕損。改めて吉。
天 秋雨。晴。
旅 凶。他は吉。
売 吉。凶。
願 凶。長引きます。
待 得難いです。女事は吉。早く来ます。
失 西南水辺。貧が迫って盗んだものです。 自然に顕れます。
婚 凶。
産 安。 男。
疾 老人は再発して治り難いです。 上気下大虚。 腹脹痛。 脾胃不和。寒熱往来。肝湿熱。
打身。火浮腫。瘧。死病。傷寒病。不食。下唇疵。
邪 出家剣難人の恨。女障であって初縁は果せません。 四足障。 二十日の霊。
刀地荒二所疵が有って難を受けます。 初爻 堀地鬼門の崇 二爻 田地水論につき老女の恨。生霊です。 四爻 家か庫(くら)を買って出家女の生霊。
この卦を得た人は、先に下を厚くして宅を安んじれば落著があって吉。これに反すれば凶。
山のふもとに湧く泉。
物生ずれば必ず蒙なり。故にこれを受くるに蒙をもってす。蒙とは蒙(おろ)かなり。物のおさなきなり。
内心に危険な水を持ち、外にむかって山に止まる。 蒙とは幼く蒙(おろ)かなもの。
誠心誠意占いを立てるなら教えよう。しかし、2度、3度と疑い占うならば、 けがれる。
正しくなければならない。
君子はこの卦を見て、泉が大河となるように、果敢に為すべきことを為しとげ、山の揺るがぬ姿に似せて、わが身の徳を養う。
相場は、山より水の流れ下るように安い。大抵は小相場にして下るなり。
目先の見通しが暗く手がかり難。小幅の下落。ただし、下落の中にも浮動がある場合もあり、相当大幅な下落を見る場合もある。
天上底値は、艮と坎とを以って知るべし。また易位すれば屯と同じ見方なり。
高下動きがたし。後に下る。売買共に損あり。
丁 巳 : 畫前は安調子にして大引腰強し。
二上の主爻に配する爻卦をみて坎(水)を配せば安く、震(雷)、艮(山)を配せば下落の中に上げがある等、考慮すべし。
主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、上爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
蒙は、暗昧にして迷い、惑うなどの意であり、また、童蒙とも見る。凡そ六十四卦の中にて無知無明にして昏暗に迷う最上の卦とする。艮山は上にあり、坎の谷は下にあり、坎の雲は山を覆い、艮の霧は谷を閉すゆえに、これを蒙という。山は上にそびえ、水は下に拒む。山川険阻の象にして、東西も弁じ難く、行先に迷う象。水は山より流れ出で、源はひとつであっても末流は百千にも分岐し至るところを知るべくもない象。是非得失弁別しがたい義。妄想妄念の多い人物とする。望み多い意。執着の深い象。多欲なる意。物の幼稚な義。教えの道をもって正しきを養い、大いに知達する義もある。蒙昧にして物事の義理に暗い時なので、明智ある人に就いて、進退を正しくし、事をあきらむるのが急務である。勝負、我が方の負。
蒙は、亨る。我より童蒙に求むるにあらず。童蒙より我に求む。初筮は告ぐ。再三すればけがれる。けがるればすなわち告げず。貞に利(よ)ろし。
彖に曰く、蒙は、山下に険あり。険にして止まるは、蒙なり。蒙は亨るとは、亨をもって行い時中すればなり。我より童蒙に求むるにあらず、童蒙より我に求むとは、志応ずるなり。初筮は告ぐとは、剛中をもってなり。再三すればけがる、けがるればすなわち告げずとは、蒙をけがせばなり。蒙もって正を養うは、聖の功なり。
象に曰く、山下に出づる泉は、蒙なり。君子もって行を果たし徳を育(やしな)う。
4 山水蒙 さんすいもう 幼稚・後に解決する
誠実だが愚鈍。物分かりがわるい無知な幼児の状態。稚い。愚痴。可能性を拓くには自分だけでは不十分で、よい理解者を捜す必要がある。現在は望みがかないにくいが、目の意見を尊重して方向を変えれば時を経て調和する。目前が暗くても関係を改めれば光明がみえる。先方は欲が多く、仮に一度成立しても先行きは不安定。
この卦は我々に若さというものの愚かさを2つの異なるやり方で思い出させる。上の小成卦である艮は山を表す。下の小成卦の坎は水を表す。山のふもとに泉が沸いているというこの卦は、経験のない若者を表す。山はあくまで静かに動かず、水は陥穽[カンセイ(危険な落とし穴)]を構え危険の象徴だ。危険な穴の寸前で当惑して留まることを表すのがこの卦だ。つまりこの卦の示すのは若者の愚かさだ。しかしこの2つの小成卦はまたこの愚かさを克服する方法も教えている。水の性質は流れることである。流れ続けていなければ意味がない。最初泉が噴出したとき、その水はどこに向かうか解らない。しかし流れ続けることによって、やがては行く手を邪魔していた穴も口まで満され、その後は流れを阻むことができなくなる。かくして、成功が手に入るのだ。
愚かな若者は亨る
愚かな若者に教えを求めるのは私ではない。
愚かな若者の方で私に教えを求めるのだ。
最初の占いでは私は彼に教えを与えるが
2度3度と聞かれるのは迷惑な限りだ。
そんなときはもう教えてはやらない。
貞しい態度を継続するなら利いこともあろう。
若く幼いとき、人が愚かであっても問題はない。十分成功に向かうことができる。ただし、経験豊かな導師と、その人に謙虚に従う態度が必要だが。別の言い方をすれば、まず自分の経験の無さを自覚し、経験豊かな導師を探し出すことだ。このような謙虚に求める心が無ければ、物事を学び受け取ることはおぼつかない。このような心掛けがあれば、それは自ずから教師に対する謙虚な態度となって表れるものだ。であるからして導師もまた自分から若者を探すことなく若者から自分を求めてくるのを待つべきである。このようにしてこそ教えもしかるべきときにしかるべき形をとってなされるようになる。若者からの問いに対する導師の答えは明確で当を得たものでなければならない。ちょうど、思い悩む人々に答えを与える神託のようにである。
このようであってこそその答えは悩みの解決の糸口や決断の礎となり得る。もし単なる面白がりや下らぬ質問が続くときは導師を失望させるばかりだ。そのようなとき導師は答えを拒絶し沈黙を守るべきである。それはちょうど神託[占いのこと]が一度しか答えず、疑って質問を繰り返しても拒絶されるのと同じである。課題がもし諦めることなく一つ一つマスターされるなら真の成功がやがて訪れる。かくしてこの卦の意味するところは教える側にも教わる側にも意味ある教えとなる。
山のふもとに泉が涌いている
それは若者を表す
かくして君子はあらゆることを完璧になすように努め
自己の性格を涵養する。
泉はその行く手に穴があって一旦は行く手を阻まれることはあっても、そこに流れ込みやがては満たすことによって更に先に進む。同じようにして人の性格も、ちょうど水が徐々にではあっても、たゆまずすべての凹みを満たして前進するように、何事に対してもそれを見過ごし避けることのない几帳面さによって涵養される。
4. 山水蒙(さんすいもう)上卦:艮 地卦:坎 蒙昧 初等教育 啓蒙
愚か者であるがため統括が出来ぬ 暗蒙で他人の為に欺かれる 是非得失が明弁出来ない
多欲 身を有つ事が出来ない 物が幼稚である
身上が衰弱して昏迷し苦痛になる 出奔するものは再び帰らない 篤実で忠信
始め朦朧として後に著明はっきりする 性病で腰の辺りがひきつり疼痛がある 心が虚耗しおとろえて昏愚となる
・諸事、考え違いがあるとき。
・結婚は嫁に行くのは良いが、娶るのは悪い。
・刑事問題を起こす危険がある。
・金のために、あらぬ問題を起こしやすい。
山水蒙(さんすいもう) †
生涯、学習を忘れず
前向きに生きる
■たゆまぬ努力が成功につながる †
八卦では、山水蒙(さんすいもう)を「山の中に潜った水は出口さまよを求めて彷復う」卦であるとしています。
これは山に潜った水が、滝となり小川となって再び地表に出てくるまでに時間がかかる様子を示しています。
あなたは、その知性が深められ尊いものとして世の中で役立つように、日々精進しなくてはならない運命にあるのです。
■人に教えを乞い、技術を学ぶ †
あなたは競争を強いられる職場には向いていません。
山水蒙(さんすいもう)の人には、成功をあせる気持ちがあり、そのような環境では、自分のぺースを崩されてしまうからです。
あなたに向いているのは、マンツーマンで技術を教わることのできる小さな職場です。
大工や調理師、エンジニアなど、職人的な側面が強い職業で才能を発揮していくでしょう。
山水蒙(さんすいもう)の人が成功するためのポイントは、信頼できる上司や先輩をいかに早く見つけられるかということです。
あなたは心から信用できないと、人に教えを乞うことのできない性格なので、そういう師を持たなければ、なかなか仕事を身につけていけないのです。
信頼に足る人物を見つけたら、思いきって指導をお願いしてみましょう。
山水蒙(さんすいもう)の人が気をつけなければいけないのは、仕事や技術を十分身につけたと感じても、慢心しないことです。
あなたは自分で満足してしまうと、人当たりが悪くなり、孤立してしまう危険があるからです。
常に学ぴ続ける姿勢を大事にしてください。
自分の技術を人に教えるときでも、自分が教わるような謙虚な気持ちで指導に当たれば、人格者としての艮卦の資質が出てくるはずなのです。
■自分を高め、対等な気持ちで話す †
山水蒙(さんすいもう)の人は、無口で自分に自信のないうちは、異性と話すことすらためらってしまいます。
あなたは、自分が好きになった異性に対しては特に「無知に見られたくない」という気持ちが強く働きます。
恋愛を成就するためには、自分が相手と同等以上の知的レベルであるという自信が必要です。
日頃から勉強に励み、知性を磨きましょう。
山水蒙(さんすいもう)の人の恋愛は「教える1学ぶ」というかたちで育まれていきます。
どちらの立場でも構わないのですが、教える立場であっても驕らないこと、学ぶ立場であっても卑屈にならないことで、恋人との愛は深まるはずです。
結婚生活に関しても同様のことがいえるでしょう。
山水蒙(さんすいもう)の中には、マニアックなセックスを好む人もいます。
趣味というより本格的な倒錯が多く、相手によっては本当に不気味がられます。
同じ趣味の人を恋人にするのがベストでしょう。
■聞くは一時の恥と思え †
山水蒙(さんすいもう)の人はもの静かで、あまり明るいほうではありません。
しかし内心は頑固で、常に成功をあせる気持ちに駆られています。
艮卦は経験を積みながら着実に物事を進めていく才能に秀でているのですが、山水蒙(さんすいもう)の人は自分の無知をさらすことに恐れを持っていて、なかなか経験を積むことができないのです。
あなたは自分が艮卦であり、一歩一歩進んでいくタイプだということをまずは自覚しなければいけません。
そして、人から謙虚に学び続ける姿勢を忘れなければ、大きな幸せをつかめるでしょう。
■財運 †
社会の常識や慣習を無視すると、なかなか運は巡つてきません。
資金調達も難しいでしょう。
陰で自分だけ一獲千金を狙うと、一時的によくてもあとでしくじります。
貯金するのが最も堅実といえます。
04山水蒙 (さんすいもう)
【キーワード】青年の愚かさ(無知、背のび、教育の必要)
〔大意〕蒙(もう)は無知蒙昧の蒙。若い者の未成熟をあらわしています。同時に若さはさまざまな可能性をはらんでいる。大切なのは、自己の未成熟を自覚し、謙虚に努力することである。また年代を経た知恵、年長者、指導的立場にある人間には、敬意の念をもって接することも忘れてはいけません。
何より重要なのは、精神的価値について学ぶことで、情報や知識だけに偏らない賢明さが望まれます。自分ばかりでなく、身近な人が未成熟の場合もある。さらに進路決定に関する悩みといったものもある。これらの難題を解決するには、自己の内部にある偉大な力の存在に気がつくことからはじめなければなりません。
「あらゆる進歩のためには、謙虚に学ばなければならない。われわれが学ぶのは、教師に教え方を学ばせるためではない」とマーフィー博士は言います。また「真の教育とは、人間は神とともに楽しむために生まれたきたことを自覚し、われわれの中に存在する無限の財宝を発見する方法論を知ることである」ともいっています。
成熟のためには学ぶことが必要ですが、その学んだことが不安や心配、恐怖心を増大させたり、他人を不幸にしたりするのでは何にもならない。人間が成熟するとは、知識よりも知恵の働きを高めることなのです。
「あなたの若いときにあなたの創造主を覚えよ」という聖書に書かれた言葉は、東洋で生まれた不滅の知恵の書である『易経』と期せずして一致しています。現代の学歴社会は知恵よりも知識を、内面よりも外面を重視している。現代の混迷した社会情況は、杜会全体が「未成熟の愚かさ」の証明です。本当の成熟、人間的成長をこそわれわれは目指すべきだといえましょう。
初6―しつけを欠いた愛はない。愛を欠いたしつけはあってはならない。
二9―寛容であれ。人をさばけば自分もさばかれる。
三6―すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
四6―ビジョンのないとき人はほろびる。
