禊や鎮魂を通して自身を祓い清め
己や神々と真摯に向き合います
神道行法(シントウギョウホウ)とは、神明奉仕のために、あるいは精神と身体のバランスを保つために、神職やその他の神社関係者が行なう、神道の信仰・伝統・作法に則った行法(修行)の事です。
現代の神社神道に於いては、冷水を浴びたり冷水に浸かったりする「禊(ミソギ)」と、自己の魂を鎮める「鎮魂(チンコン、タマシズメ)」のふたつが、神職が修めるべき神道行法とされており、いずれも行学一致の神職を目指すためには必須の行法とされています。
当神社では原則として、禊については「一般公開」、鎮魂については「非公開」で実施しております。禊に興味のある方は、当神社まで個別にお問い合わせ下さい。但し、諸々の事情により鎮魂についてのお問い合わせにはお答え出来ませんので、御了承下さい。
禊 行 法
神社神道でいう「禊」は、仏教・修験道・一部の神道系教団などが行なう「水行」や「水垢離」とは少し趣旨が異なっていて、簡潔に言うと、清浄を尊び清々しさを求める神道思想の修行の実践で、具体的には、男性は白ハチマキと白フンドシのみを、女性は白ハチマキ・白衣・白下ばき等を身につけ、その上で全身に冷水を被る、もしくは半身以上を冷水に浸かって、自身の身体を濯ぎ清め、それに伴い、心身に付いている凶事や罪穢れを除去する、という行法です。
より具体的には、定められた作法・所作に従って、桶で冷水を被る(頭の真上から被る作法や、両肩から交互に被る作法などがあります)、滝に入って流水を浴びる、海・川・湖に浸かる、冷水の貯められた水槽に浸かるなどします。
▲ 神職を対象とした神道行法研修会での禊(北海道 石狩浜)
▲ 神職を対象とした神道行法研修会での禊(北海道 利尻島)
▲ 神職を対象とした神道行法研修会での禊(北海道 利尻島)
神社神道に於ける禊は、本来は “自身の行” として行なうべきものであり、当神社に於いても原則としては、一神職もしくは一氏子崇敬者としての個人的な修行として不定期に実践しておりますが(年間祭事のひとつとしての禊もありますが)、年に数回は、特定の願意の実現を願う “祈り” の手段としても禊を行なっております。
禊に何らかの願掛けをしたり、特定の願いを祈念して行なうのは、そもそも禊本来の趣旨に合致するのか、という神学的な問題も無くはないのですが、それはそれとして、禊を「自分自身のために行なう」という第一段階から、それだけに囚われる事なく「自分以外の誰かのためにも行なう」という第二段階へと発展させる事は、少なくとも当神社の見解しては十分に “有り” だと認識しております。
禊の目的・趣旨を、自分の抱く信仰や神学から前向きに拡大解釈し、禊を “祈りの手段” として更に有効活用していく事、禊を行ないながら同時に世の平安や他者の幸福を祈る事は、神様の御心にも人倫の道にも十分適う行為であるはず、と確信するからです。
そのため当神社では、自己の心身を祓い清め行学一致を目指すため研鑽を積むという、神社神道を信奉する一人の「個」としての禊本来の目的達成を求めるだけでなく、留辺蘂神社神職という「公」の立場としても、いくつもの公的な願意を祈念しながら、清々しく禊を執り行なっております。
ここでいういくつもの公的な願意というのは、例えば、皇室安泰、国家繁栄、国土平安、五穀豊穣、景気回復、世界平和、北方領土及び竹島の日本への返還、北朝鮮による日本人拉致被害者の救出、留辺蘂町発展などです。
今後も、自分自身の「修行」や「修養」としてのみならず、皇室・国家・世界・地域の発展のため、他者の幸せのために、当神社では定期・不定期を問わず絶やす事なく禊を継続していきたいと思っております。
