お伊勢様は日本をお守り下さる尊い神様
氏神様は私達をお守り下さる身近な神様
どちらの神様もおまつりしましょう
伊勢の神宮と神宮大麻
三重県伊勢市には、「神宮」と称される、日本人全員の心の故郷ともいうべき大変尊い神社が鎮座しております。世間からは一般に「伊勢神宮」と言われている、古来より広く国民に親しまれている神社でもあります。
ちなみに、広く知られているこの「伊勢神宮」という呼称は通称であり、神社としての正式名称は、ただ漢字2文字で「神宮」、法人としての正式名称は「宗教法人神宮」です。「一般財団法人伊勢神宮崇敬会」や「財団法人伊勢神宮式年遷宮奉賛会」など、附属団体や関連団体については正式名称に「伊勢神宮」の4文字が含まれる事もありますが、神社としての正式名はあくまでも「神宮」です。
その神宮は、内宮(ナイクウ)と通称される「皇大神宮」と、外宮(ゲクウ)と通称される「豊受大神宮」という2つの本宮を中心に、14の別宮と109の摂社・末社・所管社など、合計125のお社から構成されている、日本随一の大規模な神社なのですが(境内地は一か所にまとまっているわけではなく多くの飛び地があります)、神宮を構成するそれら各お宮の中でも最大の信仰の中心となっているのは、皇室の祖神であり日本人全員の総氏神様である天照大御神(アマテラスオオミカミ)様を御祭神としておまつりしている「皇大神宮」です。
そして、その皇大神宮のおふだの事を「神宮大麻」(ジングウタイマ)といい(厳密に言うと豊受大神宮のおふだも神宮大麻ですが)、当神社では、留辺蘂神社・聖徳太子神社(境内社)・温根湯神社(兼務社)などのおふだとは別に、その神宮大麻も皆様方に授与しております。
▲ 皇大神宮
▲ 皇大神宮
一般に、大多数の神社のおふだは、おふだやお守りなど各種授与品を製造する専門の会社が作成したものであり、それらのおふだが神社へと納品された後、各神社では大前にてそれらにおふだに神様への遷霊を行ない、それによっておふだは単なる「商品」から、神威の籠った神聖な「授与品」へと性質が昇華するのですが、それに対して神宮大麻の場合は、最初から最後まで一貫して神宮が直接奉製しております。
具体的には、神宮では毎年1月8日、その年の神宮大麻奉製開始を神様に奉告し、当年第1号となる神宮大麻に神璽を押印する「大麻暦奉製始祭」を執り行ない、そして4月には「大麻用材伐始祭」を斎行し、伐り出された御用材は五十鈴川の奉製所で乾燥されます。一方、神宮大麻に使われる和紙は、外宮近くにある明治以来の専属の製造所で、宮川の伏流水を使って厳しい検査の下に漉かれます。これらの御用材を使って、各種の大麻は丁寧に奉製されるのです。
ちなみに、これらの作業に当たる神宮の職員達は、出勤すると先ず潔斎(心身を清める)を行ない、白衣に着替えた後、揃って内宮・外宮を遙拝し、それから作業を開始しております。
このように神宮で丁寧を極めて奉製された神宮大麻は、随時行われる「大麻修祓式」を経て、名実共に、神聖を帯びた授与品としての「おふだ」になり、そして9月17日、関係者が参列し「大麻歴頒布始奉告祭」が行なわれます。
全国への神宮大麻頒布は、神宮の社務所に相当する神宮司庁から、全国の神社の大半を包括する神社本庁に全面委託されているため、以上の経緯を経て、神宮大麻は全国の神社へと発送され、具体的には、『 伊勢の神宮 → 各都道府県の神社庁 → 神社庁の各支部 → 各地の神社 』という順に、神宮・神社庁・支部・神社でその度神職により繰り返し祓い清められながら送り届けられます。
そして、神宮大麻は各神社の社頭(社務所や授与所など)から、各家庭・氏子崇敬者の皆様方へと授与されます。また、神宮大麻は社頭で扱っているだけではなく、各神社の神職・総代・その他(頒布奉仕者)の皆様方が氏子区域内の家々を個別に訪問して授与するなど、積極的な頒布活動も行なわれています。
神社本庁包括下の神社であれば原則として全ての神社で神宮大麻を扱っており(実際には、神社本庁包括外の一部の神社でも扱っておりますが)、つまり、神宮大麻は実質、当神社を含む全国のほとんどの神社で授与しており、そのため直接神宮に行く事が出来ない方でも、(必ずではありませんがほとんどの場合)最寄の神社からいつでも拝受する事が出来ます。
▲ 神宮司庁の庁舎