五6―あなたは自分の成長と進歩を信じる必要がある。
上9―許すことと大目に見ることは同じではない。罰も必要である。
山水蒙
蒙(もう)は亨(とお)る。我より童蒙に求むるにあらず。 童蒙より我に求む。初筮(しょぜい)には告ぐ。再三すれば瀆(けが)る。瀆るれば告げず。貞(ただ)しきに利ろし。
○彖にいわく、蒙は、山下に險あり。險にして止まるは蒙なり。蒙は亨るとは亨るべきをもって行ない、時中(あた)ればなり。我より童蒙に求むるにあらず、童蒙我に求むとは、志應ずるなり。初筮には告ぐとは、剛中をもってなり。再三すれば瀆る、瀆るれば告げずとは、蒙を瀆せばなり。蒙もって正を養うは、聖の功なり。○象にいわく、山下に出泉あるは蒙なり。君子もって行を果たし徳を育(やしな)う。
前の屯卦と対してこれは専ら地の神のことで山も水も地上の物です。
古典にいわく「国稚(わか)く、浮膏(うきあぶら)のごとく久良下(くらげ)なすただよへる」とあり。また伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)尊相謂りて曰く「物有り浮膏の如き中に国有り天瓊矛(あめのぬほこ)をもって探るなり」ともあります。序卦傳に「蒙は物の稺(わかき)なり」とみえ、また「蒙は昧なり。物生の初め蒙昧にしていまだ明ならざるなり」と記しており「国稚」の義があります。
神武天皇記に「蒙以養正」の詔が下り、前に引いた「天造草昧」の詔と共に天孫が日向国にましましていまだ畿内に入られる前の時の事をいいます。
火に属します。物の生の始めであり、蒙昧にして不明です。
初めの思い付きを改めない方が良い。 事を疑ってはいけません。
前後を顧みて進む・物を案じる・中年後の人は疾病があります・懐妊・色情・思慮が定まりません・災難口舌無し・家に自分を助けてくれる人が有ります。その人に問えば吉です
天 春夏は曇り晴 秋冬は雨
旅 不利
売 不利
願 叶いません
待 来ません 人と與して待つのは来ます
失 出ません
婚 妨げが有ります 成就しても安心を得られません
産 吉 女子 冬は重いことがあります
疾 九死に一生を得ます。女性は色情病・庸(つね)にかかっている医者は吉・風寒暑湿の破れか食滞か心気の乱れ 熱上る 胸腹満 逆上 眼渋病 長く食事を忌み嫌う併し危急ではありませんがんが治りません。腹瀉腫物・初発・小児頭痛・冷腰痛・血道・盲龍耳・鼻血出・爻が上に行く程軽い・不養生して再発する時は危険です
邪 星を祭ると吉 水難剣難の霊 零落の家 三日十八日十九日仏の障が有あります
初爻は水流止って鬼門の祟 四爻は窓を切る祟 五爻は童の事を争う老女の恨みがあります
この卦を得た人は蒙昧を変じてよく著明をなそうとすれば吉。これに反すれば凶。
04.山水蒙:学ぶものの心得 ●
易経の第四卦は『山水蒙(さんすいもう)』という卦です。
「蒙」とは蔓草のことといわれ、木々を覆って根元を暗くしてしまうことから、覆う、暗いという意味があります。ここで言う「暗い」とは「道理に暗い」という意味で蒙昧のこととなります。その暗さを開くのが啓蒙となり、この卦は全般に学ぶ者の心得を教えています。
卦形では水が下にあり、山が上にありますので、湖面に映る山のようなものです。ここでは山は、塵も積もれば山となるの山であり、少しずつ経験や知識を積み重ねてきた仁者、知者と思っても良いでしょう。
その山を下卦である自分に投影するためには湖面は澄んでいなければなりません。波打つ湖面に山は映りませんから。。。
そこで蒙の卦辞には「初筮は告ぐ。再三すれば穢れる」と書かれています。深遠なる知恵を易に問う時、無心に問うた最初の筮はきちんと答えを告げているけれども、それが気に食わないなどの私心で何度も卦を立てるような真似をすれば穢れてしまう。という意味です。
同じように心から学ぼうとする時は、無心に、素直に教えを受け入れる必要があります。私達は少しくかじり知った知識があると、同じような事を師から聞いたとき「それはもう知っている」と、そちらが先に立って真剣に聞こうとはしなくなります。
また、その師が少しでも自分の意にそぐわないと、せっかく正しいことを教えているのに、疑念を抱くことも少なくありません。学ぶ側としての心構えが不十分なのです。
よく話をしていると例えば、こちらが「良い事をすれば良い結果を招くことになる」というと「あっ、それって『善因善果』のことでしょ」という感じで、答えを先取りする人がいます。
彼は『善因善果』という単語も、その意味も確かに知っているのでしょう。けれど「知っている」ことと「理解」している事、あるいは「得心」していることとは全く違います。
本当に理解しているなら、彼はあらゆるところに善因善果・悪因悪果を見出すことが出来ているはずです。さらに本当に得心しているなら、その知恵によって彼は行動しているはずです。つまり、悪因を蒔くような行動は慎んでいるはず。。。 最高の知恵は知行一致なのですから。
それ故に蒙の卦は、川(水・困難)を前にして山(止まる・不動心)の如しとなるべきと教えています。
困難の前にあって、それが困難であると見極められないのは知恵がなく、困難であるとわかっていても留め待とうとする忍耐が出来ずに、これくらいとタカをくくって川に入り込むのは、まだまだ得心に至っていないからという訳です。
おさなごはストーブに乗ったやかんに平気で触ろうとします。やかんに触るとやけどをすると知らないのです。。。やかんは熱いと知っても、また触ろうとします。心から得心していないからです。。。
けれども、その様な体験をしつつ学び、ついには触らなくなるでしょう。。。学びもこれと同じで、同じことを何度でも学ぶ必要があります。その様にして、知恵は身についてゆくものだからです。
だから冒頭に記した様に、それは知っているとタカをくくって聞こうとしないのは、知恵の何たるかを理解しているとは言い難く、学ぶ心得が出来ていない、、、という事になります。
同じことを言っているのに、ある人には重みを感じ、ある人には感じない、、、ということはありませんか?
同じことを言っているはずなのに、表面には出てこない含蓄に天地の差があるからでしょう。
この世には新しい知恵はそうありません。どれも古くから言われてきた事で、時代と共に表現が異なるだけ。。。古くて新しい知恵があるだけです。
私たちのような凡夫が知っていることも、いわゆる知者が知っていることも、そう大差はないのではないかとよく思います。
違いはその深み、、、身についているかいないかの差ではないのだろうか。。。と。
だからいつも虚心で、常に新しいものに触れるような気持ちでいたいものだと、そう思います。学びの世界も一期一会なのですね。。。
山の下に風が吹き荒れる。
喜びをもって人に隨う者は必ず安逸に溺れ腐敗するので事を起こさねばならない。故にこれを受くるに蠱(こ)をもってす。
蠱の字は皿の上に虫が乗っている。食物が腐って虫がついている。
崩壊の時こそ、冒険するにふさわしい。
甲(きのえ)に先だつこと三日とは、辛(かのと)の日。自分の気持ちを新たにして、その日を発端と考え努力せよ。
甲(きのえ)に後るること三日とは、丁(てい)の日。前の失敗を丁寧に見直し、繰り返さぬよう気をつけること。
万時崩壊のことがあろうが、 志あれば冒険してよろしい。心新たに丁寧に行うべきである。
君子はこの卦を見て、悩める民を救い、身の徳を養うのである。
相場は、 いずれにしても高きほうなり。秋は最もその意甚だしと知る可し。
風山を破らんの卦にて多く易位して上るものなり。易位せずとも三八より五十まで上るの卦なり。易位すれば三八より五十を越て三八位まで上る卦なり。
停頓不振にして頭の重い卦。それを突き破ろうとする小浮動を繰り返す。上九に震を配するか乾を配して変じ、しかも初に離を配している場合は、風をもって山を吹き払う、意外な高騰を示し嵐を生ずる場合あり。
高下損多し。変動するに凶。
戊 寅 : 小堅く持合い夫れなりに終るべし。
初爻に離(火)を配せば易位して風山漸となる勢いがあり、上爻に震(雷)などを配するときもまた然り。
主爻(内卦、外卦、大成卦):初爻、上爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
蠱は、破敗であり、困惑であり、溺没、傷害ともする。蠱惑壊乱の象。およそ、六十四卦に破敗の卦が2つある。 地火明夷と、山風蠱である。 明夷は外より破られ、蠱は内より敗るという相違がある。 すなわち、蠱は内より外を破り、下より上を破り、我より彼を破るの義とする。 臣は君を惑わす。 既に敗れたるの跡を後日に再び修復するの意がある。 今は敗るの時なので、万事慎み守るべく、事に臨んでは、我より彼を破るという意を推し吉凶勝敗を活断せよ。 勝負、我が方に利あり。およそ、戦争、争論、獄訟など、勝負と名のつくものは、我が方の勝ちとする。
蠱は、元(おお)いに亨る。大川を渉るに利(よ)ろし。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日。
彖に曰く、蠱は、剛上りて柔下る。巽(したが)いて止まるは、蠱なり。蠱は、元(おお)いに亨りて天下治まるなり。大川を渉るに利(よ)ろしとは、往きて事あるなり。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日とは、終わればすなわち始めあり、天の行なるなり。
象に曰く、山下に風あるは、蠱なり。君子もって民を振(すく)い徳を育う。
18 山風蠱 さんぷうこ 惑乱して破れる
巽(年増)が艮(若い男)をもてあそんでいる。蠱の文字は皿の上の食物に虫が涌いている様子をあらわす。平和が続きすぎると腐敗が発生する。トラブルで多事多難だが、絶望してはいけない。根本的な解決のときである。立ち直る。積極的な姿勢が災いを転じるが当面は和合なし。凶。破れる。蠱惑。悪者。だます。だまされる。
漢字「蠱」は中に蟲の湧いた容器を象る。その意味するところは「腐敗」である。内卦の温和な無関心が外卦の頑固な停止状態と一つになり停滞状態が引き起こされる。この忌わしい有様は、一つの罪悪といってよく、なんとしてもその原因を取り除く必要がある。以上からも解るとおり、この山風蠱が表すのは、単に腐敗して駄目になった状態そのものではなく、駄目になった状態に対していかに対処するかということである。
山風蠱( 駄目になった状態に対処する)
蠱は大いに成功する
大きい川を渡るような大事を決行してもよい。
開始時点の前三日
開始時点の後三日
人の誤りが原因で駄目になった物事は、人の努力でもとに戻すことができる。天地否で表された、いわば避けられぬ運命によって引き起こされた腐敗状態と違い、山風蠱で表される腐敗は単に人間が自由意志を持つが故に、それを誤って行使した結果引き起こされたものであり、修復可能である。状態を改善しようとする努力は実を結ぶだろう。なぜなら時がそれを許すからだ。だから、大川を渡ると象徴的に示されるような危険な大事にも精力的に取り組むべきで、尻込みすべきではない。成功には、しかし、さまざまな要素を熟慮することが必要だ。
゙開始の時点の前三日、開始の時点の後三日゙とはそのあたりを言う。我々が腐敗を正していこうとする場合、まず事前にその原因を知っておく必要がある。なにかを処理し始めようとする前には十分注意深くする必要があるのだ。そして次には、是正処置が無事に開始されたかどうか確認する必要がある。事態が逆戻りがしてはならないからだ。そのため、我々は処置を開始した後にも注意を払う必要がある。今までのような無関心で惰性的なあり方では、すべてが崩壊してしまうのだ。それに換えて熱情と決断を持って事を行うようにしなければならない。そうではなく、終わりが新しい始まりであるようにもっていかなければならないのだ。
風が山の麓に吹きおろす
山風蠱のイメージである。
かくして君子は人々を鼓舞し
また落ちるかせる。
山を風が吹き下りるとき、山に邪魔されて吹き抜けることができず、また、生えている木や草を駄目にしてしまう。変革にたいする抵抗も同じようである。反抗的な態度や遣り方で変革の力を殺いでしまうのだ。そういうあり方は社会を駄目にする。君子はこの艮と巽からヒントを得て、ものごとを順番に処理していく。君子は、ちょうど風がすべてのものをひらひらと翻させるように、人々が盛んに意見が言えるように鼓舞して停滞を去らせなければならない。それから人々の心を落ち着き安定したものにさせる必要がある。ちょうど山がそこに育つすべてのものに安定と繁栄を与えるようにである。
18. 山風蠱(さんぷうこ)天卦:艮 地卦:巽孝行 破壊と復興 腐敗を立て直す
災いを転じて福となす 破れる 従わす
欺く へつらう 疑う
迷う 乱す 壊れているものを整える
資材損失 妖怪に魅せられる 淫溺惑乱
梅毒 回虫 中風
風邪 病難に注意
・親の失敗を子供が取り返す。
・善意を見分けるのが難しい卦である。
・改革に際しては勇往邁進するべきである。
・蠱の卦は全て内側より敗れる。
