次の文書は、京都帝国大学教授 黒正巌による演説の記録の抜粋である。日米交渉が大詰めを迎える1941年11月4日に行われたが、抜粋にあるように、日米交渉の無意味と領土拡大の意義を説く発言がみられる。日米開戦後の1942年「公民講座」に演説の全文が掲載された。

我國経済の前途 (抜粋)

(中略)

新経済理念下に新日本を創生

我々日本人の一大覚悟

この頃では今迄非常にぼろかつた商賣が一番くるしくなつたのです。呉服屋さんが一番賣れたのです。儲かったのです。反物でさえあれば賣れたのです。出れば出る程売れたのです。同じ日本人でありながら、ある人間が特に儲けて或る人間が悪い、そんな事はあり得ないのです。そんな事があるならば、到底戦争は出来ません。それで皆さんに於かれましても、十分にこの點御注意願ひたいのであります。五百億圓の工業資本が出て居るのでありますが、これが戦争がやまつても、物を造る力、或は物を澤山蓄積して居るという状態、即ち物と紙幣とがくつゝいている状態をつくる以外に、吾々は前途の光明を認める事は出来ません。然らば出来るか、今の状態では出来ません。今の様な貿易論や、今までの對外経済関係をもつてといふ様な、さういふ考え方では、私は出来ないと思ふのです。これだけの紙幣が出て居る限り、アメリカから少々物が来た所で断じて経済状態はよくなる筈はありません。だからアメリカの物を全部かつぱらつて来ればよろしいが、日本から物を輸出して物を貰ってくる位では、紙幣と物が食違って居るのですから、非常な國難に遭遇すると思ふのです。それでどうしても、從來の方法と違った方法でやらなければならんのです。それは國力を強くする事である。それには生産力を充実さす以外に途はない。若しそれが出来ましたならば、これは日本は非常に富裕な國であります。既に一軒三百圓の金が出入して居るのです。それと同じだけの物がありとすれば、今はないから駄目ですが、金があるだけの物があつたならば、これはアメリカと同じく、世界最大のもてる國になるのであります。これにはアメリカの方へ交渉してみた所で、そんなものは駄目です。我々の一番いゝ事は日本を中心として、北は北氷洋から、南は南氷洋まで、或は一定の東経何度から何度の間を全部取つてしまふのです。さうしますといふと、日本の勢力が及ぶ限りに於て、何でも物があるのですから、さうなれば日本は紙幣を百億でも二百億でも出しましても、これはしめたものであります。これ以外に方法はないのであります。若しありましたらお教へ願ひたい。これには吾々は非常な決意を以つてやらなければなりません。

(後略)

昭和十六年十一月四日夜 国民会館大講堂にて

参考資料

公文書に見る日米交渉 (アジア歴史資料センター)

詳細年表