2019~2020年(第85回~87回)



★2020年

心の科学の基礎論研究会 (第87回) &エンボディードアプローチ研究会 (第9回)・合同研究会

●日時:2020年12月12日(土) 13:30~17:30

●場所:Zoom開催 下記のフォームから参加ご登録ください(参加資格は特になし)。

12月11日17時までにご登録いただければ、Zoomの会場をメールでご案内します。

https://forms.gle/aK6Wmh4EfrCEi1eQ6 

問い合せ先→body_of_knowledge@yahoo.co.jp(田中彰吾)

●プログラム:

・13:30-13:40

「こころの科学とエピステモロジー奨励賞」授賞式

賞の詳細→https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/home 

・13:40-15:30 

講演1(受賞記念講演)「私小説の疑似客観性をめぐる転回に関するネオ・サイバネティクス的研究」(中村肇 東京大学大学院・博士課程)

【要旨】近代文学に於いて純粋な西欧の科学的客観信仰に基づいた形式論理と操作推論による情報処理パラダイム(ノイマン・パラダイム)を導入しようとした自然主義時代の文壇から田山花袋の『蒲団』や白樺派をはじめとする私小説が生まれたという逆説は,「見たものをありのままに描くことが出来る」という近代的な価値観に対する身体性(=生命情報)に基づく主観と客観の〈ねじれ〉をあらわしていた。では,こうした機械主義的かつサイバネティック・パラダイム的な主観と客観のねじれのなかで展開される我が国の現代文学は,凡そ百年前と現在との間でどのような異同がみられるのであろうか。本発表では上記の問題を,ネオ・サイバネティクスと総称される学際的研究分野の一領域である基礎情報学(FI:Fundamental Informatics)の観点から考察する。

・15:40-17:30 

講演2「行為に基づく知覚の説明とその哲学的洞察」(國領佳樹 立教大学・兼任講師)

【要旨】知覚とは知識の主要な源泉の一つである。つまり、知覚は、世界に関する基礎的な信念を私たちにもたらし、それを正当化する役割を担っている。伝統的に、この基本的な考えに基づいて、「知覚と信念との関係とは何か」「知覚はどのように信念を正当化するのか」といった認識論的問題が、知覚の哲学を駆動させる主要な動機の一つとなっていた。しかし他方で、知覚は行為とも密接に結びつく。たとえば、私が横断歩道を渡るのは、信号が緑になったのを見たからであり、車が一時停止しているのを見たからである。つまり、知覚は信念を引き起こし、それを正当化するだけではなく、何らかの行為も引き起し、あるいは少なくとも、そうした何かを為す理由の一部を形成しうる。以上のように、知覚は認識論的な課題だけではなく、実践的な課題にも重要な仕方で結びつくのである。そして、後者の観点から、知覚とは何かを考える流れがある。ひろくこのような行為との関係を重視する見解を、「行為に基づく知覚の説明」(Action-Based Accounts of Perception)と呼ぶことにしよう。本発表の目的は、行為に基づく知覚の説明が、知覚の哲学にどのような洞察をもたらすのかを明らかにすることにある。まず知覚と行為に関する伝統的な見解を確認し、つぎに、行為に基づく知覚の説明のなかでも、その中心的な主張(行為が知覚と構成的関係にあるという主張)の内実を検討する。そのうえで、知覚の哲学における主要な議論(素朴実在論と表象説の対立など)のなかで、当該の主張の意義と問題点を明らかにしたい。


★2019年

心の科学の基礎論研究会(第86回)

日時:2019/12/21(土)午後1:30〜5:30(1時開場)

場所:明治大学駿河台キャンパス研究棟2階第8会議室

http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html

【電子ジャーナル『こころの科学とエピステモロジー』創刊号 合評会】

・第1部:評担当 伊藤直樹(思想史・法政大学)