▲ 留辺蘂神社境内での禊
禊は、決して神職だけが独占すべき行法ではなく、氏子・崇敬者の皆様方にも実践をお勧めしております。もし「自分も留辺蘂神社で禊を体験してみたい」とか「実際に禊をするのはちょっと躊躇があるが、見学だけならしてみたい」という方がおられましたら、その御案内を致しますので当神社まで御連絡下さい。お待ちしております。
▲ 留辺蘂神社境内での体験禊
▲ 留辺蘂神社境内での体験禊(沖田總司チャンネルより)
石上鎮魂法
明治期の神社神道は、神仏分離や大教宣布などの流れを経て「国家の宗旨」という、公的且つ特別な扱いを受けるようになりましたが、その代償として「神道は道徳であり公的な儀礼体系であって、宗教には非ず」とされて宗教性を否定される事になり、そのため神社は専ら国家儀礼や人々の人生儀礼に関わる事が主となり、帰神・占術・神道護摩など呪術色の濃かった、それまで神社に伝わっていた秘儀の多くは失われてしまいました。
そんな近代以降の神社神道に於いて、今もなお近世以前の古来の神道の色彩を色濃く残して実践されているのが神道行法であり、特に「鎮魂」は、同じく神道行法に分類される「禊」よりも、更に宗教的・秘儀的な要素の強い行事・行法といえます。
世間一般では、「鎮魂」という言葉は、主に故人の魂を鎮めたり慰めたりするニュアンス(慰霊やレクイエムなどの趣旨)で使われる事が多いですが、神道行法でいう「鎮魂」は全く意味が異なり、具体的には、「遊離・散乱せんとする自らの霊魂を、身体の中心である丹田に鎮め、霊魂を安定・充足・強化させる」「神の御分霊や気を自分の体に招き入れ、神人合一を目指す」「魂を振り起す事で、荒ぶる魂を静め落ち着かせ、また、罪穢れある魂を祓い清める」等を目的に、神職やその他の神社関係者が自身のための修法として執り行う行法です。
つまり、世間一般でいう「鎮魂」が故人のための慰霊行為であるのに対して、神道行法の「鎮魂」は、現に生きている人が自分自身のために行なう行法であり、自らの霊魂を安定・充実させ、その霊性や霊能を十分に発揮させる目的・効果があります。
▲ 鎮魂法で古くから知られてきた石上神宮
▲ 神職を対象とした鎮魂行法研修会での鎮魂(北海道神社庁 神殿)
鎮魂行法にもいくつかの流派があるのですが、神社本庁では、奈良県天理市に鎮座する石上神宮(イソノカミジングウ)が古くから継承してきた鎮魂法である「石上鎮魂法(物部流鎮魂)」を公式の鎮魂法として採用しており(但し同神宮が継承してきたのは鎮魂祭の神事と伝統であって、自身の修養のために行う自修式の鎮魂は、明治以降に再編されたものです)、そのため全国各地の神社神道の神職達は、この石上鎮魂法を実践しております。
当神社でも、メインに実践する鎮魂としては、やはり石上鎮魂法を行なっております。当神社の本殿でおまつりしている御祭神の中には、鎮魂の神様とされる石上大神(布都御魂大神様・布留御魂大神様・布都斯魂大神の3柱の神様)が含まれておりますので、当神社にとっては御祭神所縁の鎮魂法とも言えますし、そもそも石上大神をおまつりしている時点で、当神社自体が “鎮魂法に所縁の深い神社” ともいえます。
ちなみに、当神社 歴代宮司4人のうち、第2代宮司(当神社本殿に石上大神を増祀した宮司)と第4代宮司(現宮司)の2人は、石上神宮で開催された神社本庁総合研究所主催の神道行法錬成研修会で、神社本庁錬成行事道彦である石上神宮宮司より、直接 鎮魂行法の指導を受けております。
