留辺蘂神社大神様の御分霊と御神威が宿る
各種の御神札を授与しております
全国の各神社では、その地域一帯(氏子区域)やその一帯に住む人達(氏子)達を守り、また、その地域の内外を問わずその神社を崇敬する方々の生活に恵みと豊かさをもたらして下さる神様を、古来より大切におまつりしています。そうした神社の神様をより身近におまつりするのが、家の神棚です。
家族が安らかで豊かな生活が営む事が出来るよう、氏神神社(最寄の神社)からおふだを拝授し、毎日神棚でおまいりしましょう。もし神棚が無い場合は、自分の目線よりも上となる高い場所で、清浄な所(例えば、綺麗に掃除された状態の、本棚やタンスの上など)に、おふだをおまつりしましょう。
神社や神棚への信仰は、地域の人々の生活の中で育まれ、その信仰は親から子へ、子から孫へと受け継がれ、代々培われてきました。神棚の前に家族が揃ってお祈りする事で、神様の恵みに感謝する心が養われると共に、優しさや思いやりの心も育まれ、家族の絆はより強くなり、親が子を慈しみ子が親を慕う、心豊かな家庭になります。
家族と離れて暮らしている、もしくは家族がおられない、おひとりで生活されている方も、神様からの日々の恵みに感謝し、神棚でおまいりするようにしましょう。神様はいつもあなたを見守って下さっています。
留辺蘂神社おふだセット
当神社の社務所窓口で頒布している、令和7年版の「留辺蘂神社おふだセット」の内容は以下の通りです。このセットは毎年末、当神社氏子区域内の各戸へも訪問頒布させて頂いております。留辺蘂神社の氏子・崇敬者の皆様は、是非このセットをお受け下さい。
① 神宮大麻(伊勢神宮のおふだ)
② 留辺蘂神社神札
③ 大歳神様(お正月の神様)の絵札
④ 大國主大神様・事代主大神様の絵札
⑤ 令和7年版 敬神暦
⑥ 留辺蘂神社 由緒略記
⑦ 留辺蘂神社 社報「お正月のお知らせ」
⑧ 留辺蘂神社 新春神道護摩祭の御案内
なお、上の見本写真では、それぞれのおふだがはっきりと判別しやすいよう、神宮大麻と留辺蘂神社神札を包んでいる薄紙は外しております(実際に頒布するセットでは、これら2体のおふだは白い薄紙で包まれております)。
神宮大麻は、『伊勢神宮 → 各都道府県の神社庁(当地であれば北海道神社庁) → 神社庁の各支部(当地であれば北海道神社庁網走支部) → 各地の神社(留辺蘂神社など)』という順に、神宮・神社庁・支部・神社などでその度神職により繰り返し祓い清められながら送り届けられ、その上で、各神社の社頭から各家庭・氏子崇敬者の皆様方へと授与されます。当神社に於いても、神宮大麻頒布始奉告祭を斎行し重ねて神宮大麻を祓い清め、そしてその神宮大麻をこれより当社氏子区域内の各家庭等に頒布する事を神様に奉告申し上げます。
また、留辺蘂神社神札に留辺蘂神社大神様の御分霊をお遷り願う、神札御守等遷霊入魂祭も併せて斎行しております。
おふだセットの奉製作業の様子です。
宮司と禰宜とで、神宮大麻頒布始奉告祭を終えた神宮大麻や、遷霊入魂祭を終えた留辺蘂神社神札、その他の絵札や印刷物等を、専用の紙袋へ一体ずつ丁寧に袋詰めしていきます。
留辺蘂神社おふだセットは、このように当神社に於いて神宮大麻頒布始奉告祭、遷霊入魂祭、奉製作業などを経て、皆様方に授与されます。
おふだのまつり方とお参りの作法
◎ お宮が三社造りの場合
三社造り(おふだを納めるスペースが3つある神棚)の場合、もしくは、神棚が無い状態で神宮大麻・氏神様のおふだ・崇敬神社のおふだの3体を横一列に並べておまつりする場合は、序列としては1番目となる「中央」に神宮大麻を、序列2番目となる「向かって右側」に氏神様のおふだを、序列3番目となる「向かって左側」に崇敬神社のおふだをそれぞれおまつりして下さい。