【要旨】評者の立場(19世紀後半のドイツ思想史(特にW・ディルタイ)を中心に研究)からは、心理学に関する専門的な評などなしえないので、ここでは、あらかじめ研究会での議論を想定して、問題提起的な仕方で論点を提示しておきたい。

創刊第1号となる本号を評する第一の論点となるのは、やはり渡辺恒夫氏の「ゲシュタルト心理学と現象学」という論考であろう。氏はここで、卓抜な着想からなる4象限の図を掲げる。私はこの図は、卓越した着想からなる、たいへん啓発的なものだと思う。かつて私も、この図を、自らのディルタイ研究の援軍にさせていただいたことがある(「心の学と人称性の問題」『理想』No.672)。ただしそのおり周囲の研究者仲間は口を揃えて、「体験」を第三象限に位置づけるのはおかしいと指摘した。では別の象限かというとそうでもない。それは、ディルタイのいう「体験」が準-超越論的な基礎づけの性格を持つからである。フッサールの現象学の企てもまた、超越論的性格をもつことを言い添えてもよいだろう。つまり「表現」と「行動」と「体験」と「意識」、あるいは「解釈学」と「精神分析」と「現象学」と「ゲシュタルト心理学」は同一平面上にはない。そこからすれば、渡辺氏の図には「奥行き」が必要なのである。

このように見たとき、この同じ論点を、村田憲郎氏の翻訳によるW・シュテルンの論文「心的な現前時間(Psychische Präsenzzeit)」(1897年)にもふり向ける ことができる。歴史的に見れば、村田氏の解説にもあるように、シュテルンの師はエビングハウスであり、このとき97年には、エビングハウスとディルタイとのあいだに、心理学の方向性をめぐる激しい論争があった。ではシュテルンの立論の立場は、渡辺の4象限に照らすと、どこに位置するだろうか。またこれも村田氏が指摘するように、シュテルンのこの時間論は、フッサールとの近さと遠さのなかにある。だとすれば、シュテルンがここで論じている時間論とは、そもそもどこに位置づけられるのか?

・第2部:全体討論

誰でも参加できますが、参加者は「こころの科学のエピステモロジー」創刊号に目を通しておいて下さい。

下記サイトから全記事ダウンロードできます。 https://sites.google.com/site/epistemologymindscience/


心の科学の基礎論研究会 (第85回) &エンボディードアプローチ研究会 (第8回)・合同研究会

シンポジウム「質的研究のための現象学とナラティヴ心理学」

質的研究にかかわる研究者や臨床家のあいだでは、現象学もナラティヴ心理学も、一人称的観点からの語られる経験の記述を重視する方法として受け入れられてきた。現象学は、先入見を除いてありのままの経験に接近することを重視する。ナラティヴ心理学は、当事者による経験についての語りを内在的に理解しようとする。研究の焦点に違いはあるものの、「人々が経験していることの意味」の解明を目指している点では共通していると思われる。このシンポジウムでは、理論、臨床、事例研究など、それぞれが依拠する観点から現象学とナラティヴ心理学を論じ、質的研究における両者の交流を促進する機会としたい。

日時:2019年7月27日(土),14時〜17時

場所:明治大学駿河台キャンパス,研究棟4階・第1会議室

プログラム

司会:植田嘉好子(川崎医療福祉大学)

14:00-14:10 趣旨説明:田中彰吾(東海大学)

14:10-14:50 話題提供1 田中彰吾(東海大学)

「ナラティヴ・アイデンティティと現象学的研究」

14:50-15:30 話題提供2 渡辺恒夫(東邦大学)

「「コミュ障」の批判的ナラティヴ現象学」

15:30-15:50 休憩

15:50-16:30 話題提供3 セビリア・アントン(九州大学)

「自覚のための教育—ライフ・ストーリー面談とナラティヴ・セラピー面談の比較研究」

16:30-17:00 ディスカッション

指定討論者:森直久(札幌学院大学)