▲ 留辺蘂神社に到着した直後の
まだ梱包されている状態の神宮大麻
神宮大麻をおまつりする意義
全国の各神社では、なぜ自社のおふだとは別に、他所の神社のおふだである神宮大麻も扱っているのかというと、それは、伊勢の神宮が「最高至貴の神社」であり「唯一にして格別なる敬意の対象」である事に因ります。
ではなぜ、神宮は格別なお宮で、最高至貴の神社とされているのか、というと、その説明をするには神話の時代(記紀の天孫降臨のエピソード)まで遡らなければなりません。
記紀によると、父神の伊邪那岐命(イザナギノミコト)から高天原(天津神の住まう天上の世界)の統治を命じられた天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、葦原中国(地上の世界・日本の国土)の支配者であった大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)に国譲りをさせ、葦原中国も統治する事になりました。そして天照大御神は、孫神の邇邇芸命(ニニギノミコト)に三種の神器と稲穂を授け、邇邇芸命を御自身の代わりとして葦原中国に天下らせました。
三種の神器とは、具体的には八咫鏡(ヤタノカガミ)、天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)の事で(天叢雲剣は草薙剣とも云います)、天照大御神は、その三種の神器のひとつである八咫鏡を邇邇芸命に授ける際、「吾がみこ、この宝の鏡を視まさむこと、まさに吾れを視るが如くすべし。ともに御床を同じくし、御殿ひとつにして斎鏡となすべし」と仰り、この御鏡を自らの御霊として皇孫(天皇)と同じ御殿でおまつりするよう命ぜられました。これが「同床共殿の神勅」といわれるもので、邇邇芸命が葦原中国の高千穂に降臨されてより、御歴代はこの神勅に従い、御鏡を天照大御神の御霊代(御神体)として皇居の中で奉斎してきました。
しかし、第10代 祟神天皇の御時、国内に疫病の流行などがあったため、御神威を畏れて御鏡を皇居外の神聖な地に遷しておまつりする事になり、天皇は豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に命じて御鏡を皇居から大和の笠縫邑へ遷されました。
更に、第11代 垂仁天皇の御時、豊鍬入姫命の任務を引き継がれた倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は、より良い祭祀の地を求めて諸国を巡歴し、伊勢に至った時、天照大御神から「神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪よする国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむと思ふ」という御神託が下った事により、伊勢の五十鈴川の川上に社殿を造営して御鏡をおまつりしました。
これが伊勢の神宮(内宮)の創祀で、神宮御鎮座の由来とされています。ですから、現在でも内宮御正殿(神宮の本殿)の御神座には、邇邇芸命が高天原から地上の世界に天下る際に天照大御神から授けられたと伝わる八咫鏡が、天照大御神の御霊代として大切におまつりされているのです。
一方、御鏡が皇居の外へと遷った後、皇居では、御鏡の代わりとなるもの(八咫鏡の御同体)をおまつりしました。これが、皇位の象徴である三種の神器のひとつとしての御鏡であり、この御鏡は現在、皇居に鎮座する宮中三殿の賢所(カシコドコロ)の御神座で、皇室の御祖神・天照大御神の御霊代として厳重におまつりされています。つまり、御鏡は神宮と宮中の賢所にそれぞれおまつりされており、物理的には二つ存在して事になりますが、精神的には一つの御鏡、一体不可分のものとされていて、この事は「二鏡一体」と云われています。
このように、神宮の祭祀は、天皇の祭祀及び国家の祭祀としての重い意義を持っており、それは国民全ての命の源泉ともいえるものである事から、伊勢の神宮は神社神道最大の聖地且つ信仰の中心地であり、全国の神社の中でも格別に尊いお宮、国民全体で護持すべきお宮とされているのです。神社本庁でも、神社本庁憲章に於いて伊勢の神宮を本宗(ホンソウ)と定め、神宮に対しては「奉賛の誠を捧げる」「本庁の本宗として奉戴する」としております。