なお、禊行法 同様、本来は鎮魂行法も、自身の行 として個人で行うのが本義であり、当神社でも原則はその本義に沿っているのですが、年に数回は、他修鎮魂(自己のために行う自修鎮魂とは異なり、他に祈って鎮魂救渡せしめる鎮魂)として、玉体安穏、宝祚延長、皇室安泰、国家繁栄、国土平安、五穀豊穣、万民豊楽、世界平和、留辺蘂町発展などを祈念しながら行なっております。
▲ 留辺蘂神社 社殿での鎮魂
▲ 留辺蘂神社 社殿での鎮魂
ところで、事例としてはかなり少数となりますが、神社によっては新嘗祭(11月23日)の前日に、新嘗祭前日夕刻に宮中の綾綺殿にて斎行される「鎮魂の儀(ミタマシズメノギ)」に倣って、年間の恒例祭事のひとつとして「鎮魂祭」を行なっているお宮もあります。
但しその場合の鎮魂祭は、個人的行法としての「鎮魂法」ではなく、先代旧事本紀や延喜式などに基づく、天皇陛下の霊魂の強化や天皇陛下の健康長寿を図るため、もしくは、皇祖神を最上位とする皇統の霊的秩序の体系を安定・維持・強化する事を目的とする公的な祭典としての「鎮魂祭」です。「鎮魂法」と「鎮魂祭」は、共通点もありますが、基本的には “似て非なる神事” と言ってよいでしょう。
ちなみに、宮中祭祀の「鎮魂の儀」は、日本書紀の天武十四年十一月条で、宮内省に神座を設けて天皇の衣服を運んで大臣以下の官人が参列して斎行されたのが史料上の初見とされ、宮内省の官舎が失われてからもその跡地で行なわれていましたが、15世紀に廃絶し、現在宮中で行なわれている鎮魂の儀は明治6年に再興されたものです。綾綺殿に設けた祭場に、「延喜式」に記す通り神八座(神魂神、高御魂神、生魂神、足魂神、魂留魂神、大宮女神、御膳魂神、辞代主神)、大直神一座を降神して、掌典長が祝詞を奏上してから、宇気槽の儀や御衣振動などの特殊な儀が行なわれています。
本田流鎮魂法
神道行法の「鎮魂」には、前項で詳述した石上鎮魂法以外にも、本田流、伯家流(鬼倉流)をはじめとするいくつかの鎮魂法があり、それらは一部の神社や一部の教派神道などに今も伝承されています。当神社では、メインの鎮魂法としては「石上鎮魂法」を実践しつつ、サブの鎮魂法として「本田流鎮魂法」も行なっております。
本田流鎮魂法は、簡潔に言うと、鎮魂石という霊石を包んだ袋(あるいは鎮魂石の入った木箱)を三方の上に載せ、その三方の前で鎮魂印を組み、鎮魂石に自分の霊魂が集中するよう強く思念しながら修する自修式鎮魂法です。この鎮魂法が効くようになると、鎮魂石の重量に変化が生じる(重くなる事もあれば軽くなる事もある)といわれています。
下の写真は、本田流鎮魂法での鎮魂印の組み方です。両手の中指・薬指・小指を、いずれも右指が上に左指が下になるようにして掌の中に組み、両方の人差指を伸ばして軽く立て合わせ、左の親指で右の親指を爪の上を軽く押さえます。印と胸との間はこぶしが一つ入るくらいの間隔です。
神社界に於いては、神社本庁公式の鎮魂法である石上鎮魂法が最も普及しておりますが、それに対して教派神道系や古神道系の教団などでは、幕末から明治初期にかけて活躍し “霊学中興の祖” とも称された神道家 本田親徳(ホンダチカアツ)が復興・再編したこの本田流鎮魂法を継承している所が多いです。実際、鎮魂行法が解説されている市販の書籍には、「鎮魂法にはいくつもの伝があるが、はじめに現在一番普及している本田親徳の鎮魂法を紹介してみよう」などとも書かれていて、世間一般に於いては石上鎮魂法よりも本田流鎮魂法のほうが普及している事が窺える記述も見られます。
本田親徳は、薩摩藩の典医の長男として生まれ、21歳の時、京都滞在中に狐憑きの少女に会い、その少女が憑霊状態で和歌を詠む事に衝撃を受けて霊学研究の志しを固め、古社を訪ね、深山幽谷を踏み、神霊界の究明を行ない、審神の法・霊縛法の実修から、鎮魂・帰神・太占の三大霊学体系の確立に至る近代神道霊学を大成させました。伯家神道(神祇伯 白川家)最後の学頭であった高浜清七郎とも交流があったので、高浜からも何らかの影響を受けた事が推測されます。
