万葉日本語に取り込まれたロシア語(1)
万葉日本語に取り込まれたロシア語(1)
秋田美人と言う言葉が昔からあります。色白で背が高く、なかには青い目の人もいます。湯沢市の医師、杉本博士が女子高校生1000人の皮膚色調の白色度を調べたら極めて白く、白色度は本物の白人と変わらなかったとの研究成果が1966年発表されました。それでいて、彼女らの容姿はどうみても日本人でした。東北日本海側でヨーロッパ型DNAを受け継いでいる人の割合がかなり高いとの調査結果があります。縄文時代に大陸との交易が秋田を中心に行われロシア人が住み着き、その末裔ではないかと考えられています。秋田美人はバイカル湖周辺の世界一美人と称えられるロシア美人と似ているとも言われています。EU型JCV(コーカソイド白人起源)ウイルス(無害で母から子だけに伝染)の日本人全体の保持者の割合は20パーセントとの調査結果があり、ヨーロッパ人の日本人へのかかわりは東北、秋田だけではないようです。ちなみに天然記念物の秋田犬はヨーロッパ型DNAを受け継いでいます。縄文時代からの長い歴史があり、典型的な日本犬の特徴を備えています。どこか秋田美人と共通するところがあります。
「日本語の起源」笹谷政子著 本の森 発行の本があります。著者は{日本語のルーツはロシア語}と言っています。この説は学会から無視されています。日本語の起源について書かれた多くの本が出版されていますがこの説を支持する本は見当たりません。日本語は韓国語、中国語に近い言語であるがロシア語は英語よりなじみの薄い言語と思われているからです。旧日本兵のシベリア抑留、北方領土問題等、日本人のロシアに対する負の感情がロシア語をより遠い存在にしています。
現在、ロシアでは日本語を学ぶ若者が少なからずいます。ロシアが好きだという日本の若者がロシアで暮らしています。政治的解決が先か、人的交流が先か議論のあるところです。これからも続く長い歴史を考えれば、隣人と友好を築いていくことが大切です。
日本語の起源の一つがロシア語であるなら、そのロシア人はいつどこから来たでしょう。2万年前あるいは5万年前、氷河期があり海面が下がり日本列島は大陸と陸続きになり、マンモスやナウマン象が日本列島へ移動し、大型動物を追って人々も渡ってきました。ベーリング海も陸続きになりユーラシア大陸からアメリカ大陸へ渡った人々がいました。アメリカインディアン、南米インディオの祖先です。日本人と同じモンゴロイドです。したがってナウマン象を追って来たのはロシア人とは言えません。
日本人バイカル湖畔起源説があります。気候変動によりサケを求めて日本列島へ来た人々です。ナウマン象を追ってきた人々の後の時代になります。同じくスキタイ民族、そして手塚アニメの「火の鳥」にも出てくる騎馬民族がいます。縄文時代後期, (B.C300~) 大陸ロシアとの交易が秋田を中心におこなわれ、多くのロシア人が移住してきた伝承が最も信憑性があります。
さて、後期縄文時代、日本列島に交易するものがあったでしょうか。
旧石器時代から採掘されている黒曜石と宝石のヒスイです。黒曜石は火山岩のガラス質の鉱石です。槍の穂先、ナイフになり、宝石にもなります。北海道、東北、長野、伊豆、隠岐、九州と火山国ならではで全国に産地があります。縄文時代の黒曜石は国内各地の縄文遺跡だけでなく、ロシア極東沿海州の遺跡でも日本産のものが発見されています。
次に、なぜヨーロッパロシア人が交易のためにやってきたでしょうか。
後期縄文時代、ローマを拠点に、遊牧騎馬軍団からなるスキタイ(B.C.300~800)が勢力を広めていました。ロシアではウクライナを拠点に、スラブ系スキタイがロシア極東沿海州まで勢力を拡大しました。初期の彼らは盗賊の騎馬軍団でしたが、しだいに組織が大きくなり、ヨーロッパから中東、ロシアを勢力範囲とする王国を築きました。彼らは最強の騎馬軍団と高い芸術文化を持っていました。
もし氷河期のように、日本列島が大陸と陸続きであったら、彼らは騎馬編隊で日本列島へ侵入したでしょう。大陸と列島の間に日本海があり、馬を船に乗せて数日から数週間かかけて来るのは、縄文時代には無理なことだったので、侵入にならず、交易になったのです。
彼らは青銅器の時代であり、製鉄が普及するのはもっと後の時代になります。狩猟のため、あるいは戦闘のために槍の穂先、剣、ナイフの材料になる黒曜石が大量に必要になり、また宝飾品作製のためにも、黒曜石、ヒスイが必要でした。