以上のような事由から、遍く世界を照らし万物の生成に欠く事の出来ない太陽のように最も素晴らしい御存在であり、日本人全員の総氏神様でもあられる、神宮の主祭神である天照大御神を、篤く御崇敬申し上げるため、私達日本人は皇大神宮の御神札「神宮大麻」を、天照大御神の標章と仰ぎ天照大御神の御神恩に奉謝すべき表象として、氏神様(自分が住んでいる地域を守って下さる神様)のおふだと共に各家庭に於いておまつり申し上げるのです。
ですから、もし御家庭の神棚に神宮大麻をおまつりしていない場合は、伊勢の神宮もしくは最寄の神社から、必ず神宮大麻を拝受しておまつりするようにしましょう。
大きくて立派な神棚を設けている家でも、神棚には自分の崇敬している神社もしくは氏神様(最寄の神社など)のおふだしかおまつりしていないという事例が少なからず見受けられますが、神棚には最低限、神宮大麻と氏神様の2体のおふだをおまつりし、その上で家族揃って日々感謝の祈りを捧げる事が、日本人としての神様に対しての礼儀であり、神様に対して誠の心を示す事になるのです。神様に祈りを捧げる敬虔な気持ちは、私達の心も豊かにしてくれます。
当神社で授与している神宮大麻の種類
当神社で授与している神宮大麻は、下の写真に写っている3種類で、左から順に、通常サイズの「神宮大麻」(縦24.5cm × 横6.8cm × 厚さ2mm)、少し大きめの「神宮中大麻」(縦25.2cm × 横7.5cm × 厚さ5mm)、かなり大きい「神宮大大麻」(縦30.5cm × 横10.5cm × 厚さ9mm)です。
ちなみに、下の写真の神宮大麻は、いずれも透かし入りの花菱紋様の薄紙が付いている状態です。薄紙が付いたこの状態のまま神宮大麻を神棚におまつりされている方も多く見られますが(それが間違っているとまでは言えなのですが)、この薄紙は各家庭に届くまでの間に汚れる事がないようにするためのものなので、正確には、この薄紙はおまつりする前に外します。
▲ 神宮大麻(頒布大麻)
これら3種の神宮大麻は、それぞれ大きさ(縦横の寸法)や厚さが異なりますが、神宮大麻としての意義・趣旨・御神威などには何らの違いもなく、お受けになる方の奉賛のお気持ちによりそれぞれ頒布されるものと御理解下さい。重要な事なので繰り返しますが、御神威には全く差はありません(つまり、大きい神宮大麻のほうが御利益が大きくて、小さい神宮大麻のほうは御利益が小さい、などというわけでは決してありません)。
なお、神宮中大麻や神宮大大麻は、スーパーやホームセンターなどで売られている安価な神棚や、高級な神棚であっても比較的小型の神棚などでは、宮形の中に納まりきらない事もありますので、神宮中大麻や神宮大大麻をお受けする場合は、必ず事前にその神棚の宮形のサイズを御確認下さい。
初めて神宮大麻をおまつりするため、どの大麻を受ければ良いか分からない、という場合は、先ずは通常サイズの神宮大麻(上の写真では一番左のおふだ)を受けられるのが良いと思います。通常サイズの大麻は、原則としてどの神棚の宮形にも納まります。
氏神様が天照大御神である場合
「神棚には原則として、神宮大麻と氏神様の2体のお札をおまつりしなければならない。それは知っている。でも、神宮大麻とはようは天照大御神のおふだなのだから、ウチの氏神様も天照大御神である場合、神宮大麻はおまつりしなくてもいいんだよね。同じ神様のおふだが重複する事になってしまうから」と誤解されている方がたまにおられますが、結論から言うと、このような場合でも、神宮大麻は氏神様のおふだとは別におまつりすべきです。
実際のところ、留辺蘂神社と兼務社である温根湯神社、どちらの本殿も主祭神は天照大御神ですが、当然の事ながら伊勢の神宮と、留辺蘂神社及び温根湯神社とでは、神社としての御鎮座の由緒は全く異なり、それは他の神社と伊勢の神宮との関係に於いても同様で、神宮と各神社に於ける由緒は決して一様ではありません。神宮と深い御縁故のある神社(古代・中世に神宮の荘園であった、神宮の御神徳を全国に広める役割を担っていた御師が活動の拠点に勧請したなど)もあれば、詳しい由緒の判らない神社や、留辺蘂・温根湯両神社のように近代以降に御鎮座した神社もあります。