石上鎮魂法は、饒速日命が天津神から授けられた十種神宝という御神宝を観想しながら修し、一方、本田流鎮魂法は、鎮魂石に自分の霊魂が集中するよう思念しながら修するので、このふたつの鎮魂法を比すると所作等には明確な違いがあるのですが、その目的とする所はどちらも「遊離・散乱せんとする自分の霊魂を丹田に鎮め、霊魂を安定・充足・強化させる」事にあります。
但し本田流鎮魂法は、石上鎮魂法と違って修する際には必ず「鎮魂石」というアイテムが必要になり、また、現在はほぼ行なわれていないようですが教団(主に古神道系)によっては帰神(神霊が憑依する)の前段階として、つまり神懸りに至るための手段、憑霊のための準備的行法として行なわれていた事もあり、そういった点については、そのような手段(帰神と事実上のセット)として使われる事のない石上鎮魂法とは大きく異なっているともいえます。
石上鎮魂法は、その所作が複雑な上(特に朝拝・夕拝などの神拝行事と組み合わせて行なうと、次第が複雑化します)、所要時間も長く(神拝行事と組み合わせた上に正式な次第に従って行なうと、短くても45分くらい、長ければ2~3時間、場合によってはそれ以上を要する事もあります)、原則として石上神宮もしくは同神宮から直接指導を受けた神職だけが同業者(神社神道の神職)に対してのみ伝授するのが慣例となっており、そのため当然、一般に流通している書籍等にもその詳細はあまり記されておらず、現実には神職以外の人が習得する事は難しいという事情があるのですが、それに対して本田流鎮魂法は、次第や所作は比較的単純で、所要時間も15~30分程度と短く、一般の書籍などに詳しく解説されている事もあるため、鎮魂石さえ入手出来れば他の鎮魂法よりも容易に行なう事が出来る、という利点があります(そもそも鎮魂石の入手が容易ではないという難点はありますが)。
但し、霊的な危険が伴う帰神(現代の神社神道では原則として行なっておりません)とセットで行なうと、かえって心身に何らかのダメージを受けかねないという危険も否定出来ないため、もし本田流鎮魂法を実践するのであれば、あくまでも “鎮魂のみの実践” と割り切ったほうが良いでしょう。
昭和11年に刊行された「鎮魂法極意指南」(宮崎興基著)という本では、著者は、いくつかある鎮魂法の中でも本田流鎮魂こそが最適・最良であると論じておりますので、以下にその箇所を転載し紹介させて頂きます。但し、これはあくまでも “そういった見方もある” という、ひとつの見解の紹介であり、当神社としてこの見解に必ずしも全面的な賛意・同意を示すものではありません。
『 これは神伝の法であって、決して既製の生半可のものではない。即ち伊邪那岐命が、天照大御神に御首玉を授けられた由来に基づくもので、斯道の先覚者本田親徳先生が神の啓示に依って創案された神法である。筆者が此の鎮魂石を用ゐての鎮魂法を主張するのは、此の法が神伝のものであるばかりでなく、初心者に取つても、鎮魂が出来るようになれば鎮魂石の重量が自ら変動するようになるので、これに依つて鎮魂が出来てゐるかゐないかの目標を得られるし、従つて鎮魂自習の上に確信を得られるからである。最も鎮魂が出来てゐても鎮魂石の重量に変動を来たさない場合もあるが、大概は鎮魂石の重量が変動するので誰しも否応なしに納得せざるを得ない。 』
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