具体的には、留辺蘂神社氏子の場合は上図の通り中央に神宮大麻、向かって右側に留辺蘂神社神札、向かって左側に崇敬神社のおふだを、留辺蘂神社氏子以外の場合は中央に神宮大麻、向かって右側に氏神様(最寄の神社)のおふだ、向かって左側に崇敬神社として留辺蘂神社神札を、それぞれおまつりして下さい。つまり、留辺蘂町氏子区域内に住んでおられるか否かによって、神宮大麻をおまつり場所は不変ですが2番目と3番目の場所は入れ替わるという事です。
なお、崇敬神社とは、伊勢神宮や氏神様以外に信仰・崇敬している神社の事です。特に崇敬神社が無い場合、崇敬神社のおふだ用スペースは何も入れず空のままでも構いませんし、氏神様の別のおふだ(祈祷札・家内安全紙札・鎮火札など)を入れても構いません。
◎ お宮が二社造りの場合
お宮としては珍しい様式となりますが、稀に二社造り(おふだを納めるスペースが2つの神棚)のお宮があります。そういったお宮の場合、もしくは、神棚が無い状態で神宮大麻と氏神様のおふだの2体だけを横一列に並べておまつりする場合は、序列としては1番目となる「向かって右側」に神宮大麻を、序列2番目となる「向かって左側」に氏神様のおふだを、それぞれおまつりして下さい。
◎ お宮が一社造りの場合
一社造り(おふだを納めるスペースが1つだけの神棚)の場合、もしくは、神棚が無い状態でおふだ3体を全て重ねて縦一列にしておまつりする場合は、手前(序列1番目)に神宮大麻を、次(序列2番目)に氏神様のおふだを、更にその次(序列3番目)に崇敬神社のおふだ、という順に重ねておまつりして下さい。
具体的には、留辺蘂神社氏子の場合は1番目に神宮大麻、2番目に留辺蘂神社神札、3番目に崇敬神社のおふだ、留辺蘂神社氏子以外の場合は1番目に神宮大麻、2番目に氏神様(最寄の神社)のおふだ、3番目に崇敬神社として留辺蘂神社神札、という順に重ねておまつりして下さい。
◎ お供え物
神棚(おふだの手前)には「米」「塩」「水」をお供えしましょう。「お酒」(日本酒)もお供えすると更に丁寧です。
また、お正月、行事のある日、家族が揃ってお参りする日など “特別な日” には、揃えられる範囲で結構ですので、「お餅」「野菜」「果物」「お菓子」、その他の飲食物もお供えしましょう。
本来は、米・酒・塩・水などは毎朝(日が昇る頃)神棚にお供えし、そして日が沈む頃(具体的に何時頃かは当然季節によって大きく変ります)にそれらを全て下げ、お下げした飲食物は神様からのお力を戴いた物として家族全員で有り難く食します。ですから夜間は、神棚には何もお供えされていない状態となり、翌朝に、また米・酒・塩・水などを神棚にお供えし、これを毎日繰り返すのが原則です。
しかし、仕事や家事などの都合上、これを毎日必ず繰り返すというのは現実的では無い場合も多々あり、その場合は、1か月に2回(例えば毎月1日と15日)、もしくは1か月に1回だけ(例えば毎月1日だけ)お供えを取り替えさせて頂く、という形を採っても構いません。但しその場合、お下げした物を直接食するのはあまり衛生的とは言えないため、お下げした物は破棄したり、酒・塩・水など屋外に撒く事の出来るものについてはお祓いとして自宅の敷地内(例えば玄関前)に撒いてその場を祓い清めるなどしても構いません。
◎ 神棚でのお参りの作法
一部の神社や一部の教派神道などでは、四拍手を正式な拝礼作法としている所もありますが、大部分の神社での拝礼作法は「二礼二拍手一礼」を原則としています(厳密には再拝二拍手一拝)。特別な事情が無い限りは、この原則に則り、御家庭の神棚でも二礼二拍手一礼の作法でお参りしましょう。なるべく毎日、朝夕にお参りするようにしましょう。
▲ おふだのまつり方についての解説
(上川神道青年会公式チャンネルより)
