教職追放


A.「教職員の除去及び就職禁止等に関する政令」の施行に関する規則 昭和二十二年五月二十一日 (抜粋)

昭和二十二年政令第六十二号(.....)(以下令という。)第四条び規程による委員会の審査は、別表第一を判定標準として、これを行うものとする。...

別表第一

一 講義、講演、著述、論文等言論その他の行動によって左の各号の一にあたるもの

1.....

2. 独裁主義又はナチ的若しくはファシスト的全体主義を鼓舞した者。

B.瀧川幸辰「激流」1963年 p.237-240

B1.「京大で資格審査に着手したのは二十一年二月の終わりである。」

B2.「ところが私がこまったのは、(中略)、二十一年七月から八月にかけ、三日にあげずに連合国の係官に呼びつけられた。『A某の著書にはこういうことが書いてある。B某は講演会でこれこれの発言をした。これがどうして適格の判定をうけたのか』という類の詰問である。」

B3.「とうとう先方が棒を折って、

『問題の人たちは適格とする』

という書面に私の宣誓を求めた。私は百通近い書類に署名した。

よく読んでから署名するようにと九十三通の書類のコッピーを私にくれたが、じっさいは、一枚も読まないで、その場で先方の本書類に署名した。

コッピーは私の手元に残ったから、ひまなときに法学部長室で読んだことがある。なかには、学徒出陣のとき威勢のよいことをいった人が、問題になっていた。当時は大学教授も少し頭へきていたらしい。」