そして、「もし先祖の時代にいきていても、予言者の血を流す側にはつかなかったであろう」などという。こうして自分が予言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。(マタイ 23:30-32 新共同訳)

はじめに

元京都帝国大学教授 黒正巌(1895-1949) の1930年代における論文等を集めて閲覧できるようにした。黒正巌は百姓一揆の研究者として知られているが、ナチス・ドイツ(国民社会主義ドイツ労働者党)、統制経済、労働奉仕制を称揚する政治的活動を行った。黒正巌は、ユダヤ人差別が一般的ではなかった当時の日本社会において、率先してナチス流のユダヤ人差別を持ち込んだ点で特筆されるべき者である

このサイトの目的は、黒正巌が、日本におけるナチズム輸入に果たした役割を明確にすることである。そのためには、黒正巌の言動を明らかにすることが必要である。しかし、其の言動自体が現代においてもある種の危険性を持つ。この種の言動の扱い方には、様々な態度がある。発禁など通じて、この危険性を摘み取ろうとうする立場にも、一定の合理性はある。

しかし、今、この態度は黒正巌に対してとることはできない。その理由は、戦後、黒正巌を評価する動きは止む気配はなく、しかも黒正巌を再評価する動きが活発したからである。例えば、国立大学法人岡山大学は昭和37年度以来、成績優秀者に黒正巌賞を与え続けていながら、今日まで黒正巌の言動について何ら説明を行っていない。

一方、黒正巌著作集(2002 思文閣出版)には、この方面での重要な文献が所収されておらず、所収されている文献目録にも掲載されていない。本サイトでは、現在アクセスしにくくなってしまった黒正巌の文章を用意した。ちなみにこれらの文献の著作権の保護期間は終了している。

再評価

黒正巌の再評価は、全体主義と動員の思想、異文化への偏見に基づく「西洋批判」を継承しようとする。例えば、黒正巌著作集の編集委員会(代表 山田達夫 徳永光俊)は「刊行にあたって」で、つぎのように書く。「一九三〇年前後の世界恐慌•昭和恐慌期の日本における社会経済史学の誕生に大きな役割を果たした黒正巌の業績が、アメリカン・スタンダードが席巻する21世紀平成不況下の日本で今一度読まれることを期待する」。

黒正巌の再評価の理由は、組織における「利権」である。後世の者は、黒正巌の過去の名声を、自分の組織の権威付けに使うのである。ここに我々は、歴史の「修正」の典型を見る。

このように、世界恐慌期、民族の独自性を主張してナチスへ向かった思想が、21世紀の日本に現れる。<歴史家>は、記録を抹消することで、過去を反復する。創造精神に富んでると自惚れて、「働けば自由になる」とうたった、学徒動員とあの強制収容所を復活させる。「アメリカ民族が創造したものはない、皆にせ者であります。」(黒正巌 宗教と経済)。

沈黙の意味

過去に非のある言動をしたからといって、表だって即批判にさらされるとは限らない。批判がなされないかわりになされるのは、重い沈黙である。この沈黙が、ある種の悔恨と反省の役割を果たしているうちは良いが、無思慮な者が登場して、沈黙が破られてその役割が消える。結論ありきの組織の広告戦略が先行して、充分な批判精神を欠いたところに、この問題の不幸がある。資源を発見したかのように、得意になって再評価をすすんで行った者達は、同時代人たちの沈黙の意味に気がつかなかったのである

本人は、戦後早くに亡くなったので、あったかも知れない様々な苦渋を伝えることはできなかった。長く生きれば、自分の過去の言動を解明し乗り越える努力をしたのかもしれない。悩みも苦しみもしたであろう一人の生身の人間を崇拝して、自分達の利益に使おうという態度が、崇拝されてしまった人間の罪を反復させ、本人を何度も傷つけるのである。一人の人間を大事にしようとするならば、行わなければならないのは、自分を権威づけるための下品な礼賛ではなく、自分に対しても反省を迫るような真摯な批判である

ナチズム全体主義の文献の読解

ナチズム全体主義の言動を再掲するにあたって、それが現代においても危険性を持つゆえに、取り扱い方法を述べておこう。

ナチズム全体主義のまとまった文章には、読みにくいものが多い。内容に矛盾が含まれるからである。矛盾を隠すように曖昧な言葉を使う。曖昧な文章には力がないから、それを誤魔化すために大げさな表現が使われる。そして文章は読みにくくなる。

P.F. ドラッカーは、「経済人の終わり」において、ナチスを支持するものが、ナチスが矛盾したことを言っていることに気づいていることを指摘している。ある者は、矛盾した言論に苦渋を読み取り、同情を寄せるという倒錯を起こす。ある者は、矛盾を感じてもそれを自分の無知のせいにして、ファシズムへの依存を深める。ある者は論理を追わずに、音楽を聴くように聞き惚れる。

ユダヤ人に同情を寄せた言辞を述べたり、ユダヤ人に対する偏見に軽い批判を加えたその直後に、「ユダヤ的経済のせいで自分達が苦しくなっている」と述べたり、「しかし多少の犠牲は仕方がない」と述べたりすることに疑問を持たない者もいたようである。矛盾した言論は、当時においては合理的批判を不可能にし、戦後においてはナチズム礼賛に対する責任回避の手段となる。

本サイトの文献一覧

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宮澤 正典

論文: 昭和戦時下における新聞の親ナチ・反ユダヤへの傾斜―それに同調しなかった人々―

一神教学際研究(JISMOR)10 /2015年3月発行 において,

朝日新聞での連載記事 →労働に歓喜するドイツ青年 (昭和11年 「大阪朝日新聞」)について言及があります。

http://www.cismor.jp/uploads-images/sites/2/2015/05/aef2dbb438ea98deb0685b6ff5966e34.pdf

また、2014年1月26日の講演でも言及されています。