信徒会テスト(1)
信徒会テスト(1)
イエスが信徒会テストを受けることになった経緯と7つのテストのうち“神聖の愛”のテストを紹介します。
*イエスは一般の人としてテストを受けた*
秘儀の祭司は驚きながら言いました。宗教指導者の中の指導者であるあなたがなぜここに来なければならないのですか。あなたの知恵は神の知恵です。なぜ市井の人達の会堂に知恵を求めに来るのですか。イエスは言いました、地上のどこでも私は行きます。学びのあらゆる会堂に座ります、どのような人のものであれ得た高きものを私は得ます。苦しんでいる人に会い、その悲嘆、失望そして兄弟の悲嘆から来る誘惑を私は知らなければなりません。そうする事によって私はどのように必要な援助ができるか知らなければなりません。私はあなた方、兄弟に祈ります。暗い地下聖堂へ行かせて下さい、私は困難な試練に合格します。祭司は言いました、秘密の信徒会の誓いをしなさい、イエスは信徒会の誓いをしました。祭司はもう一度言いました、最も偉大な高きものは最も偉大な深さに到達する者によって得られます。あなたは最も偉大な深さに到達することになるでしょう。案内人は先導し、イエスは泉で沐浴しました。そして正装に着替え祭司の前に立ちました。
*神聖の愛*
案内人は多くの豪華な家具の部屋を通って調和の広間へと導きました、イエスは一人残されました。楽器の中にハープシコードがありました。(この時代にハープはありましたがハープシコードは15世紀の発明です。)イエスはそれを見ながら想いにふけて座った時、静かに、うっとりする美女が広間に入いて来ました。イエスが座って想いにふけ、そのことに集中していたので、彼女はイエスに気づいていないように見えました。彼女はそばのハープシコードを見つけ、優しく鍵盤を叩き、イスラエルの歌を歌いました。イエスはこのような美女は見たことがない、このような歌は聴いたことがないと有頂天になりました。彼女は歌を歌って、そばに誰もいないと思ったので、退室しました。
イエスは独り言を言いました、この出来事の意味は何か? 私はこのようにうっとりする美しさ、そしてこのように女王のような愛らしさがこれまで人の子らのなかにあるとは知らなかった。私は優雅な人の天使の声、人の唇からの天使の歌を知らなかった。彼は一日中呆然として、彼の今の思いは変わってしまいました。彼の頭の中は美女とその歌声だけでした。
彼は彼女にもう一度会いたいと切望しました。そしてその日が来ました。彼女は話し、手を彼の頭に置きました。彼女のタッチは彼の魂すべてをわくわくさせました。その間、彼が連れて来られてなすことの任務を忘れてしまいました。美女はほんの少しの言葉を話し、行ってしまいました。しかしイエスの心は動かされていました。恋の炎はもえあがり、彼の生涯の厳しい試練に直面する破目になってしまいました。彼は眠ることも食べることもできず、美女への想いがやってきて、それらは離れようとしなかった。彼の肉体の本性は彼女との親密な交際を大声で求めました。
やがて彼は言いました、私は合ったすべての敵に打ち勝ってきた、今、この肉欲の愛を克服することになるだろうか?父はすべての生けるものが到達する愛、神聖の愛の力を見せるために私をここに連れてきた。この純粋な普遍的な愛は肉欲の愛に吸収されるか?彼女は高貴な美、純粋さそして愛くるしいが、私は他のすべての人々を忘れてこの魅力的な乙女に私の生涯を失うことになるか?彼の魂は非常に深いところまでかき回された、そして彼は長く心の天使の偶像と格闘しました。
しかしその日をほとんど無駄に過ごしたとき、かれの高度な自我は意志の力で蘇りました。彼は自身を再び取り戻しました。彼は言いました、私の心が砕かれることになろうと私はこの困難な任務に負けない、私は肉欲の愛に打ち勝つ。そして再び美女がはいて来た時、彼女は手を差し出し、愛情をささげました。彼は言いました、美しい人よ、あなたがいることは喜びで私の魂をわくわくさせる、あなたの声は私の魂を祝福する。私という人間はあなたと飛んで行き、あなたの愛で満足したいぐらいだ。しかし世界のすべての人々は私が示そうとしている愛を待ちわびている。
私はあなたに行きなさいと命じなければならない。しかし私達は再び合うでしょう。私達の地上の道は離れ離れにならない。私は愛の聖職者のように地上の群集の中であなたに会います。私はあなたの歌“より良きものに人々の心を導く”を聞いています。そして美女は悲しみと涙で出て行きました。イエスは再び一人になりました。
そして直ちに、寺院の大鐘が鳴り響きました。歌い手達は新しい、新しい歌“光で洞窟は燃え上がる”を歌いました、祭司本人が現れて言いました、おめでとう、勝利を得た神の言、歓喜して迎えよ、肉欲の愛を克服した勝者は高き所に立つ。そして彼はイエスの両手に“神聖の愛”と書かれた巻物を置きました。彼らは美の洞窟を共に立ち去り、宴会場で祝宴が行われました。イエスは主賓でした。
寺院のベルが鳴るシーンは一頃流行ったテレビ番組“ドッキリカメラ”を彷彿させます。もしイエスが誘惑に負けて美女にプロポーズをしたら、たちどころに偽聖職者の烙印を押され会堂から追い出されたでしょう、それでは聖書の物語になりません。もしハリウッド映画であったら、“オードリー ヘップバーン”の“ローマの休日”のように、甘く切ない別れのキッスシーンになったでしょう。生きとし生けるものすべてがたどり着く愛は永遠のテーマです。