▲ 神棚のおまつりの仕方、拝礼作法、
おふだとはそもそも何なのか等についての解説
(三重県神道青年会公式チャンネルより)
おふだを取り替える時期
「神棚におまつりするおふだは、年末と年始、どちらに取り替えれば良いですか」とたまに質問される事がありますが、結論からいえばどちらでも構いません。但し、どちらのほうがより良いかといえば、可能であれば年末に取り替えるほうが望ましいです。
具体的には、神様にその年お守り戴いた事を家族全員で感謝してから、年内のうちに古いおふだを神棚から降ろし、その上で神棚を綺麗に掃除し、それから、神社から受けた新しいおふだを神棚におまつりし、その新しく清々しいおふだのもと、新年をお迎えする、というのが望ましいです。
勿論、新年になってからおふだをお取り替えしても、それが悪いという事は一切ありません。初詣の際に、その神社の社務所もしくは授与所等で新しいおふだを拝受し、それから神棚のおふだをお取り替えする、という方も沢山おられます。
では、年末におふだをお取り替えするとしたら、いつお取り替えすれば良いのかというと、これも特に決まりはありませんが、一応古来からの慣例として、12月29日と12月31日は避けたほうが良いとも云われております。
29日は、29という語呂が「二重苦」に通じるから、31日(大晦日)は、元日の直前である事から一夜飾り、つまり葬式を連想させるから、というのがその理由とされていますが、その反面、29日は、29という語呂が「福」に通じるためかえって縁起が良い、という全く正反対の解釈もあるようです。
但し、これらの慣例(29日や31日が適しているかどうかという話)は、六曜(六輝)などと共にあくまでも俗説であり、神社の信仰とは直接は関係無いですから、それ程深く気にする必要はありません。
おふだのおまつりを遠慮する期間
毎年、年末頃には「今年身内が亡くなったのですが、神社から新しいおふだを受けたり、神社へ初詣に神社に行ったりしても良いのでしょうか?」といった質問を多く受けます。 「お正月の飾り物は遠慮した方が良いのでしょうか?」とか「故人が亡くなってから1年間は神棚に半紙を貼っておかなければならないのでしょうか?」といった質問も寄せられます。
身内に不幸があった場合、喪家(弔いを出した家)では、神棚の正面に半紙などの白い紙を貼って(半紙でなくても構いません)、その家に於ける毎日のおまつり(お参り)を一時中断します。
その中断の期間を何日間とするかはそれぞれの地方や家によっても違いがありますが、その中断する慣習や中断する期間を一般には「忌中」 といい、厳密にいうと当人と故人との関係によってその期間は異なるのですが大体の場合、神道に於いては、故人がお亡くなりになってから50日までが忌中とされます。
その50日間は、神社へのお参りを控え(正月を挟んでいる場合は、神社への初詣も控えます)、神棚での日々のおまつりも中断しますが、その50日間が過ぎれば、神棚に貼っていた白い紙は外し、神社や神棚へは普段と同じように関わって問題ありません。
つまり50日が過ぎれば、今まで通り神社にお参りに行ったり、神社から新しいおふだを拝受したり、正月に神棚の注連縄(しめなわ)を取り替えたりしても、何ら差し支えないという事です。
ただ、故人が亡くなってからまだ1年経っていない場合(喪中の期間)は、賑やかな飾り物を付けたり松飾りを立てたりする事などは、一般的には遠慮します。50日を過ぎても、故人が亡くなってから1年が経っていない場合、翌年の年賀状を発送する事も遠慮する、という慣習は全国的にも広く定着しています。
改めてまとめると、故人の弔いに専念するため日常生活を慎む期間、つまり前述の50日間の事を「忌」、一般には「忌中(キチュウ)」といい、この期間は神社や神棚への参拝を控えるだけでなく、結婚式・祝賀会・式典などへの出席や行楽旅行なども控えます。