・全て難しい状態の場合、この卦を得れば吉に向かうと考える。
・病難に注意。
・回蠱に注意。
・色難による破滅を注意。
・年上の中年の女性か年下の若者を誘惑する。
山風蠱(さんぷうこ) †
自由を夢見るが
堅実に生きるのが正解
■望み多くして益少なし †
山風蠱(さんぷうこ)は、八卦では「山々の果実が強烈な秋風に吹き散らされる」卦とされています。
これは、あなたが何かをなしとげても飽きたらず、いろいろなものに手を広げたがり、せっかく手に入れたものや今までに築き上げた財産などを失ってしまうことを暗示しています。
山風蠱(さんぷうこ)は、物事をなしとげる力に恵まれているのですが、あまり新しいことには挑戦しないほうがよい卦なのです。
あなたは向上心を持ち、ひとつのことに成功すると次々にいろいろなことにチャレンジしたがります。
しかし、こうした冒険心は失敗に終わることが多いばかりか、あなたが今までに勝ち得た生活や財産などまで奪ってしまいかねません。
■粘り強く仕事を続け、経営者を目指せ †
艮卦は、仕事を進めるときに、粘り強く着実にひとつひとつの要素を積み上げていく才能に恵まれています。
山風蠱(さんぷうこ)の人は、そうした才能を生かしていくべきなのですが、内心に変革願望の心があり、新しいことをしてみたがるのです。
あなたに向いている職業は、イベント業や雑誌の編集、人材派遣業といった仕事です。
こうした仕事はさまざまな業種の仕事にふれることができるため、飽きっぼい山風蠱(さんぷうこ)の人にとつては長く続けられて、成功につながる職業であるといえます。
あなたは経営者としての才能にも恵まれています。
常に現状より上を見て、努力を続けられるからです。
その際、気をつけたいのが、あまり多角的な経営をしないことで究あなたは新しいことにチャレンジし始めると、前にやっていたことは頭からすっ飛んでしまいます。
山風蠱(さんぷうこ)の人が失敗しがちな原因はここにあります。
ひとつの仕事を続けていくことが、山風蠱(さんぷうこ)の人が経営者として成功する秘訣といえます。
■結婚には向かない浮気者 †
山風蠱(さんぷうこ)の人の感情は常に揺れています。
あなたには、愛情のためならどんな苦労もいとわない気持ちがあり、それは恋が実るまで続きます。
しかし、いったん異性を手に入れてしまうと、あなたの熱情は急激に冷めてしまいます。
相手に対して冷たくなるわけではないのですが、日頃の誠実さは新しい人に向けられていってしまうでしょう。
結婚には向いていない卦なのかもしれません。
艮卦は元来、保守的な傾向が強く責任感も強いので、結婚ー浮気ー即離婚という流れにはならないでしょうが、本気で他の異性を好きになってしまうあなたと添い遂げたいと思う人はそんなに多くはないはずです。
山風蠱(さんぷうこ)の人は、セックスにおいても相手に対する思いやりが深く、満足させようという気持ちが働くので、セックスパートナーとしてはよいほうです。
ただし、すぐに飽きてしまうので、ひとりの人と長くつきあえる人ではありません。
■変化は成功を意味しない †
山風蠱(さんぷうこ)の人の変化を求める内面は、艮卦というあなたの基本的な運命の特性に合致しません。
あなたは、誠実にひとつの事柄をつきつめることに才能を持っており、刷新には不向きなのです。
それでも、あなたが新しいことに挑戦したいと考えるのであれば、今まで築いてきたものをきちんとした人に任せて後顧の憂いを排し、万全の態勢を整えてからにしたいものです。
■財運 †
望みが高すぎて挫折する可能性がある卦です。
せっかく手に入れた財産をつまらぬ野望のために失うことのないよう注意しましょう。
新しいことにチャレンジするとき、一番手になるのは避けましょう。
18山風蠱 (さんぷうこ)
【キーワード】腐敗
〔大意〕この卦のキーポイントは蠱(こ)の字にあります。蠱とは虫のことで「腹の中の虫」「虫がつく」ことなどを表します。皿の上のものに虫がつけばどうなるか。汚れ、細菌がつき、腐敗する。そこからこの卦のキーワードは腐敗となります。
また、腐敗は内部からおこるので、この卦は何事かの原因を内部にありと見ます。ものが腐った時はどうしなければいけないか。それは速やかな処置です。それも一刻も早い方がいい。問題があれば、その原因を突き止めて可能な限り早く解決をすることが肝心です。
また、腐敗物の処理は基本的には廃棄です。腐敗しはじめたものを元に戻すことは出来ない。もしそれが必要ならば、新しいものに取り替えなければならない。そこでこの卦では新しい機会に積極的であれとしています。
廃棄は次ぎなる新しいものを呼び込むことである。新しい決意、新しい機会を待って、それを自分の中で生かす必要がある。腐敗はいわば過去であり、新しい決意、機会は現在です。過去にこだわることなく、現在を見つめていくことが大切です。この卦全体としては良いとはいえないが、腐敗を招くような油断をせず、また、腐敗してしまったら、速やかに処理することで新しい展開が期待できる。おきてしまったことは取り返しがつかないが「やり直すことはできる」という考え方をするのが良いでしょう。
また「蠱惑(こわく)」という言葉があるように、この卦には「魅力を持ってまどわす」という意味もある。食物でも腐敗し始めが美味しい。こういう誘惑に負けない心構えもまた必要なことです。「永久なものは何も無い。すべては変化する。そして大切なのはその瞬間瞬間である。この瞬間を変えればあなたの運命は変わる」まずいと思ったことははばかることなく「改める」べきです。
初6 今は過去の失敗を悲しんでいるときではない。
二9 死んだ過去に精力を浪費するのは愚かなことである。
三9 すべての事柄を建設的に考えよ。
四6 未来を考えてはならない。未来は今が創るものだからだ。
五6 潜在意識の無限の力があなたを導くだろう。
上9 あなたが自信と確信を持ってすることはあらゆる人の利益になる。
山風蠱
蠱(こ)は、元(おお)いに亨(とお)る。大川を渉るに利ろし。甲に先だつこと三日、甲に後(おく)るること三日。
○彖にいわく、蠱は、剛上(のぼ)りて柔下(くだ)る。巽(したが)いて止(と ど)まるは蠱なり。蠱は元いに亨りて天下治まるなり。大川を渉るに利ろしとは 、往きて事あるなり。甲に先だつこと三日、甲に後るること三日とは、終れば始 あり、天行なるなり。
○象にいわく、山下に風有るは蠱なり。君子もって民を振(すく)い徳を育(やし な)う。
「蠱は事なり。また壊極して事有るなり」と釈しています。蠱は三虫が皿に在る象であり、まじものと訓じ、また蠱毒と熟します。もとこれは三虫を以て人を毒殺し、或いは呪詛することをいいます。この卦は山下に風があり、風気が鬱滞して腐壊し虫を生じる状とします。事皆吉ではありません。古典を考えるに天稚彦(あめのわかひこ)が天勅に背いて雉を射、その矢が天に至ったものを天神が取て「若彦もし悪心あらば殃に遇わん」と咒(とこ)いて投げ下されたところ、矢が天稚彦の胸に中(あた)って死(みう)せられたとあるのは、大逆の叛臣天誅を蒙る。其人には殃であるが天理からいえばしかるべきことです。このようにして後天下の治を望むべきです。天行は始があって必ず終があります。実じ生れるものは必ず宗に反ります。此の卦既に壊れ極って後に事があり、遂に天下治るを得るの象です。
木に属します。 動随は必ず事有りて迷う。故に蠱云います。 猜破れます。進退ともに二三日前に
思慮するべきです。これがない時は進退途を失い災が一時に来ります。住所金銀の争があります。一旦破れて新しく吉事が来ます。蠱(みだれし)事を済(ととのう)。騒事は師を発するが如きです。耕作大豊。殺罰。人を切るか木を切るか細工者か刃物を功む者。悪争。
天 雨。秋は変じます。
旅 凶
売 凶。剛気の人は即時の利があります。
願 障が有ります。 長親者心を合せれば成ります。
待 障が有り、得難いです。遅れます。
失 東南の水辺を尋ねると良いです。
婚 初縁は遂げ難いです。 再縁は吉です。 男の初縁は遂げることができません。
産 危 慎しむべきです。男子。吉
病 進退痛。 疫癘。 瘡は命が危いです。小児は治ります。腰足痛牽。腫物類は凶です 虫積蠱脹。癇虫。遯に之くは伝死病。大人の病は難治。中風。風毒。盗難より発しま す。 産は母子とも死に至ります。
邪 丑年の女の障りがあります。水火争の象。古より二度も焼て四足と二足を殺焼した恨が有ります。十九日の仏を問うと良いです。
この卦を得た人は壊乱事有りといえども。整飭(を失わなければ終に吉となります。
これに反すれば大凶。
___
山の下に雷鳴のエネルギーが隠れている。
物畜えられて然る後に養うべし。故にこれを受くるに頤をもってす。頤とは養うなり。
卦の形が、口を開けた形。
自分の口を満たそうとする手段を観察せよ。それが正しければ吉である。
君子はこの卦を見て、言語を慎み、飲食を節約するのである。
相場は、 雷は上り、山は止む。又両震相向かうの象にして雷が上がらんとすれば、山が上より之を抑え、又山が下がらんとすれば雷が下より之を支えるの卦にして小往来高下保合の象となす。しかし何れに傾くかといえば、上向く方強かる可し。
上げ下げ拮抗。高下繰り返し。いずれかといえば騰勢強く活気盛んにして、値幅もそれほど小さくはない。
売買旧きを守るに吉なり。
丁 未 : 高下何れ共極端に達すべし。
主爻(内卦、外卦、大成卦):初爻、上爻、上爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
頤は口のことであって、上顎、下顎総て頤という。外実、内空にして口を開いた象なので、これを頤と名づけた。言語は口より出で用を弁じ、飯食は口より入り生を養い身を保つ。これ口の功徳であり、これを頤とする理由である。人と対談して和合し事を謀れば成就する義。父より命ずれば、子はよくこれを受けて勤める義。物と物が相互に出会って成る。相方より進み合って争う象。才能と篤実とを兼備した人物とみる。この卦を似体の離とする。産業を開いて家督を修むる時なので正しく勉むれば繁昌すべきも、但、相場など投機は深く慎むべきである。勝負、持合、かつ我が方少しく利あり。
頤(い)は、貞なれば吉なり。頤を観て、自ら口実を求む。
彖に曰く、頤は、貞なれば吉なりとは、正しきを養えばすなわち吉なるなり。頤を観るとは、その養う所を観るなり。自ら口実を求むとは、その自ら養うことを観るなり。天地は万物を養い、聖人は賢を養いてもって万民に及ぼす。頤の時、大いなるかな。
象に曰く、山下に雷あるは、頤なり。君子もって言語を慎み、飮食を節す。
27 山雷頤 さんらいい 言葉を慎んで吉
頤はあごのことで卦の形は上下の顎を表している。ふたつ。協力。むだぐち。口論。食事。扶養。平凡な生活。節度をたもち飲食言語を慎んでこそ平穏無事な生活がおくれる。互角の関係ならこちらから譲って和合する。恋愛はたがいに臨みあって吉。ふたつ縁談があって迷うかも。発展性は乏しいが無難な卦。
この山雷頤卦は開いた口の形を表している。上下に唇を表す直線があり、その間に開いた空間がある。この卦が端的に示すのは口であるが、その説くところは、口を通して食物を摂るということから、扶養ということそれ自体にまで及ぶ。内卦の3つの爻は自分自身を、取り分け身体を養うことを示し、外卦の3爻は、より高い、精神的な意味において、他人を養ったり世話したりする意味での扶養を示す。
忍耐努力すればよいことがある。
養い育てることに注意を払え。
そして人が腹を満たそうとして
追い求めるものにも。
世話や養育に関して重要なのは、正しく価値ある人をこそ世話するべきであるということ、そして自身の養育も正しく行うべきであるということである。もし我々がある人についてよく知りたかったら、その人が世話をしている相手の人をよく注意して観察し、また、その人が自身のどのような面を養い育てようとしているか見ればよい。自然はあらゆる生命を養い育てる。大人は賢人を世話し養う。そうすることを通じすべての人々を世話するためである。孟子はこのことに関して以下のように語る。
もし我々がだれかある人が君子であるかないか知ろうと思うなら、その人が自身の中で何が一番大切に考えているかを見れば良い。身体には優れた部分も劣った部分も存在し、また重要な部分も瑣末な部分もある。我々は瑣末な部分の代わりに重要な部分を犠牲にすべきではないし、劣った部分のために優れた部分を犠牲にすべきでもない。自己の下らぬ資質を養う人は下らぬ人であり、優れた資質を養う人は君子である。
山の麓に雷が鳴る
山雷頤の表すイメージである。
かくして君子はその口から出る言葉に注意を払い神は「震」の雷鳴のもとにその姿を現す:春、生命力が再び立ち上がり、すべての生き物が装いもあらたに現れる。
