労働に歓喜するドイツ青年1

出典 大阪朝日新聞 昭和11年6月7

見出し 労働に歓喜する"復興ドイツ"の青年 ナチス政策の最終目的

著者 黒正巌

注意:

1. 新字体 旧仮名づかい 旧送りがなつかい とした。

2. 作業中につき 引用に注意

3. 民族差別の内容を含みます。

私が最初にドイツを見たのは、大正十二年である。当時私は二十台の青年であり、はじめて見た外国のことだから、強い感受性と興味とをもって二年余の間、ドイツの国民生活を体験した。時は正に空前絶後のインフレーションが行はれ、国民は飢餓に瀕した。さらにこれについて一兆分の一に平価切下が断行された。ドイツ国民はこの苦難の中に立って大した暴動も起さず、隠忍して国家的難局を一応切り抜けて来た。もしこれが他の国であったならば、革命が行はれ、国家は大混乱に陥ったに違ひない。当時の国歩艱難は現実にこれを見た者でなければ到底想像だも出来ないほどである。物好きな私は時々ベルリンの西部スパンダウ町に出かけ、労働者の出入するクナイペでビールを飲み、労働者にビールをおごってよく話しあつたものである。私は多少先導的口調をもって、こんな無茶なインフレーションをやり、一片のパンの相場をを百億マルクにまで暴騰させるやうな政府を、よくも放任しておけるものだといふと、一人の労働者が答えていふのには、ドイツは追はれるとことまで追い込まれて来た。することだけはしたのだ。しかし今さら暴動を起してもパンは生れて来ぬ。無から有は出て来ぬから、黙して働くより外に方法はない。十年の後には吾々の労働で祖国を盛返して見せると豪語して、その毛のもじゃもじゃした太い腕を撫ずるのであった。

これは私の唯一の経験ではあるが、多かれ少かれ、ドイツ国民の大多数は、この労働精神をもつてゐることを信ずる。またこの労働精神は最近ますます熾烈となりつつあることが明かに看取出来る。さればこそ今日までドイツは滅びない。否、一歩一歩興隆しつつある。一派の人々はドイツはナチスの暴政の下に今にも滅亡するやうに論壇する人がある。ドイツの事情に通じたと称せらるゝ人が、「ドイツの民衆に与えられたる三年間の奉仕への報酬は飢餓である」といひ、更にまた「やはてドイツを襲うものは何か、国家経済の全面的崩潰、飢餓、そして行き詰つた国内情勢の捌け口を求めるための戦争、ナチ・ドイツの前途には飢餓と戦争とが待ち受けている。ラインランドにおけるわれらの大統領の輝しい勝利は、飢餓と戦争と国家的崩潰への一段階にすぎない」と勇敢に断言してゐる。これはナチスの如き独裁制を論難するための議論としか思われぬ。

日本を除いては、如何なる政治を行っているものでも、今日、いはゆる資本主義的財政経済の立場から見て、少しでもよくなりつゝある国が何処にあるか。他の諸国に比すれば、まだまだドイツが一番ましである。国家経済の全面的崩壊など考えられぬ。否、ナチスの言うところの国家経済、財政を覆へして新しい原則の下に国家の建て直しを希望してゐるのである。従来の意味の経済論や財政論をもって、現下のドイツの情勢より察し、ドイツが崩壊すると談ずるのは大なる誤りであると思ふ。国民が国民精神を忘れず、労働精神にもえてゐる限り、いわゆる財政、経済は滅びても国家は断じて亡びない。むしろ場合によっては真に国家の発展を賷すことにならう。富があり、資本があり、人口があってもただそれだけで国家が進歩するものでないことは、アメリカの例を見ても明らかであらう。

ドイツにおいてユダヤ人が排斥され、迫害されるに至ったについては種々の理由がある。人説をなして、それはドイツ国民の統一を計り、政府に対する反抗心を転向せしむるための犠牲だともいひ、あるひはユダヤ人が財界を支配し、新聞、雑誌、ラヂオなどの言論発表機関を独占せるに対する反感から来たのだともいはれている。しかしそれは一応の理由にしかならない。ドイツの全人口の約五%しかいないユダヤ人をドイツ国民が嫌悪する有力なる理由は、ユダヤ人がいはゆる労働精神を有しないことに存する。ユダヤ人は農民となり、工場労働者となりて富の生産に従事することを天性的に欲しない。工場労働者となるよりはむしろ箒売りとなり、ブラシ売りとなって生活しようとする。この精神がドイツ国民と断じて相容れないのである。故にナチスが国民要求を直接に充足することを国民経済の根本原則とし、国民を利子の奴隷より解放しようとするならば、当然にユダヤ人を排斥せざるを得ないのである。従ってまたナチスの諸政策は終局の目的を労働におき、国民全体をして必ずや何らかの形態、時期において労働せしめようとするのである。後に述べんとする国家労働奉仕制の如きは右の精神の具体化されたものに外ならぬ。(当時の紙面 pdf)

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