2014

第73回研究会

日時:2014/12/6(土) 1:30~5:45

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟2階 第8会議室

(話題提供1)森口佑介(上越教育大学・科学技術振興機構さきがけ・発達心理学)

【タイトル】 見える他者と見えざる他者ー幼児期における空想の友達の検討

【要 旨】 子どもは,目に見えない存在と遊び,話をする。空想の友達(imaginary companion, IC) と呼ばれるこの現象は,かつては精神疾患や情緒障害と関連付けられていたが、現在では 普通の子どもに見られる現象であることが知られている。最近では ぬいぐるみのような実体を伴う存在もICとみなされており,それらを含めると約半数の子どもが ICを経験する。現在の発達心理学では,ICはふり遊びの一種であると考えられているが、 共通して報告されるのは、子どもがICに対して強いリアリティを感じている点である。 しかしながら、ほとんどの研究が子どもや養育者の逸話的な報告に依存している現状にある。 本トークでは、講演者の心理学・認知神経科学的研究をもとに、①空想の友達の生成メカニズム、 および、②子どもがICにリアリティを感じているか、について議論したい。

【指定討論】水本正晴(JAIST・哲学)

(話題提供2)小笠原 義仁(早稲田大学・数理科学)

【タイトル】「鳥瞰図的なものの見方」の鳥瞰図

【要 旨】 自然科学的なものの見方の特徴の1つとして、鳥瞰図的(上空飛行的)なものの見方 を挙げる事が出来るが、本報ではその見方そのものを、鳥瞰図的に眺められる可能性について指摘する。 具体的には、トポロジカルな概念であるHyperspaceの概念を紹介する。この概念を用いると、

「鳥瞰図的なものの見方」の鳥瞰図,

『「鳥瞰図的なものの見方」の鳥瞰図』の鳥瞰図,

『『「鳥瞰図的なものの見方」の鳥瞰図』の鳥瞰図』の鳥瞰図,

・・・

といった無限列の存在が示される。

さらに、この概念を用いたフラクタル構造について議論する。

【指定討論】 渡辺恒夫(明治大学/東邦大学・心理学)

第72回研究会

日時:2014/7/19(土) 1:30~5:45

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟3階 第10会議室

(話題提供1)岩渕 輝(明治大学、生命論/生命思想史)

【タイトル】グスタフ・フェヒナーの<死後生>論 ~精神物理学との関わり~

【要旨】 精神物理学(Psychophysik)の創始者として知られるグスタフ・フェヒナー(Gustav Theodor Fechner; 1801-1887)は、精神物理学以外に哲学や宗教に関する著作も残している。その1つが『死後の生についての小冊子(Das Buechlein vom Leben nach dem Tode)』というエッセイ的著作である。初版は1836年にDr. Misesというペンネームで出版され、第2版以降は本名のフェヒナー名で刊行された。 <死後生>はフェヒナーに限らず様々な人々によって論じられるテーマであるが、多くの論者が此岸(現世)と別世界である彼岸(いわゆる「あの世」)におけることとして<死後生>を語るのに対し、フェヒナーは別世界を否定し「此岸=彼岸」とみなす点に彼の死後生論の特徴がある。

また、生命を波のイメージで捉えることも、フェヒナー死後生論の大きな特徴である。

ところで、フェヒナーの主著『精神物理学原論(Elemente der Psychophysik)』(初版1860年)は、思弁的方法にたよっていた従来の心理学に自然科学的研究方法を導入し、心理学を自然科学の一員にする上で極めて重要な貢献をしたことにより評価される書であるが、実は同書には、自然科学的記述の他に、波のイメージで語られる「精神物理学的活動」など、フェヒナー死後生論にみられるのと類似した記述も散見される。

そうした類似性が存在するのは単なる偶然ではないと思われる。換言すれば、フェヒナーの死後生論と精神物理学とは互いに無関係の独立した業績ではなく、フェヒナーが生涯にわたって追究した彼独自の生命思想を異なる形で表明したものであると推察される。

話題提供者は2007年の論文で、『精神物理学原論』の発想の萌芽が、それより24年前に刊行された『死後の生についての小冊子』初版に認められることを論じたが、本発表では、その拙論の内容を中心に、フェヒナーの死後生論を精神物理学との関わりにおいて考察する。

<参考文献>岩渕輝 (2007).「グスタフ・フェヒナーの生命思想 ―精神物理学との関わりにおいて―」『明治大学教養論集』, No. 416, pp. 1-27.

【指定討論】伊藤 直樹(法政大学、哲学/思想史)

(話題提供2)田中 彰吾(東海大学、心理学)

【タイトル】現象学と他者理解 ~「心の理論」を題材に~

【要旨】 日本では近年、心の科学と現象学の接点を模索する書籍の翻訳・刊行が続いている。例えば、現象学的心理学を長らく牽引してきたA・ジオルジによる『心理学における現象学的アプローチ』(原著2009年,邦訳2013年)、認知科学と現象学の対話を試みたギャラガーとザハヴィの『現象学的な心』(原著 2008年,邦訳2011年)などがそうである。ただし、よく知られているように、現象学はもともと哲学として始まっており、超越論的な意識まで遡って事象そのものを明らかにすることを強調する。その意味では、一人称的な主観性を強調する立場であって、他者の理解がいかにして可能なのか、その道筋は必ずしも明確とは言えない(フッサールの『デカルト的省察』はその古典的な例であろう)。しかし、心理学であれ、認知科学であれ、現象学的な立場から心の科学を構想するには、「他者の心」をどのように理解しうるのか、という基礎的な問いを再考する必要がある。この発表では、いわゆる「心の理論」を題材にしながら、現象学と他者理解の問題を再考したい。

