事実認識


黒正巌に関する近年の文書には、あやふやな記述ある。これらは、事実を確認する証拠を探そうとすると、消えてしまう蜃気楼である。

A.道理貫天地 道理は天地を貫く

1.道理貫天地の言葉は昭和18年に、出陣学徒に特別に送った言葉であると説明されている。しかし、このような説明は正しくないし誠実でもない。この言葉の初出は、いまだはっきりしないが、日米開戦よりも前であることはわかっている。実際 昭和16年3月の昭和高等商業学校の卒業アルバムにも「道理貫天地 巌」とある。

2. この言葉に「抵抗のスタンス」や「哀切の心意」を読むのは、黒正巌の昭和15年前後の言動および労働奉仕制への評価からして不自然である。黒正巌の学徒出陣に関する態度について、勝手な解釈は許されない。黒正巌の学徒動員に関する政治的責任は明らかである。

3. この言葉を、反合理主義として読む事はできない。この言葉を使っていた当時、黒正巌は経済合理主義の重要性を主張していた。「経済合理性の要請」(昭和15年)

B.リベラリストの評価

黒正巌は、ナチスドイツの紹介者であり賛同者であった。この事実を無視して、黒正巌をリベラリストと評価することはナチスドイツをリベラルと呼ぶのと同じぐらいの飛躍がある。黒正巌にとって「多様性」は、一国内での統制経済および国民社会主義を可能にする為の良い条件であり、個人主義の擁護には繋がらなかった。

参考 教職追放の資料

C. 創造精神

民族性と創造精神を結びつける思想は、ナチスの宣伝の中に常套的に現れるものであって、黒正巌のオリジナルに帰すことは出来ない。また黒正巌は、この文脈の中で、ユダヤ人やその他の民族への偏見を繰り返している。また、「宗教と経済」(1940)では、次のように述べている。

「アメリカ民族が創造したものはない、みなにせ物であります。創造の精神といふものはみたくもない、傳統も精神もない全く荒涼たるものであります。」(p.32)

「遮莫、何れにしてもこの海賊精神、泥棒精神、商売根性を征伐しなくてはならない、この泥棒根性をたゝき直すことが日本の宗教の任務であると、深く信じてをります。」(p.34)

D.文献目録

既存の文献目録は、例えば雑誌「経済往来」の論文はリストアップしても、その後続誌「日本評論」の「ナチス独逸は滅びず」を無視するなど、一貫性のないものである。恣意的であやふやな文献目録をもってして、「黒正巌の学問と人物を再検討する」と称し、「思想転換」を辿ったかのような論文集(黒正巌と日本経済学 思文閣 2005)に、いかなる意味があるのであろうか。

E.岡山大学学長

岡山大学の初代学長になったとの記述がみうけられるが、岡山大学刊行の資料では初代学長は別の人物とされている。