神はまた「艮」の静止のもとに完成に至る:早春の大地に種が落ちそこに静まると、すべての生命に成長への準備が整う。だから山雷頤は、「震」の動きと「艮」の静止という2つの形を通しての養育を説くのだ。君子はこのことに則って自らを養育し教化する。また、言葉は内側から外側に向かっての動きであり、飲食は外側から内側への動きであるが、どちらの動きも静止ということがなければ正しく行われることがない。なぜなら口から出る言葉は静止によってその過剰な行使が防がれ、口に入っていく食べ物もまた静止によってその過剰な摂取が防がれるからである。かくしてここに人格の涵養が行われることになる。
飲食を節制する。
27. 山雷頤(さんらいい)天卦:艮 地卦:震生活の道 養生 養老
身を養う 商売 飲食を節する
争い 協力して成功する 兄弟が協力して修行する
父子が仕事に励んで家族を養う 才能あって篤実である 医薬よりも養生
・商売職業上の悩みがある。
・寄付金を受ける事がある。
・就職についての悩みがある。
・先方が嘘をついてくることがある。
・火難に注意する。
・食物、言語を慎むべし。
・留置場の意がある。
・心中に思い当たる事があるため人に忍ぶ意がある。
・求占者の話にうそがある。
山雷頤(さんらいい) †
疲れを知らない力は
四方へと放逸する
■強烈なエネルギーの使い方が問題 †
山雷頤(さんらいい)を評して、八卦では「強大無限の雷電は山をも動かす」卦としており、その内面に秘めるエネルギーの強さを暗示しています。
山雷頤(さんらいい)の人は、疲れを知らない猛烈な活動力を持っているのです。
しかし、艮卦の例に漏れず、多くのことに手を出すと変化についていけずに失敗する運勢にあります。
■エキスパートを目指して吉 †
山雷頤(さんらいい)の人は、内的なエネルギーをさまざまな事柄にぶつけていきます。
その活動は疲れを知らず積極的なのですが、節制を知らないところがあり、あまりに手を広げすぎて混乱することがあります。
特に人間関係で交際過多となり、だれがどのように重要なのかという判断さえつかなくなりがちなのです。
山雷頤(さんらいい)は、経営者たる資質を持った卦でもありますが、こうした傾向を直さなければ、あなたは間違いなく失敗するでしょう。
あなたが仕事で成功するためには、その強烈なエネルギーをうまく使わなければいけません。
いろいろな仕事に手を広げずに、一箇所に注ぎ込むことによって道は開けていくはずです。
職業的にはプロフェッショナルな技術が必要とされるものがよさそうです。
特に調理師やエンジニア、外科医、建築業など、精神だけでなく肉体も酷使するような職業に向いているでしょう。
手を広げずに地道にやっていくことさえできれば、山雷頤(さんらいい)の人は指導者としても十分な素質を持っています。
艮卦の着実さをフルバワーで押していけるわけですから、実に頼りになるボスといえるでしょう。
■歯止めの利かない奔放さ †
山雷頤(さんらいい)の人はよく食べ、よく飲みます。
そして、特に山雷頤(さんらいい)の男性は、その旺盛な食欲とまったく同じ勢いで、女性を手に入れようと奔走します。
あなたにはあらゆる異性とつきあいたいという強烈な欲求が隠されており、精力の尽きぬ限り、いろいろな相手とつきあおうとするのです。
しかし、仕事と同様に、あなたは手を広げすぎて失敗します。
いろいろな人とつきあっていく内にあなたの感覚はマヒしていき、しまいには自分がだれとつきあっているのかもわからなくなってしまうほど、生活が乱れるのです。
いくら体力抜群の山雷頤(さんらいい)といっても、これでは精神的な限界がやってく
るでしょう。
結局、ひとりの人とつきあい、その人に熱烈な愛情を注ぐことで、あなたは幸せになれるのです。
やはり自分の中のエネルギーをコントロールして、違う方向に向ける努力が必要でしょう。
山雷頤(さんらいい)のセックスは積極的ですが、基本的にはノーマルです。
ただし場所を選ばないようなところがあり、相手によっては嫌がられます。
■エネルギーを分散させる術を得よ †
山雷頤(さんらいい)の人にとって「仕事をひとつにせよ」「恋人はひとりにせよ」という結論は、非常に厳しいものかもしれません。
あなたの強烈なエネルギーは、とどまるところを知らないからです。
そんな山雷頤(さんらいい)の人にお勧めしたいのは、多彩な趣味を持つことです。
仕事や恋愛といった「実害」を被りやすいところでのエネルギーの発散は避け、趣味をたくさん持つことによって、仕事や恋愛の精度を高めていけばよいのです。
■財運 †
もともとの財運は悪くないのですが、いつも「勘」に頼る
ようではいけません。まわりの状況を見て、自分の頭で
考えて判断することが大切でしょう。そうしないと、苦
労するばかりで報われません。
27山雷頤 (さんらいい)
【キーワード】あご(食を養う)
〔大意〕この卦は正しい食物を取り、身を養うことの必要性を暗示しています。ここでいう食物とは「食糧」の意味もありますが、町時に精神的な食事のことも含んでいます。
食物なしで人間は生きられない。これは当然ですが、ともすれば肉体的な食物ばかりに目が行き、精神的食物については忘れがちである。この卦はそれを思い出さしてくれるという意味で、貴重なアドパイスと受けとめることができます。
実力もないのに大言壮語するとか、無計画な冒険的行為は慎まなくてはならない。いまは真の実力を養うべきときであるというのです。一般的解釈としては、外面は良く見えるが、内実は空虚であるから、実力を養わなけなれば凶となる、実利の薄い時期であるとされています。
しかし、卦としては吉に向かっているので、消極的になる必要はさらさらない。もう一度自分の周囲を見回し、自分の心に問いかけて身を正しくすれば何をやっても成果が得られるでしょう。
また、肉体的コンディションについても留意すべきです。「正しく食を養う」ということは、逆に「食べたい」「節制する」ということも意味している。現代人は飽食のほうがむしろ問題なのですから、この点もしっかりと頭に入れておく必要があります。
さらに上に立つ人の場合は、部下を養う、子を育てるといったこともからんできます。それぞれの立場で、自分を養うとともに他人をも養わなければならない。食事のときは仕事も遊びも一時停止するように、いましばらくは守りの姿勢で行くことがよいようです。
カーレースのとき、運転技術もさることながら、燃料の補給やタイヤの交換などの巧拙が勝敗のカギをにぎっているのを思い出してください。
初9―人をねたむことはあなたの限界、失敗を招くので要注意。
二6―他人に寄りかかり、物質的援助をあおぐ姿勢をとるな。
三6―勇気、信仰、自信、喜びは精神のまたとない栄養物である。
四6―否定的観念は消化不良をおこす。
五6―賢明な人から精神的援助をあおぎなさい。
上9―あなたが良いと思うものを養いなさい。
山雷頤
頤(い)は、貞(ただ)しければ吉なり。頤を觀(み)てみずから口實を求む。
○彖にいわく、頤は貞しければ吉なりとは、正を養えば吉なるなり。頤を觀るとは その養うところを觀るなり。みずから口實を求むとは、そのみずから養うところ を觀るなり。天地は萬物を養い、聖人は賢を養いてもって萬民に及ぼす。頤の時 大いなる哉。
○象にいわく、山下に雷有るは頤なり。君子もって言語を愼(つつし)み、飲食を 節す。
頤は注に「口旁なり。口物を食し以て自ら養う。故に養の義と為す」といいます。此の卦の体は即ち口の形です。故に頤と名けます。口は食する所であり食して以て身を養います。食は保食神(うけもちのかみ)が主られる所です。保食神は食を造(つく)り、以て人を養われたことは古典に詳細です。彖象二伝ともに口を以て養う義から教戒を重ねています。
木に属します。 大畜(たくわえ)必ず頤(やしなう)。思いを内に包む。外教を受ける。親人に离れ養を受ける。欺言されて横損が有って災が有ります。福はありません。始めは凶ですが老いて吉があります。損に之けば女い疵が有あります。比に往来すれば多人を頤います。小畜から来れば人を助け養います。履から来れば智徳人に随って道を問います。泰から来れば神仏を尊敬します。否から来れば大いに人の助を得ます。同人から来れば夫妻共に身を持ちます。大有から来れば下卑にして日を送ります。萃から来れば大立身して身を労し、心を苦しめ能弁人を迷わせます。
天 雲。 夏は白雨。 秋時は雨。
旅 西方は吉。業旅は吉。
売 不利
待 来ません。色情は忍べば得ます。
失 東北方。遠くには行っていません。 人口に依れば良いです。 女性。
婚 凶
産 凶。女。 冬は吉。
疾 小児若年は食毒。中年後は心気痛。女は人に陰して気を煩います。解鬱剤を用いて宜し いです。脾腎虚。病が中に在って発しません。気短。積。食養を専らにすると良いです。
争事に付いて労病があります。女色が過ぎての煩い。口瘡。大切に身を守る者は治ります。
邪 家に伝わる刀、切先三寸程に疵があります。家内水神荒神の崇。争いが絶えません。初 めは吉。後凶。九日二十六日二十九日の霊が有ります。屋敷内に石仏が有ります。横形 です。我家か親類内に遠国に出て沙汰無き障。但し出家と見ます。
三爻 女事にて女の生霊。 女は男事にて男の死霊があります。
四爻 争入牢出家の障。火難に遇って大切な物が焼けた崇り。
この卦を得た人はよく慎謹節制すれば百事發動開達して吉。これに反すれば凶。
山の下に火がある。
物もって苟(いやしく)も合うのみなるべからず。故にこれを受くるに賁をもってす。
賁とは貝の輝くさま。飾り。恩竜。
飾れば美しいが、実質に対する装飾にすぎないため、通るけれども、大きなことに乗り出してはいけない。
剛に過ぎず、柔に流れずが天文の道。徳を明らかにし、善に止まるのが人道の文。天文をよくみて時変を察し、天時に沿って世風を変え、天下を教化する。
君子はこの卦を見て、日常の政務を処理するにとどめ、刑獄のような重大事は、軽々しい決定を控えるのである。
相場は、 上らんとして上り兼ねる。火は上らんとして山に止められ、しばらく保つも平値に反る意あり。小場のこと多し。
泰より来る。離火は炎上し 艮山は止まる故に二七より上りて五十にて止る象なり。
小さな高値を示す。夕日の没する前の夕映えのような騰勢。九三のこう卦に着目し、上下いずれに動くかを察するべき。
物価騰がる。
高下上る義あるものは買うによろし。
甲 寅 : 寄附不味にして畫過に至りて高かるべし。
主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、上爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
賁は修飾、文彩のことである。泰の交代卦と見るならば、九二は上にあって、坤の純陰の上爻を飾る。これ、天の文である。また上六は来つて乾の純陽の二爻 を飾る。これ地の文である。内に離の文明の徳を備え、外に艮の篤実なる行いを有つのは人の賁である。衆義として、飾るべし、飾らせよ、飾ってはならぬ、飾らすな、飾るな、飾るまいぞ、飾っては悪い、飾らぬを皆一卦の中に具備している故に占題の如何によって活用しなければならない。離火が山下に隠れるのは夜の象。彩色鮮明の象。外見は華美にして内実は困窮するの義。進んで為すべきか止まって為さざるべきかの占においては止まるを以って吉とする。夜の象、極彩色は、正色(純白)にあらざる時ゆえ実貞にすることを要する。勝負、我が方の負。
賁(ひ)は、亨る。小しく往くところあるに利(よ)ろし。
彖に曰く、賁は、亨る。柔来りて剛を文(かざ)る。故に亨るなり。剛を分かち上りて柔を文る。故に小しく往くところあるに利(よ)ろしきなり。天文なり。文明にしてもって止まるは、人文なり。天文を観て、もって時変を察し、人文を観て、もって天下を化成す。
象に曰く、山下に火あるは、賁なり。君子もって庶政を明らかにし、敢えて獄を折(さだ)むることなし。
22 山火賁 さんかひ 見栄をはる
賁とは飾り物のこと。卦の形は艮(山)の下に離(太陽)があって、山の景色が夕暮れの太陽で美しく彩られているようす。しかし太陽は沈む寸前で、没落の兆候かもしれない。華美な装飾や見栄で明るさはあるが、普通の人は質素にして吉。明智を身につけて内面を照らすこと。学問芸術に吉。文章。文明。はかなさ。虚飾。派手好み。
この卦においては、地底のどこか奥底深くで火が発し、それが燃え上がり、やがて天の高みの山を赤々と美しく照らし出す、そんな光景が示される。何かが形をなすどんな場合にも、優雅さ、美しさは必要なものだ。めちゃくちゃで混乱しているよりは、きちんとして秩序ある状態の方がなんといってもよいものだ。
賁[優雅さ]は成功をもたらす。
それが小さいことなら
引き受けて実行に移すがよいだろう。
山のふもとに火が燃えさかる
それが「賁」の描くイメージだ。
それがとりあえずの問題だったら、
君主はすぐ処置して先に進むだろう。
でも論議が必要な重要問題の場合、
彼は敢えて軽々しくは扱わない。
山火賁(優雅さ)は成功をもたらす。ただし、それが基本的で本質的な問題でない場合に限ってだ。「賁」が良いのはそれが小事に関してある場合のみだ。何故ならそれが単に飾り的で付加的な要素だからだ。内卦の離では弱い陰爻が2本の強い陽爻に挟まれている。この陰爻は陽爻に対する飾りなので、本質的部分は2本の陽爻なのだ。外卦艮においては一陽が最上爻にいて全体をリードしている。ここにおいてもやっぱり陽爻が本質的部分なのだ。自然界に目を向けてみると、空に太陽が強い光で照っている。地上の生命すべてが太陽に依存している。