後期縄文時代、日本列島の人口は約10万~30万人と推定されています。秋田では数千人でしょうか。
大量の黒曜石確保のためには、労働力が足りず、また各産地と秋田を結ぶ海運インフラの建設も必要であったので、多くのロシア人が列島へ移住してきました。先に述べたEU型JCVウイルスの日本人全体の保持者の割合が20パーセントから推測すると、すべてがこの時代のロシア人の末裔とは言えなくても、移住してきたのは男だけでなく女、子供も含めて、民族移動のようであったと考えられます。
列島が黒曜石の大量採掘と、秋田をハブ港に大陸あるいは各産地との交易で繁栄する頃、移住してきたロシア人の影響を受けて、ロシア語が古代日本語にとりこまれ、日本神話の多くも、彼らのスキタイ神話から作られました。
やがてスラブ系スキタイは紀元前3世紀には衰退しました。一方列島では秋田を中心に各地を結ぶ、日本海沿岸交易で繁栄が続きました。交易は黒曜石だけでなく、時代と共に、金、銀、銅、鉄、木材、栗、穀物、肉、毛皮、魚、塩、酒と多種多様になったと考えられます。列島に移住してきたロシア人は世代交代と先住民との同化が進んだことでしょう。
紀元前3世紀、弥生時代に入り、日本列島に中国大陸、朝鮮半島から稲作が伝わったと正史で語られていますが。最新のDNAを用いた研究によると水耕栽培を含めて稲作はすでに縄文時代に行われおり、朝鮮半島で稲作が行われるより前になります。弥生時代になり。4世紀には大和朝廷により国家統一がされ、5世紀にはすぐれた大陸文化を持った渡来人が政治、文化、言語へ大きな影響を及ぼし、渡来人あるいはその子弟によって漢字が文書の記録として使用され、奈良時代には日本語の発音に合わせた「万葉かな」が用いられました。万葉の時代には、後期縄文時代から話されていた古代日本語はいにしえの言葉になりました。
中国から漢字が伝来するまで日本に文字がなかったことになっていますが、ご存じの方もおられると思いますが、古代に神代文字がありました。ただ出雲・伊勢など各地にあり統一されていなかったため、共通の文字として漢字が使用されたため、古代文字は古い神社に残されたものだけになりました。ところで、現代中国で使われている単語の7割は日本からの逆輸入だそうです。
これまた最新のDNA研究によると縄文時代日本列島に縄文人が住んでおり、その一部が朝鮮半島へ移住し、同じ縄文語を話していました。当時の半島は国がなく、有力な部族もなく、ほとんど人が住んでいなかったからです。半島は大陸続きであるから、その後、様々な民族の侵略、蹂躙、を受け、言語も変化しました。しかし言語の文法は変化せず、単語が入れ替わりました。日本語と朝鮮語は文法が同じであり相当する単語に替えれば意思疎通ができると言われています
日本は戦後アメリカの言葉、文化に晒され、現在も続いています。エリート気取りの人の中にはやたらと横文字を使いたがる人がいますが、英語が喋れるわけではありません。日本語の文法はそのままにして単語を入れ替えているだけです。もちろんネイティブに通じるものではありません。
日本語のルーツについて大陸中国朝鮮伝来説、北方シベリア伝来説、南方太平洋伝来説、およびこれらの複合説があります。最新の研究によると古代日本の文明は16000年前あるいは3~6万年前までさかのぼられるそうです。従来の説によると縄文時代には、人々は洞窟などに住み、石器を使用し野生動物の狩猟をしていたということですが、最新の研究では竪穴住居に住み。装飾縄文土器を使用し、水耕稲作栽培、沿海漁業を行い、交易まで行われていたそうです。従来の古代縄文時代のイメージが全然違ってきました。これは世界最古の文明になります。そうなると様々な日本語伝来説が言う年代より前に日本語が成立していたことになります。古代日本語に話を戻しましょう。ロシア人が圧倒的に多数であるときはロシア語が共通語と使われたのでしょう。やがてスキタイも衰退し、日本で同化したロシア人だけが残り、世代交代が行われて、ロシア人の新たな移住は止まりました。
この間に日本語の文法は変わらず、一部の単語が置き換わったと考えられます。しかしロシア人がいた期間が長くなかったので、その痕跡がわずかで、万葉集の中の日本語にうずもれたと思われます。