そして、喪に服し故人への追悼の心を示しつつも日常生活を営む期間、つまり前述の1年間を「服」、一般には「喪中(モチュウ)」といい、この両方(忌中と喪中)を合わせて、「服忌」(ブッキ)もしくは「忌服」(キブク)といいます。
当神社では、「神社から新しいおふだを受けたり、神社へ初詣に神社に行ったりしても良いのでしょうか?」といった質問をされた場合、その質問をされた方と故人との関係性(具体的に何親等離れているのか)までは分らない事も多いので、どのケースにも適用出来る最大公約数的な回答として、最長の日数である「50日です」と答えるようにしていますが(忌中の期間は最も長くて50日であり、それを超える事はありません)、「厳密にいうと当人と故人との関係によってその期間は異なるのですが」と前述した通り、正確に突き詰めると、忌中の日数は故人と当人との関係により異なります。
それぞれの地方や家によって決して小さくはない差異があるため、全国的な統一基準というのは示し辛いのですが、公的に明治政府によって定められたもの(明治七年太政官布告武家制服忌令)に基づくと、忌中の具体的な期間(日数)は以下の通りです。
【1】故人が父、母の場合は50日
【2】故人が夫、父方の祖父母の場合は30日
【3】故人が妻、嫡子、兄弟姉妹、母方の祖父母、曾祖父母、父方の伯叔父母の場合は20日
【4】故人が末子、嫡孫、母方の伯叔父母の場合は10日
【5】故人が孫、甥姪、いとこの場合は3日
故人が夫の場合は30日で、故人が妻の場合は20日と、夫婦間で忌中の日数に差をつけていたり、また、故人が嫡子の場合は20日で、故人が末子の場合は10日と、子供間でも忌中の日数に差をつけていたりと、これが制定された明治時代に於いては兎も角、令和の御代である現代に於いてこれをそのまま適用するのは何だか釈然としない、もしくはあまり現実的ではない、という事もあるので、基本的はこれは大凡の目安、という程度で捉えて戴ければ良いと思います。
古い資料などを見ると、上記以外にも、「故人がその他の親族」や「故人が特に親しい友人知人」の場合は2日程度、という解説も見られますが、その一方で、「親しい間柄であっても血縁関係が無い場合、忌中は該当しません」と解説されている事もあり、社会状況の変化によって、その日数にも変化が生じている事が窺えます。
ここまでは主に「忌中」のお話をしてきましたが、それに対して「喪中」とは、先程も少し触れましたがより具体的にいうと、「忌中の期間が終わった後も、引き続き故人への哀悼の気持ちを表しながら、しかしただ悲しみに暮れるだけではなく、死別の悲しみの中にあってもその気持ちを乗り越えて、除々に日常の生活に立ち返るように努める期間」といえます。
ですから、忌中の期間が明けているのであれば、喪中の期間でも、神社に参拝したり神棚のおまつりをすることは構わないですし、地域の祭礼行事への参加も差し支えありませんが、普段よりは少し慎んだ生活を心掛け、お正月も、神社に初詣に行ったり神社から新しいおふだを受けてくるのは構いませんが賑やかな飾り物や松飾りなどは遠慮するようにします。
喪中の期間は、特に明確な根拠があるわけではないものの慣例により、一般的には前記【1】の場合は1年、【2】の場合は100日、【3】と【4】の場合は50日といわれています。なお、【5】については、喪中の期間は特に不要とされています。