でも、この重要な存在である太陽も、月と星という飾りにやっぱり彩られている。人間社会において言えば、伝統が、それ自体山のように強くまた永続的な存在であるが、その歴史を始めて、明快な美しさに彩られるようになって以来、審美に耐える美しさというものがその存在を始めた。天に存在する形というものを観察すれば、我々は時とその変化して極まりない要求を知ることができる。また人間社会に存在する形というものを観察してこそ、理想とする世界を作り上げることも可能なのだ。
山を美しく照り映えさせる火も、そんなに遠くまでは照らさない。同じように、美しい外見も、物を一瞬の間映えさせて注目させることはできる。でも重要な問題をこのような外見からのみ判断することはできない。それにはもっと真剣な態度で臨んでしかるべきだ
22. 山火賁(さんかひ)天卦:艮 地卦:離文化 文明と退廃 装飾
夜の象 華美 うわべを飾る
口が上手でも真意がない はっきりと物を言わない どちらにも定めない方が良い
獄中の囚われとなる 智恵があって篤実である 夜型
内面の困窮 仲良くできない 墳墓
隠れている 食欲減退
・商売職業上の悩みがある。
・小商売は利がある。
・小事は吉であるが、大事は凶にて破れる。
・言葉に飾りがあり嘘がある。
・インチキ物に注意。
・異性問題がある。
・婦人が男を侮りて離縁の意がある。
・恋愛事の場合は間に邪魔が入る。
・家の中に病人がいる。
山火賁(さんかひ) †
炎が大山を彩り
大人物を楽しませる
■素朴な美に生きる †
元ビートルズの故ジョンレノンさんは、この山火賁(さんかひ)の人でした。
八卦では山火賁(さんかひ)を「山々が夕日に彩られ、息を呑むほどの美しさにあふれている」卦としています。
その美しさは素朴で飾らない自然の輝きであり、ごてごてとした華美な装飾を嫌います。
あなたが成功するための秘訣は、そのセンスを華美に仕立て上げようとしないことです。
山火賁(さんかひ)の人は、飾りたてた絢燗豪華さに惹かれながらも、それを排することで本当の幸福を手に入れられる運勢にあります。
■卓越したセンスを生かす †
山火賁(さんかひ)の人は芸術的センスに恵まれています。
特に美術や音楽、映画といった視覚・聴覚に訴える芸術に天性の感性を有しています。
芸術家のほか、建築家や設計士、デザイナー、フラワーショップなど、センスが要求される職業で才能を発揮するでしょう。
艮卦の穏やかさと粘り強さがあるので、一般企業にも勤まりますが、将来的には才能を生かした、フリーでの活動をお勧めします。
山火賁(さんかひ)の人は、内心は派手で豪華なものに強く惹かれるのですが、本来持っている才能はそういったものに強く反発しています。
山火賁(さんかひ)の人は、自分の内面にある、素朴で飾らない美意識を素直に表現することで、初めて評価されるのです。
山火賁(さんかひ)の独特な美的感覚は、社会的な評価を得ます。
大人物に可愛がられ、引き立てられるのです。
たとえ、あなたが芸術に関係していない職業に就いていたとしても「美しさを知る感性」そのものが評価されて、成功への糸口となるはずです。
■自分を飾らないことでうまくいく †
あなたは自分を飾りたてることで失敗します。
山火賁(さんかひ)の人はブランド指向が強く、派手な恰好を好みます。
特に好きな人の前だと自分を飾りたててしまう傾向があり、それが虚栄心ととらえられて相手に嫌われるのです。
山火賁(さんかひ)の人は、自分を飾らずに純粋な心の内を素直に出すことで、恋愛を実らせることができるでしょう。
派手なパーティーなどではなく、普段着のときにこそあなたの魅力は出るのです。
素直な出会いに始まる恋愛は非常にうまくいき、よい結婚につながります。
しかし、虚飾に満ちた出会いから始まる恋愛はうまくいかないことのほうが多いはずです。
ただし、山火賁(さんかひ)の人には特別なセンスがあります。
あなたは部屋の模様替えをして、部屋の雰囲気をガラリと変えてしまうことができます。
恋人や夫や妻との生活がうまくいかないときに、この能力を発揮すると事態は好転します。
自分の素直な心に従って部屋のデザインを変えたり、新しい装飾品を飾ることで、相手との感情のもつれはたちまち解消されるでしょう。
山火賁(さんかひ)の人のセックスは、リラックスした状態でできれば、自分と相手、双方の快感を増すことができ、甘美なひとときをもたらすでしょう。
■素直に生きてこそ、すばらしい運勢 †
あなたは美で人々に感動を与えることのできる、恵まれた運命の下にあります。
飾らない心を表に出していけば、大人物に引き立てられて、実りある人生を生きることができます。
あなたは華美なものに包まれていたがりますが、そうしている間は、いつまでたっても幸運は巡ってこないのです。
■財運 †
多少の財産は得られますが、高望みは失敗のもとです。
時機を読む力があるので、株にチャレンジしてみるのもいいかもしれません。
ただし、最初は手堅くいくほうが賢明です。
22山火賁 (さんかひ)
【キーワド】恩寵
〔大意〕「賁は、亨る。小しく往くところあるに利ろし」(『易経』)賁には飾るという意味があります。これがなぜ恩寵なのでしょうか。
これは潜在意識理論から説明ができます。ふつう飾るというのは、外面にこだわり、内面は見かけほどでもないという意味にとられますが、そうとはばかりはいえない点に注意が必要です。たとえば、苦境にあるときに、その苦境を強く認識することが良い方向へ作用すればいいが、挫折感や恐怖感が先に立てば結果は悲惨なものになる。訓練された技術の持主が本番であがってしまい、失敗するのも似たような心理状態である。そこで潜在意識理論では、「自分の望む状態を想像せよ」ということをよくいいます。
その良い例はストレス学説で著名なハンス・セリエ博士がいうように、「悲しくても、うれしそうな顔をしろ。そうすれば不思議にうれしくなってくる」ということです。これは意図的に自分の心を飾ることです。しかしこの飾りは潜在意識に良い効果を及ぼす。
「良いことを思えば良いことがおきる。悪いことを思えば悪いことがおきる」という法則を援用する限り、わたしたちは良くないときも「良いほうに飾らなければならない」のです。
飾るのは他人のためではありません。自分のために、自分の心を安堵させ、積極的に導くためにする飾りは必要なことなのです。あなたが何か夢を持っているなら、その夢をあなたの想像でできるだけ飾ることです。それが細部にわたって細密に飾られれば飾られるほど実現に近くなっていくことでしょう。
「恩寵とはあなたがいつも抱いている考えに対する自然からの数学的回答である」とマーフィー博士はいいます。まさにそれは具体的な形であらわれるのです。そのためにはあなたはあたたの人生プランを思い切り飾ることです。
初9―あなたには偉大な存在からの恵みがある。
二6―熱意をもって真実を話せば、あなたは勇気づけられる。
三9―たえず前に進むことを考えよ。
四6―あなたが夢を持つとき、それが正しければその願いはかなえられる。
五6―荒野でもあなたは恵みを得ることができる。
上9―正しく考え、正しく期待し、正しく行動せよ。
山火賁
賁(ひ)は亨る。小(すこ)しく往く攸(ところ)有るに利ろし。
○彖にいわく、賁は亨るとは、柔來りて剛を文(かざ)る、故に亨るなり。剛を分ち上(のぼ)りて柔を文(かざ)る、故に小しく往く攸(ところ)有るに利ろしきなり。天文なり。文明にして止まるは人文なり。天文を觀てもって時變を察し、人文を觀てもって天下を化成す。
○象にいわく、山下に火有るは賁なり。君子もって庶政を明らかにし、敢えて獄を折(さだ)むることなし。
「賁は飾なり」とあって文飾の義です。故に彖伝は天文人文をもって云っています。文は質あるに施すべきであり、唯文にして質がなければ虚飾です。質にして文がなければ野卑です。是をもって噬嗑の六五が内に来て六二となります。是柔の剛を文(かざ)るもの、質に文を添るものです。
又初九(九二)が上って上九となるのは剛を分て柔を文るもので、文は質を得て成ります。
古え衣服袴裳はいうまでもなく御頸玉足玉手玉のような文飾の具が大変多かったけれども吾が邦は質が文に勝る風だったので外邦の美を取って吾が文としていました。是において文質彬々としてまた尚ぶべからずというさまとなりました。ただその文が過ぎて漸く質を減するに至りました。
故に聖人は文飾向止の戒めとしました。文は節を得て止めるべきで過ぎないようにしなければなりません。
土に属します。 嗑(あうこと)は賁(かざる)。過分の飾する人は金銀乏し。住居の労。気大にして譏を受ける。禍 来ります。宿(ひさしき)立志(おもい)不任(かなわず)。新に事を復すれば業に臨み止れて進み難い。遠方に進み盛衰あり。不安心。若人剥より来るのは女と死を誓う。姤より来るのは歓楽。漸より来るのは倹約。蛇咬む。家内不和合。事扣(ひかえる)。人に随い事を為せば吉。
天 雨。四方晴れず。後雨。
旅 半吉。 時を待つべし。
売 東南方は利。 気弱人は厲ういです。
願 小事は成ります。 大事は難しい。
待 親人と談すれば吉・来ずとも便が有ります。
失 自然に出ます。小児愚者がかくしたとみます。
婚 成り、後に破れます。慎しんで破れないように注意するべきです。
産 危険。男子。
疾 腫物。積気。荏苒としていても治ります。気を発し逆上。気血鬱滞。熱往来。
病は長びく。胸苦息遺凶。小児疳。婦人は産後血乱。表は宜しく裏に熱あり。胃熱。火難に発する病。
邪 三十位の女、産死の霊。南丑寅方蛇と成る。中絶人の恨。衣腹器量の美を妬み互に恨をなす。 三爻 鬼門の咎
この卦を得た人はその文飾するところにまさに文飾するべき者をもってすれば吉。
これに反すれば凶。
山のふもとに沢がある。
緩くすれば必ず失う所あり。故にこれを受くるに損をもってす。
下を損(へら)して、上を益(ま)す。
損をするが、誠をもって行動すれば、最後は大吉。永続きできて、前進しても有利である。
君子はこの卦を見て、高い理想のために、低い欲望をなくすよう努めるのである。
相場は、 山は上に沢は下に止まって動かず保合う卦なり。
安値保合いの中に少し下り気味であるけれども、先高の機を蔵している場合がある。
下がること多し。高下二爻変ずれば上る。
乙 巳 : 高下持合の形なり。
主爻(内卦、外卦、大成卦):三爻、上爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
損は減る、欠ける、少なくする意味で、益の反対である。下を損して上を益する義。国家下民の財宝を減損して、上の国君を益する時は、其の国必ず窮弊すべく、これを損と名付けた。我を減損して彼を増益する。失い滅ぶる義。衰減の意。眼前の義を悟って善を期するの意。損という時期なので目前の利潤を損しながら正を守って後日の利益を得ることを心がけるがよい。勝負、我が方に利あれど強いて押すは不可。
損は、孚有れば、元(おお)いに吉。咎なし。貞にすべし。往くところあるに利(よ)ろし。曷(なに)をかこれ用いん。二きもって享(まつ)るべし。
彖に曰く、損は、下を損らして上に益し、その道上行す。損らして孚有れば、元(おお)いに吉、咎なし、貞にすべし、往くところあるに利(よ)ろし。なにをかこれ用いん、二き用て享るべし。二きもてするは応(まさ)に時あるべし。剛を損らして柔を益すに時あり。損益盈虚(えいきょ)は、時と偕(とも)に行わる。
象に曰く、山下に沢あるは、損なり。君子もって忿りを懲らし欲を窒(ふさ)ぐ。
41 山沢損 さんたくそん 損して得とる
損失。奉仕。自己犠牲。自分の得にならないことでも信念で貫き通して達成する。目先の利益を追って嗤われるか、大目的のために誠意をもって初志貫徹するかである。現在は損失が多いようにみえるが、自分の信用を増し利益となって返ってくる。高望み・小欲を捨てること。先方は臨んでくるので少しのちに調和する。
山沢損は上の卦の益のために下の卦を損じることを意味する。というのも、(最初地天泰があったと考えて)内卦の三陽のうちの一陽である第三爻が卦の最上部まで昇り、元来陰爻である最上爻に置き換わったと考えるからだ。下にあるものが損じられて上にあるものを益する。まさしく一方的な損失だ。もし建物の土台を損じて弱くし、その分上にある壁を増して強くしたら、建物全体は安定を欠いてしまう。同じように、人民の財を損じて、政権の益を増すようなことをしたらそれもまた一方的な損失だ。山沢損がこの卦全体で言うのは下を損じて上を益するように見えながらも国にとっても人民とっても経済力そのものは損なわないやり方である。
誠意をもってすれば
すばらしい幸運がもたらされる
咎はない。
忍耐強くそのようにせよ。
なにかするのによい
どのようにしてこれはなされるべきだろうか?
