【令和7年9月26日】
金華神社 合祀祭(留辺蘂神社本殿鎮座祭)
令和7年の留辺蘂神社秋まつり(宵宮祭)と同時に斎行された、金華神社御祭神に留辺蘂神社本殿へと御鎮座して戴くための大祭です。この「留辺蘂神社本殿鎮座祭」は、一連の金華神社合祀祭に於ける最後の祭典にして最大の重儀でもあり、有難い事に多くの方々に御参列戴きました。
そして、この祭典を以て、金華神社御祭神「金華大神」は、留辺蘂神社へと正式に合祀され、留辺蘂神社本殿の6柱目の御祭神となられました。
【令和7年9月26日】
金華神社 合祀祭(留辺蘂神社社務所出御祭)
令和7年の留辺蘂神社秋まつり(宵宮祭)の直前に、仮殿(留辺蘂神社の社務所)で執り行なわれた、これより金華神社御祭神が仮殿から留辺蘂神社の本殿へと正式にお遷りになる事を奉告申し上げる祭典です。
ちなみに、この度の金華神社合祀祭は、日程的には「仮遷座祭」と「本遷座祭」に大別され、先に執り行なわれた「金華神社出御祭」と「留辺蘂神社社務所一時奉遷祭」が仮遷座祭に当たり、そしてこの「留辺蘂神社社務所出御祭」とその直後に斎行される「留辺蘂神社本殿鎮座祭」が、本遷座祭に当たります。
【令和7年9月5日】
金華神社 合祀祭(留辺蘂神社社務所一時奉遷祭)
金華神社出御祭の後、直ちに場所を留辺蘂神社へと移し、仮殿(留辺蘂神社 社務所内の祭壇)へと遷られたばかりの金華神社の神様に対して、「金華の地を離れ留辺蘂神社へと来て戴き、誠にありがとうございます。心より歓迎致します。3週間後に行なう本遷座祭まで、臨時にここに留まって戴く事となりますので、どうかその旨、心穏やかに御了承下さいませ」という趣旨の祝詞が奏上されました。
【令和7年9月5日】
金華神社 合祀祭(金華神社出御祭)
金華神社の神様に対して、「金華神社の創建以来、長年この金華地区や同地区住人達を守って下さりありがとうございました。心より感謝申し上げます。只今から、この地より留辺蘂神社へとお遷り戴きますので、どうかその旨、心穏やかに御了承下さいませ」という趣旨の祝詞を奏上する祭典として執り行ないました。
この祭典は、本来は、被合祀神社の大前(今回の場合であれば金華神社の拝殿内もしくは本殿前)にて斎行するのが本義ですが、現在の金華神社の場合、参道の長い石段(約60段)は急傾斜で滑りやすく、その上、老朽化により崩落している箇所も多く、また何よりも、石段よりも先の山林内は熊出没の可能性が高いため、参列者及び奉仕神職の安全等を考慮して神事は石段下にて、遙拝の形を採って執り行ない、前述の祝詞は、参道石段の下から、石段よりも更に先の地に鎮座する金華神社本殿に向かって奏上しました。
金華神社は大正4年に創建された神社で、創建から丁度110年が経ちましたが、この合祀祭(金華神社出御祭)が、その金華神社110年の歴史に於ける最後の祭典となりました。
【令和6年5月3日】
国家安泰祈願禊
自己の心身を祓い清め行学一致を目指すための研鑽を積むという、神社神道を信奉する一人の「個」としての禊本来の目的を達成する事を願うのみならず、僭越ながらも留辺蘂神社や温根湯神社などを一時お預かりしている宮司という「公」の立場としても、国家安泰や留辺蘂町発展等いくつかの公的な願意を祈念しながら、満開(一部は既に散り始めておりましたが)の桜の木の下で、清々しく禊を執り行ないました。
【令和6年4月25日】
金華神社現地調査開始奉告祭
留辺蘂町金華(カネハナ)地区の山林に鎮座する「金華神社」の御祭神を当神社へと合祀するに当たって初めての現地調査を行ない、それに先立って、金華神社の本殿前で現地調査開始奉告祭も斎行致しました。
金華は、大正3年に国鉄湧別線(現在のJR石北本線)の留辺蘂~下生田原間の開業に伴う上奔武華(カミポンムカ)駅開設を機に、駅前やその周辺に人々が移住して定住が始まり、次第に拓けていった集落です。大正5年に愛媛県からの入植者29戸が上奔武に入って以降は人口が急増し、戦前から戦中にかけての一時期は金鉱も採掘され、戦後の昭和30年代には特に林産や農業などの産業が大いに栄え、この頃に金華は最盛期を迎えたようですが、昭和40年代以降は一気に過疎化が進み、現在の金華は集落としては実質ほぼ消滅しました。
そのため金華神社も、残念ながら近年は完全に放置されていて、社殿・鳥居・石段等の構築物も一部は崩落しており、当神社の役員の一部や関係者達の間で、「誰からもお参りされず、お祭りも一切されていないなんて、金華神社の神様にも大変申し訳ない。金華神社の神様を留辺蘂神社にお迎えしてはどうか」という意見が出るようになり、合祀に向けての機運が高まっておりました。
【令和6年3月11日】
神道護摩による東日本大震災慰霊祭・東日本大震災復興祈願祭
東日本大震災が発災した日に、吉田神道の三元十八神道による次第・作法を以て「東日本大震災慰霊祭・東日本大震災復興祈願祭」を執り行ないました。当神社にとっては神道護摩を修した初めて神事でもあり、この神事が、留辺蘂町内に於ける神道護摩行事 第1号ともなりました。
なお、翌年以降は、諸般の事情によりこの日に神道護摩を修する事は取り止め、神道護摩は1月上旬と7月上旬の年2回執り行なう定例祭事に変更となり、また、この日(3月11日)は、神道護摩に代わって「国土平安祈願禊」と「東日本大震災物故者慰霊祭」を定例祭事として執り行う事となりました。
【令和5年11月10日】
宮司・禰宜就任奉告祭
前日(11月9日)付で、留辺蘂神社の第3代宮司であった山田と、禰宜(第3代宮司の婦人)が同時に勇退し、その後任として、同神社の権禰宜であった田頭が、当日(11月10日)付で第4代宮司に就任し、同じく、権禰宜であったもう一人の田頭(新任宮司の婦人)が禰宜に昇進しました。それを受けて、留辺蘂神社の社殿にて「宮司・禰宜就任奉告祭」を執り行ないました。
留辺蘂神社 公式ホームページ
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