もっとも、「喪中」については、現代社会に於いては形骸化している感も拒めず、例えば、故人が帰幽されてから数日から数十日間は忌に服し慎んだ生活を送っていたとしても、その後は、家族で何日間かの旅行を楽しんだり、友達とカラオケに行って大いに歌ったり、飲み会に行って二日酔いになる程深酒したり、十分に日常生活を楽しみ、しかし年末になると、喪中であったのを突然思い出したかの如く「喪中につき新年の挨拶は御遠慮致します」という葉書を発送するといった、「あれ?喪中ってそもそも何だったっけ?」と考えてしまうような事例もよく見られ、現代社会に於いては「喪中」という慣習は実質あまり機能しなくなってきているともいえます。
なお、最後に重要な事を補足しますが、ここまで解説してきた忌中や喪中の具体的な日数は、当然の事ながら、国の法律や自治体の条例で正式に定められているわけではなく(前出の太政官布告武家制服忌令は、当然の事ながら法令としては既に効力を失っています)、そもそも “哀悼の表現” でもある服忌は基本的にその人の心得に任せるべきのものであり、法律や条令等で強制させるような類のものでもありません。
服忌はそれぞれの地域や家の慣習に依拠する所が大きく、社会情勢によってもその日数は変化していくものなので、今回ここで解説した具体的な日数については、あくまでも “ひとつの目安” と解して下さい。決して絶対的なものではありません。
実際には、仕事の都合上100日間も喪に服しているわけにはいかない、という場合もあるでしょうし、忌中であっても、故人が亡くなる前から実施する事が決まっていた行事(結婚式やその披露宴・祝賀会など)は、直前になって中止するとかえって周囲に多大な迷惑をかけてしまう事になる(故人も出席する事を生前とても楽しみにしていたので、中止してしまうと故人もがっかりしてしまう)ので、あえてそのまま執り行うという事も少なくありません。
「故人は、自分とは血縁関係には無いが、何十年にも亘って、親兄弟以上に深く親交してきた親友だったので、50日間、忌に服したい」という場合もあるでしょうし、「実は亡くなったのは人間ではないが、十年以上にも亘って家族の一員として毎日を一緒に過した大切なペットだったので、3日間は忌に服したい」と思うのは、その人の気持ちの問題なので、全く自由であり、他人が「それは違う」とか「そうすべできではない」などと指摘するのは、それこそ野暮というものです。
神棚やおふだのまつり方の実例
以下に、神棚のおまつりの仕方、おふだ立てのおまつりの仕方、神棚もおふだ立ても無い場合のおふだのおまつりの仕方などの実例を紹介します。いずれも、氏神様(三社造の神棚であれば向かって右側)が留辺蘂神社もしくは温根湯神社のおふだの場合です。但し、これらの写真はあくまでも一例に過ぎず、必ずこの通りにしなければならないというわけではありません。
鎮火札とそのまつり方の実例
当神社では「鎮火札(チンカフダ)」というおふだを授与しております。
このおふだは、神社によって「鎮火祭のおふだ」「火難除札」「火防札」「火災除護符」「荒神札」「荒神様」など呼び名は様々ですが、その目的・趣旨はほぼ同一で、いずれも火の災いを防ぐ、つまり火事が起きませんように、という願意が祈願されているおふだです。
一般的に、このおふだは神棚ではなく、出火の可能性・危険性が高い場所の壁に貼っておまつりします。具体的には、台所やボイラー室などが該当します。但し、他のおふだと一緒に神棚におまつりしたり、もしくは玄関の壁に貼るなどしても構いません。
以下の写真はいずれも、各種の鎮火札のおまつりの実例です。なお、これらの実例写真には、当神社では授与していない鎮火札も多数含まれておりますので御了承下さい。また、以下の写真ではいずれも2枚の鎮火札が貼られていますが、これらの写真はあくまでも一例であり、大抵、実際に貼る鎮火札は1枚です。
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