犠牲を捧げるためには2つの小さい椀をだけで十分だ。
減損するということがいつも悪いわけではない。減じることも増すこともそれぞれ時の必然に従って起こってくることである。だから大切なのは、その必然をよく弁えて、減じられた結果の貧しさを覆い隠そうとしないことだ。質素であっても機知をもって自分の誠意を示すことができさえすれば、何も恥じることはない。何かを企画するとき、真に力を持つのは質朴さだ。質素が社会的な体面を損じるのではないかなどと、たとえそれが荘厳さを演出することが不可欠な宗教儀礼であっても、心配することはない。外側が不十分なときは、誠実さでそれを補うのだ。外見が貧しくとも、内容があればそれで十分だ。神に対して外見を飾って見せても無駄である。たとえ簡素な方法であっても真実の心を込めて行え。
山の裾野に湖がある。
山沢損のイメージである。
かくして君子は自己の怒りをなだめ
本能を押さえる。
山[艮]の麓の湖[兌]の水が湯気となって立ち上がる。このようにして湖は山を益するために自分を損じている。なぜなら山はその湯気で潤いを得ているからだ。山は頑固さを象徴している。その頑固さが嵩じてやがて怒りになる。湖は見境のない陽気さを示す。それが嵩じると、人生を空費させてしまう熱狂的な衝動になる。だから、゙減損゙ということが必要になってくる。怒りは冷静によって減じられなければならないし、本能は規制によって制限されなければならない。心の低次なエネルギーがこのようにして損じられることにより高次の側面が高められるのだ
41. 山沢損(さんたくそん)天卦:艮 地卦:兌減少 減り失う はじめ損して後に得をとる
紛失する 衰微する 財を施す
人と共同で物事をなすことは成就する 利欲を抑えれば徳をとり、驕りを抑えれば財を成す 志があっても通じない
上の者より授けられる よくないことがあって振り向かない 婚姻ととのう
対応も成立する 病は逆上する 食べられない
体力気力が消耗する
・自分を損して他人を益する象である。
・外見剛強にして内は軟弱である象である。
・商売上はたいてい失敗し損失するのである。
・借金話がまとまる。
・先祖の祭りをすることによって開運する。
・住所の悩みがある。
・大いに努力し修行することによってはじめて利益がある。
・男女交悦を実行している。
山澤損(さんたくそん) †
誠実で堅実なるも
第三者の介入で動揺する
■目標をしぼって吉 †
八卦では、山澤損(さんたくそん)を「沢の水は泥を運び、山を一層高くし沢を一層低くする」卦としています。
これはあなたが山の崇高さ(気高い心)を得ると同時に、沢の流れ(世の中の出来事)に疎くなっていくさまを表わしています。
山澤損(さんたくそん)の人は、状況の変化、特に第三者の介入による状況の変化にもろく、崩れていく運勢にあります。
■個人的な信頼関係を軸にする †
艮卦の人は着実にゆっくりと行動することで成功します。
特に山澤損(さんたくそん)の人は、誠実で品性に優れ、人を喜ばせる才能を持っているので、周囲から厚い信頼を受けます。
こうした人柄は、比較的長い時間をかけて行う仕事、公共事業での折衝などに向いているといえます。
あなたは人の出入りの激しい職場、人間関係が複雑な職場には不向きの人材です。
普段は明るく温厚な性格ですが、複数の人と接することにきわめて弱く、疑い深くなってしまいます。
そういう意味では、一対一の人間関係を軸に仕事ができる職業、医者や弁護士、秘書なども適職といえます。
山澤損(さんたくそん)の人が仕事で成功するためのポイントは、少々のミスでも動じないことです。
艮卦の仕事ぶりは着実で手堅いのですが、あなたはひとつのミスで右往左往してしまいがちなのです。
そうすると、あなたの明るい温厚さも失われてしまいます。
人間だれしも失敗するものだと考えて、少々のミスはよしとするくらいの余裕ある態度で仕事に臨んだほうが信頼を失わずにすむでしょう。
■誠実だが嫉妬深い †
あなたの恋愛は、一対一の交際を続けている限り安泰です。
その明るくやさしい人柄は、恋人の心をがっちりつかんで離すことはありません。
しかし、ふたりの間に第三者が介入してくると途端に雲行きが怪しくなります。
あなたは皆と仲良くしたいとは思っているものの、恋人が他の異性と親しくするのが許せないのです。
嫉妬にかられて、恋人の行動をいちいち管理し、縛りつけようとします。
思いのほか、自己中心的な愛情が出てしまうでしょう。
山澤損(さんたくそん)は、男性と女性で恋愛傾向が随分、違います。
山澤損(さんたくそん)の男性は恋人に対しては誠実な態度を示しながらも、なかなかの遊び人で浮気もします。
しかし、山澤損(さんたくそん)の女性は誠実そのもので、決して浮気はしません。
もっとも嫉妬深さは男女とも変わかません。
山澤損(さんたくそん)の人は、嫉妬深くなると温厚さが消え失せてしまい、自分も恋人も不幸にします。
嫉妬にかられてどうしようもなくなったら、恋人と旅行に出てみることをお勧めします。
無用の誤解は解け、再び良好な恋愛関係を取り戻すことができるでしょう。
あなたのセックスは愛情豊かでロマンティックです。
やさしく相手のことを思いやるので、相手に特殊な趣味がある場合以外は、性的なことがトラブルにつながることはありません。
■困難にぶつかってもくじけない †
山澤損(さんたくそん)の人は、普段の堅実で温厚な人柄と、苦境時の狼狽ぶりのギャップの激しさが周囲を困らせていることを自覚しなければいけません。
少々の損害は大きな成功につながると信じ、余裕を持つてことに当たるとよいはずです。
■財運 †
わずかな損をきっかけに、大逆転が訪れる卦です。
相談相手はできるだけ少人数にしましょう。
あまり多くの人の意見を聞くと、迷いが生じてしまいます。
冒険さえしなければ、大損はありません。
41山沢損 (さんたくそん)
【キーワード】減少
〔大意〕損の字は「減る」「へらす」「損害」などの意だが、必ずしも悪いことを意味しているわけではない。減ること、へらすことで幸運をつかめることを暗示しているといえます。『易経』には「孚あれば、元吉にして咎なし。貞しくすべし。往くところあるに利ろし」と書かれていることからもそれはうかがえます。
そのことから人を減らす(人員整理)のによいとか、他人のために苦労ばかりする時期とかいった解釈がなされている。俗にいう「損して得とれ」といった受けとめ方が一般的です。自分のおかれた情況で、それぞれが意味を見つけ出せばいいのですが、潜在意識の立場からいえば「いったん減少させることで、次に増大させるエネルギーを貯える象」と考えられます。
なんでもそうですが、前進一本やりではエネルギーが枯渇する。プラスがあればマイナスがあり、増大があれば減少がある。まさに易の根本理念たる「陰陽」は自然の摂理である、これは何人といえども動かすことはできない。
ならば減少を一つのスプリングボードとして大いに活用しなければいけないということです。わたしたちは減少よりも増大を望む。しかしそれは良い事柄においてであって、好ましくないことは減少してくれたほうがいい。借金の増大は困るし、体重の増加も健康によくない。この卦が出たら「減少を楽しむ」という心構えが必要です。
マーフィー博士はそれを「感情をコントロールすることだ」といっています。減少におびえ、不安を感じるのではなく「いまはそれがベターなのだ」と思い切る気持が大切だということです。欲丸出しの人は感情がコントロールできてないから、一時的に増大させてもやがて大きな損失に出会うでしょう。
初9―気軽に人の援助を受け入れることなかれ。
二9―沈黙できないなら新しい事を企てるな。
三6―自分とだけ相談して人にいってはならない。
四6―愛、親切、調和、平和を念じなさい。
五6―謙虚にあれば良い事がおきる。
上9―人に知恵を与えれば、あなたはますますみがかれる。
山沢損
損は、孚有れば元吉にして咎なし。貞しくすべし。往く攸有るに利ろし。
○彖にいわく、損は、下を損して上に益し、其の道上行す。損して孚有れば、元吉 にして咎なし、貞しくすべし。往く攸有るに利ろし、曷をかこれ用いん、二簋も って享すべしとは、二簋もてするはまさに時有るべしとなり。剛を損して柔を益 すに時有り。損益盈虚は、時と偕(に)行なわる。
○象にいわく山下に澤有るは損なり。君子もって忿(いか)りを懲(こ)らし欲を 窒(ふさ)ぐ。
此卦は下を損して上を益するとする所以は下卦の陽を損して上卦の陰を益し、沢の深を損して山の高きを益すからです。二簋もって享すべしとは是れは滅するべくして滅がその時の宜ろしきに叶うからです。古典を考えるに大己貴神が此国を天孫に譲られ、猶其嘗て国を平げるのに用いた廣矛を奉られました。是下なる陰である地祇にして上なる陽の天神を益するの理です。
土に属します。 能く解ときは必ず損。不慮の損失。倹約に宜しいです。住居金銀の苦。需(とん)退屈して事を夷ります。窮迫した時に此卦を得ると多くは吉です。養子。破穿。兄弟に苦労。慎しみのない人は身上を損します。何事も急には成りません。力を尽くすべきです。
天 雨
旅 凶
売 吉。凶。
願 成り難いです。長引きます。
待 遅れます。間違いが有ります。
失 西北方に有ります。若年が盗んだものですが、入手することはできません。
婚 凶
産 危いです。男。
疾 色欲五臓を傷ります。心神不寧。小児驚き蔵を傷います。虚損食傷。治ります。吐逆翻胃。熱があります。病前に在て今は凝所が有ります。 催して出たとみます。強忍して療が後れます。気血虚。積。生得に心気が弱いです。湿毒を発します。酒毒内攻。咳漱。腎虚。健忘。小児口瘡重舌。吃泥。厚味必ず害があります。
邪 先祖が无理に金銀を集め出入抔にて恨みを受けます。四足を焼いて次第に零落断絶し ます。丑寅高神の崇り 彼是病人が絶えません。 十八日二十六日の霊
この卦を得た人はよくその悪を減損すれば吉。これに反すれば凶。
天の気が、山中にたくわえられている。
天の気が、山中にたくわえられている。
无妄ありて然る後に畜(たくわ)うべし。故にこれを受くるに大畜をもってす。
畜とは、止める、たくわえる。進もうとする乾を山がとどめている。
君子はこの卦を見て、古代聖賢の教えを心に刻み、我が身の徳を畜(やしな)うのである。
相場は、 天の上に山あるの象にして、天は進み上らんとするも、山は止めて上らしめず、故に一旦は上がり、高き所にて保合うの象なり。
なお、高きほうなるも小相場なり。
四九より五十まで上りて止められるの卦なり。
気配強くとも案外伸びない。高値保合いと判ずる。動かず。または少し下押す。または小幅の浮動。総じて下落を見ることがない。
高下大利なし。
壬 子 : 朝より頭軽く上がる方なり。
勢いの強弱は二・上の爻卦を見ること。
主爻(内卦、外卦、大成卦):二爻、上爻、五爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
大いにとどめられて止まるの義とする。剛強にして妄進するものを上より法制を出して之を止むるの義、君をもって、臣を止むる。徐々に成りかける。彼より進みきって我を助ける。勝負、我が方に小利あり。
大畜は、貞に利(よ)ろし。家食せずして吉なり。大川を渉るに利(よ)ろし。
彖に曰く、大畜は、剛健篤実にして輝光あり、日にその徳を新たにす。剛上りて賢を尚ぶ。よく健を止むるは、大いに正しきなり。家食せずして吉なりとは、賢を養えばなり。大川を渉るに利(よ)ろしとは、天に応ずればなり。
象に曰く、天の山中に在るは、大畜なり。君子もって多く前言往行を識して、もってその徳を畜むる。
26 山天大畜 さんてんたいちく 大きな滞り
畜は田が茂るの意味。豊作。蓄積。お金持ち。大が小を養う。実力や人徳を蓄える。資金や気力を充実させ、危険や障害を克服して大事をなしとげる。蓄えている間は停滞でもあるので機運が制せられていると判断する。大きな止めがあり意のままにならない。対人関係も思いのままになりにくいが、和睦して時が経れば好転。
山天大蓄では創造の意味を持つ「乾」が停止を意味する「艮」に飼いならされ押さえ込まれている。そのような場合巨大な力が蓄積されるから大蓄と呼ぶ。同じ乾が押さえ込まれるのでも、穏やかさを意味する「巽」で押さえ込まれる風天小畜とは対照的である。小蓄では5つの強い陽がただ一つの陰に抑え留められているに過ぎない。