【指定討論】渡辺 恒夫(東邦大学、心理学)

第71回研究会

第68回に引き続き、第71回研究会も人文死生学研究会(第12回)との合同研究会になります。

日時:2014/3/29(土) 午後1:30~5:30

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟4階 第3会議室

(内容)

1 「思考実験の陥穽と心身問題」

三浦俊彦 (和洋女子大学、哲学) 1時30分から

【要旨】一人称の死を論じるさい、ほぼ全面的に思考実験に頼らねばならないのは当然のことである。 そこでまず「思考実験」の本質を、「シミュレーション」「フィクション」との対比において検討する。 次に、思考実験が陥りやすい罠を、いくつかの事例に即して分類する。 思考実験と称しながら方法的にシミュレーションに偏った場合、フィクションに堕してしまった場合、 作業仮説が間違っていた場合、物理的現物実験に頼るべきケースを無理に扱っている場合、などを個別に吟味する。 とりわけ、以上の諸パターンと誤謬推論とが組み合わさって多重の誤りに膨れあがった重篤な事例として、 「2封筒問題」と「点滅論法」をとりあげる。方法論的・論理的な批判が主となるが、合わせて、 この二例の誤謬を、心身問題と観測問題の新たな展望へと生かす方途を探りたい。

なお、当日使用する資料は、以下に公表してある。

〈「点滅論法」なる誤謬推論について〉 http://green.ap.teacup.com/miurat/html/t.pdf

〈思考実験リアルゲーム〉 http://green.ap.teacup.com/miurat/html/shi.pdf

2 「価値原理としての功利主義」

重久俊夫 (西田哲学研究会、西洋史・哲学) 3時45分ごろから

【要旨】死生学を論じる上で、価値の問題は避けがたい課題だといえる。 そして、価値とは何かを解明しようとする時、功利主義はきわめて有力な考え方であり、 ミクロ経済学や裁判実務などでも日常的に応用されている。 本発表の目的も、価値原理としての功利主義の有効性を立証することである。 一方、功利主義がさまざまな批判にさらされてきたことも事実>である。 しかし、そうした批判が生じる原因は、功利主義という語が、互いに異なるさまざまな意味で使われてきたからではなかろうか。 そこで、功利主義を「価値原理」「行動動機」「社会規範」の三つに分類し、それらの関係を明確にしたい。 そうした概念の交通整理を通じて、功利主義にまつわる誤解を払拭し、 ひいては、「人口問題」「格差問題」「倫理的ハードケース」等の課題にも回答を試みる。

(参加資格)趣旨に関心のある方は、どなたでも参加できます。

(世話人・代表)三浦俊彦

(世話人)渡辺恒夫

(世話人)蛭川 立

(世話人・事務局)重久俊夫 ts-mh-shimakaze[アットマーク]yacht.ocn.ne.jp

なお、本会のテーマに関する討論については、以下のHPで読むことができます。

http://homepage1.nifty.com/t-watanabe/academic_meeting_4.htm

第70回研究会 >日時:2014/1/11(土) 1:30~5:45

場所:明治大学 駿河台キャンパス 研究棟4階 第3会議室

(話題提供1)大橋靖史(淑徳大学・心理学

【タイトル】超常体験の語りの分析から見えてくること

【要旨】超常現象そのものの真偽については議論が尽きないが、超常現象を体験したと人々が語るという事実は明らかに存在する。ここでは、宇宙人との遭遇体験、ポルターガイスト体験、霊との対話といった、超常現象に関わる体験語りを実証的なデータとして分析した結果、これまで何が明らかとなり、また、今後何が明らかとなる可能性があるかについて論じる。特に、体験語りといった想起行為(remembering)に着目し、信じがたい体験を語るという行為の社会文化的な意味について検討すると同時に、超常体験を想起するという行為が人と人との間でどのように生成されていくか、その動的なプロセスに着目する。

【指定討論】石川幹人(明治大学・認知科学)

(話題提供2)山竹伸二(著述家・哲学)

【タイトル】無意識の現象学

【要旨】演者は2006年に『「本当の自分」の現象学』(NHK出版)を上梓したが、そのテーマは、現代人が自己のあり方に悩み、「本当の自分」を求めてしまう理由を解明することにあった。その鍵となるのは「無意識」という概念である。「本当の自分」を知りたいという欲望は、自分の「無意識」を知りたいという欲望と結びついている。したがって、「無意識」の本質を解明することが必要になる。方法としては、現象学の考え方から「無意識」の本質に迫りたいと思うのだが、結論から言えば、それは「自己了解」と深く関わっている。

では、自己了解とは何か。ハイデガーの実存哲学を手掛かりにして、その意味をさらに考えてみると、それは苦悩を解消し、自由な自己決定をするために不可欠なものであることがわかる。とくに他者との関係性における自己了解こそ決定的に重要であり、それは人間の「承認欲望」という問題を抜きにしては語れない。こうして、人間が自由を求める存在であること、他者の承認を求める存在であることが、必然的にクローズアップされてくる。「本当の自分」を求めることは、自由と承認を求めることであり、これら二つの欲望が交差するところに「本当の自分」の実感が成立する。

近代において「自由」の条件が整ってきたことは、「自分はどうしたいのか、どうすべきなのか」という実存的問題をもたらし、自己の「無意識」を知りたい、「本当の自分」を知りたいという欲望を生み出した。その意味を現象学的観点から考察し、現象学の有効性を確認したいと思う。

【指定討論】渡辺 恒夫(東邦大学・心理学)