ただいずれの場合も、それらの神社(当神社も含め近代以降に創建された神社)の奉斎は氏子や崇敬者が中心・主体となっており、その点が、皇室により創建され天皇祭祀を第一義とする神宮とは大きく異なっております。ですから、氏神様が天照大御神である場合でも、神宮大麻は氏神様とは別に神棚におまつりすべきなのです。
▲ 神宮大麻(この写真では右側)と氏神様のおふだ(この写真では左側)
頒布大麻と授与大麻
当神社をはじめとする全国各地の神社で授与している神宮大麻とは別に、伊勢の神宮に直接お参りに行かれた方だけが現地でお受けする事の出来る、皇大神宮のおふだもあります。
それらは「授与大麻」と称され、当神社をはじめとする全国各地の神社で授与されている神宮大麻とは区別されており、授与大麻は、形状の違いにより「剣祓(ケンバライ)」や「角祓(カクバライ)」、性格の違いにより「神楽大麻(カグラタイマ)」や「御饌大麻(ミケタイマ)」など更に細かく分かれています。
下の写真には、神宮大麻が5種写っておりますが、これらのうち右側の2体が、伊勢の神宮でのみ授与されている「授与大麻」の一例です。左側の3体は、全国の神社で授与されているもので、授与大麻と区別するためこれらは「頒布大麻」とも称されます。
つまり神宮大麻は、頒布大麻と授与大麻に大別され、その上で、頒布大麻は大きさによって3種類に分かれ、授与大麻も大きさや形によって複数の種類があるのです。
上の写真の通り、頒布大麻・授与大麻のいずれも「天照皇大神宮」という文字が記されており、大きさや形状が違う以外には特に大きな違いはないようにも見え、そのため、「頒布大麻・授与大麻のどちらか一方を神棚におまつりしている場合、もう一方の大麻はお祀りしなくても良い」と解釈されている方もおられるようなのですが、結論から言うとこれは誤解で、頒布大麻と授与大麻の両方がある場合は、どちらか一方だけでなく、どちらも共に神棚におまつりすべきです。
もっと分りやすい具体例に置き換えると、「例年は近くの神社で神宮大麻を受けているが、今年は伊勢方面を旅行してきたので、伊勢の神宮で直接神宮大麻を受けてきました。ですから、今年についてはいつもの神社から神宮大麻は受けなくていいんですよね?」と問われた場合、「違います。例年通り受けるようにして下さい」という事です。
どうしてなのかというと、神宮で直接授与される授与大麻は、「神宮へお参りした感激と喜びに広大無辺の御神徳を祟ぐ心映えをもって拝戴を希望する人に授与されるもの」とされ、要するに、個人的な感情のおもむくところにより拝受するものとされており、一方、全国の各神社が頒布している頒布大麻は、「朝な夕に皇大御神の大前を慎み敬い拝がましめ給ふ」という明治天皇の聖旨により、各地の神社を通じて全国の家庭に遍く頒布される「大御璽」(おおみしるし)とされ、つまり、国民にひとしく頒布されるべきものとされ、その拝戴の趣を異にしているからです。
実際、頒布大麻・授与大麻それぞれの奉製に際しては、それぞれの修祓式で奏上される祝詞も異なり、奉製の時点からも拝戴の趣旨が違うものとして扱われています。ですから、授与大麻が有る場合でも無い場合でも、頒布大麻は必ずおまつりして、更なる恩頼(みたまのふゆ)を祟ぎ奉るべきなのです。もっと分りやすく一言で言うと、氏神神社で受ける頒布大麻は「日本全体や各家庭が平穏無事であるために拝むもの」で、伊勢の神宮で受ける授与大麻は「個人の願いのために拝むもの」とも言えます。
もし、頒布大麻と授与大麻の両方を受ける場合、 順番としては、まず年末に氏神様へお参りに行って、その際に氏神様のおふだと共に頒布大麻を拝受して新年を迎え、日々神様に感謝しながら生活し、その上で、可能であるならば伊勢の神宮へもお参りに行き、授与大麻を受けるのが理想だと思います。
勿論、頒布大麻より先に授与大麻を受けても全く構わないとは思いますが、しかし、もし既に授与大麻を受けていたりおまつりしている事を理由に「どうせ同じ神宮のおふだなのだから、氏神様から受ける神宮大麻はおまつりしなくても良いよね」と考えるなら、その解釈は正しくありません、と言わねばなりません。
なぜ神宮大麻というのか