一方大蓄では、大臣にあたる第四爻の陰に加え王位である第五爻も陰であり、この2つの陰が4つの陽を抑え留めている。勢い、引き止める力は小蓄よりはるかに強い。この大蓄卦は基本的に「抑え留める」ことを意味するが、それには3つの側面がある。山の中に天がある、と考えれば「蓄積する」意味での抑え留める意味になるし、艮が乾を静かに抑え留めていると考えれば「抑制する」意味での繋ぎ留める意味になる。最後は「飼い慣らす」意味での繋ぎ留めると考える解釈の仕方だ。これは最上部にある卦主の一陽を尊敬すべき賢者と考えるところから来ている。これは[易において]最上爻の陽を賢者であるとする考えと取り分け関係が深い。
忍耐努力は成功をもたらす。
家で食事をしなければよいことがある。
大きい川を渡るような大事にもよろしい
大蓄卦において説明されているような、乾の創造的な力を抑え留め、その力を蓄えようとする場面では、君主に信頼されるような気丈で頭脳明晰な人が必要だ。乾は強力な創造力を意味し、艮は剛健な実直さを意味する。つまり賢く聡明であるとともに、日々研鑽し自己の欠点を改めていくような人が必要なのだ。そのような日々の自己変革を通じて人は始めてその責任ある立場を全うすることができるからだ。平穏な日々は惰性で秩序が保てても、エネルギーが蓄積され高まってくる[大蓄に象徴されるような]場面では、しっかりした人でないと対処できない。だから、人々から尊敬され、君主にも認められて指導者を命じられるような強い人格を持った人は家で遊んでいないで公の仕事に就くべきである。そのようなあり方こそ、天地宇宙の法則に沿った生き方だというものだ。結果、川を渡るような大きな仕事を行っても結果はよいことになる。
山の中に天がある。
山天大蓄のイメージである。
かくして君子は古の至言の数々や
数多い昔の偉業に精通する。
そのことにより
己の人格を陶冶するためである。
山の中の天とは、隠された宝を意味する。古代の偉業と至言の中に人の人格を陶冶し涵養する宝が眠っている。過去に学ぶとは、自分を単なる歴史の知識で縛り上げることを意味しない。知識を現実に応用して、過去を再び生かすのだ。
26. 山天大畜(さんてんたいちく)天卦:艮 地卦:乾訓練 大学および大学院の教育と研究 蓄積
停止 制止 やめる
蓄える 養う 集める
仕官 大志 剛健篤実
財が集まる 修学養徳 時の来るのを待って目的を達する
拒み争う 将来の大人物 便秘
・小を積んで大となる。
・商売職業上の悩みがある。
・前進すれば得るところがある。
・人の妬みを受ける事がある。
・便所が悪い家相である。
山天大畜(さんてんたいちく) †
こつこつと財を蓄え
大業をなしとげる
■内面の充実が成功につながる †
山天大畜(さんてんたいちく)は、広大な天の下に山のごとく備蓄がなされていく様子を表わしています。
あなたは豊富な知識や金銭を蓄えながら、いつの日かそれを世に問う運勢にあります。
山天大畜(さんてんたいちく)の人は、辛抱強く自分の内面を磨いていくことで大業をなしえるでしょう。
■積極性と保守性の矛盾に苦しむ †
山天大畜(さんてんたいちく)は道徳的倫理感が強い卦なので、汚い商売に対する嫌悪感が強く、職種次第では働くのが苦痛になってきます。
警察官や法律家、医者、教師など、人道的な職業が適職です。
また、山天大畜(さんてんたいちく)の人は、知識欲が豊富で博学多才です。
しかし、あなたは仕事に関しては非常に慎重で保守的な面を持っており、その才を用いるのに及び腰になりがちです。
結果的には、慎重にことを運んだほうが、あとでより大きな幸運への転機を呼び込むことになります。
たとえそのとき、行動に出ずに「失敗した」と思っても、必要以上に後悔しないことが大切です。
あなたは、大企業向きの人材です。
長い時間をかけて経験を積むことで自分の才能を発揮することができるからです。
一発勝負の大バクチが必要とされる職場や、最初から極端に個人の負担が大きい職場には向いていません。
あなたはルーチンワークが要求される部門でも堅実な仕事をしていけますが、その豊富な知識が生かされることはまずありません。
むしろ大きな企画開発チームなどの1スタッフから始め、経験を積んで徐々に才能を発揮していける環境を作っていくのがベストでしょう。
■純愛をしながら刺激を求める †
あなたは道徳心が強く、まっすぐな恋愛を望みます。
つきあっている人がいれば、自分の家族に対してもオープンにしておきたいほうです。
こうした姿勢は、あなたの恋人からみても信頼できるもので、はたから見ても「人もうらやむカップル」になりやすい卦といえるでしょう。
結婚も早く決まり、円満な夫婦生活を送ることになりそうです。
しかし、実はあなたは心の奥底で「刺激」を求めています。
ただ理性が邪魔をして、それを実行に移せないでいるだけなのです。
山天大畜(さんてんたいちく)の人は、いったん理性の糸が切れてしまうと大変なことになります。
思いつめる潜伏期間が長いために、その恋は激しくなりがちで、駆け落ちや心中といった「失楽園」型の恋にまで発展しかねません。
もちろん、そんな恋は、あなたの人生のすべてを無に帰してしまいます。
甘美な誘惑に駆られてもそれに乗らない強さが、結果的には人生の幸福につながります。
山天大畜(さんてんたいちく)の人は性的な好奇心が強く、いろいろなプレイを試したいほうなのですが、それを言葉にできません。
こうした傾向もあなたの不倫願望を助長します。
幸せを逃がさないためにも、恋人には自分の希望を伝えるべきです。
■我慢と努力で成功する †
山天大畜(さんてんたいちく)の人は、自分の中に豊富な知識を蓄積していくことで成功します。
蓄えられた知識が多いほど大きな成功を生むので、すぐにその知識を発揮したくても我慢することが必要になります。
機が熟したときに果敢に行動に出れば、あなたは必ずや大きな成功を得られるでしょう。
■財運 †
順調に堅実に財産を作り上げていきますが、一時、苦労する時期が必ずあります。
そんなときでも生来の粘り強さを発揮すれば乗り越えられるでしょう。
長年かけてためたものは、いつか大きな財産に結びつきます。
26山天大畜 (さんてんたいちく)
【キーワード】大きな抑制力
〔大意〕この卦は大きな停滞を意味します。しかし運勢としては停滞に続く上昇を含んでいるので、停滞が悪いと言うことではありません。
いまは耐え忍ぶ時期であり、失望せず、期待に胸をふくらませて、目の前の事柄をコツコツと処理していくことが大切です。実際、人生の現実場面というものは、雑事の連続です。一つ一つをとれば実につまらない仕事が幾らでも出てくる。「自分の才能はこんなことをするためのものではない」「もっと大きな事に挑戦してみたい」と思うこともあるでしょう。
しかし小さい仕事、つまらなく見える仕事の中に、実は大きな仕事を成し遂げる芽がかくされている。大きな仕事も小さな仕事の積み重ねなのです。小さな仕事がきちんとできない人に大きな仕事などはとてもできるものではない。こう考えると、いかにつまらなく見える仕事でもそこに意義や価値がみえてくるものです。
停滞を好ましくないと考えることは当然ですが、大きな停滞には停滞という文字からは想像の出来ない深い意味があります。たとえば、文明の進んだ国の尺度ではかれば、インドやアフリカの情況は停滞以外の何者でもない。しかし、その文明もたかだか二千年の間につくられたものでしかない。これを宇宙の尺度ではかれば、すべては相対的な価値観となり、どっちが進歩でとっちが停滞かわからなくなる。
身近な例で言えば我国の高度成長が終わった段階で、これからは苦難の時代が来るといわれた。石油も無くなるといわれた。それから十年以上たったが、あの時代から比べて停滞といえる現在の庶民の生活ぶりはどうかといえば、それほどわるくはない。これは大きな停滞に処する術をわれわれが知ったからです。
初9 嵐の大海に出るより、沿岸を航海する方が良い。
二9 車輪を取り外されれば走行できない。
三9 境遇や環境のせいにするのはやめなさい。
四6 努力をしない努力が功を奏する時である。
五6 内にある動物的欲望を制御せよ。
上9 あなたはぼんやりしていることも必要である。
山天大畜
大畜(たいちく)は貞しきに利ろし。家食せずして吉なり。大川を渉るに利ろし。○彖にいわく、大畜は、剛健篤實にして輝光あり。日(ひび)に其の徳を新(あら)たにす。剛上(のぼ)りて賢を尚(たっと)ぶ。能く健を止むるは大正なり。
家食せずして吉なりとは賢を養えばなり。大川を渉るに利ろしとは、天に應ずればなり。
○象にいわく、天の山中に在るは大畜なり。君子もって多く前言往行を識(しる)し、もって其徳を畜(やしな)う。
天にして山が下にあり、是の大なるものを止めます。又陽を大とします。陰をもって陽を畜止(とどめ)るのを大畜といいます。下たる者は賢であり、上に畜められ上たる者は篤実であって下を止めます。艮は下が健であるのを忌まず、乾は上が止めることを忌みません。是れは大いに正しいことです。古典を考えるに少彦名命(すくなひこなのみこと)は天神の御子であって御親の神である高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の指間(たなまた)より漏堕(くきお)ちて海上より舟に乗って此の国に渡り来て大国主神の許に至り、共に兄弟となり大功を立てられました。少彦名命は天神でありながら地祇を以て兄としています。これは大なる者が畜るということです。大国主神もまた共に少彦名命に由て事をなされました。その大神の御子は天にましまさず、是は家食しない意です。畜の字は薀蓄です。畜養です。畜止です。本卦はもと畜止の義です。象は薀蓄とし、彖は三義を兼ねています。
无妄(まこと)ある時は大に畜(たくわえる)。陰遁は凶。大望がありますがいまだ発しません。遠くに住みます。異風。家食(いんじゃ)病。乾に之けば十分に達します。 坤に之くは身を人に任せます。 屯に之くは滅亡します。 蒙に之けば淫乱にして身を喪います。 需に之けば驕奢して天災があります。 訟に之けば禍が下から発します。訟有り 師に之けば謀叛を企みます。養子。六畜死。奴婢逃亡。忌嫌。集支て動きません。争。住居不定。恐。芸能が有りますが人は不和です。苦労。老いて幸があります。
天 雨
売 利。西北の人と組めば良いです。
願 成ります。
待 来ます。
旅 吉。遅くして吉です。
失 小物は出ます。大物は出難いです。東北方、水辺を探すと良いです。
婚 吉。
産 安。女。
疾 持病。老人は危険。鬱。腫物。心気弱。 百事心労。腹脹。腰足だるく牽病。
胸病。難治。持病となります。石癰(はれもの)
邪 先祖无理なことで謀を致し、人を迷せた恨。火事にて四足を焼き、次第に零落。
六日二十二日の霊。 三爻 縁組に付き戌亥方から生霊があります。
この卦を得た人は多く識せずその徳を畜えるようにして吉。これに反すれば凶。
連なる山々。 山は居場所を移すことがない。
物もって動くに終わるべからず、これを止(とど)む。故にこれを受くるに艮をもってす。
陽が下から昇って、極点に止まる。地が盛り上がり、極点に止まる。
咎なし。
君子はこの卦を見て、自己本来の立場を守り、野心を抱くことはない。
相場は、 山高し。然れどもこう卦を見て考える可し。山に山を重ねたる卦にして上がること必定なるも、一段一段と順を踏み、少しも後戻りなく上がるものなり。ただし変動激しきときに得れば、却って相場落着く占と見ることあり。
高値保合い。しかし、高い上に更に一段の高値を見ることになるが時間的な間隔を見なければならない。波乱のときに是を得れば変動納まって落着くと判ずべき。保合いのときに是を得れば、変動を生じると見る場合がある。
しかし、この卦を試すに、既に下りはじめ後下がる。
高下下る。冬は少し上る。
丁 亥 : 小堅く見えて後ち弱き足取。
三に震坎を配せば変動を生じる。
主爻(内卦、外卦、大成卦):三爻、上爻、上爻
※六十四卦大勢の動きに対する小勢の動きとして、主爻に配する爻卦をみて(相場八卦高低変動外観)、動きの程度を考慮して判断のこと。
艮は、止まり、止められ、また止まるという卦である。一陽の主画が二陰の上に止まる。陽気は昇り、陰気は降り、陰陽各々其の処に帰り止まるの象。山は不動の象。ねじり戻す意。進まぬ意。進み難くして止まる意。偏屈頑固にして人と不和合なる意。山また山の艱難の意。大いに躍動したもの今は静かに止んだ意。彼より求められれば、我よりも自我に固執せず相与すれば相方ともに功を立てるの象。彼は勇むが我は拒むの象。其の事を止めよという告知は、この卦が第一で、次は大畜、その次は小畜とする。艮と坤は死して土に帰る象がある。艮止の時、万事進むことをせず、慎み守るべきである。勝負、無勝負にて持合と見る。
