万葉日本語に取り込まれたロシア語(2)
万葉日本語に取り込まれたロシア語(2)
ロシア語が訛った日本語の単語は現代語にもあります。
イワーシーは鰯、ヤーカリは錨、チャーイは茶、茶会、フロシキーは風呂敷、シドーイは髪が白い、イッチーは行く、似合う、スタールイはすたれる、ハータは訛りではないが百姓家。「~ト」はほぼ同じ用法、「ダー」は東北弁の「うんだ」と同じ、標準語で「そうだ」、アタボーはあたりまえでなく「そういうわけで」、シローキイは面積、広いの意味ですが、東北の人は広いことを「シロイ」と言います。単に、発音の癖でなく、代(シロ)は糊代のように囲まれた範囲、面積の意味があります。
椿の品種に岩根絞があります。一本の木に赤色、白色、赤白そして線状の絞りがあるものもあります。なぜ岩根というか疑問でした。ロシア語辞典にイヴァーネは線条の意味とありました。万葉集に岩根こごしきという言葉がたびたび出てきますが、これは線状の意味でなく私たちが感じるそのままの意味です。縄文時代後期、ロシア語が古代日本語に取りこまれていたなら、ロシア語辞典から万葉集(629~759)の意味不明の枕詞の意味を探すことができるかもしれません。しかしロシア語が2000年以上変化しないと言うのは疑問が残ります。ロシア文字はギリシャ正教がロシアに導入された以降になります。さらにカタカナ表記のようにロシア語は発音されないそうです。古代日本語にどのように訛ったかの法則もありません。あまり正確なことは期待できません、どちらかというとこじつけのようになります。
それではロシア語辞典を片手に探してみましょう。
① 山にかかる枕詞「あしひきの」 あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 夕月が岳に 雲立ちわたる
それらしい発音の語にアスヴィジーチがあります。意味は
「鮮やか、さわやか」です。なぜかぴったりの表現です。同じく「柿本人麻呂歌集」に、「あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ」 と百人一首でおなじみの歌があります。この枕詞は、意味がなく、単に、山にかかる枕詞になっています。「人麻呂歌集」は本人のものでない歌が含まれており、この歌は作者不明とされています。万葉集に、この枕詞を使った多くの歌がありますが、「山の鮮やかさ、さわやかさ」が、感じられる歌は、枕詞の意味あるいは趣旨、を理解した歌と思われます。
② 落語でおなじみの「ちはやぶる」 千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
語感から荒ぶる神と解釈されていますが、それらしい語にチーハ、意味は「穏やか、ゆっくり、静か」そしてヤーヴヂイニー、意味は「現象、場、奇跡的な出現と言う意味もあります」。茜色をした紅葉が川面に映える表現に合います。作者、在原業平朝臣は平安時代初期の人で、この歌は万葉集でなく、古今和歌集に収められています。万葉集に、この枕詞を使った歌は多くありますが、この解釈では意味をなさず、単に神にかかる枕詞であるこがほとんどです。皮肉なことに、後の時代の人が枕詞の意味を理解していたことになります。業平は一時期、宮廷を追われ、東北まで流離していました。伊勢物語の東下りです。古い言葉が残っていた東北で「ちはやぶる」の本来の意味を知ったかもしれません。
③ 「あをによし」 あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
奈良の神社仏閣の屋根瓦が青い、あるいは染物の藍とも解釈されています。語が訛ったことを見越して、アホータ、意味は「狩」に見当をつけました。当時の歌人の多くは鷹狩の愛好家でもありました。競走馬は別として馬の名前は「あお」が一般的です。馬が狩に使われたなごりと思われます。「に」は否定語、「よし」は良しでなく、イシィョー、意味は、「すでに」。 大都会になった都で「今となっては狩は不可」。
枕詞が「あをによし」であったとき、立派になった都を詠ったものなら、作者が本来の意味を知っていなかったとしても、枕詞の趣旨にかなう歌であると言えます。
④ 「いはばしる」 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
石走ると書き、川水が岩の上をほとばしり流れる様子。垂水は滝、堰です。蕨は山菜の中でも発芽は遅く、地域差はありますが、石走る渓谷の滝の上に萌え出づる頃、都では季節が春から初夏に移っています。作者は、こごみ、ぜんまい、と区別がつかないとは思えません。それらしい語にイーヴァ、意味は「柳」そしてヴォーズリ、意味は「そばに」、訛ってイワヴァースリそしてイワバシリ。垂水は柳の枝から落ちた「しずく」にして 「柳のそばの しずくの上の さわらびの 萌え出づる春」。 「石走る」は原文「万葉かな」で「石激」です。漢字にとらわれたのか、この枕詞を使ったほとんどの歌は渓流の意味で使われています。
枕詞の組み合わせには決まりがあると言われています。したがって歌を詠む方も聞かされる方も、枕詞の意味を知らなくても、かまわないことになります。それでは決まりごとになる以前はどうであったでしょう。歌人は何の根拠もなしに、ただ語呂合わせが良いという理由で、意味のない枕詞を作ったとは考えられません。
万葉の歌人は歌の出だしに、すでに使われなくなった、いにしえの語を持ってきて歌を荘厳に、格調高く詠んだのでしょう。その古い語の意味を知っていることは教養があるとみなされ、知らなければ恥をかいたことでしょう。それがいつのまにか、決まりごとになり、組み合わせを間違えなければ恥をかくことはなくなりました。枕詞の本来の意味は忘れられ、解釈も変化しました。したがって、万葉集に収められている歌は解説書に書かれた解釈で詠まれた歌の方が多いかもしれません。
万葉の歌人が枕詞の意味あるいは趣旨を理解して歌を詠んだか、単に、決まりごとの枕詞をもってきただけなのか、批評することによって、また違った角度から万葉集を詠みなおすことができます。そのことが万葉集の解釈について、新たな発見につながるかもしれません。
解明されてない意味不明な万葉枕詞はまだあります。古事記、日本書紀には、古代日本語に取り込まれたロシア語の単語が多く見られます。この分野の研究がアカデミーでも行われることが待ち望まれます。
これらの説は「日本語の起源」笹谷政子著、及びGoogle検索、スキタイ、黒曜石、秋田美人、万葉集を参考にしました。