伊勢の神宮のおふだを、なぜ「大麻」(タイマ)と呼ぶのでしょうか。そもそも大麻という言葉自体、神社関係者以外には全く馴染みがないのが実態で、一般の人は大麻と聞くと、大抵の場合、神宮大麻ではなく、違法薬物として度々ニュース等で話題になる大麻のほうを想起するのではないかと思います。
他所の神社の神職から「大麻が足りなくなってきたので、ウチの神社にも大麻を少し譲って下さい」と言われた神職が、近くの郵便局からその神社に神宮大麻を発送しようとして、数百体の神宮大麻が入った箱に貼る送り状の品名欄に、いつもの感覚で「大麻」とだけ書いたら、郵便局窓口の職員さんから、ギョッとした表情で「大麻って、これどういう事ですか!?」と訊き返された、なんて話も聞いた事があります。
実は神道用語としても、神宮大麻の「大麻」とは別に、祭具(祓いの具)として全く同じ漢字で表される「大麻」(読み方はオオヌサ)があり、ついでにいうと、北海道内の都市である江別市には「大麻」という地名や駅など(読み方はオオアサ)があり、つまり「大麻」の読み方は少なくとも「タイマ」「オオヌサ」「オオアサ」の3種類はあって、それぞれ意味も異なるため、実は結構ややこしかったりします。
そういった事情から、「神宮大麻」もしくはその略称である「大麻」という言葉が使われる場合、大抵は、神職同士もしくは関係者同士などの所謂内輪での会話に限られているのが実態で、神職であっても、一般の氏子・崇敬者の方々や、神社にお参りに来られた方々に対して言う場合、誤解を避けるため大麻という言葉はあまり使わず、「お伊勢様」「天照(アマテラス)様」「伊勢神宮のおふだ」などと、判り易い別の言葉に言い換えている事が多いようです。
▲ “祓いの具” である大麻(オオヌサ)
▲ JR函館本線の大麻(オオアサ)駅
では、なぜ伊勢の神宮のおふだの事を大麻と言うのでしょうか。その理由を求めると、平安時代末期にまで遡る事が出来ますす。
平安時代末期から江戸時代にかけて、伊勢には御師(オンシ)と呼ばれる、参詣者を伊勢の神宮へと案内し、参詣者の参拝・宿泊などのお世話をする人達がいました。御師は神宮に仕える祀官で、諸国から伊勢へやって来た参詣者の世話をするだけでなく、神宮の御神徳を広めるため自らも全国各地に赴き、崇敬者の家を一軒づつ訪問するといった教化活動も行なっていました。元々神宮は私幣禁断(個人的な祈願を受けない)のお宮でしたが、諸国を巡ったこうした御師達の活躍によって、広く一般の崇敬を集めるようになりました。
そして御師は、「檀那(ダンナ)」と呼ばれる崇敬者の家を訪ねる度に、幾度となく祓詞を唱えると清めの力が増すという数祓(カズハライ)の信仰に基づく「千度祓」や「万度祓」といったお祓いの御祈祷を行い、その際には、祓串(ハライグシ)を納めた箱などを檀那に持って行きました。
この場合の祓串というのは、神社でお祓いを行う際に今でも使われる大麻(オオヌサ)を小型化した祓いの具のようなもので、その祓串を納めた箱が所謂「お祓い箱」で、これと共に、小さな祓串を剣先形に紙で包んだ「剣先祓い」も広く頒布されました。これは「御祓(オハライ)大麻」とか「お祓いさん」とも呼ばれ、今日の神宮大麻の原型になったと云われています。
江戸時代中期頃には、全国の総世帯数の約9割に大麻が頒布されるようになり、また、各地に伊勢講と呼ばれる崇敬組織もつくられ、交通事情の発達により庶民の間でもお伊勢参りが盛んになりました。
▲ 御祓大麻(神宮大麻の原型)
明治4年、神宮に関する制度が一新されて、御師による祈祷・神楽・配札は全て停止されましたが、翌年、明治天皇の思し召しにより、神宮司庁から大麻が奉製・頒布される運びとなり、これに伴い、大麻の体栽も「天照皇大神宮」の御神号に御璽が押捺された現在の形になり、大麻の名称も「御祓大麻」から「神宮大麻」に改称されました。
ですから、伊勢の神宮のおふだの事を大麻(タイマ)と呼ぶのは、祓いの具である大麻(オオヌサ)からきたものであり、本来は御師がお祓いを修した験(シルシ)の祓串であったから、なのです。
ちなみに、伊勢の神宮以外の神社で、その神社で頒布しているおふだの事を「神社大麻」もしくは単に「大麻」と称している例が見受けられますが、これは伊勢の神宮の例に倣った呼び方です。
▲ 神宮大麻についての解説(愛知県神社庁IT委員会編集)
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