その背に艮(とど)まりて、その身を獲ず。その庭に行きて、その人を見ず。咎なし。
彖に曰く、艮(ごん)は、止まるなり。時止まるべくばすなわち止まり、時行うべくばすなわち行き、動静その時を失わず。その道光明なり。その止に艮まるとは、その所に止まるなり。上下敵応して、あい与(くみ)せず。是をもってその身を獲ず、その庭に行きて、その人を見ず、咎なきなり。
象に曰く、兼ねて山あるは、艮なり。君子もって思うことその位を出でず。
52 艮為山 ごんいざん 頓挫・困難
艮は連なり泰然として動かぬ山のこと。軽率に進めば山また山の難儀が待っている。軽挙妄動を慎むべきとき。じっとして一人我が道をいく覚悟が必要だ。依頼心をなくし現在の境遇を守り抜くこと。行き止まり。塞ぐ。困難。劣等感。愚直。篤実。頑固。他人と交わらない。結婚は調和しにくく、離別もありえる。
艮為山が象徴するのは山[艮]であり、天と地の間に生まれた末息子である。最上爻が男性を表す陽である。陽はその性質として上昇するからだ。また女性を表す陰が下にある。陰はその性質として下降するから、これまた自然なことである。人の世界にこれを適用すれば、艮為山は心の静寂を得ようとする努力を示す。静かな心を得ることは大変難しいことだ。仏教はあらゆる心の動きを収斂させて得られる静謐[セイヒツ]な涅槃の境地を追い求めるが、易経では静と動をあくまで互いを補い合う対極的な境地だと見なしている。多分、易経のここの部分は、中国的なヨガ、つまり仙道と関連があるのであろう。
艮為山(静かに留まる):、
もはや自分の体を感じることがないまでに、
その背中を静止させる。
自分の家の中庭に入っても
身内の人々も目に入らない。
咎めはない。
真の静寂の境地とは、静止すべきときが来れば静止し、前進すべきときが来れば前進するという自由自在さを言うのであろう。このようであれば、休止も動きもそれが必要とされるときに応じて行われることになる。このことは人生の大いなる指針である。艮為山はすべての動きの始まりと終わりを意味する。ここで「背」という言葉が書かれているのは、背骨には人体のすべての動きを中継する神経叢が通っているからだ。もしこのような背骨の中に存在する神経の活動が静止すれば、休み無くさ迷う自我の活動も、ある意味、消滅してしまうことになる。人がこのように静かな心境に至ったならば、心を今度は外の世界に向けても構わない。そこには最早人々の争い騒ぐ醜い姿は見えず、真に平和な心境があるだけだろう。その平和な心境とは、大宇宙の普遍の法則を理解し、それと調和して生きる上で、真に必要なものなのだ。このような深い境地に至った人は、最早どんな過ちも犯すことはない。
山と山が並び立っている。
艮為山[静止]のイメージである。
かくして君子は、己の考えを現実の状況に即したものに
限定する。
心は常に何かを考えている。これは変えようの無い事実である。しかし心の動き、つまり人の思考は、今現在の現実に集中されるべきである。あちこち飛び回る夢想は結局悩みの種にしかならない。
52. 艮為山(ごんいざん)天卦:艮 地卦:艮止まる 動かざる山々 静止
忠 とどまる とどめる
やらない 滅亡 一つの事にこだわって他へ気を移さない
親の役を相続する 篤実 頑固で人と協力できない
やたらに動かない 家を出ても帰ってくる 待ち人は速やかに来る
分家する 一難去ってまた一難 滞る
丁寧になりすぎて行動が速やかでない 慎み守りて一生を終える 妨害が多い
戻る意 病は腫れ物 生理不順
中風、身体不随
・商売職業上の悩みがある。
・小を積みて高きを成す卦。
・忍んで苦労がある。
・渋滞がちな時。
・厄介事を背負う。
・家を二軒営む象。
・食いつぶされる象。
・墳墓の卦であるから病人には大凶である。
・卦は死喪衰疾病の災いを含むのである。慎むべし。
艮為山(ごんいざん) †
堅実無比、
信頼できる人格者
■頑固おやじの典型 †
もの静かで口数は少ないが、いざというときに最も頼りになるタイプ、それが艮為山(ごんいざん)です。
あなたは高尚な道徳感と責任感を持ち、何事も黙々とこなしていきます。
周囲から絶大な信頼を受けますが、意固地になって自分の意見を曲げないような面もまま見られます。
背中でものを語る、典型的な「頑固おやじ」タイプといえるでしょう。
■大企業の経営者に向く †
あなたは、きわめて堅実でめったに道をはずさないので、安心して仕事を任されます。
若くて経験不足のときには時問もかかりますが、最後までやりとげようという姿勢が評価を受けます。
あなたに向いている職業は銀行や保険、証券など信頼を売りにする金融関係の仕事や、堅実に建設的な仕事に取り組める公務員、高潔な倫理感で世の中を正していける政治家などでしょう。
また、ひとつの技術を磨いていく仕事も向いています。
静かで人の邪魔が入りにくく、心の修業につながる、気功やヨガ、書道の先生なども適職といえるでしょう。
一般企業ではどの職務も堅実にこなしますが、艮為山(ごんいざん)は金銭に対して特に潔癖なところがあるので経理関係の業務がよいはずです。
艮為山(ごんいざん)の人は順調に出世をして、企業のトップに立つ器だといえます。
どちらかといえば、足元のおぼつかない中小企業よりも、大企業のトップとして采配をふるうほうが、向いているはずです。
艮卦の人が注意しなければいけないのが、大きな変化がいきなり襲ってきたときです。
艮為山(ごんいざん)の人も、そういうときには強いほうではありません。
苦境では、危機管理のスペシャリストを見い出して、全面的に任せてしまうほうがよいでしょう。
そういう場合のあなたの判断は、まつたくといっていいほど、当てにならないのです。
■地味だが長続きする交際 †
艮為山(ごんいざん)は男女で多少、恋愛の傾向が違います。
男性の場合は、非常に地味で平凡な恋愛をすることが多いはずです。
自分から積極的にアプローチをかけていくというよりも、だれかの紹介を受けてつきあうかたちをとることが多いでしょう。
結婚も見合いのほうがうまくいくでしょう。
一方、艮為山(ごんいざん)の女性はもてる要素が多く、周囲には男性が集まります。
あなたの凛りんとした美しさは人を魅了せずにはいられないのです。
男女を問わず、艮為山(ごんいざん)の人は非常に円満な家庭を築き上げます。
あなたは一家の「大黒柱」として振る舞うことになるでしょう。
よっぽどのことがない限りは浮気もしません。
あなたのセックスは、見かけ以上に情熱的で激しいようです。
子宝には非常に恵まれやすい卦だといえるでしょう。
また、たとえ相手に性的な不満があっても、お互いに話し合うことによって解決しようとするので、相手も安心できるのです。
■変化にいかに対応するか †
艮為山(ごんいざん)の人は、艮卦特有の変化に弱い性質を持っています。
あなたは、そういった側面を克服しようと努力しますが、それは残念ながら徒労に終わります。
あなたが予測しえない変化に対応するには最初から無理があるのです。
むしろ、そういうとき助けてくれる人材を普段から確保しておくほうが、よほど現実的で効果的でしょう。
■財運 †
金銭とはあまり縁がなく、大きく儲けることも大きく損することもないでしょう。
家庭を豊かにしようと地道に力を注ぐと、財運は自然と開けていきます。
インテリアにお金をかけてみるのもいいでしょう。
52艮為山 (ごんいざん) 【キーワード】山、静止した状態
〔大意〕艮(ごん)は「とどまって動かない」の意味。この卦は動に対する静を考慮するべきことを暗示しています。どんなに活動家でも一日に一回は眠る。眠ることは絶対に欠かせません。
それは消極的ではなく、より積極的に行動するためにも必要なことです。いまは静かにしていることが最良である。「動かざること山のごとし」がよいということです。なぜですか。マーフィー博士はこういいます。「あなたの心を静めることは、あなた自身の理性や感情がいま自分の内に向かうことが必要だからです。そうすることであなたにはあなた自身が見えてくる。そしてあなたは静かな心で自分に期待しなければいけません。この種の期待はあらゆる行動の中でもっとも効果のある行動なのです」ここで期待というのは、想像力を発揮するということです。
あなたは心静かに自分の未来、好ましい未来を想像するべきである。しかもその想像は可能な限り細密でなければならない。真に細部にわたつて想像ができたとき、それは現実のものとたっている―これは潜在意識の働きがそうさせるのです。
実際に身体を動かす行動も大切だが、想像もそれ以上に重要である。なぜなら想像することは、潜在意識に自分の願望の種をまき、水や肥料をやり、丹精込めて育てることにほかならないからです。
「想像力は知識よりも大切である」といったのは今世紀一の頭脳といわれたアインシュタインの言葉です。また、英雄ナポレオンは「想像力は世界を征す」といいました。現代は創造力は大切だといわれるが、想像力は軽視されがちです。「頭の中の幻影にすぎない」と思われているからです。これがいかに大切かは、あなたがじっと静止して考えればきっとわかります。
初6―静かにしていなさい。それでもあなたは目的地に進んでいます。
一6―義に反するものに加わるのを拒否しなさい。
三9―理はさけなさい。いまは休息のときです。
四6―瞑想しなさい。あなたは自分を知ることができます。
五6―言葉に気をつけなさい。言葉は考えが外にあらわれたものだからです。
上9―まずあなたとあなたの家族と友人たちの平安を祈願しなさい。
艮為山
其の背に艮(とど)まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず。咎なし。○彖にいわく、艮(ごん)は止(し)なり。時止まるべければ則ち止まり、時行くべければ則ち行き、動靜其の時を失わず、其の道光明なり。其の止に艮まるとは、其の所に止まるなり。上下敵應して相い與(くみ)せず。是をもって其の身を獲ず、其の庭に行きて其の人を見ず、咎なきなり。
○象にいわく、兼ねて山あるは艮なり。君子もって思うこと其の位を出でず。
艮は止るということです。其の象を山とします。山は止って動かない者です。この卦の体は内外陰陽適応して相與(くみ)しません。故に内は主身を得ず、外は人を見ません。背は身体中に動かないものなので止背といいます。「其止に止る」は其止るべき所に止るという謂です。又止の字は背に作るべしともいいます。背に作る者は本文なので此を是とするべきであるようだが畢竟其の止るべきに止るものであることは明かなので改めなくても可です。
○伊邪那岐尊功成って徳も大です。天に昇って日少宮(ひのわかみや)に帰られました。これ止るの大なる者とします。
土に属します。 動時は艮。百事速に成らず。金銀財宝手に入るも半にて敗て獲ず。人に妨られ
(坎)倹に陥ります。我慢事を破ります。 人に従って吉。買物。山越て名が聲(きこゆ)。
止て開きません。一山越えて安く、一山越え難いです。憂悦の二山。初めは凶であって後は吉です。
天 雨。 曇。
旅 凶
願 叶い難いです。時を待って吉です。
売 凶。静なことは吉です。
待 遅ければ得ます。音が有ります。 信は来ません。
失 尋ね難いです。強いて尋ねるときは親族に耻が有ります。
婚 成り難いです。
産 危いです。
疾 痰咳。腫物。疝。筋骨痛。小児虫にて足腰が起ちません。老人は中風。膽言。是人の怨から発します。長くして治り難く、身に纏うが如きです。外は宜しく内は悪いです。行歩叶いません。疽。鬱。労役。健忘。湿毒結不解。酒食に溺れ心労して元気を労力を尽して脾胃衰えます。食不和。風湿。逆上往来。肩背張痛。積。聚痞満病。其身に止り長く治りません。産は少しく艱ますが安いです。
邪 家に付木仏が有ります。仏体の足に疵が有る故に縁談其他一応では調い難いです。
十五日五日の霊。出家死霊。 初爻 火難に遇い艮へ宅替えして鬼門の咎。
二爻 不正の人習墓を潰したことによる死霊 四爻 家賃の事で女の死霊。山を焼いた崇
この卦を得た人は思うことその位を出ないことなお二山が止って動かない様であれば吉。
これに反すれば凶。