日本は世界の胞胎(えな)に当つて居(お)つて、世界の地形は日本のそれと相似形をして居る
世界地図上での"鎌倉"とは、"満蒙" を示す (出口王仁三郎 口伝録)
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餌となる 自然栽培 大豆との最適な「共生」から 設計されました。
豆乳/豆腐の原料である 大豆 のルーツは、中国、インドネシア、インドなど、
いろいろな諸説がありますが!? 近年において我国日本で
縄文時代中期(約10,000年前)の土器から大豆の痕跡 が見つかったのです。
豆腐は 、漢の高祖・劉邦の孫にあたる 淮南王・劉安 (紀元前164年)が発明したといわれています。
(16世紀の中国の書「本草綱目」の中に〈豆腐は、漢の淮南王劉安に始まる〉と記載)
豆乳に誤って 石膏(せっこ) を入れてしまって、偶然豆腐ができたと伝えられます。
はっきりはしておらず、1183年、奈良の春日大社の日記にお供え物として
「唐符(とうふ)」という豆腐 を表す言葉が、日本で最初の記録のようです。
「食と文化」で歴史的に繋がり深い日中が互いに切磋琢し調和の中で
戦前・戦中・戦後 国境の無い音楽を通じ 日中の大きな架け橋 となった
著名映画製作/輸入者 川喜多長政 氏と共に、中国からの帰国の途につくことができ
ここ 鎌倉 の地で 日中の「食と文化芸術」での架け橋に御尽力された史実が残されているのが
現在の古都 鎌倉 であります。 (田中角栄の時代には 参議院議員として日中間で尽力)
晩年 鎌倉で過ごされた川端康成氏文学も アジアでは多大な影響を与えた人物です。
皇記二千六百七十五年(平成27年) 明仁天皇 直言
今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」
日本が太平洋戦争に向かってしまう とても悲惨で重大な要因となった
満州事変が起こる直前、諏訪大社の"御柱"4本 すべてが倒れたことも 意味深い!
日清戦争(1894年) / 日ロ戦争(1904年)の前には、
諏訪大社の御柱が2本が倒れました。
また、約1300年前に遡る日本最古の和歌集「万葉集」第14巻より
「薪(たきぎ)伐(こ)る、"鎌倉山"の、木(こ)垂(だ)る木を、"松"と汝(な)が言はば、
松とは、本来"赤松"のことを指し 鎌倉には"赤松"がたくさん生育していたことが伺われます。
赤松葉や茎に乳酸菌等の微生物が付着しています。
豆腐羹(豆乳)/唐符(豆腐)が日本に広まった 鎌倉の時代
昭和の面影が今も多く残る「鎌倉の地」を思い描き なぞらい
日本と支那(中国)間で生き貫いた 山口淑子/李香蘭氏
NS共生菌を発見したモンゴル出身の金 鋒氏 にスポットを当て
見せかけの主義主張で惑わされ利己争いし 利用されることが絶対に無い
協力共生し発展していくことが大切であるとの"本義"から
☆☆☆日本では古来、草木が生い茂り、さまざまな恵みをもたらす場所を 「山(やま)」 と呼ぶ☆☆☆